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その28:その名は

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「奴隷狩りにでもあったのか? ああ、戦争奴隷か…… どこかの傭兵団付きの娼婦か?」

 精悍な顔つきをした髪の短い男が、独り言のように呟きながらガチャガチャと錠前をいじくる。
 ガシャリと音がして、錠前が外れた。キィーと音がして扉が開いた。
 
「あうっ」

 アバロウニは息を飲み、慌てて檻の隅へいく。こんな狭い檻の中で逃げ場所などありはしないのに。
 ガクガクト震え、男を見やる。男は顔に笑みを浮かべていた。薄闇の中にぼんやりと浮かび上がるように、その表情が見えた。
 血腥ちなまぐさい、惨劇が行われた直後である。
 それなのに、屈託のない笑みを浮かべていた。

(人を殺して笑っている……)

 アバロウニはそう言った種類の人間を散々見てきた。
 どんな酷いことも、笑いながらできる者たちだ。

「そんなに、ビクつかなくていいって」

 男はさも敵意がないという感じで笑みを浮かべる。
 確かにそこに下卑たものは感じない。
 アバロウニを安心させるために表情を作っているのかもしれない。
 が、今笑っている男が、ちょっと前に人を殺したのは確実なことだ。
 男が近づいてくる。血のにおいが濃くなってくる。死の臭いが男にはこびり付いている様だった。

(助けて、お願い!)

 アバロウニは祈った。何に対して祈っているのかすら分らない。恐怖だけがそこにあった。

「おい、助けてやるって。さあ」

 男は手を伸ばし、アバロウニの手を取った。
 ゴツゴツとした手だが、温かい手だった。
 剣を振ることを生業とする傭兵の手であった。

「そんなに怯えることはないんだぜ」

「あ…… はい」

 すっと、アバロウニの中から恐怖が消える。
 決して、男の言葉を信じたのではない。
 ただ、「恐怖」が「諦め」に変化しただけだった。

 血の匂いのする男は、アバロウニを檻の外へと解放した。
 アバロウニは、トンと地面に立った。
 素足に夜気の染み込んだ土の温度が感じられた。
 月明りが薄っすらと、闇の底を照らしていた。死体が転がり、血の臭いが漂っている。
 風邪が木々を揺らし、そのざわめきだけが、沈黙と闇の中に流れ込んでいた。

「オマエさんを捕らえていた奴らはもういねーよ」

「殺したの?」

「ああ、見ての通り。逃げたのも何人かいるかもな――」

 男は事も無げに言った。
 先ほどの笑みは消え、真剣な顔であった。

「裸足かよ」

 男はアバロウニの足元を見て言った。
 
「服も汚ねーな。もうちっと綺麗なのが……」

 と言ったところで、男の言葉が止まった。
 男は息を飲む。
 月明りの下。アバロウニの美貌が露となったのだ。
 銀色の光の中、真紅の髪がゆれる。
 汚れているとはいえ、その顔は、比べる物を思いだすことが困難なほどに美しかった。

「と、とりあえず、靴だな。積荷の中に靴があればいいんだが」

 男はそう言うと、積荷を確認していた者に声をかけた。
 しばらくして、別の男が靴をもってきた。
 軍靴だった。

「兵隊用の靴か? 女物はなかったか?」
「あるのかもしれませんが、探す時間が……」
「分った」

 男は靴を受け取るとアバロウニに差し出した。

「今はこれで我慢してくれ。ブカブカかもしれねーが、素足よりはマシだろう」

 その靴はアバロウニにはブカブカで大きすぎた。
 が、紐で縛れば、そう歩くのに不自由はしなかった。それに素足で歩くよりはよほどましであった。

「俺は、デガルという」

「ぼ……、あ、あたしは、アバロウニ」

「ふーん。変った名前だな」

「あ、ありがとう……」

「いいんだよ」

 男は少し照れたように言った。

「で、どうするね。夜が明けるまでは、俺たちについてくるとして、夜が明けたら帰ってもいい」

「帰るって?」

「いや、帰る場所はないのかい?」

 アバロウニは意外なことを聞かれ戸惑う。
 自分の育った村は既になくなっている。
 奴隷狩りの襲撃を受け、全滅した。村のひとたちのことを思い出す。

 不意に幼馴染のことを思い出した。
 名前をなんといっただろうか。
 もう、その名すら遠い過去の記憶になっていた。
 ああ、そうだ。名前は――

「ラグワム……」と口の中で小さく呟いた。

 男は怪訝な顔をして、アバロウニを見つめた。
 そして言った。

「なんで隊長の名を知ってるんだい?」
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