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その164:ガダルカナル遊撃戦 その6

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 分隊の先頭にはマーティン軍曹が立っていた。分隊副官だった。密林の底――辛うじて歩ける場所を選んで歩く。
 土で汚れた表情は緊張感に満ちていた。名も知れぬ鳥の不気味な声が響いている。

(これが本当の戦場だ。気を引き締めないとな)

 ボーイスカウトの引率とは訳が違う。相手は密林戦のプロといえる日本軍の特殊部隊だ。
 南米の密林でゲリラ戦の経験を積んだとはいえ、手練れの日本軍はこれまでの敵とは訳が違う。

「大丈夫です。安全確認しました」

 指揮下のバイデン上等兵が声とともに、ハンドサインを送る。

(大丈夫なのか……)

 曲がりくねった木々の間から辛うじて先の地形が見える。どうにもここは窪地のようだった。
 こんなところで、襲撃されたらどうにも逃げ場がない。早く通過してしまうに限る。
 マーティン軍曹は歩を早め、密林を進んでいく。

        ◇◇◇◇◇◇

「来たかよ……」
 
 棘のある草の中に身を潜め、関根中尉は米兵を見やる。
 視界が限定されることが幸いしていた。
 
(少しでも高い位置を確保したかったが……)

 擂鉢のような窪地で待ち構えるしかなかった。下手に高地を取ろうと移動すれば、動きを覚られる危険性があった。

「こいつじゃキツイか」

 一〇〇式機関短銃を構えるが距離が遠い。同銃は近接戦闘で威力を発揮する。敵は二〇〇メートルは先に居た。微妙な距離だ。
 
「田中、いけるか?」
  
「はい」

 ムッとした密林の空気に額が汗ばむ。関根中尉は袖で汗を拭う。
 泥と混じりの汗で袖が汚れたのか、袖の泥で顔が汚れたのか分らない。
 汗が目に入らないように注意する。

「先頭の男、分隊指揮官――軍曹か、少尉か……分らんな。ただ狙うなら奴だ」

「分りました」

 田中上等兵は血色のいい敵兵を見やる。ガタイが良く的がでかいのは良いことだ。
『三八式騎銃』を構える照門に敵のヘルメットを重ね合わせる。
 陸軍の標準装備である『三八式歩兵銃』の銃身を三〇〇ミリ切り詰めた騎兵(乗馬する兵)用の小銃だ。
 軽量(銃身を切り詰めているので当然だ)で扱いやすい銃であり、騎兵以外でも工兵、輜重兵なのどでも使用されている。
 銃身が短くなったといっても、名銃・三八式歩兵銃の眷属である。狙撃性能はそれなり高かった。二〇〇メートル内外の公算誤差はさほどの差が無い。

 田中上等兵は、引き金に指をかけた。

        ◇◇◇◇◇◇
 ターンッ!
 甲高い銃声――。

「おわッ!」

 バイデン上等兵が声を上げた。銃声の音がどこからなのか――。
 それを確認しようと、キョロキョロする。
 が――。
 眼球と首の動きがそこで止まった。

「軍曹ぉッ!」

 マーティン軍曹のM1ガーランドライフルが放物線を描き飛んでいた。
 軍曹は密林の下草の中に崩れ落ちる。

「散開! 危険だ! 散開しろ!」

 悲劇(戦場でありふれた)の現場に駆け寄ろうとするバイデン上等兵は足を止めた。
 その場に低く身を伏せる。
 匍匐前進の形をとりながら、軍曹の方へ寄っていく。
 ダメだった。軍曹はヘルメットごと頭を貫かれ即死していた。
 苦しみを感じなかったことは軍曹にとって幸いであったかもしれないし、下手に負傷でなかったことは分隊にとっては幸いであった。

クソったれダムシット

 饐えた土と、濃厚な緑の混ざり合った臭いを鼻腔に吸い込み、バイデン上等兵はありたっけの罵詈雑言を機銃にように発した。

「前方! 一〇時方向、撃て! 撃て!」

 分隊指揮官であるレアード少尉の命令が響く。
 我に返ったバイデン上等兵は一発目を装填する。銃弾が薬室に送り込まれる機械音が耳に届く。
 M1ガーランドライフルの引き金を引く。
 一〇時方向に、三発だ。アメリカ製の半自動小銃は、発射時のガス圧を利用し、装填と排莢を自動で行う。
 いわゆるオートマティック・ライフルだ。引き金を引けば銃弾が発射される。
 照準を正確に行う必要の無い接近戦では威力を発揮する。
 欠点といえば、全ての銃弾を撃ち出さないと給弾できないことであろうか。

 ヒュンッと風斬り音がした。
 六.五ミリ口径の銃弾が右腕を掠める。

「うぉッ」

 銃を放り投げそうになるが、辛うじて留まる。
 四つんばいになる。更に身を伏せる。

「こっちだ! 移動しろ!」

 レアード少尉の叫ぶ声。その方に向け、身を躍らせるバイデン上等兵。
 腕の傷は浅い。動きに影響は無い。

「高い! 低く!」
 
 バイデン上等兵の姿勢が高かった。木々が密集する安全な場所へ移動するのは正解であった。
 が、その移動に焦りすぎた。

 前方から銃声が響く。
 高初速、発砲煙が視認しにくい敵の銃撃だった。

「バイデン!」

 バイデン上等兵は急ブレーキをかけたかのように停止し、朽木のように倒れた。
 密林の底に飲み込まれたかのように姿は見えなくなる。

        ◇◇◇◇◇◇

「敵さんは一〇人内外か。分隊規模だな」

 こちらは、沢井が機銃掃射でやられ、与田、田中に関根中尉の三人だった。
 古谷、飯塚の搭乗員は員数に入らない。地上先戦闘ではズブの素人だ。

「与田、搭乗員を非難させろ」

「しかし、隊長――」

「飛行機乗りは飛行機で死なせてやれ、ここで死なせることはならねぇんだよ」

 獰猛そうな牙をむき関根中尉は言った。

「我々も逃げるわけには――」
 
 古谷飛曹長が勢い込んで言った。飯塚二飛曹は顔色を失っていた。
 
「退避しましょう。飛曹長! ここでは我々は役立たずですよ」

「しかし」

 確かに飯塚二飛曹の言葉は正論だった。
 自決にしか役にたたないような拳銃だけで米兵に立ち向かうのは無理がある。
 
「あんた等は生き残ることが、本分を尽くすことになるんだ」

 関根中尉の言葉で身を低くしたまま、後方に下がる。
 与田兵長に誘導され、太い倒木の陰にかくれた。

「頃合を見て、離脱します」

 与田兵長は汗と泥で汚れた顔ではっきりと言った。

        ◇◇◇◇◇◇

「さて、どうするかだな――」
 
 潅木かんぼくを遮蔽物として関根中尉と田中上等兵は身を伏せていた。
 ドロドロした空気が汗ばんだ肌にまとわり付く。

「撃ち殺すか、退却させるか……敵はこっちの数は知らんだろうな」

「ですね」

 約一〇人の敵が存在している。ふたり仕留めたとはいえ、こちらはふたりしかいない。
 それでも、関根中尉の口調には恐怖心など微塵も感じさせなかった。
 むしろこの状況を楽しげにしている風があった。

「木の陰に逃げ込んでますね――ここからじゃ狙えません」

「ま、そうだろうさ。いつまでも敵に姿を晒すほどアホウではなかろう」

 関根中尉は一〇〇式機関短銃を体に寄せる。
 面倒なところに隠れやがったとは思うが、恐ろしさはない。
 数に物言わせて力押しでこられる方が厄介だった。
 敵が慎重になっている分、勝機はこちらにうある。

「田中、敵が出てきたら撃て、炙りだしてやる」

「中尉、また無茶を……」

「そもそも、この戦争自体無茶なんだ。現場の無茶がなきゃ戦えんさ」

 捕食獣の笑みを浮かべ、関根中尉はゆるゆると行動を開始した。
 物音を立てることなく、下草の中を這いずっていった。

        ◇◇◇◇◇◇

 敵の勢力は、大部隊ではなかろう。
 我々と同規模か――。

 レアード少尉は慎重だった。敵の数を下算するのは、危険すぎる。
 自分たちより小規模な部隊と確証が得られれば攻勢に出ることも可能だ。

「前方。十一時から一時方向に銃撃する。BAR! 前へ」

 BARとは、分隊支援用の軽機関銃だ。『ブローニングM1918オートマティック・ライフル』の略称でBARと呼ばれる。
 自動小銃オートマティック・ライフルというが、全重は八キロ以上(小銃の重量は概ね四キロ程度)あり軽機関銃として運用されている。
 アメリカ陸軍の分隊は同銃が最大で二丁配備される。レアード少尉の指揮する分隊は一丁だった。

「撃て! ぶち込め!」

 ドドド、ドドド、ドドド――。
 前方に弾丸をばら撒く、BAR。反撃が来るのかどうか分らないが、これで敵の規模は類推できる。

 パーン! 

 と乾いた音がした。
 盾にしていた、木が削れる。
 BAR射手の至近を弾が抉った。

「ジャップの狙撃兵か」

 腕がいい。数は不明だが、質の方では抜群だ。
 こっちの射撃位置を的確に掴み反撃してくる。

 しかし、だ――。

(数は少ないのではないか? 数名――。分隊ほどの人数もいないか)

 反撃の射撃は散発だった。
 レアード少尉は、ライフルマンである他の兵を移動させる。姿勢を低くとることを徹底させた。
 下草はおろか、地面にめり込むような感じで兵たちが木の陰から出てくる。
 通常であれば分隊には狙撃手としてボルトアクションライフルを装備する兵が一名いる。
 が、密林での接近戦を想定していたため、この分隊は全員が半自動小銃を装備していた。

「一気に型をつけるか。厄介なグレネードの反撃が無い」
 
 日本軍の分隊であれば、軽機関銃、及び擲弾筒グレネードを装備している。
 その程度の情報は解析されている。それを持たない小規模な部隊ではないのか。
 仮に持っていたとしても、こちらにもBARがあり、包囲の先手をとれば問題は無い。
 
 レアード少尉は唇を舐めた。汗は濃い塩の味がした。
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