コウノトリの誤配。~幼なじみに再会したら、赤ちゃんと溺愛が待っていました~

若松だんご

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第26話 あがき、もがく、刹那。

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 薫子さんが戻ってきた。
 一条くんの奥さんが。世那くんのお母さんが。
 
 ――薫子は、世那を置いて出ていったんだ。

 そう一条くんから聞いていた。生後十ヶ月の我が子を置いて突如失踪した薫子さん。
 でも。

 (別れたとは聞いてない)

 出ていったと言っていたけど、一条くんとどうなったのかは聞いてない。一条くんもあえてその話題に触れなかったから。
 触れることで彼を困らせたくなかったから、あえて訊かなかった。ううん。違う。訊くことが怖かった。

 (もし、帰ってくるのを待ちわびてたとしたら?)
 
 同居したばかりの頃は、世那くんのためにも帰ってきてくれたらいいな、なんて思うこともあった。世那くんが私に懐いてくれてたとしても、やっぱりお母さんがいたほうがいいと思うし。一条くんだって負担が減るだろうから助かるだろうし。
 私は、彼らが元通りになったら、「幼なじみのおばさん」ポジションに戻るつもりでいた。「これからは家族仲良く達者で暮らせよ」と、カッコつけて離れるつもりだった。
 けど今は。

 一条くんが私を抱いたのは、妻のいない寂しさを紛らわすためだったのかもしれない。だって。

 (薫子さん。きれいな人だった……)

 華やかで、キレイで、おしゃれで。
 田舎のポッと出の私とは違う。洗練された都会の女性。きれいなネイルのほどこされた爪。白く細い首筋。流行を押さえた今どきのお化粧。
 一条くんの隣が似合う人。
 フリーサイズのドルフィンリングじゃない。本物のシルバーリング、結婚指輪をつけた人。
 
 彼女が戻ってきたこと、一条くんが知ったら?
 妻の帰りを喜ぶの? 
 「今までご苦労さま。これからは三人で仲良く暮らすよ」って終わりを告げられるの?
 私は「達者で暮らせよ」って言わなきゃいけないの?
 もともとここは私の居場所じゃない。ここは世那くんのお母さんがいるべき場所。一条くんの奥さんがいるべき場所。
 高階 明里のいる場所じゃない。

 「――明里、どうした?」

 一条くんの問いかけ。

 「具合悪い?」

 世那くんを寝かしつけ、おとずれた夜の時間。私の体を愛撫する彼の手が止まった。黙り込んだまま、動くのをやめてしまった私を心配してくれる。

 「ううん、大丈夫。いや、夕方倒したGのことを思い出しちゃって」

 「G?」

 「うん、G。こうカサカサッとね、現れたんだよ、アイツが」

 黒茶色いテカテカ光って細い触覚をヒクヒク動かすアレ。

 「世那くんが触ろうとしたから、あわてて叩き潰したけど。いやあ、アレはデカかった。多分人生で初の大きさだったよ」
 
 ウンウンと一人うなずく。

 「手にしたスリッパで、こうスパーンッとやっつけたけど。アレは今思い出してもおっそろしいヤツだった」

 嘘が舌をなめらかに動かす。

 「それって、今思い出すべきこと?」

 「ごめん。目をつむったら、つい……ね」

 への字に口を曲げた一条くんに謝罪する。たしかに、Gなら愛撫途中に思い出すものじゃないよね。

 「……ねえ、一条くん」

 少しだけ真顔に戻る。けど――。

 「ゴメン、なんでもない」

 やっぱり言えない。薫子さんが戻ってきたこと。伝えなきゃいけないのに、言葉にできない。言い出せない。言葉を、思いを、無理やり呑み下す。お腹に鉛を詰め込まれたような感覚。一条くんが帰ってきてから、何度も何度も呑み込んだせいで、心が体がどうしようもなく重い。

 「――明里」

 私の鎖骨にキスした一条くん。ちょっとだけ強く吸い上げられ、軽く呻く。

 「所有印。僕以外、よそ見されたくない」

 って、キスマークつけられたの? 見下ろしてみるけど、鎖骨って自分から見ることできないからわからない。

 「世那くんでもダメなの?」

 「ダーメ。僕といる時は、僕のことだけ考えて」

 一条くんって、意外と狭量?

 「まだよそ事考えるなら、もっとつけておくけど?」

 「え、いやいやいや。それはダメ。絶対ダメ!!」

 鎖骨だって、うっかり襟ぐりの大きな服だと見えちゃうっていうのに。首筋に唇を這わせ始めた一条くんの顔を少しだけ押し戻す。

 「一条くんって、愛情重い系なの?」

 「うん。明里にだけ、限定でね」

 いや、それは……。なんか、ごちそうさまです。
 顔が一気に熱くなる。

 「明里もつけてよ」

 彼の指がトントンと自分の首筋をさす。ワイシャツでギリ隠せるかどうか微妙な位置。キスマークを隠すつもりがあるのかどうか。

 「いいの?」

 「うん」

 「……でも、私、やったことない」

 キスならある。こうやって一条くんと体を交わすようになって、自分から口づけた経験はある。けど、キスマークとなると……。

 「口をすぼめて、シェイクを吸うようなかんじでやればいいんだよ。無理なら噛みついたらいい」

 「いや、吸血鬼じゃないんだから」

 首筋を噛んでいいのはヴァンパイアだけでしょ。
 
 「じゃ、じゃあ――」

 コクリと喉が鳴る。一条くんの少し筋の浮かんだ首――は、恥ずかしかったので、ちょっとずらして鎖骨に口づける。一生懸命吸ってみるけど自信がなかったので、念押しにちょっぴり噛みつくと、彼がピクンと体を震わせた。――痛かった?

 「明里」

 不安に思ってると、彼が優しく名を呼び微笑んだ。
 ほんのり鎖骨を赤く染めた彼。私がつけた所有印。
 
 「明里……?」

 彼の指の腹が頬を拭う。私――泣いてる?
 私のつけたキスマーク。ボンヤリと淡い初心者キスマーク。それを見ていたら、勝手に涙が溢れて止まらなくなった。
 頑張ってつけたけど、きっと数日もすれば消えてしまうはかないもの。薫子さんが帰ってきたら、彼女がアッサリ上書きするだろう。もっと鮮やかに、ハッキリと克明に。
 あのスモーキーピンクの唇。彼女ならなんのためらいもなしに、首筋に印を残すんだろう。

 イヤだ。
 イヤだ。イヤだ。イヤだ。イヤだ。
 
 どうしようもない感情とともに、押しつけるように彼の唇を奪う。
 今だけ。今だけは、私だけのものであってほしい。
 せめて、その印が消えるまでは。

 (私も人のこと、言えないな)

 抱き合い、体を絡め合って転がったベッドの上。貪るように彼を求め、溺れる。
 自分にこんな重い独占欲があること、初めて知った。

*     *     *     *

 (あ……)

 ベッドを下りた衝撃で、足の間からトロリと熱いものが溢れた。彼が、私の中に残していったものの一部。

 (しまった。ゴム、忘れてた)

 感情のままに彼を求めたせいで、着けてもらう余裕がなかった。
 抱かれたそのままに裸の自分。触れ合う気持ちよさにそのまま寝落ちそうになったけれど、私のやるべきことは別にある。
 
 (ごめんね、一条くん)

 サイドテーブルに無造作に置かれていたスマホ。一条くんのそれを勝手に手に取る。
 案の定、ロックのかかったスマホ。
 彼の誕生日? ――違う。
 私の誕生日? ――それはうぬぼれすぎ。試さずそのまま却下。
 世那くんの誕生日? ――ロック解除。

 (どれだけ世那くんを大事に思ってるのよ)

 裸のまま眠り続ける彼をクスリと笑う。
 表示された時刻は0126。午前1時26分。
 ちょっと遅いけど、ダメじゃないと思う。
 受話器のマークをタップして、目当ての番号を見つける。
 彼女の誕生日とか結婚記念日だったら、私、お手上げだったな。そんなことを考えながら、発信。
 コールすること九回。

 「――はい?」

 眠たげな、不満そうな女性の声。

 「夜分遅くにすみません。世那くんのお世話を任されてるシッターです」

 チラリと一条くんを見る。私がその腕の中から抜け出したことも知らず、なにかを抱きしめるようにして眠る彼。

 「本日は大変失礼いたしました。明日の日中、もう一度こちらに起こし願えませんでしょうか。お話したいことがあります」

 努めて冷静に話したつもりなのに。
 涙とともに、コプンと体の奥から大切なものが滴り落ちていった。
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