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巻の五、手がかりを求めて
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「この箱を売ってくれぬか」
昼下がりのお店。
おじいちゃんの骨董品のお店に、入ったお客が言った。
このお店、自慢じゃないけど、お客なんて滅多に来ない。店の前を通る人はいるけど、もしかしたら、「ここって店だったの? いつも通ってるけど知らなかった!」って人もいるかもしれない。
そんなお店に、お客。
ただのひやかし、物珍しさでも、外が暑いから、日差しよけに入店したのでも、とにかく客は客。
店番を任された身として、「ぅおっしゃ! 頑張るぞ」って思って、軽く緊張してたんだけど。
――この箱を売ってくれぬか?
その容姿にふさわしい、低すぎず高すぎない素敵な声。
おそらく士大夫って感じの、若い男性。
目の覚めるような美形。いや、目は覚めないな。見惚れて「ハニャ~ン」と目がトロンとしてきちゃう。
「金百両でどうだ?」
「きっ、きんひゃっ……」
口を閉じたらいいのか、開きっぱなしでいいのか。
金百両なんて。このお店、何年頑張って営業したら稼げるんだろって金額。
(士大夫ともなれば、こんな箱にでも、そんなお金を出せちゃうんだ」
よほどの酔狂? 物好き?
この人。カッコいいだけじゃなく、すっごいお金持ち?
涼やかな目元。でも、その眼差しは、どこかギュッと惹きつけられる色っぽさを感じる。
「……売ってはくれぬのか?」
「え? あ、はい!」
しまった。見とれてた!
そして。
(「はい」じゃダメでしょうがっ!)
それじゃあ、「売りません」「売れません」に聞こえちゃうじゃない!
実際、そう感じたお客は、すっごく、すっごぉぉぉく残念そうな顔して俯いちゃってる!
「あ、あのですねっ! その箱は売り物じゃなくて! 商品をもたれかけさせる、つっかえみたいなもんでっ!」
男性の、憂う顔も素敵だけど、今は、それを鑑賞してる時じゃない!
「それに、お買い上げいただいても、鍵がないから開かないんです、その箱!」
だから、物入れとして買ってもらっても使い道ないの。
男性の手のひらの上の箱。
複雑な木組みの箱なんだけど。鍵を挿すっぽい場所はあるんだけど。肝心の鍵がない。だから、おじいちゃんも、商品としてじゃなく、商品の立てかけ道具として使ってた。
「ふむ。開かぬか」
「ええ。残念ですけど」
売って利益を上げたい気持ちはあるけど、使えない箱を売るのは気が引ける。
「古い品をお探しなら、こちらの箱はいかがでしょう? 百年ほど前の匠の一品ですよ」
男性が手にしてたのと同じような品。
「そんな新しい品に興味はない」
新しい? 百年が?
「それより。この箱、開けてみたいとは思わぬか?」
「へ? 開ける?」
開くの? それ。
「開けられるんでしたら……」
見てみたい。
その箱、何度も手に取ったことあるけど、動かすとなかでカサカサ音がして、なにかが入ってることは確実なんだよね。
おそらくは、紙かなにか。
鍵までかけて、その鍵を無くした、ちょっと間抜けな持ち主の箱。古く黒ずんでるから大切にはしてたんだろうけど、ウチみたいな骨董品屋に売られてきちゃった箱。(そして、商品のささえに使われちゃってた箱)
「ふむ。では開けてみるか」
開けみてみるかって。
驚く私の前で、男性が、カチャカチャクルクルとなにかを動かしながら、箱を回転させる。
「この箱はな、鍵など要らぬのだ。この木組みを回して、組み直していけば……っと」
カチャリ。
暗く静かな店内に、鍵が開く音が響いた。
「――では、開けるぞ」
「はい」
なぜか見てるこっちもドキドキして、無意識に胸の前で手を組む。
何がでてくるの? 隠して忘れてた恋文? それとも――
「わっ!」
開いた箱から巻き起こった風。風? 箱から?
「シマッ――」
「きゃああぁあぁ……あ? 何?」
小さな竜巻のような風。それに巻きつかれ、悲鳴を上げたけど。
「消えた?」
というか。
「あのクソ道士め」
男性が、人の顔ってこんなに歪むんだってぐらい、くやしそうに顔を歪めた。――ん? 歪めた? それだけで済む、表情の変化?
なんか、口の周りが黒ずんで、むき出しになった歯に、犬みたいな尖ったのが見えるんだけど? キレイに整えられてた髪も、なんか白っぽく、フサフサしたものに変わっていって……え? ええっ!?
「オレ様の尻尾、何があっても返さないつもりか」
ギリギリと噛みしめられた歯の隙間から、フーフーッと怒りの息が漏れる。そのままグルルルルって獣の唸り声が聞こえそう。
「娘っ!」
「ひゃいっ!」
ギラギラした怒りの視線をぶつけてきた男。
いや、男じゃない。
男と同じぐらいの大きさの、白いフサフサした――狐?
それも、後ろにたくさんの尾がついてる。――化け狐?
その化け狐が、ノソリと私に向かって一歩踏み出す。
「恨むんなら、こんな仕掛けを作った道士を恨め」
う、ううっ、恨めって。
どこの、誰を? ってか、私、なんで恨まなきゃいけないわけ?
驚き、ペタンと床に座り込んじゃった私。その前で、元男、今化け狐がクアッと口を大きく開ける。
(あ、これ、食べる気だ)
さっきの竜巻。
あれはおそらくこの化け狐が欲しがってたもので、それがなぜか私の中に収まっちゃった。で。コイツは私を食べることで、それを取り込むつもりなんだ。
開かれた口。鋭い歯を結ぶように滴る唾。
恐ろしいのに。逃げなきゃいけないのに、体が動かない。
(だれか、助けて!)
その時だった。
残された木箱。それがカッと真昼の太陽より、雷よりも明るく光る。
〝ヴッ!〟
「きゃあっ!」
その眩しさに、目を閉じそびれた私は、一瞬で視界を失う。けど。
(あったかい……)
さっきの竜巻と同じように、光が私にまとわりついてくる。クルクルと。
まとわりつき、私を包み込み、そして、スルッと、私の中に入るようにして消えていった。
〝キサマッ!〟
グアッと唸り声を上げた化け狐。そのまま突進して、私をガブリ!――とはいかなかった。
バイン。
そんな音が、わたしと化け狐の間に響く。
なにかが、襲ってくる化け狐を弾き飛ばしてるんだ。
〝あのクソ道士め!〟
私には、何が起きてるのかわからない。
けど、化け狐にはわかってるんだろう。
二、三回突進をくり返したけど、全部弾かれて、不満そうにグルグル喉を鳴らした。
* * * * *
(……ハア)
牀に腰掛け、今まで読んでいた書を投げ出す。
(どうせ、この後、化け狐は主人公を護るんでしょ? 「お前の取り込んでしまった俺サマの力を取り出すまで、お前を他のあやかしに食われてはたまらんからな」とかなんとか言ってさ)
そんでもって、主人公もこの化け狐に惚れるんだよ。「どうしてそこまでして、私を護ってくれるの?」みたいな感じでさ。
(力を奪われたら困るからじゃん)
なんてツッコミはなし。
(というか。今の春本って、設定、凝ってるわねえ)
骨董品屋の娘と化け狐。
この後、娘を護って大怪我をした化け狐を助けるために、男女の交わりをしたりするのよ、ほら。
パラパラと、牀の上に放りだした冊子をめくる。すると、二人がまぐわってる挿絵にぶち当たった。裸の主人公を組み敷く尻尾の生えた士大夫の絵。
瀕死の化け狐が、どうして士大夫姿に戻ってるのか、そのへんをツッコんではいけない。この本、一応女性向けの、それもウブな乙女向けの春本だし。獣とヤってる絵なんて描けないよね。
(ハアッ。やっぱり手がかりナシかあ……)
さっきまで読んでた書だけじゃない。
牀の上には、いくつかの春本。
『家のために嫁がされましたが、溺愛されて幸せです』とか『妹の身代わりに結婚させられましたが、旦那さまの本命は私だったようです』とか。『お前など離縁だと、婚家を追い出してきた「元」旦那さま。今の旦那さまが溺愛してくれるので、アナタは追っかけてこないでください』、『捨てられて僻地に追いやられた私。ボロボロの犬を拾ったと思ったら、彼は神獣で、私をトロトロに溺愛してくださいます』なんていう、表題長すぎ本もある。
どれもこれも、アレヤコレヤのスッタモンダの末、あーでもなければこーでもないの結果、主人公と相手の男が試練を乗り越えて、そういうことをする。そういう場面には、必ず絵がついてて、読んでるこっちに文章だけでなく、絵でも視覚的にスケベを供給してくれる。
おそらく。おそらくだけど、女性の性的欲求を満たすために一役買ってるんだろう。
こういう恋をしたい。こんなふうに愛されてみたいっていう、表には出さない女の欲望。
悪くはない。悪くはないけど、こう、男女の仲を先に進ませるための手がかりなんてもんは存在しない。
だって。
(ここに出てくる二人って、書き手から、「コイツらそういう仲になりま~す!」って言われてるような登場方法だもんねえ)
さっき読んでた『骨董品屋の娘は、あやかし(の溺愛)に囚われています!』だって、初っ端にカッコいい士大夫(中身、化け狐)が出てきて、「ああ、この人とそういうことするんだあ」なんて、思いながら読める形式になってたし。
なんていうの? ここにある娘その一と、男その一をいっしょの箱(物語)に放り込みまして。二人がくっつくように、よぉく箱を振ります。シャカシャカ。するとどうでしょう。あら不思議、二人がピッタリ愛し合ってまぐわっているじゃありませんか! みたいな。
物語の登場人物にだって好き嫌いあるだろうに。そういうの関係ナシに、「お前らはそういうことする(させる)ために生成したんだから、それ以外のことは許さん!」とでも命じられてるみたいなご都合展開。
(同じ読むなら、後宮で読ませてもらってたヤツのほうがマシかなあ)
書になって、こうやって売られてるんだから、文章的に悪いわけじゃないんだけど。
後宮で読ませてもらってたもの。
後宮薬師が、活躍して事件解決する推理系小説と、無実の罪を着せられた父親を助けるために、官吏のフリして忍び込んだ娘の活劇小説。
後宮、皇太子殿下のために用意された(集められた)女性たちのなかには、いくつのも集団があった。
まず、お茶会をする集団。
これは、大臣の娘とか、皇族に連なる一族の娘とか、「ワタクシたち、生まれがちがうんでゴザイマスノ」な姫君が集まっていた。日々、お茶をしに集まりながら、そこで行われるのは――皇太子に見初められた玲麗の悪口大会。「礼儀もなってない」とか「顔も十人並み」から始まって、よくもまあ、そんなに悪口が続くもんだなあと感心するぐらい、日々罵詈雑言を紡ぎ出してた集団。
次に、皇太子より、別の相手を! な集団。
これは、どちらかと言うと身分も低くて、到底皇太子妃になれなさそうな子が集まってた。自分の容姿、身分を鑑みて、「いやあ、皇太子妃なんて無理っす」となって。「その代わり、いい旦那を見つけることはできるかもっ!?」で、女官のフリして後宮から抜け出したりしてた。……これ、誰も言わないからいいけどさ。バレたら、相手の男といっしょに首サヨナラよ?
それと、最後にこれが一番大きな集団。
ワタクシたち、好きなことして暮らしてるの。皇太子? お呼びじゃないのよ!
絵画、楽器、舞踊、それと物書き。
それぞれがそれぞれの趣味を活かして、楽しむ集団。
それぞれ趣味の合う候補と仲良くなって、それぞれのイッピン! を作り出しては見せあったりしてた。
わたしは――残念ながら、絵も楽器も舞踊も文才もそれなりの腕しかもってないから、どっちかというと、「見せてもらってる、聴かせてもらってる」専門。
そこで、読ませてもらったのが、さっきの小説。
あれは、後宮という、皇城の一部で暮らさないと書けない(描けない)作品だった。なんていうのかな、臨場感たっぷりで。後宮のことがネタにされるたび、「うんうん、そうだよね! わかる!」って頷きながら読ませてもらってた。
あれ、まだ完結してなかったから続きを読みたいんだけど。……多分、書になることはないんだろうなあ。絵を描いてくれてた人も、物語を書いてくれてた人も、どちらも「これは趣味!」って言ってたし。手元にある春本みたいに、世の中に流通させたらマズいネタもいっぱいあったし。
手持ち無沙汰だから書いてみたな人と、その小説面白かったから描いてみた人。どちらも、「趣味だから」で「時間つぶし」に書いてた(描いてた)だけだったから。似たようなものを出版してくれるとか、もう一度、協働して本を作ってくれるとか……ないよねえ。やっぱり。
(でも読むなら、あっちなんだよなあ)
途中までしか読んでないから、知らない結末。
あの、薬師と相棒となった皇帝(武官のフリをしてる)の恋(未満だったけど)の行く末が気になる。官吏のフリした娘を助けてくれたのって、同じく官吏のフリした皇帝だよね?
あの先、それぞれの組み合わせが、どうなったのか。同衾はしてなくても、口づけぐらいはするよね? するとしたら、どういう状況で口づけるの? どうやって「好き」を伝えるの?
そこが、一番の手がかりになりそうなのに。そこを参考に、明順との仲を深められたら……。
ハアッと息をもらして、バッタリ牀に倒れる。
(全部読んでから後宮を追い出されたかった)
後悔(?)先に立たず。
昼下がりのお店。
おじいちゃんの骨董品のお店に、入ったお客が言った。
このお店、自慢じゃないけど、お客なんて滅多に来ない。店の前を通る人はいるけど、もしかしたら、「ここって店だったの? いつも通ってるけど知らなかった!」って人もいるかもしれない。
そんなお店に、お客。
ただのひやかし、物珍しさでも、外が暑いから、日差しよけに入店したのでも、とにかく客は客。
店番を任された身として、「ぅおっしゃ! 頑張るぞ」って思って、軽く緊張してたんだけど。
――この箱を売ってくれぬか?
その容姿にふさわしい、低すぎず高すぎない素敵な声。
おそらく士大夫って感じの、若い男性。
目の覚めるような美形。いや、目は覚めないな。見惚れて「ハニャ~ン」と目がトロンとしてきちゃう。
「金百両でどうだ?」
「きっ、きんひゃっ……」
口を閉じたらいいのか、開きっぱなしでいいのか。
金百両なんて。このお店、何年頑張って営業したら稼げるんだろって金額。
(士大夫ともなれば、こんな箱にでも、そんなお金を出せちゃうんだ」
よほどの酔狂? 物好き?
この人。カッコいいだけじゃなく、すっごいお金持ち?
涼やかな目元。でも、その眼差しは、どこかギュッと惹きつけられる色っぽさを感じる。
「……売ってはくれぬのか?」
「え? あ、はい!」
しまった。見とれてた!
そして。
(「はい」じゃダメでしょうがっ!)
それじゃあ、「売りません」「売れません」に聞こえちゃうじゃない!
実際、そう感じたお客は、すっごく、すっごぉぉぉく残念そうな顔して俯いちゃってる!
「あ、あのですねっ! その箱は売り物じゃなくて! 商品をもたれかけさせる、つっかえみたいなもんでっ!」
男性の、憂う顔も素敵だけど、今は、それを鑑賞してる時じゃない!
「それに、お買い上げいただいても、鍵がないから開かないんです、その箱!」
だから、物入れとして買ってもらっても使い道ないの。
男性の手のひらの上の箱。
複雑な木組みの箱なんだけど。鍵を挿すっぽい場所はあるんだけど。肝心の鍵がない。だから、おじいちゃんも、商品としてじゃなく、商品の立てかけ道具として使ってた。
「ふむ。開かぬか」
「ええ。残念ですけど」
売って利益を上げたい気持ちはあるけど、使えない箱を売るのは気が引ける。
「古い品をお探しなら、こちらの箱はいかがでしょう? 百年ほど前の匠の一品ですよ」
男性が手にしてたのと同じような品。
「そんな新しい品に興味はない」
新しい? 百年が?
「それより。この箱、開けてみたいとは思わぬか?」
「へ? 開ける?」
開くの? それ。
「開けられるんでしたら……」
見てみたい。
その箱、何度も手に取ったことあるけど、動かすとなかでカサカサ音がして、なにかが入ってることは確実なんだよね。
おそらくは、紙かなにか。
鍵までかけて、その鍵を無くした、ちょっと間抜けな持ち主の箱。古く黒ずんでるから大切にはしてたんだろうけど、ウチみたいな骨董品屋に売られてきちゃった箱。(そして、商品のささえに使われちゃってた箱)
「ふむ。では開けてみるか」
開けみてみるかって。
驚く私の前で、男性が、カチャカチャクルクルとなにかを動かしながら、箱を回転させる。
「この箱はな、鍵など要らぬのだ。この木組みを回して、組み直していけば……っと」
カチャリ。
暗く静かな店内に、鍵が開く音が響いた。
「――では、開けるぞ」
「はい」
なぜか見てるこっちもドキドキして、無意識に胸の前で手を組む。
何がでてくるの? 隠して忘れてた恋文? それとも――
「わっ!」
開いた箱から巻き起こった風。風? 箱から?
「シマッ――」
「きゃああぁあぁ……あ? 何?」
小さな竜巻のような風。それに巻きつかれ、悲鳴を上げたけど。
「消えた?」
というか。
「あのクソ道士め」
男性が、人の顔ってこんなに歪むんだってぐらい、くやしそうに顔を歪めた。――ん? 歪めた? それだけで済む、表情の変化?
なんか、口の周りが黒ずんで、むき出しになった歯に、犬みたいな尖ったのが見えるんだけど? キレイに整えられてた髪も、なんか白っぽく、フサフサしたものに変わっていって……え? ええっ!?
「オレ様の尻尾、何があっても返さないつもりか」
ギリギリと噛みしめられた歯の隙間から、フーフーッと怒りの息が漏れる。そのままグルルルルって獣の唸り声が聞こえそう。
「娘っ!」
「ひゃいっ!」
ギラギラした怒りの視線をぶつけてきた男。
いや、男じゃない。
男と同じぐらいの大きさの、白いフサフサした――狐?
それも、後ろにたくさんの尾がついてる。――化け狐?
その化け狐が、ノソリと私に向かって一歩踏み出す。
「恨むんなら、こんな仕掛けを作った道士を恨め」
う、ううっ、恨めって。
どこの、誰を? ってか、私、なんで恨まなきゃいけないわけ?
驚き、ペタンと床に座り込んじゃった私。その前で、元男、今化け狐がクアッと口を大きく開ける。
(あ、これ、食べる気だ)
さっきの竜巻。
あれはおそらくこの化け狐が欲しがってたもので、それがなぜか私の中に収まっちゃった。で。コイツは私を食べることで、それを取り込むつもりなんだ。
開かれた口。鋭い歯を結ぶように滴る唾。
恐ろしいのに。逃げなきゃいけないのに、体が動かない。
(だれか、助けて!)
その時だった。
残された木箱。それがカッと真昼の太陽より、雷よりも明るく光る。
〝ヴッ!〟
「きゃあっ!」
その眩しさに、目を閉じそびれた私は、一瞬で視界を失う。けど。
(あったかい……)
さっきの竜巻と同じように、光が私にまとわりついてくる。クルクルと。
まとわりつき、私を包み込み、そして、スルッと、私の中に入るようにして消えていった。
〝キサマッ!〟
グアッと唸り声を上げた化け狐。そのまま突進して、私をガブリ!――とはいかなかった。
バイン。
そんな音が、わたしと化け狐の間に響く。
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〝あのクソ道士め!〟
私には、何が起きてるのかわからない。
けど、化け狐にはわかってるんだろう。
二、三回突進をくり返したけど、全部弾かれて、不満そうにグルグル喉を鳴らした。
* * * * *
(……ハア)
牀に腰掛け、今まで読んでいた書を投げ出す。
(どうせ、この後、化け狐は主人公を護るんでしょ? 「お前の取り込んでしまった俺サマの力を取り出すまで、お前を他のあやかしに食われてはたまらんからな」とかなんとか言ってさ)
そんでもって、主人公もこの化け狐に惚れるんだよ。「どうしてそこまでして、私を護ってくれるの?」みたいな感じでさ。
(力を奪われたら困るからじゃん)
なんてツッコミはなし。
(というか。今の春本って、設定、凝ってるわねえ)
骨董品屋の娘と化け狐。
この後、娘を護って大怪我をした化け狐を助けるために、男女の交わりをしたりするのよ、ほら。
パラパラと、牀の上に放りだした冊子をめくる。すると、二人がまぐわってる挿絵にぶち当たった。裸の主人公を組み敷く尻尾の生えた士大夫の絵。
瀕死の化け狐が、どうして士大夫姿に戻ってるのか、そのへんをツッコんではいけない。この本、一応女性向けの、それもウブな乙女向けの春本だし。獣とヤってる絵なんて描けないよね。
(ハアッ。やっぱり手がかりナシかあ……)
さっきまで読んでた書だけじゃない。
牀の上には、いくつかの春本。
『家のために嫁がされましたが、溺愛されて幸せです』とか『妹の身代わりに結婚させられましたが、旦那さまの本命は私だったようです』とか。『お前など離縁だと、婚家を追い出してきた「元」旦那さま。今の旦那さまが溺愛してくれるので、アナタは追っかけてこないでください』、『捨てられて僻地に追いやられた私。ボロボロの犬を拾ったと思ったら、彼は神獣で、私をトロトロに溺愛してくださいます』なんていう、表題長すぎ本もある。
どれもこれも、アレヤコレヤのスッタモンダの末、あーでもなければこーでもないの結果、主人公と相手の男が試練を乗り越えて、そういうことをする。そういう場面には、必ず絵がついてて、読んでるこっちに文章だけでなく、絵でも視覚的にスケベを供給してくれる。
おそらく。おそらくだけど、女性の性的欲求を満たすために一役買ってるんだろう。
こういう恋をしたい。こんなふうに愛されてみたいっていう、表には出さない女の欲望。
悪くはない。悪くはないけど、こう、男女の仲を先に進ませるための手がかりなんてもんは存在しない。
だって。
(ここに出てくる二人って、書き手から、「コイツらそういう仲になりま~す!」って言われてるような登場方法だもんねえ)
さっき読んでた『骨董品屋の娘は、あやかし(の溺愛)に囚われています!』だって、初っ端にカッコいい士大夫(中身、化け狐)が出てきて、「ああ、この人とそういうことするんだあ」なんて、思いながら読める形式になってたし。
なんていうの? ここにある娘その一と、男その一をいっしょの箱(物語)に放り込みまして。二人がくっつくように、よぉく箱を振ります。シャカシャカ。するとどうでしょう。あら不思議、二人がピッタリ愛し合ってまぐわっているじゃありませんか! みたいな。
物語の登場人物にだって好き嫌いあるだろうに。そういうの関係ナシに、「お前らはそういうことする(させる)ために生成したんだから、それ以外のことは許さん!」とでも命じられてるみたいなご都合展開。
(同じ読むなら、後宮で読ませてもらってたヤツのほうがマシかなあ)
書になって、こうやって売られてるんだから、文章的に悪いわけじゃないんだけど。
後宮で読ませてもらってたもの。
後宮薬師が、活躍して事件解決する推理系小説と、無実の罪を着せられた父親を助けるために、官吏のフリして忍び込んだ娘の活劇小説。
後宮、皇太子殿下のために用意された(集められた)女性たちのなかには、いくつのも集団があった。
まず、お茶会をする集団。
これは、大臣の娘とか、皇族に連なる一族の娘とか、「ワタクシたち、生まれがちがうんでゴザイマスノ」な姫君が集まっていた。日々、お茶をしに集まりながら、そこで行われるのは――皇太子に見初められた玲麗の悪口大会。「礼儀もなってない」とか「顔も十人並み」から始まって、よくもまあ、そんなに悪口が続くもんだなあと感心するぐらい、日々罵詈雑言を紡ぎ出してた集団。
次に、皇太子より、別の相手を! な集団。
これは、どちらかと言うと身分も低くて、到底皇太子妃になれなさそうな子が集まってた。自分の容姿、身分を鑑みて、「いやあ、皇太子妃なんて無理っす」となって。「その代わり、いい旦那を見つけることはできるかもっ!?」で、女官のフリして後宮から抜け出したりしてた。……これ、誰も言わないからいいけどさ。バレたら、相手の男といっしょに首サヨナラよ?
それと、最後にこれが一番大きな集団。
ワタクシたち、好きなことして暮らしてるの。皇太子? お呼びじゃないのよ!
絵画、楽器、舞踊、それと物書き。
それぞれがそれぞれの趣味を活かして、楽しむ集団。
それぞれ趣味の合う候補と仲良くなって、それぞれのイッピン! を作り出しては見せあったりしてた。
わたしは――残念ながら、絵も楽器も舞踊も文才もそれなりの腕しかもってないから、どっちかというと、「見せてもらってる、聴かせてもらってる」専門。
そこで、読ませてもらったのが、さっきの小説。
あれは、後宮という、皇城の一部で暮らさないと書けない(描けない)作品だった。なんていうのかな、臨場感たっぷりで。後宮のことがネタにされるたび、「うんうん、そうだよね! わかる!」って頷きながら読ませてもらってた。
あれ、まだ完結してなかったから続きを読みたいんだけど。……多分、書になることはないんだろうなあ。絵を描いてくれてた人も、物語を書いてくれてた人も、どちらも「これは趣味!」って言ってたし。手元にある春本みたいに、世の中に流通させたらマズいネタもいっぱいあったし。
手持ち無沙汰だから書いてみたな人と、その小説面白かったから描いてみた人。どちらも、「趣味だから」で「時間つぶし」に書いてた(描いてた)だけだったから。似たようなものを出版してくれるとか、もう一度、協働して本を作ってくれるとか……ないよねえ。やっぱり。
(でも読むなら、あっちなんだよなあ)
途中までしか読んでないから、知らない結末。
あの、薬師と相棒となった皇帝(武官のフリをしてる)の恋(未満だったけど)の行く末が気になる。官吏のフリした娘を助けてくれたのって、同じく官吏のフリした皇帝だよね?
あの先、それぞれの組み合わせが、どうなったのか。同衾はしてなくても、口づけぐらいはするよね? するとしたら、どういう状況で口づけるの? どうやって「好き」を伝えるの?
そこが、一番の手がかりになりそうなのに。そこを参考に、明順との仲を深められたら……。
ハアッと息をもらして、バッタリ牀に倒れる。
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イライザの実家であるラチェット伯爵家はラーゼル侯爵に多額の借金があり、縁談を突っぱねることができなかった。
なんとか破談にしようと苦慮したイライザは結婚において重要視される純潔を捨てようと考えた。
相手をどうしようかと悩んでいたイライザは町中で言い争う男女に出くわす。
イライザが女性につきまとわれて危機に陥っていた男ミケルを助けると、どうやら彼に気に入られたようで……
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ムーンライトノベルズにも投稿しています。
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