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第3話 職人バカ師匠。

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 エメラルドの加工は難しい。

 ダイヤモンド、サファイア、ルビーに次ぐかなり硬い石なのに、内部に無数の傷を抱えている性質上、加工のさいに割れてしまうなんてことがある。下手をすると指輪の台座に取り付けようとしただけで割れる……なんてこともある、職人泣かせの石。
 「傷のないエメラルドを得るのは、欠点のない人間を探すより難しい」とまで言われてる。
 ダイヤモンドのように、光の屈折率の高い石にみられる煌めきファイアが見られない。職人としての腕の見せ所である、多面体カットしても輝くことはない。そのため、その緑の美しさを際立たせるため、石を平らに、四隅を切り取った、いわゆるエメラルドカットという平板な形に加工されることが多い。
 傷が少なく、緑が明るく濃いのが上質と言われているけど、そんな石はそうそう見つかるわけもなく、傷があっても普通に流通する。シダーウッドオイルに浸して傷を落ち着かせるのが一般的。熱処理をして、色を引き出す……なんて方法もある。

 そんな石を宝飾品に……ねえ。

 師匠の腕を疑ってるわけじゃない。
 ただ、どうしてその石を選んだのか気になるだけ。
 先代が亡くなってからずっと、棚の奥に仕舞われていた原石。
 今までにも使うことはいくらでもできたのに、師匠は使ってこなかった。
 
 華やかさで言ったら、ダイヤモンドとかサファイアのほうが上だろうしなあ。

 カットの仕方も複雑で、職人の腕を試される石といったら、そっちのほうがやりがいあるだろうし。
 宝石の価値だってそうだ。
 その硬さと美しさから人々に愛されるダイヤモンド。昔は男性にしか身に着けることは許されてなかった石。
 サファイアも同じ。王侯の即位には決まってサファイアが装飾に使われる。司教の杖や指輪にも使われる高貴な石。
 エメラルドに価値がないわけじゃないけど。

 もの好きだよなあ、師匠。

 数えきれないほどのヤスリをならべ、その目たての荒いものから細かいものまで使って、石を研磨していく師匠。
 石に取り掛かると、日常を一切放棄するから、どうしても介助が必要になる。
 頃合いを見て、食べやすいようにパンにチーズを挟んだだけの食事を出したり、寒くなってきたら暖炉に火をくべたり。そのまま寝潰れることもあるから、そういう時には、そっと毛布をかけてやる。
 おそらくだけど、オレがいなかったら、完成するころには、師匠野垂れ死んでるよ、きっと。
 そんなことを考えながら、さっきようやく脱がせた下穿きを洗って干す。
 下穿きだけじゃない。石の粉まみれになっていた上着も。師匠は気づいてないだろうけど、外は秋晴れのいい天気なんだから、洗濯して、窓も開けて部屋も掃いておいたほうがいい。
 ああ、買い出しにも行かなくっちゃな。
 いくら寝食を忘れて没頭してるって言っても、食べさせねえわけにもいかないしな。
 用意できるのは、パンと薄い塩味豆だけスープぐらいだろうけど。
 師匠のそれがうまく行ったら、ベーコンぐらいは買えるようになるかな。それか卵。
 パンにタップリバターも使いてえなあ。果物も久々に食べてみたいし。
 成金ケバケバババアがお買い上げしてくれたら、いくらの収入になるか見当もつかないので、今考えることのできる最高の贅沢を想像する。
 いいよなあ。タップリバターの染みこんだパンに、脂タップリのカリカリベーコン。パンだってもっとフワッと柔らかくっ、て……。

 あれ?

 一瞬、目の前が暗くなった。
 立ちくらみ?
 ほんのちょっとだけど、目の前がチカチカと明滅する。

 やべえな。
 オレ、栄養不足にでもなってんのかな。
 最近、貧しすぎて薄塩味豆スープすら食ってないもんなあ。

 ヨロヨロと、ふらつきながら家路につく。
 こんなの、石が売れたらなんてことない。売れるまでの辛抱だ。

*      *      *      *

 「おお、いいところに帰ってきたな!!」

 珍しく師匠が家にたどり着いたオレを出迎えてくれた。

 「すごいぞ、この石!! 見てくれ!!」

 あ、石を見せたかったのか。
 手渡された石に、めずらしく出迎えてくれた理由を察する。

 「ほら、ここ。光の筋があるのが見えるか?」

 言われて、石を光にかざす。
 石の中央から、光が放射線状に伸びている。それも六条。

 「……これは、スター効果?」

 「そうだ。エメラルドの中に金紅石ルチル内包インクルージョンされてないと発現しない、希少な光だ」

 傷が多いことはあるが、別の鉱物が内包されていることは珍しい。
 それも、六条の光を発するようになると、三方向に金紅石ルチルが含まれてないと難しい。

 「どうだ、スゴイだろ?」

 「ええ、まあスゴイ、……ですね」

 「それにな、この石、熱処理もオイル処理も必要なさそうなんだ」

 「え?」

 「内包された傷がまず見当たらない。色だって処理する必要がないほど濃く、深い」

 こんなエメラルドは滅多に存在しない。処理を施すのが当たり前のエメラルドで、処理がいらないとは。
 何度も何度も「スゴイ石だ」「最高だ」とくり返す師匠。
 スゲー石オタク。

 「こうなったら、デザインも変更だ。いつものようなカットでは、このよさを表現できん。半球形のカボション・カットにして、となると、周りの台座のデザインも変更したほうがいいな……」

 ブツブツと顎に手を当て呟く師匠。
 石を見せて共感してもらうという目的を達したためか、また石のことに没頭していく。

 ホント、職人バカだよ、ウチの、し、しょう……。

 「グリュウッ?」

 ガタンと大きな音とともに倒れたオレに気づき、師匠が日常に戻ってくる。

 ああ、一応、オレのことは気にかけてくれてるんだなあ。

 暗くなる意識のなかで、そんなことを思った。
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