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2.夢を見る
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――やるな。
下草をかき分けできた、細い道筋。
右に岩壁、左に崖。
道の上には一人、剣を持つ女。
山の奥へと進もうとすれば、自然とこの道を通らねばならない。戦う場合もそれに同じ。女を蹴り飛ばして、隙を狙って駆け上がろうにも、その先は幾重にも道がくねっており、下手をすれば崖から転げ落ちてしまう。
この女を倒さない限り、先へは進めない。
対峙するなら一対一。
いくらこちらが多勢であっても、一度に全員が剣を交えることはできない。広さが足りない。
多勢であれば男の力で、女をねじ伏せることもできるが、一対一となれば、剣の技量によっては、女が勝ちを得ることもできる。
――よく考えたな。
攻めるこちらは下手。緩やかなれど斜面を登り対峙するのは力を要す。
実際、先に攻めた足軽たちは、女の一撃を受け、血しぶきを上げてのたうち回っている。のたうっていればいい方だろう。二人目に襲いかかった足軽は、腕を斬られ、そのまま女に蹴飛ばされて崖を転がり落ちていった。
――これはなかなか。
戦う場をここに決めたこと。その剣技。
そしてなにより、「美しい」と思わせるその容貌。
倒さねばならないはずの女。敵であるべき相手なのに、なぜか心奪われる。血を浴び、泥にまみれた顔。なのに、その眼光は冴え冴えとして美しい。
場違い過ぎる感想。血肉湧き踊る衝動。
この女を屈服させてみたい。そのすべてを奪い取ってやったら、どんな顔で俺を見るのか。
「――待て」
獣じみた情欲を抑え、馬から降りる。
「俺がやる」
足軽では力不足。この女をねじ伏せるのは、俺の役目。
「そなた、名を何と言う」
無言のまま、剣を構え直した女。
名乗る気がないのか。それとも名乗れないほど疲弊しているのか。
「俺は、久慈蔵人佐成保が子、久慈三郎真保。こちらが名乗ったのだから、お主も名乗れ。でないと、弔ってやることも出来ぬ」
「――真野康隆の娘、千寿」
「ほう。真野康隆の」
真野康隆。先程陥落させた城の主。
真野は武勇に長けていなかったが、知略に目を見張るものがあった。
城を落とすまで、散々計略を用いられ苦労した。その真野の娘なら、我々を迎え撃つのに、隘路を使うぐらいの策、思いついても不思議ではない。
「名を聞いて安堵するのはこちらのほうだ。これで名無しの墓を作らなくてよいからなっ!」
ヒュッと風を切り、飛んできた塊。いや、千寿姫の体。
とっさに構えた剣で、その刃を受け止める。
一撃。二撃。
重くはないが、勢いがある。
なにより、速い。
上に、下に。右から。左から。
振るう刃は、剣で弾かれ、鞘で受け流される。
攻と防。
今、己がどちらであるのか。判ずることができないぐらい、激しく入れ替わる。
だが。
ギィィン。
鉄のぶつかり合う音が山に響き、一振りの剣が空を舞う。
剣を舞わせたのは千寿姫。弾いたのは俺の剣。
男と女。長く戦い続けた者とそうでない者の差が出た。
「――これで終わりだ」
荒くなった息を収め告げる。
チャキッと音を鳴らし、切っ先を地に倒れたままの姫に向ける。
このまま殺すか?
ほんの一瞬迷いが出る。
俺がやるべきは、この地を奪うこと。この千栄津を奪い取ること。だから、城を陥落させ、主である真野康隆を討った。だが、その娘は? 娘までむごたらしく殺すのか?
年の頃は、俺と同じ。地に倒れ、汗と砂にまみれても、なお美しいと感じるこの娘を?
一瞬の迷いは、永遠の後悔となる。
ザッ!
「うわっ!」
目の前に撒かれた砂。視界を潰され、飛びかかってきた何か。千寿姫。
その勢いに倒され、地面に転がる俺と姫。
剣を奪おうとしているのか、それともそのまま谷底へ転がり落ちようとしているのか。
どちらが上か下か。何をしようとしているのか、わからないまま転がり続ける。
しかし。
転がり続け無我夢中のなか、剣を持たない手で、彼女の手首を引っ掴んで立ち上がる。
「生きよ!」
知らず叫んでいた。
「お主は、父御から託されたのであろう! 民を、逃げる民を守れと!」
千寿姫がここに立っていた理由。
それは、戦から逃げる民を守るため。
おそらくだが、父親が命じたのだろう。民を守り、生きよと。
だから、姫はここに立ち、敵を迎え討った。少しでも遠くへ、より安全な場所へ民が逃げられるように。そのための時間稼ぎ。その身を犠牲にしても民を守ろうとした。
なりふり構わない戦い方はその証。
「ならば、生きよ。生きて民の行く末を見届けよ」
間近に迫った姫の瞳に訴えかける。死ぬな、と。
先程の乱闘で、姫が求めたのは俺の脇差し。俺を倒すために得物が必要だったのかもしれない。それとも、自害するための得物が必要だったのかもしれない。
いずれにしても、無駄な抵抗。
俺を殺しても、民の安全は保証されない。自害したなら、守る責務を放棄したことになる。
だから。
「生きよ」
これ以上、無益な殺生をさせるな。
「あ……」
俺の掴む手首から力が抜ける。代わりに溢れ流れた涙。
やはり綺麗だ。
場違いな感想を抱いた。
「みなも無駄に民を追うな! ここで引き返す!」
周囲の兵たちに号令をかける。
この先、山の奥に民がいることは明らか。なら、この姫を連れ帰り、戦が終わったことを示せば、民は自ずと山から戻ってくる。命をかけてまで民を守ろうとした姫のことだ。きっと民はこの姫を慕っている。姫が無事なことが分かれば、こちらに従うに違いない。
そこまでの計算が俺にあったとは思えない。
けど、俺はそう判断した。
この姫を生かす。
それだけのために。
俺の号令に、兵たちが剣を引く。傷ついた仲間を支え、山を下る支度を始める者。俺の乗っていた馬のクツワを取って近づいてくる者。命のやり取りの場ではなくなった山道に、生の騒がしさが戻る。
千寿姫も、疲れたのかそれとも従うつもりになったのか。わからないが、俺が手を離しても抵抗することすらしなかった。
そんな彼女を立たせ、近づいてきた馬の鐙に足をかけようとして――
ヒュッ――!
背後に聞こえた風を切る音。
そして。
「グゥッ……」
息を呑む音。
「千寿姫!」
ふり返った俺が見たのは、肩に矢を受け、グラリと崩れ落ちていく千寿姫の姿。とっさに伸ばした手で、その体を受け止める。
「ひ、きょう、も、の……」
浅い息に混じって聞こえた声。震える手が、力の限り俺の袖を握りしめる。
「姫っ!」
驚く俺の腕の中で、意識を失った姫。流れ落ちる血。弛緩する体。
「――危のうございましたな、若」
ガサガサと揺れる木の枝。それをかき分け現れたのは、俺の配下。
「冨田……」
「この女、若の背を狙ろうておりましたぞ」
冨田の麾下、脇に控える足軽の手には弓。
俺が姫に背後を狙われ、とっさに冨田が部下に命じて姫を射た?
「美しい女子ではございますが、ご油断めされるな、若。戦場では、一瞬の油断が命取りになりますぞ」
ハッハッハッと笑う冨田。
当たり前の、戦場での心得を言っているように見える。見えるのだが。
なぜか、「そうだな」と同意の言葉を口にすることはできなかった。
* * * *
(――夢?)
朝。スマホのアラームに、強制的に覚醒させられた意識。
厚手のカーテン越しに差し込む光が、夜が明けたことを告げている。
同時に、スッと遠ざかっていく夢の記憶。
夢なんて、荒唐無稽、なんでもアリ。夢なんて、覚えてなくてもなんの問題もない。
夢なんて、波打ち際の砂の城みたいに、次の瞬間には脆く崩れ去ってくものなのに。ベッドを離れるころには、その残滓すらないのが普通なのに。
(なんだ、コレ……)
寝ぼけた目から、涙が一筋流れ落ちた。
下草をかき分けできた、細い道筋。
右に岩壁、左に崖。
道の上には一人、剣を持つ女。
山の奥へと進もうとすれば、自然とこの道を通らねばならない。戦う場合もそれに同じ。女を蹴り飛ばして、隙を狙って駆け上がろうにも、その先は幾重にも道がくねっており、下手をすれば崖から転げ落ちてしまう。
この女を倒さない限り、先へは進めない。
対峙するなら一対一。
いくらこちらが多勢であっても、一度に全員が剣を交えることはできない。広さが足りない。
多勢であれば男の力で、女をねじ伏せることもできるが、一対一となれば、剣の技量によっては、女が勝ちを得ることもできる。
――よく考えたな。
攻めるこちらは下手。緩やかなれど斜面を登り対峙するのは力を要す。
実際、先に攻めた足軽たちは、女の一撃を受け、血しぶきを上げてのたうち回っている。のたうっていればいい方だろう。二人目に襲いかかった足軽は、腕を斬られ、そのまま女に蹴飛ばされて崖を転がり落ちていった。
――これはなかなか。
戦う場をここに決めたこと。その剣技。
そしてなにより、「美しい」と思わせるその容貌。
倒さねばならないはずの女。敵であるべき相手なのに、なぜか心奪われる。血を浴び、泥にまみれた顔。なのに、その眼光は冴え冴えとして美しい。
場違い過ぎる感想。血肉湧き踊る衝動。
この女を屈服させてみたい。そのすべてを奪い取ってやったら、どんな顔で俺を見るのか。
「――待て」
獣じみた情欲を抑え、馬から降りる。
「俺がやる」
足軽では力不足。この女をねじ伏せるのは、俺の役目。
「そなた、名を何と言う」
無言のまま、剣を構え直した女。
名乗る気がないのか。それとも名乗れないほど疲弊しているのか。
「俺は、久慈蔵人佐成保が子、久慈三郎真保。こちらが名乗ったのだから、お主も名乗れ。でないと、弔ってやることも出来ぬ」
「――真野康隆の娘、千寿」
「ほう。真野康隆の」
真野康隆。先程陥落させた城の主。
真野は武勇に長けていなかったが、知略に目を見張るものがあった。
城を落とすまで、散々計略を用いられ苦労した。その真野の娘なら、我々を迎え撃つのに、隘路を使うぐらいの策、思いついても不思議ではない。
「名を聞いて安堵するのはこちらのほうだ。これで名無しの墓を作らなくてよいからなっ!」
ヒュッと風を切り、飛んできた塊。いや、千寿姫の体。
とっさに構えた剣で、その刃を受け止める。
一撃。二撃。
重くはないが、勢いがある。
なにより、速い。
上に、下に。右から。左から。
振るう刃は、剣で弾かれ、鞘で受け流される。
攻と防。
今、己がどちらであるのか。判ずることができないぐらい、激しく入れ替わる。
だが。
ギィィン。
鉄のぶつかり合う音が山に響き、一振りの剣が空を舞う。
剣を舞わせたのは千寿姫。弾いたのは俺の剣。
男と女。長く戦い続けた者とそうでない者の差が出た。
「――これで終わりだ」
荒くなった息を収め告げる。
チャキッと音を鳴らし、切っ先を地に倒れたままの姫に向ける。
このまま殺すか?
ほんの一瞬迷いが出る。
俺がやるべきは、この地を奪うこと。この千栄津を奪い取ること。だから、城を陥落させ、主である真野康隆を討った。だが、その娘は? 娘までむごたらしく殺すのか?
年の頃は、俺と同じ。地に倒れ、汗と砂にまみれても、なお美しいと感じるこの娘を?
一瞬の迷いは、永遠の後悔となる。
ザッ!
「うわっ!」
目の前に撒かれた砂。視界を潰され、飛びかかってきた何か。千寿姫。
その勢いに倒され、地面に転がる俺と姫。
剣を奪おうとしているのか、それともそのまま谷底へ転がり落ちようとしているのか。
どちらが上か下か。何をしようとしているのか、わからないまま転がり続ける。
しかし。
転がり続け無我夢中のなか、剣を持たない手で、彼女の手首を引っ掴んで立ち上がる。
「生きよ!」
知らず叫んでいた。
「お主は、父御から託されたのであろう! 民を、逃げる民を守れと!」
千寿姫がここに立っていた理由。
それは、戦から逃げる民を守るため。
おそらくだが、父親が命じたのだろう。民を守り、生きよと。
だから、姫はここに立ち、敵を迎え討った。少しでも遠くへ、より安全な場所へ民が逃げられるように。そのための時間稼ぎ。その身を犠牲にしても民を守ろうとした。
なりふり構わない戦い方はその証。
「ならば、生きよ。生きて民の行く末を見届けよ」
間近に迫った姫の瞳に訴えかける。死ぬな、と。
先程の乱闘で、姫が求めたのは俺の脇差し。俺を倒すために得物が必要だったのかもしれない。それとも、自害するための得物が必要だったのかもしれない。
いずれにしても、無駄な抵抗。
俺を殺しても、民の安全は保証されない。自害したなら、守る責務を放棄したことになる。
だから。
「生きよ」
これ以上、無益な殺生をさせるな。
「あ……」
俺の掴む手首から力が抜ける。代わりに溢れ流れた涙。
やはり綺麗だ。
場違いな感想を抱いた。
「みなも無駄に民を追うな! ここで引き返す!」
周囲の兵たちに号令をかける。
この先、山の奥に民がいることは明らか。なら、この姫を連れ帰り、戦が終わったことを示せば、民は自ずと山から戻ってくる。命をかけてまで民を守ろうとした姫のことだ。きっと民はこの姫を慕っている。姫が無事なことが分かれば、こちらに従うに違いない。
そこまでの計算が俺にあったとは思えない。
けど、俺はそう判断した。
この姫を生かす。
それだけのために。
俺の号令に、兵たちが剣を引く。傷ついた仲間を支え、山を下る支度を始める者。俺の乗っていた馬のクツワを取って近づいてくる者。命のやり取りの場ではなくなった山道に、生の騒がしさが戻る。
千寿姫も、疲れたのかそれとも従うつもりになったのか。わからないが、俺が手を離しても抵抗することすらしなかった。
そんな彼女を立たせ、近づいてきた馬の鐙に足をかけようとして――
ヒュッ――!
背後に聞こえた風を切る音。
そして。
「グゥッ……」
息を呑む音。
「千寿姫!」
ふり返った俺が見たのは、肩に矢を受け、グラリと崩れ落ちていく千寿姫の姿。とっさに伸ばした手で、その体を受け止める。
「ひ、きょう、も、の……」
浅い息に混じって聞こえた声。震える手が、力の限り俺の袖を握りしめる。
「姫っ!」
驚く俺の腕の中で、意識を失った姫。流れ落ちる血。弛緩する体。
「――危のうございましたな、若」
ガサガサと揺れる木の枝。それをかき分け現れたのは、俺の配下。
「冨田……」
「この女、若の背を狙ろうておりましたぞ」
冨田の麾下、脇に控える足軽の手には弓。
俺が姫に背後を狙われ、とっさに冨田が部下に命じて姫を射た?
「美しい女子ではございますが、ご油断めされるな、若。戦場では、一瞬の油断が命取りになりますぞ」
ハッハッハッと笑う冨田。
当たり前の、戦場での心得を言っているように見える。見えるのだが。
なぜか、「そうだな」と同意の言葉を口にすることはできなかった。
* * * *
(――夢?)
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厚手のカーテン越しに差し込む光が、夜が明けたことを告げている。
同時に、スッと遠ざかっていく夢の記憶。
夢なんて、荒唐無稽、なんでもアリ。夢なんて、覚えてなくてもなんの問題もない。
夢なんて、波打ち際の砂の城みたいに、次の瞬間には脆く崩れ去ってくものなのに。ベッドを離れるころには、その残滓すらないのが普通なのに。
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