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25.昔、男ありけり
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――なに。たいして時間はかからぬ。
烏帽子と脛当て、次いで佩楯を身につける。
――姫は、以前と同じように、民とともに山に籠もっておればよい。
満智羅、籠手、続いて胴。兜を被り、繰締緒を締める。差し出された刀を腰に佩き、鞍の用意された愛馬に跨る。
印南影孝率いる軍が、千栄津境の川に近づいている。その数千三百。
――この戦、勝った者がソナタを迎えに行く。なかなかおもしろい趣向ではないか。
馬上で、ハハッと声を上げて笑う。
なるべく愉快そうに。なるべく傲慢に。
――まあ、迎えに行くのは俺だがな。迎えの手土産に、印南の首を持ってゆこうか。
わざと憎まれ口を叩く。
あちらの大将、印南影孝。千寿姫の許嫁。
――ああ、次に出迎えてくれるのなら、剣ではなく、花の一差しでも持っていてくれ。そうだな。椿の花など、ソナタに似合いそうだ。
まだ咲いてはおらぬだろうが。
紅色のあの花を姫の黒髪に添えたなら、きっと美しく映えるだろう。
あの花が咲く頃、髪に挿してやれるのは、俺か。それとも印南か。
印南影孝は、義に厚く、心広い人物だと聞く。
興善寺の和尚に預けた文もある。
ヤツならば、俺に捕われ凌辱された姫であっても、優しく迎え入れてくれるだろう。俺とのことなど、何もなかったように、姫を大事にしてくれるに違いない。
椿を飾った姫を愛でるのは、印南の役目だ。姫だって、きっとそれを願っている。
先程から俺を見上げ、何度も口を開きかけては、キュッと一文字につぐむ姫。
言いたいことがあるのだろうか。同じ動作をずっとくり返している。
最後に、俺を悪しざまに罵りたいのか。それとも、戦に負けるように呪いたいのか。
(どちらであっても、聴きたくないな)
ご武運を。
その可憐な唇がそう呟いてくれたら。
一度でいいから、俺の身を案じてくれたら。
(無理だな)
ならば、これ以上、姫のそばに留まっているのは未練がましいというもの。
「行くぞ」
短く、付き従う者に命じ、馬を進ませる。
ふり返るなどしない。ただ真っ直ぐに、己の運命に向かって歩き出す。
印南軍千三百に対して、こちらはわずか百十。
先の真野康隆との戦で、多くの兵を死なせてしまった。
あれからわずか三ヶ月。この千栄津の者を徴発すれば数を増やすことも可能だったが、あえて、それは行わなかった。
千栄津の者に、まだ心を許せてないというのもある。しかし、何よりこの戦に、姫をはじめとする千栄津の者たちを巻き込みたくなかった。
戦は、もう充分だ。
もう、誰も死なせたくない。
「みな、よく聞け」
戦場になるであろう、境の河原で、ついてきた者たちに告げる。
「この戦は、敵を倒すための戦ではない。勝って明日を生きるための戦だ」
わずか百十騎で勝てる見込みなどない。
この戦の前、本領にいる父に増援を願ったが、なんの返答もなかった。援軍の馬影すら見えない。父は、ここに来てもなお、俺の死を望んでいる。難攻不落だった、千栄津を手に入れても、俺のことをお気に召さないらしい。だから。
「命を無駄に散らすな。勝って、明日を生き延びよ」
ここで死ぬのは、俺一人だけでよい。
* * * *
(あ……)
唐突に目が覚めた。
見つめた先にあるのは、白っぽい天井。
かすかに頬を動かすと、ピリッとした痛みと、何かがペタッと貼られた感覚があった。
(俺……)
いつもの夢と違う。
先ほどまで見ていた記憶は、シッカリと俺のなかに刻まれ、残った。
(俺が、久慈三郎真保だったんだ)
霧が晴れていくように、体のなかのモヤモヤしたものがサアッと溶けて消えていく。くり返し、くり返し見ていた夢。夢の中の人物。
久慈三郎真保。
それが俺の前世。
「――気がついた?」
静かに、それでもハッキリと俺に問う声。
「さくら、ま、ち……?」
声がかすれた。
「キミ、犯人確保したあと、倒れたんだけど。――覚えてる?」
「ああ。ンンッ。なんとか」
軽く咳払いすると、喉のカサカサ感が幾分収まった。火傷とか煙で喉がイカれたんじゃなくて、単に喉が乾きすぎていたらしい。
「ってか、ここは?」
「病院。僕ら二人共ここに搬送されたんだ。火傷とか以外、特に問題はないけど、今日はこのまま安静に、様子を見るってことで入院だってさ。さっき、看護師さんが教えてくれた」
「なるほど」
見れば、俺の腕にも桜町の腕にも、仲良くお揃いの点滴。
体は、動けないほど辛いわけじゃないけど、一応の様子見ってことらしい。
「――お前が千寿姫だったんだな」
ポツリと呟き、ベッドの縁に座り直す。もっと体が痛いかと思ったけど、そこまで痛くはなかった。
「思い出したの? 全部?」
「ああ」
同じように桜町も身を起こして、互いに向き合うように腰掛ける。
病室に差し込む夕方の日差し。金色の光が、いつにもまして真剣な桜町の顔を彩る。
「俺、前世でお前に酷いことを……」
言葉が詰まる。点滴の管のついてない右手で顔を覆う。
千寿姫は俺じゃなく、桜町。
俺はその千寿姫を手籠めにした悪党、久慈三郎真保。
父親に殺されたくなくて、千栄津を攻めた。姫の父親を殺して、姫を凌辱した。
その最期。
印南の軍と戦ってる最中、姫を逃した山に煙が上がってるとの報告があった。印南軍が山に火を放ったと。
知らせに動揺した俺は、馬首を巡らし、姫のもとに駆けつけようとして、味方のはずの家臣、冨田に矢で射られた。
一射。二射。
馬から落ちた俺は、襲いかかる冨田に必死に抵抗したが、最期は首を斬られて絶命した。
かつて、あの山での戦いで、姫を射た冨田。
あの矢は、俺を守ろとして放たれたものではない。俺を殺そうとして射られたもの。それがたまたま姫に突き立った。冨田は、戦に紛れ、俺を殺すように父から命じられていた。
姫を守らなければ。
それが、久慈三郎真保としての最期の記憶。
真保は、最期の一息まで、ずっと千寿姫のことだけを想っていた。
(けど、それがいったい何になるって言うんだ)
真保が最期まで想ってたからなんだ。千寿姫は、俺のせいで人生を狂わされたんだぞ。
想ってるからいいってもんじゃない。
どれだけ好きだったからって、それは免罪符にはなり得ない。
「ねえ、新里くん」
桜町が静かに俺に語りかける。
「千寿姫の最期、知ってる?」
「いや。俺の記憶には残ってないから」
俺は千寿姫の最期を知るより前に、死んでしまったから。
調べた市史にも載ってなかった、千寿姫の行く末。
「姫はね、最期までキミを想って、キミの死に殉じたんだよ」
え?
驚く俺。
でも、桜町の目は真剣で。どこか悲し気で。
とてもじゃないが、ウソをついてるようには思えなかった。
烏帽子と脛当て、次いで佩楯を身につける。
――姫は、以前と同じように、民とともに山に籠もっておればよい。
満智羅、籠手、続いて胴。兜を被り、繰締緒を締める。差し出された刀を腰に佩き、鞍の用意された愛馬に跨る。
印南影孝率いる軍が、千栄津境の川に近づいている。その数千三百。
――この戦、勝った者がソナタを迎えに行く。なかなかおもしろい趣向ではないか。
馬上で、ハハッと声を上げて笑う。
なるべく愉快そうに。なるべく傲慢に。
――まあ、迎えに行くのは俺だがな。迎えの手土産に、印南の首を持ってゆこうか。
わざと憎まれ口を叩く。
あちらの大将、印南影孝。千寿姫の許嫁。
――ああ、次に出迎えてくれるのなら、剣ではなく、花の一差しでも持っていてくれ。そうだな。椿の花など、ソナタに似合いそうだ。
まだ咲いてはおらぬだろうが。
紅色のあの花を姫の黒髪に添えたなら、きっと美しく映えるだろう。
あの花が咲く頃、髪に挿してやれるのは、俺か。それとも印南か。
印南影孝は、義に厚く、心広い人物だと聞く。
興善寺の和尚に預けた文もある。
ヤツならば、俺に捕われ凌辱された姫であっても、優しく迎え入れてくれるだろう。俺とのことなど、何もなかったように、姫を大事にしてくれるに違いない。
椿を飾った姫を愛でるのは、印南の役目だ。姫だって、きっとそれを願っている。
先程から俺を見上げ、何度も口を開きかけては、キュッと一文字につぐむ姫。
言いたいことがあるのだろうか。同じ動作をずっとくり返している。
最後に、俺を悪しざまに罵りたいのか。それとも、戦に負けるように呪いたいのか。
(どちらであっても、聴きたくないな)
ご武運を。
その可憐な唇がそう呟いてくれたら。
一度でいいから、俺の身を案じてくれたら。
(無理だな)
ならば、これ以上、姫のそばに留まっているのは未練がましいというもの。
「行くぞ」
短く、付き従う者に命じ、馬を進ませる。
ふり返るなどしない。ただ真っ直ぐに、己の運命に向かって歩き出す。
印南軍千三百に対して、こちらはわずか百十。
先の真野康隆との戦で、多くの兵を死なせてしまった。
あれからわずか三ヶ月。この千栄津の者を徴発すれば数を増やすことも可能だったが、あえて、それは行わなかった。
千栄津の者に、まだ心を許せてないというのもある。しかし、何よりこの戦に、姫をはじめとする千栄津の者たちを巻き込みたくなかった。
戦は、もう充分だ。
もう、誰も死なせたくない。
「みな、よく聞け」
戦場になるであろう、境の河原で、ついてきた者たちに告げる。
「この戦は、敵を倒すための戦ではない。勝って明日を生きるための戦だ」
わずか百十騎で勝てる見込みなどない。
この戦の前、本領にいる父に増援を願ったが、なんの返答もなかった。援軍の馬影すら見えない。父は、ここに来てもなお、俺の死を望んでいる。難攻不落だった、千栄津を手に入れても、俺のことをお気に召さないらしい。だから。
「命を無駄に散らすな。勝って、明日を生き延びよ」
ここで死ぬのは、俺一人だけでよい。
* * * *
(あ……)
唐突に目が覚めた。
見つめた先にあるのは、白っぽい天井。
かすかに頬を動かすと、ピリッとした痛みと、何かがペタッと貼られた感覚があった。
(俺……)
いつもの夢と違う。
先ほどまで見ていた記憶は、シッカリと俺のなかに刻まれ、残った。
(俺が、久慈三郎真保だったんだ)
霧が晴れていくように、体のなかのモヤモヤしたものがサアッと溶けて消えていく。くり返し、くり返し見ていた夢。夢の中の人物。
久慈三郎真保。
それが俺の前世。
「――気がついた?」
静かに、それでもハッキリと俺に問う声。
「さくら、ま、ち……?」
声がかすれた。
「キミ、犯人確保したあと、倒れたんだけど。――覚えてる?」
「ああ。ンンッ。なんとか」
軽く咳払いすると、喉のカサカサ感が幾分収まった。火傷とか煙で喉がイカれたんじゃなくて、単に喉が乾きすぎていたらしい。
「ってか、ここは?」
「病院。僕ら二人共ここに搬送されたんだ。火傷とか以外、特に問題はないけど、今日はこのまま安静に、様子を見るってことで入院だってさ。さっき、看護師さんが教えてくれた」
「なるほど」
見れば、俺の腕にも桜町の腕にも、仲良くお揃いの点滴。
体は、動けないほど辛いわけじゃないけど、一応の様子見ってことらしい。
「――お前が千寿姫だったんだな」
ポツリと呟き、ベッドの縁に座り直す。もっと体が痛いかと思ったけど、そこまで痛くはなかった。
「思い出したの? 全部?」
「ああ」
同じように桜町も身を起こして、互いに向き合うように腰掛ける。
病室に差し込む夕方の日差し。金色の光が、いつにもまして真剣な桜町の顔を彩る。
「俺、前世でお前に酷いことを……」
言葉が詰まる。点滴の管のついてない右手で顔を覆う。
千寿姫は俺じゃなく、桜町。
俺はその千寿姫を手籠めにした悪党、久慈三郎真保。
父親に殺されたくなくて、千栄津を攻めた。姫の父親を殺して、姫を凌辱した。
その最期。
印南の軍と戦ってる最中、姫を逃した山に煙が上がってるとの報告があった。印南軍が山に火を放ったと。
知らせに動揺した俺は、馬首を巡らし、姫のもとに駆けつけようとして、味方のはずの家臣、冨田に矢で射られた。
一射。二射。
馬から落ちた俺は、襲いかかる冨田に必死に抵抗したが、最期は首を斬られて絶命した。
かつて、あの山での戦いで、姫を射た冨田。
あの矢は、俺を守ろとして放たれたものではない。俺を殺そうとして射られたもの。それがたまたま姫に突き立った。冨田は、戦に紛れ、俺を殺すように父から命じられていた。
姫を守らなければ。
それが、久慈三郎真保としての最期の記憶。
真保は、最期の一息まで、ずっと千寿姫のことだけを想っていた。
(けど、それがいったい何になるって言うんだ)
真保が最期まで想ってたからなんだ。千寿姫は、俺のせいで人生を狂わされたんだぞ。
想ってるからいいってもんじゃない。
どれだけ好きだったからって、それは免罪符にはなり得ない。
「ねえ、新里くん」
桜町が静かに俺に語りかける。
「千寿姫の最期、知ってる?」
「いや。俺の記憶には残ってないから」
俺は千寿姫の最期を知るより前に、死んでしまったから。
調べた市史にも載ってなかった、千寿姫の行く末。
「姫はね、最期までキミを想って、キミの死に殉じたんだよ」
え?
驚く俺。
でも、桜町の目は真剣で。どこか悲し気で。
とてもじゃないが、ウソをついてるようには思えなかった。
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