機姫想杼織相愛 ~機織り姫は、想いを杼に、相愛を織る~

若松だんご

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巻の八、仕掛けられた罠。

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 (あれ。寝ちゃってる……?)

 日も落ちかけて。
 手元もよく見えなくなってきたから、燭台に灯りをともそうとして気づく。

 (完璧に、寝落っちゃってる)

 最初は寝台に腰掛けて書を見ていたはずなのに。点けた灯りが照らし出したのは、寝台に書をぶちまけて、その真んなかに仰向けで転がる如飛ルーフェイの姿。
 その姿から察するに、座って読むのが面倒になって、寝っ転がって読んでたんだけど、そのまま眠くなって寝落ちした――ってとこかな?
 無造作に放り出された手には、読んでたんだろう書が掴まれたままになってるし。
 わたしの推理は間違ってないはず。

 コンコン。

 「――あの、里珠リジュさま」

 軽く叩扉の音。続いて、申し訳無さそうに顔を覗かせた鈴芳リンファン

 「陛下と里珠リジュさまに、お食事をお持ちいたしましたが……」

 続く「いかがいたしましょう」が消えてなくなったのは、鈴芳リンファンにも如飛ルーフェイが寝てるのを見て取れたからだろう。
 皇帝が寝てるのに、騒ぎ立てる女儒はいない。
 
 「ありがと。後でいただいとくわ」

 入室をためらってる鈴芳リンファンに代わって、わたしから、その持ってきたという食事をお盆ごと受け取りに行く。

 「あれ? これ……」

 お盆には、普通にご飯とか羹とか載ってるんだけど。それ以外にも……。
 漂う甘い香り。淡い桃色の飲み物。

 「そちらのお飲み物は、皎月ジャオユェさまからです」

 「皎月ジャオユェさんから?」

 なんで? なんで宦官の皎月ジャオユェさんが飲み物を用意するわけ?

 「陛下も里珠リジュさまも、きっと今頃喉がお辛いだろうからって……」

 「――は? 喉が?」

 辛いって、どういう……ことか、わかったわ。うん。訊かなくてもわかった。
 そういうことして・・・・・・・・、辛いってことでしょ? 喘ぎにあえいで、喉が涸れたっていう、そういうの。機織りバカなわたしでも、それぐらいは想像つくっての。

 (機織りしてただけなんだけどな)

 わたしは機織り。如飛ルーフェイは執務からの寝落ち。
 今も寝台に転がってるのは、そういうことして疲れたから――ではなく、書を読みすぎて疲れたから(だと思う)。
 だから、鈴芳リンファンに入ってきてもらって構わないんだけど。

 「ありがと。じゃあ、後でこれ、食べておくわ」

 「はい。では」

 「うん」

 扉の隙間から、ペコリと頭を下げ、足早に……というか、パタパタと走り去っていった鈴芳リンファン

 (男女二人が室にこもってるってだけで、そういうことしてるって思われるのって……)

 それって一体どうなの? って思ったけど。

 (そういや、わたしと如飛ルーフェイってそういう関係だと思われてるんだったわ)

 陰陽の乙女。
 皇帝の力を支えるために、皇帝と、男女のそういうことをする乙女。
 昼間っから、乙女のもとに行けという如飛ルーフェイの叔父さんも大概だけど、喉が辛いだろうから、果物の飲み物を用意しておきましたー! な皎月ジャオユェさんも、それを持ってくる鈴芳リンファンもどうかと思うわ。
 
 (仕方ないっちゃあ、仕方ない、か)

 仕方ないのかどうかわかんないけど、無理やり自分を納得させる。

 (料理冷める前に、起きてくれたらいいんだけど……)

 渡されたお盆を、卓の上に置く。卓の上も寝台と同じく書で散らかってたので、軽く、お盆で書を隅に追いやってからだったけど。

 (なんか、難しそうな書ね……)

 わたしに字は読めない。けど、紙にビッシリと文字が書かれてるのはわかる。
 何枚も何枚も。違う人の手で書かれただろう文字が連なっている。
 似たようなものは、如飛ルーフェイの手の中にも。

 (政に関するものなのかな?)

 皇帝って、その力を使って国を治めるだけじゃないんだ。こうやって、日々書を読んで、あれこれ決めたり命じたりするんだろう。

 (威張ってる……、だけじゃないんだな)

 ただの機織り女のわたしにはわからない苦労があるんだろう。
 皇帝とか貴族なんてものは、偉っそうに威張りくさって、人から税を集めて、戦争するのが大好きで民から徴兵したり、女を侍らせて酒食に溺れてるだけだと思ってたけど。

 (如飛ルーフェイは違うのかな)

 皇帝に即位するため、陰陽の乙女だというわたしを手元に置きはしたけど、それ以上のことをしてくることもない。
 この後宮に、他に女性がいるってわけでもなさそうだし。
 政は知らないけど、でも「あとは部下たち、任せたよ~ん。僕ちゃん、寵姫とそういうことしてくるね~♡」ってわけでもなさそうだし。
 少なくとも、昔想像してた皇帝ってものとは、かなりかけ離れてる気がする。

 (顔立ちも悪くないし……)

 眠ってるからそこ際立つ、美醜。
 秀でた額。真っ直ぐキレイな鼻梁。
 緩んだ口元は紅花で染めたように赤くて。少しキツめに上がった目尻も、長いまつ毛が縁取ってるせいか、そこまで怖い印象はない。
 いつもは、キレイに撫でつけられてる鬢も、おそらく寝台の上で転がったせいだろう、少しほつれて……。な、なんだか……。

 (色っぽい?)

 いやいや、男性に「色っぽい」はないでしょ。色っぽいは!
 でも。

 (なんだろう。この感じ)

 触ってみたい? いやいや。でも、手を伸ばしてみたい。
 胸がキューッと締まるような感覚。
 かと思えば、フワフワと体が浮かび上がってるような。
 子供の頃にやった、高いところから飛び降りる遊び。あれの、飛ぶ前と、エイッと飛ん出る時、地面に着地した後に感じるものに似ている気がする。あの全てがごっちゃ混ぜにまって襲ってきてるような……。

 (って、わたし、何考えてるのよ!)

 色っぽくても、キレイでも!
 寝てる人に許可なく触れていいわけないでしょうが!
 そんなことしたら起こしちゃうし、それに、それに……っ!

 (えいっ!)

 グルグル変な方向に絡みだした思考を、手にした杯の中身といっしょに飲み下す。
 冷たくて、少し酸味のある甘い飲み物。
 桃とかの甘い果実と、柑橘系の少し酸っぱい果実の汁だわ、これ。
 飲み干してから気づく。
 軽くこぼれた息が、自分でもわかるぐらい甘酸っぱい。

 (贅沢ねえ……)

 桃なんて、風邪でもひかなきゃ食べられない果物なのに。それを実ではなく、汁だけ出すなんて。
 ここに来て思ったこと。
 ――ゴハンがとっても豪華。
 朝と夕だけでなく、昼も出てくるゴハン。それも、わたし一人なのに、「これ、何人分?」って訊きたくなる量が出る。

 (白米をお椀一杯で充分ご馳走なのに)

 チラリと、残ってるお盆の料理を見る。
 家にいたときと違って、白米が普通に盛られたお椀。具沢山のあつものなます。炙り肉、包み焼きされた魚、菓子とまあ、これでもかっ! ってぐらいの料理が載ってる。わたしの食べたことないような珍しい食材もふんだんに使われてる。
 そして何より恐ろしいのは、「別に、これ、全部召し上がらなくてもいいですよ」って言葉がくっついて出てくるってこと。
 普通出された料理はすべて平らげるもんでしょ? それなのに、「お腹くちくなったら、無理しなくていいですよ」って言われるんだ。
 だったら、最初から食べきれない量を出さないでよ、もったいないじゃないって思うんだけど。「これぐらいの量しか召し上がらないだろう」で、量を減らすことはダメなんだってさ。
 ご飯だって、白米が、これでもかってぐらい盛られてるし。(これも、食べきれるか不安)
 宮廷の決まり事はよくわかんない。

 (まあ、いいや。今日は二人で食べることになりそうだし)

 わたし一人じゃ食べきれないかもだけど、如飛ルーフェイもいることだし。
 寝起きにどれだけ食べられるかわかんないけど、男性なんだし。わたしよりは食べるでしょ。
 ってことで。
 一人、手近にあった椅子を引き寄せ、座ってゆっくり果汁を飲むことにする。
 ちょっと酸味が強い気がするけど。喉をどうこう言う割には酸っぱくて、「これ、ほんとに喉が辛くなってたら、飲むの難しくない?」ってぐらいには酸っぱいけど。
 でも。
 
 (美味しい……)

 機織りでちょっと疲れてたし。
 こういう時に酸っぱいのは、うれしいのよねぇ。そして甘いのも。

 「――里珠リジュっ!」

 ちょっと飲んで、ふぅっと息を漏らしてたら。
 突然伸びてきた手が、杯を持つわたしの腕を掴んできた。

 「ルッ、如飛ルーフェイっ?」

 驚き、目をパチクリ。
 
 「飲んだのか?」

 「えと……。うん」

 飲んじゃった。ゴクゴクではないけど、ゴクリ、ゴクリとは飲んだ。

 「あ、でも、大丈夫だよ! 全部は飲んでないからっ!」

 ほら! まだ残ってる!

 杯の中身を、如飛ルーフェイに見せる。
 「あら、起きたの?」とか「起こしちゃった?」みたいな言葉は、どこか飛んでいった。それぐらいの勢いだったし。

 「そうか……。遅かったか」

 手を離してくれたけど、代わりにハアッと深く息を吐き出した如飛ルーフェイ
 寝台の上、身を起こし、額を押さえ沈んだ顔をした。

 (そんなにこれが好きだった――とか?)

 皎月ジャオユェさんがこれを用意したのは、「男女のそういうことをして、喉が辛いだろう」って意味より、「陛下のお好きな飲み物を用意しました」ってことだった――とか?
 それか、そういうことした後に、陛下のお好きな飲み物を二人で飲んで、事後のそういう時間を睦まじく過ごせ――とか。

 「里珠リジュ。体におかしなところはないか?」

 へ?

 「体に?」

 どういうこと?

 「それは……、その飲み物は……」

 説明しようとしてくれてるのか。でも答えることを迷ってる。そんな感じの如飛ルーフェイの声。

 「その飲み物は、媚薬入りだ」

 ふへ?
 ビヤク? ビヤクって……。

 「俺も、供されたことがある。乙女に操を立てず、女を抱いて、子を成せとな」

 は?

 「ちょっ、まっ、なにを――」

 言いかけて、ドクンと、体の奥でなにかが脈打った。
 瞬間、目を開けてるのに何も見えず、耳も何も聞こえなくなる。
 
 「あ、え、なに……?」

 絞られるように苦しい胸。ドクドクと耳の奥の血がうるさい。

 「里珠リジュっ!」

 そのまま崩れそうになった体を、伸びてきた如飛ルーフェイの腕が抱きとめてくれるけど。

 「アァンッ……」

 こぼれたのは、自分でも信じられないほど甘ったるい声と、熱い吐息。
 如飛ルーフェイが触れた。
 それだけで、陸にあがった魚のように、体がビクビクと跳ねた。――わたしの意志に関係なく。
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