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巻の十二、貞操の危機?
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(ハア……)
手にした針を止め、窓の外に浮かぶ丸い月を見上げる。
周囲の星の光すら打ち消すような、明るい月。その光は、こうしてわたしの手元にも深い陰影を刻む。
「里珠さま、そろそろお休みになっては……」
わたしが手を止めたことで、鈴芳も頃合いだと思ったんだろう。ようやくといった感じで口を出してきた。
「うん。でも、もう少しだけ」
もう少しだけ縫ったらちゃんと寝るから。
言葉で伝える代わりに、もう一度針を持ち直し、明黄色に染まった布に刺していく。
明黄色。
この国の主である皇帝のみに許された色で、織った布を染めた。
皇太子は杏黄、皇子は金黄。位によって許される色が違う。
山梔子の煎汁と灰汁を使って染め、その上からもう一度茜の根から取った染料に浸す。
そうすることで、より深く、キレイな黄色に染まる。
――乙女自ら染めるなど!
布を織り上げ、山梔子とか、染料を集めようとしたわたしを止めたのは鈴芳。
――その指が真っ黄色に染まったら、どうするんですか!
来月の即位の儀式。
その前に、機と糸のお礼として、布を織って、如飛に衣装を仕立てようとしたら、叱られた。
染め物で真っ黄色に染まった指の陰陽の乙女は、絶対、なにがなんでもダメ! なんだそうで。
――染めるのは、私がやります!
と、染料も布もなにもかも、鈴芳に取り上げられてしまった。
まあ、糸を染めたら指も染まっちゃうしねえ。
指は染まっても、時間が経てば薄くなっていくけど、同じく染まった爪は……。爪の間まで染まると、薄くするのも難しい。
陰陽の乙女として、きれいな指でいなきゃいけないわたしは、初めて染めに挑戦する鈴芳の監視役。
ああでもない、こうでもないのついでに手を出したくなって。そのたびに鈴芳に叱られた。「うるさいです!」って。
でも。
でも、鈴芳初めての染めは、かなりのデキで。色ムラも少なく、使うのに、なんの問題もなかった。
元々の糸自体も良い物だし。それを織って布に仕立てたのは、このわたしだし?
如飛を驚かせるため、コッソリ仕立ててるってのも、またワクワクする。
けど。
(ま、間に合わない……)
布を織るのはいい。染め上がりも問題ない。
その布を断って、衣装の形にするのもいい。ちゃんと必要な身頃に切り分けられた。
縫うのだって問題ない。ちょっと(かなり?)苦労したけど、形にはなった。
最初は、糸を染めてから織る〝染め物〟にしようかと思ったけど、それだと、今せっかく織り始めてる布がもったいないし、一から織り直してたんじゃ時間が足りない。だから、途中まで織った物を有効活用しようと、織り上げてから染める〝織り物〟に変更した。
〝染め物〟のほうが、染まった糸の風合いを見ながら織れるし、経糸と緯糸を変えることで、光の当たり具合によって、風合いも変わってくる、そんな玉虫色のような織り方ができる。だから、最高の布が織りたければ〝染め物〟一択なんだけど。それをあえて、時間優先で、〝織り物〟とした。時間のために、最高は捨てた。
けど。
(なによ、この刺繍!)
衣装に刺繍する。
それぐらい、自分にでもできる。そう考えてたけど、――甘かった。
吉祥文様。
二本の角と五本の爪を持つ九頭の龍を始めとして、その龍の周りに漂う霊芝雲(いっぱい)、卍や桃を咥えて飛ぶ蝙蝠(これも数え切れない)、そして、裾には海の象徴である波と、波の合間から見える山。
他にも、汚泥に染まらず清い花を咲かせる蓮華とか、人々を災いから守る天蓋とか。めでたい文様を衣装に刺繍していく。――していくのだけど。
(うがあっ!)
軽々しく請け負った自分が恨めしくなる。
龍! 龍だけでも何本の染糸を使ってるのよ!
ちょちょいと刺繍、刺繍ぐらいカンタン――なんて考えてた自分を殴ってやりたくなる。
布を織るまでは、大したことなかったけど、その先が、その先の刺繍が……。
「里珠さま。そこまで根を詰められなくても……」
見かねたのだろう。鈴芳が口を出してくる。
「即位の儀に間に合わなくても、ちゃんと織染署が用意したご衣装がございますから……」
チクチク。チクチクチク……。
朝起きて、夜に眠くなるまで。寸暇も惜しんでの刺繍三昧。
それだけ時間を費やしても、龍も霊芝雲も蝙蝠も、何もかもが足りない。龍や霊芝雲に時間を取られて、まだ裾の山海にたどり着けてない。
(早く。はやく……)
時間もだけど、手も足りない。
あと三人ぐらいわたしがいたら、間に合うのかもしれないけど。
それか、あと一、二頭、龍がいなくても許されるとか。
(如飛が来ない間に)
あの媚薬事件以来。
如飛がこの室を訪れることがなくなった。
――陛下は、その……ご公務が忙しくなり、こちらには立ち寄れぬとのことです。
皎月さんが伝えてくれたこと。
そっか。
公務が忙しくなったのか。それでここに来れなくなったのか。
それは、こうしてコッソリ贈り物を仕立てたいわたしとしては、「やったぁ!」なこと。だから、ちょっとだけ寂しがってるフリだけして「残念ですわ」とか「陛下に、お体をおいといくださいませと、お伝え下さい」とちょっと袖で顔を隠してみせた。
「会えなくて寂しい。ヨヨヨ」――じゃなくて、「やった! これで思いっきり贈り物を作ることができる! ワクワク!」を隠すために。その仕草を見た皎月さんが、如飛にどう伝えたかは知らないけど。
(まあ、来られても困るんだけどね)
贈り物を作れないだけじゃなくて。
(どういう面下げて彼に会えばいいのかわかんないんだってば!)
媚薬から助けてくれたお礼を言う?
でもだとしたら、どうやって助けてもらったかも、お互い思い出しちゃうだろうし、思い出されても、思い出しても気まずい。
「あの時はありがとうございました。おかげで、今はなんともありません」はいいけど、その先、「じゃあ、寝ましょうか」はちょっと……。「それじゃあ、おやすみなさい」にはなれない。なれない……気がする。
だから、公務で来れないと伝えられて、ホッとしている。気まずい思いもしなくていいし、こうして衣を仕立てることも着実に進むし。
けど……。
「アツっ……!」
「里珠さまっ!?」
「だ、大丈夫。針がちょっと刺さっただけだから」
ちょっと痛いけど。でも平気。
駆け寄ってこようとした鈴芳を空いてた方の手で押し留めて、指先に出来た丸い血の珠を口で吸う。
(ダメだな。こんなのじゃ)
刺繍は、機織りと同じで、無心で行わなければならない。
なのに、全然無心になれない。
「ごめん。今日はもう寝るわ」
「里珠さま」
「針を刺しちゃうなんて、疲れてる証拠かな?」
なぜかわたしを憐れむように眉を寄せた鈴芳に、笑ってみせる。
「このままじゃ、即位のときには間に合わないけど。普段着として贈ればいいよね?」
即位の衣装なら、織染署がすでに支度している。
だったら、今作ってるこれは、普段着用として贈ればいいよね?
即位に間に合ったら、……なんとなくだけど、わたしの作ったものを着てほしいな、着てくれたらいいなって思っただけで。
普段着なら、龍が一頭ぐらいいなくても、針目の荒れた雲海になっても、ちょっとぐらいは許される? どうだろ?
「里珠さま……」
「さ、寝よ、寝よ!」
追いかけるように投げかけられる鈴芳の視線を振り切って、寝台に近づく。
「無理をなさらないでくださいまし。お辛いのでしょう?」
「――は?」
投げかけられた言葉に振り返る。
お辛い? わたしが?
「陛下がお越しにならなくなって、もう十日。男を知ったお体を捨て置かれれば、お辛いと思います」
「は? へ?」
「差し出がましいとは思いますが。よろしければ、その疼きをお慰めいたしましょうか?」
「え? ちょっ、ちょっと待って!」
疼きってナニ? というか。
「男を知ったお体って……」
「あの媚薬の件。薬を盛ったことは、謝りますけど。昂ったお体を鎮めてくださったのは、陛下なのでしょう?」
「ゔ。そ、それは……」
それは間違ってないけど。
「女性は、男を受け入れると、体にポッカリと穴が空くのです。男の形に。そして、その空いた穴を埋めるように体が疼き、男を求めてしまう。そういうものなのです」
そ、そういうものなのですって。
わたしより年少の鈴芳に真面目に講義されても。
「それなのに、陛下は公務だなんだとお越しにならない。里珠さま。お体が疼いてお辛いのは、恥ずかしいことではありません」
そ、そうなの?
って。
受け止めきれなくて、必死に鈴芳の視線から顔を逸らす。
「陛下の里珠さまへの仕打ちは、あんまりです! こんなに何日も放置なさるだなんて!」
い、いや。
如飛は、苦しんでたわたしを助けてくれただけだし。ね? ね!
「嘉浩さまからも、里珠さまを大事にするように、きつく諭されておいででしたのに」
「じゃ、嘉浩さまって、如飛の叔父だとかいう、あの……」
一回しか会ったことないけど、温和な感じの人だった。その人が、きつく?
「はい。里珠さまがそのお命を終えられる時、『悪い人生じゃなかった』って思い返せるぐらい、愛し尽くせと。私、そのお言葉にとても感銘を受けました。素晴らしいじゃないですか」
「う、うん。そうだね」
命を終える時にって。勝手に人の死ぬ未来を想定して話すな! って思うけど、でも、そんな最期を迎えられたらいいかな? とも思う。
『悪い人生じゃなかった』って。それって、『最高の人生だった』ってことにならない? 死にそうになったことないから、わかんないけど。
「それなのに、女の喜びを一度与えただけで、あとは放ったらかしだなど! 陛下は嘉浩さまのお言葉を、どうお受けになったのでしょう! ちっとも響いておりませんわ!」
そ、そうかな。
鈴芳が感銘を受けた、いい言葉だったとしても、同じように如飛も感銘を受けなきゃいけない義理はない。
そもそも。
わたし、女の喜びを与えられたこともない……し。多分。
あの時、いっぱい感じさせられて意識を失ったけど、おそらくきっと、そういうことはされてない――はず。
「大丈夫よ。今は公務で忙しいだけでしょ? また余裕が出来たら来てくれるわよ」
「里珠さま……」
だから、どうどう、落ち着いて。怒り猛った牛から、いつもの鈴芳に戻って。
「で、でも、お体、辛くございませんか?」
なおも食い下がる鈴芳。
「あー、えっと。大丈夫よ、そのへんは」
視線を受け止めきれず、ポリポリと頬を掻く。
会った時の気恥ずかしさとか。何を喋ったらいいのかの困惑とか。
そして。
そして、如飛を思うだけで、体の底からグラグラと沸いてくるような疼きとか。――って。これは、そうね、媚薬の後遺症ね。たくさんイって、発散されたと思ったけど、まだ余韻みたいなものが残ってるみたい。だけど、そこは鈴芳には内緒。
「申し訳ない」と思われるより、「お詫びに発散させてあげましょう」って来られたら……。正直、怖い。男を知る前に女(の手管)を知りそうで。……知りたくないです。
「だからね、ね? 鈴芳も疲れてるだろうし。もう、寝よ? ね!」
彼女の肩を持って、強引に回れ右! させる。
わたしも寝るから、アナタも自室で寝て頂戴。お願いだから。
「里珠さま。お辛かったら、いつでも仰ってくださいね」
未練がましいような、振り返った鈴芳の言葉。
「大丈夫だって。だから、気にしないで!」
お祖母ちゃん。
女を知ってしまっても、最高の布は織れますか?
心のなか、亡き祖母にそっと問いかけてしまう。
わたし、いつか、使命に燃えた鈴芳に貞操を奪われるかもしれません。
手にした針を止め、窓の外に浮かぶ丸い月を見上げる。
周囲の星の光すら打ち消すような、明るい月。その光は、こうしてわたしの手元にも深い陰影を刻む。
「里珠さま、そろそろお休みになっては……」
わたしが手を止めたことで、鈴芳も頃合いだと思ったんだろう。ようやくといった感じで口を出してきた。
「うん。でも、もう少しだけ」
もう少しだけ縫ったらちゃんと寝るから。
言葉で伝える代わりに、もう一度針を持ち直し、明黄色に染まった布に刺していく。
明黄色。
この国の主である皇帝のみに許された色で、織った布を染めた。
皇太子は杏黄、皇子は金黄。位によって許される色が違う。
山梔子の煎汁と灰汁を使って染め、その上からもう一度茜の根から取った染料に浸す。
そうすることで、より深く、キレイな黄色に染まる。
――乙女自ら染めるなど!
布を織り上げ、山梔子とか、染料を集めようとしたわたしを止めたのは鈴芳。
――その指が真っ黄色に染まったら、どうするんですか!
来月の即位の儀式。
その前に、機と糸のお礼として、布を織って、如飛に衣装を仕立てようとしたら、叱られた。
染め物で真っ黄色に染まった指の陰陽の乙女は、絶対、なにがなんでもダメ! なんだそうで。
――染めるのは、私がやります!
と、染料も布もなにもかも、鈴芳に取り上げられてしまった。
まあ、糸を染めたら指も染まっちゃうしねえ。
指は染まっても、時間が経てば薄くなっていくけど、同じく染まった爪は……。爪の間まで染まると、薄くするのも難しい。
陰陽の乙女として、きれいな指でいなきゃいけないわたしは、初めて染めに挑戦する鈴芳の監視役。
ああでもない、こうでもないのついでに手を出したくなって。そのたびに鈴芳に叱られた。「うるさいです!」って。
でも。
でも、鈴芳初めての染めは、かなりのデキで。色ムラも少なく、使うのに、なんの問題もなかった。
元々の糸自体も良い物だし。それを織って布に仕立てたのは、このわたしだし?
如飛を驚かせるため、コッソリ仕立ててるってのも、またワクワクする。
けど。
(ま、間に合わない……)
布を織るのはいい。染め上がりも問題ない。
その布を断って、衣装の形にするのもいい。ちゃんと必要な身頃に切り分けられた。
縫うのだって問題ない。ちょっと(かなり?)苦労したけど、形にはなった。
最初は、糸を染めてから織る〝染め物〟にしようかと思ったけど、それだと、今せっかく織り始めてる布がもったいないし、一から織り直してたんじゃ時間が足りない。だから、途中まで織った物を有効活用しようと、織り上げてから染める〝織り物〟に変更した。
〝染め物〟のほうが、染まった糸の風合いを見ながら織れるし、経糸と緯糸を変えることで、光の当たり具合によって、風合いも変わってくる、そんな玉虫色のような織り方ができる。だから、最高の布が織りたければ〝染め物〟一択なんだけど。それをあえて、時間優先で、〝織り物〟とした。時間のために、最高は捨てた。
けど。
(なによ、この刺繍!)
衣装に刺繍する。
それぐらい、自分にでもできる。そう考えてたけど、――甘かった。
吉祥文様。
二本の角と五本の爪を持つ九頭の龍を始めとして、その龍の周りに漂う霊芝雲(いっぱい)、卍や桃を咥えて飛ぶ蝙蝠(これも数え切れない)、そして、裾には海の象徴である波と、波の合間から見える山。
他にも、汚泥に染まらず清い花を咲かせる蓮華とか、人々を災いから守る天蓋とか。めでたい文様を衣装に刺繍していく。――していくのだけど。
(うがあっ!)
軽々しく請け負った自分が恨めしくなる。
龍! 龍だけでも何本の染糸を使ってるのよ!
ちょちょいと刺繍、刺繍ぐらいカンタン――なんて考えてた自分を殴ってやりたくなる。
布を織るまでは、大したことなかったけど、その先が、その先の刺繍が……。
「里珠さま。そこまで根を詰められなくても……」
見かねたのだろう。鈴芳が口を出してくる。
「即位の儀に間に合わなくても、ちゃんと織染署が用意したご衣装がございますから……」
チクチク。チクチクチク……。
朝起きて、夜に眠くなるまで。寸暇も惜しんでの刺繍三昧。
それだけ時間を費やしても、龍も霊芝雲も蝙蝠も、何もかもが足りない。龍や霊芝雲に時間を取られて、まだ裾の山海にたどり着けてない。
(早く。はやく……)
時間もだけど、手も足りない。
あと三人ぐらいわたしがいたら、間に合うのかもしれないけど。
それか、あと一、二頭、龍がいなくても許されるとか。
(如飛が来ない間に)
あの媚薬事件以来。
如飛がこの室を訪れることがなくなった。
――陛下は、その……ご公務が忙しくなり、こちらには立ち寄れぬとのことです。
皎月さんが伝えてくれたこと。
そっか。
公務が忙しくなったのか。それでここに来れなくなったのか。
それは、こうしてコッソリ贈り物を仕立てたいわたしとしては、「やったぁ!」なこと。だから、ちょっとだけ寂しがってるフリだけして「残念ですわ」とか「陛下に、お体をおいといくださいませと、お伝え下さい」とちょっと袖で顔を隠してみせた。
「会えなくて寂しい。ヨヨヨ」――じゃなくて、「やった! これで思いっきり贈り物を作ることができる! ワクワク!」を隠すために。その仕草を見た皎月さんが、如飛にどう伝えたかは知らないけど。
(まあ、来られても困るんだけどね)
贈り物を作れないだけじゃなくて。
(どういう面下げて彼に会えばいいのかわかんないんだってば!)
媚薬から助けてくれたお礼を言う?
でもだとしたら、どうやって助けてもらったかも、お互い思い出しちゃうだろうし、思い出されても、思い出しても気まずい。
「あの時はありがとうございました。おかげで、今はなんともありません」はいいけど、その先、「じゃあ、寝ましょうか」はちょっと……。「それじゃあ、おやすみなさい」にはなれない。なれない……気がする。
だから、公務で来れないと伝えられて、ホッとしている。気まずい思いもしなくていいし、こうして衣を仕立てることも着実に進むし。
けど……。
「アツっ……!」
「里珠さまっ!?」
「だ、大丈夫。針がちょっと刺さっただけだから」
ちょっと痛いけど。でも平気。
駆け寄ってこようとした鈴芳を空いてた方の手で押し留めて、指先に出来た丸い血の珠を口で吸う。
(ダメだな。こんなのじゃ)
刺繍は、機織りと同じで、無心で行わなければならない。
なのに、全然無心になれない。
「ごめん。今日はもう寝るわ」
「里珠さま」
「針を刺しちゃうなんて、疲れてる証拠かな?」
なぜかわたしを憐れむように眉を寄せた鈴芳に、笑ってみせる。
「このままじゃ、即位のときには間に合わないけど。普段着として贈ればいいよね?」
即位の衣装なら、織染署がすでに支度している。
だったら、今作ってるこれは、普段着用として贈ればいいよね?
即位に間に合ったら、……なんとなくだけど、わたしの作ったものを着てほしいな、着てくれたらいいなって思っただけで。
普段着なら、龍が一頭ぐらいいなくても、針目の荒れた雲海になっても、ちょっとぐらいは許される? どうだろ?
「里珠さま……」
「さ、寝よ、寝よ!」
追いかけるように投げかけられる鈴芳の視線を振り切って、寝台に近づく。
「無理をなさらないでくださいまし。お辛いのでしょう?」
「――は?」
投げかけられた言葉に振り返る。
お辛い? わたしが?
「陛下がお越しにならなくなって、もう十日。男を知ったお体を捨て置かれれば、お辛いと思います」
「は? へ?」
「差し出がましいとは思いますが。よろしければ、その疼きをお慰めいたしましょうか?」
「え? ちょっ、ちょっと待って!」
疼きってナニ? というか。
「男を知ったお体って……」
「あの媚薬の件。薬を盛ったことは、謝りますけど。昂ったお体を鎮めてくださったのは、陛下なのでしょう?」
「ゔ。そ、それは……」
それは間違ってないけど。
「女性は、男を受け入れると、体にポッカリと穴が空くのです。男の形に。そして、その空いた穴を埋めるように体が疼き、男を求めてしまう。そういうものなのです」
そ、そういうものなのですって。
わたしより年少の鈴芳に真面目に講義されても。
「それなのに、陛下は公務だなんだとお越しにならない。里珠さま。お体が疼いてお辛いのは、恥ずかしいことではありません」
そ、そうなの?
って。
受け止めきれなくて、必死に鈴芳の視線から顔を逸らす。
「陛下の里珠さまへの仕打ちは、あんまりです! こんなに何日も放置なさるだなんて!」
い、いや。
如飛は、苦しんでたわたしを助けてくれただけだし。ね? ね!
「嘉浩さまからも、里珠さまを大事にするように、きつく諭されておいででしたのに」
「じゃ、嘉浩さまって、如飛の叔父だとかいう、あの……」
一回しか会ったことないけど、温和な感じの人だった。その人が、きつく?
「はい。里珠さまがそのお命を終えられる時、『悪い人生じゃなかった』って思い返せるぐらい、愛し尽くせと。私、そのお言葉にとても感銘を受けました。素晴らしいじゃないですか」
「う、うん。そうだね」
命を終える時にって。勝手に人の死ぬ未来を想定して話すな! って思うけど、でも、そんな最期を迎えられたらいいかな? とも思う。
『悪い人生じゃなかった』って。それって、『最高の人生だった』ってことにならない? 死にそうになったことないから、わかんないけど。
「それなのに、女の喜びを一度与えただけで、あとは放ったらかしだなど! 陛下は嘉浩さまのお言葉を、どうお受けになったのでしょう! ちっとも響いておりませんわ!」
そ、そうかな。
鈴芳が感銘を受けた、いい言葉だったとしても、同じように如飛も感銘を受けなきゃいけない義理はない。
そもそも。
わたし、女の喜びを与えられたこともない……し。多分。
あの時、いっぱい感じさせられて意識を失ったけど、おそらくきっと、そういうことはされてない――はず。
「大丈夫よ。今は公務で忙しいだけでしょ? また余裕が出来たら来てくれるわよ」
「里珠さま……」
だから、どうどう、落ち着いて。怒り猛った牛から、いつもの鈴芳に戻って。
「で、でも、お体、辛くございませんか?」
なおも食い下がる鈴芳。
「あー、えっと。大丈夫よ、そのへんは」
視線を受け止めきれず、ポリポリと頬を掻く。
会った時の気恥ずかしさとか。何を喋ったらいいのかの困惑とか。
そして。
そして、如飛を思うだけで、体の底からグラグラと沸いてくるような疼きとか。――って。これは、そうね、媚薬の後遺症ね。たくさんイって、発散されたと思ったけど、まだ余韻みたいなものが残ってるみたい。だけど、そこは鈴芳には内緒。
「申し訳ない」と思われるより、「お詫びに発散させてあげましょう」って来られたら……。正直、怖い。男を知る前に女(の手管)を知りそうで。……知りたくないです。
「だからね、ね? 鈴芳も疲れてるだろうし。もう、寝よ? ね!」
彼女の肩を持って、強引に回れ右! させる。
わたしも寝るから、アナタも自室で寝て頂戴。お願いだから。
「里珠さま。お辛かったら、いつでも仰ってくださいね」
未練がましいような、振り返った鈴芳の言葉。
「大丈夫だって。だから、気にしないで!」
お祖母ちゃん。
女を知ってしまっても、最高の布は織れますか?
心のなか、亡き祖母にそっと問いかけてしまう。
わたし、いつか、使命に燃えた鈴芳に貞操を奪われるかもしれません。
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