機姫想杼織相愛 ~機織り姫は、想いを杼に、相愛を織る~

若松だんご

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巻の十五、閑話‐進めず、戻れず

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 「この分なら、即位の儀までには帰還できそうですね」

 燃える岩とその周囲にいる兵たちを眺めていたら、声がかかった。

 「明順ミンジュンか」

 特にふり返るでもなく名を呼ぶと、男が俺に並ぶように近づいてくる。

 「敵兵の方はどうだ?」

 「すでに領邦を出たかと。姿は見えませぬ」

 「そうか」

 国境を越えて、村々を襲う軍がいる。
 そう伝え聞いたのは、半月ほど前。
 皇帝位が空位の今。俺が即位する前に、領土を奪い取ってやろう、それか、富を奪おう。そういう魂胆の敵軍がいた。
 皇帝不在は、三年前からのことなのに、どうして今になって襲ってきたのか。そのへんの事情は、敵の首領でも捕まえて口を割らせないとわからないが、とにかく、攻めて来られたら護るだけだ。
 即位の儀よりも、国民の安全、平和が第一。
 そう思って、皇都を叔父に任せ、兵を率いてここまでやって来た。
 俺の存在を見せつける。そういう意味も含まれている。
 皇帝に即位してなくても、この国には、守護する者がいる。それを知らしめることは、抑止力にもなる。

 (ただの略奪が目的か?)

 俺が陰陽の乙女を得たことは、諸外国にも伝わっているだろう。
 術を使える皇帝に、それを支える乙女の存在。
 この二つが揃えば、この国は最強となる。即位しているかどうかなど、些細なことだ。
 
 「とにかく。敵がまだどこかに潜伏しているかもしれない。警戒だけは怠るな」

 「はっ。すでに、捜索隊をいくつか派遣しております」

 「そうか」

 そうか。そうだったな。
 お前は、そのへんの機微もわかる男だったな。
 隣に立つ男、近侍の呉明順ミンシュン。同い年のこの男は、幼い頃から仕えてくれたせいか、俺の考えることをよくわかってくれている。
 街で、里珠リジュに出会った時、情けないが、屋根から落ちて糸に絡まってしまった俺を探し当てたのもこの男だ。俺がどう動くか。どう動いた結果、姿が見えなくなったのか。そのへんまで勘……みたいなものが働くのだろう。
 匂いで主を探し出す犬みたいだな。
 そう思ったことは秘密である。

 「これで、敵がいなければ、皇都に早く戻れますね」

 「そうだな」

 道を塞ぐように落ちてきている岩は、兵に火を入れさせ砕いている。先程から、岩は、燃えながら崩れ落ち始めている。そのまま、燃え盛りながら崖を転がり落ちそうな破片は、水の術を使って火を止め、なるべく小さく砕いているが、それももうすぐ終わる。
 後は、火を消し、兵の力で岩を砕く。火を入れた岩はもろい。俺の術がなくても、兵の力でなんとかなる。
 予想外のことにだけ、術で対処する。
 人の手でできることは、なるべく人の手で。術に頼らない。
 少し火を消す、岩を砕く――ぐらいなら、乙女不在でも力を使える。だからと、言うわけではないが。基本、国のことは、皇帝の力に頼るのではなく、人力で行いたいと思っている。
 人の世は人の手で。
 自分の持つ力は、人知の及ばない出来事から国を護る時のものだと、そう思っている。
 それと。

 (里珠リジュ……)

 皇都に早く戻れる。
 明順ミンジュンのその言葉を聴いた時、はからずも思い出したのは、里珠リジュのことだった。
 逢いたい。逢って、言葉を交わしたい。
 そして。
 許されるならば、愛を囁き、その華奢な体を抱きしめたい。
 なぜ、そこまで彼女に恋い焦がれるのか。彼女が陰陽の乙女だからか。
 力の均衡を取りたくて、だから求めてしまうのか。
 わからない。わからないから。

 ――皇后は辞退させていただきます。

 その言葉に何も言えなくなってしまった。
 
 ――わたしが〝陰陽の乙女〟だから?

 里珠リジュの問いかけに、是とも否とも言えなかった。
 彼女が乙女だから求めるのか。それとも彼女が里珠リジュだから、愛しく思い、求めてしまうのか。
 それとも。それとも――

 「陛下。皇都に還御なさいましたら、もう一度、じっくりと瑠璃妃さまとお話しなさいませ」

 「明順ミンジュン……」

 「過去のことも、思っていることもすべて。その上で、瑠璃妃さまにご判断いただけばよろしいかと。ご意志を貫かれるも、想いを遂げられるも、すべて瑠璃妃さまに委ねてみては? 瑠璃妃さまもご自身の未来を、他人が決めるのではご納得されないかと思いますよ」

 里珠リジュを陰陽の乙女として瑠璃宮に住まわせることは、俺が勝手に決めた。だが、その先のことは……。
 里珠リジュには、里珠リジュの考え、思惑がある。勝手に悩み、これが最善だろうと押し付けるのは間違っている。
 懊悩する暇があれば、そのすべてを話せ。
 
 「なぁに。無理だったとなれば、酒をもってお慰めいたしますよ。それこそ何夜でも、お付き合いいたします」

 「いらん気遣いだ。酒なら、祝杯としてもらう」

 フラレた慰めは要らない。酒は、彼女と結ばれた祝いとして味わいたい。

 「失礼いたしました」

 憮然と腕を組んだ俺に、儀礼っぽく明順ミンジュンが頭を垂れる。儀礼的に感じられたのは、本気で「悪い」と思ってなく、口の端に笑いが含まれていたからだ。

 (まったく、コイツは……)

 皇帝に対して無礼だろう。怒りたいのに、自分も口元がムズムズして、ついには「フハ」と笑いが漏れる。

 「――陛下。そのように笑って、鷹揚に構えてくださいませ。でないと、先程から兵が落ち着きませぬ」

 ゔ……。
 顔を兵の方へと動かした明順ミンジュンに倣って、自分も視線を兵に向ける。
 火勢の落ち着いてきた大岩に近づく兵たち。岩を砕く工具を持ちながら、なのに岩ではなく、チラチラと俺の方を振り返っていた。
 
 (俺が怖かったのか?)

 皇帝がジッと自分たちを見ている。
 命じられたままに動いているのに、皇帝はなにか不満でもあるのか。やり方が違うと、叱責されるのではないか。叱責されるだけならいい。罰が下ったら?
 ――おそらく、そういうことだろう。
 別に睨んでいたといかいうわけではないが。それでもずっと皇帝に見られ、ビクビクする兵たちの気を読み、明順ミンジュンが、難しい顔をしていただろう俺の気持ちをほぐした。

 「……しばらく休む。何かあったら教えてくれ」

 「ハッ」

 それだけ言いおくと、クルッと大岩と格闘する兵士たちに背を向けた。これなら。これなら問題ないか?
 それに。
 少しだけ一人になって、じっくり考えたい。
 里珠リジュのこと。
 俺は、彼女をどうしたい? 彼女とどうなりたい? 最適解はどれだ?

 (ダメだな)

 ハアっと深く息を吐き出す。
 大事なこと、未来について考えたいのに。瞼を閉じて思い浮かぶのは、あの夜の里珠リジュの姿だった。
 ウッカリ飲んでしまった媚薬のせいで、トロンとした目をしていた里珠リジュ。荒く熱っぽい吐息。こらえきれないのか、時折、ヒクッ、ヒクッと体を震わせていた。

 (あのまま抱けたら)

 俺にすがり、「もっと欲しい」だの「感じさせて」だの、甘くねだられて。
 よく我慢したと、今でも思う。
 乙女の発する匂いが満ちたあの部屋で。悶える彼女を見ながら、それでも自制して、彼女の気を発散させることだけに専念した。
 抱けば、そのまま交われば、楽に終わったであろうことを、あえて彼女をイかせるだけにとどめた。
 
 交わるのは、身を交わすのは、真に彼女を愛していると告げてから。里珠リジュもからも愛されて。陰陽を整えるためじゃない。愛してるからこそ、身を交わしたいと思っている。――女々しいと笑われるかもしれないが、自分の都合だけで、彼女の初花を散らしたくない。

 彼女の意志に関係なく抱く。
 
 それは、媚薬から助けるためであっても、この国を護る力を得るためでも。どちらであっても許されることではない。

 ふと立ち止まり、長く隘路に伸びた己の影を見下ろす。――が。

 「明順ミンジュンっ!」

 その影が、もっと大きな影に呑み込まれた。
 驚き、叫ぶ。

 「上だ!」

 同時に、暗い影となった塊が、いくつも山肌を転げ落ちてくる。いや、それは大きな黒い死神。
 大きな岩がいくつも、崖にぶつかり、弾かれながら、転がり落ちてくる。
 岩の向こうに見えたのは、民に扮した敵兵。
 道を塞ぐ岩に取り掛かってる我らを、襲うのが目的だったのか。

 「逃げろっ!」
 
 ガラガラといくつもの岩が激しく鳴らす音と、兵たちの驚き、悲鳴が山にこだまする。

 「クソッ!」

 ありったけの力を手のひらにこめる。
 土の力は得意ではないが、そんなことを言ってる余裕はない。

 こんなところで。こんなところで、誰も死なせるものかっ!

 (俺は、絶対っ! ――里珠リジュっ!)
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