灰かぶり侍女とガラスの靴。

若松だんご

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1.円舞曲

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 やめておけばよかった。
 いくら奥さまの頼みであっても、こんなことお引き受けしなければよかった。
 後悔だけが、グルグルと頭のなかを巡る。
 光沢のある淡いピンクのドレス。そのスカートにふんわりと重ねられた妖精の羽根のようなオーガンジーの布。慣れないまでにむき出しのデコルテには、奥さまからお借りした大粒の真珠の首飾り。水仕事で荒れた手には、絹の手袋。
 普段は、ひっつめるだけの冴えない土色の髪も、今は染められ艶やかな黒髪。何度も櫛けずられ、ふんわりと上品に結い上げられ、耳にも首飾りとおそろいの真珠のイヤリングが揺れる。

 ―― これじゃあ、どこかのご令嬢みたいです。私なんかには、とてもじゃないけど似合いません。

 そう奥さまに抗議したのだけれど、受け入れてはいただけなかった。
 こんな姿で誰かに会ったら。元の私を知る人に見られたら。
 驚くだけならいい。奥さまのお茶目につき合っただけですと、笑うこともできるだろう。
 もしこの姿を不快に思われたら。身の程をわきまえよと立腹されたら。
 私だけがお叱りを受けるのなら構わないけれど、その批判が奥さまにも及んだら。
 何かの余興……程度に思ってくれればいい。
 何より、誰も私に気づかなければいい。
 この華やかな場において、人に紛れ、壁に寄り添い気配を断つことはそう難しいことじゃない。
 誰とも会話を交わさず、視線を交えず。
 うつむきがちに窓際のカーテンに寄り添うように立っていれば、一風景として溶け込んでいられるはずだった。
 ふとした瞬間、上げてしまった視線が誰かと重なって――。

 (いけないっ……!)

 よりにもよってあの人とっ!
 あわてて視線を逸らすけど、もう遅い。
 気づいた!? 気づいた!? 気づいたわよね。
 こんな格好をしてたって、それが誰かだなんて。
 顔を隠すように手にした扇を広げ、逃げるようにバルコニーへと駆け出す。
 目が合ったのは一瞬。
 いつもと違って、こんな夜会のシャンデリアの灯りも届かないような、少し暗い場所にいたんだもの。
 気づかれるはずないわ。気づいてないはずよ。
 そう思いたいのに。そうであってほしかったのに。

 「夜風が気持ちいいですね」

 間近に迫ったその声に、背筋が痺れた。
 ふり返ったそこにいたのは、何度も会ったことのある人。
 けれど、私が誰であるか気づいていないのか、彼は驚きも怒りもせず、にこやかに笑みを浮かべて近づいてくる。

 「あ、あの……」

 とっさに手にした扇で口元を隠す。気づかれてないなら、そのままのほうがいい。

 「少しお話しをしても?」

 気持ちとは裏腹に、コクリと頷く。
 彼がどういうつもりで声をかけに追いかけてきたのか知らないけれど、ここで断って恥をかかせてはいけないと思う。

 「確か、きみは僕の大伯母上と一緒に来てたと思うんだけど」

 一つ頷く。

 「きみも大伯母上と一緒の、ウォルスウェイトで暮らしてるの?」

 もう一つ頷く。

 「そうか。あそこは小さいけれどいい町だよね。僕も大伯母上に会うために、何度か訪れてるんだよ」

 知ってる。言われなくても。

 「今度また遊びに行くつもりだけど。……その時にも、またこうして会えないかな?」

 スッと、慣れた仕草で彼が私の手を取る。

 「不埒な意味じゃないよ。気になるなら、大伯母の家で一緒にティータイムを楽しむだけでもいい」

 「……どうして、私を」

 「ん~、どうしてだろうね。きみが大伯母と一緒にここへ来た時から、ずっと気になってたんだ。誰と話すでもなく控え目に立っていたきみに、どうしようもなく惹かれた」

 あああ。なんてこと。
 大人しく風景に溶け込んでしまえば気づかれないと思ったのに、逆にそのことが興味を持たれるキッカケになるなんて。

 「普通、若いお嬢さんなら、誰かしらと踊ろうと躍起になるのに、きみはそうしなかった。そこがとても新鮮でね。一度話してみたい、よければ一曲お相手願えないかと、こうして誘いに来たんだけど」

 私の手の甲に、彼が軽く口づける。
 手袋越しなのに、ただの挨拶なのに、その口づけがひどく熱く感じる。

 「あ、あの……。私、ダンスは苦手で……」

 だから、これ以上構わないで。お願い。

 「じゃあ、ここで踊らないか? ここなら誰にも見られない」

 「それは……」

 そうだけど……。
 辺りは少し薄暗く、大広間の音楽だけがかすかに届く。

 「さあ」

 半ば強引に腕を引かれ、腰に手を回される。
 音楽に合わせて動き出せば、そこはもう彼の独壇場でしかなかった。
 軽やかなステップ、巧みなリード。
 慎ましやかに落ち着いていたドレスのスカートが、フワリと花のように広がる。

 「……上手いじゃないか。苦手ってのは、謙遜かな」

 彼が笑う。
 その気配を感じながらも、私は顔を上げることが出来なかった。
 こんなに楽しくダンスを踊れたのは初めてだ。ダンスなんてずっと縁遠いものになっていたし、こんなに息の合う相手はそうそういなかった。

 ―― 楽しい。
 こうして踊ることが。
 ―― うれしい。
 こうして誘われたことが。

 私だって他の女性たちと同じように、彼に誘われ、ダンスを踊ればそれだけで心が浮き立つ。
 彼の手を熱いと感じなくなっているのは、自分も熱くなっているから。
 踊ってるからだけじゃない。彼とこうして密着していることに、どうしようもなく体が火照ってくる。
 
 「……名前、聞いてもいいかな」
 
 曲の終わりとともに彼が口を開いた。
 耳元で、低く甘く、囁くように告げられれば、それだけで鼓動が跳ねあがる。

 「あ、あの……」

 「友だちとして……。ダメかな」

 ダメじゃない。言ってしまいたい。
 彼に求められて、黙っていられる令嬢なんていない。
 けど。

 ……私が名乗っていいの?

 のぼせそうな心とは裏腹に、頭はどこまでも冷静だ。
 名乗ってはいけない。私が誰かなんて、知られてはいけない。
 それは彼にとって不名誉なことになり、奥さまのお立場を悪くする行為だ。
 だから。

 「ごめんなさい。失礼しますっ!!」

 彼の手を、自分の心をふり切るようにその場から駆け出す。
 追ってくるような気配はない。
 そのことに安堵と寂しさを感じながら、私は奥さまと一緒に夜会から逃げるように帰った。
 この日のことは、一夜の夢、ステキな思い出と、何度も自分に言い聞かせながら。
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