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一、野分。 (のわき。夏の終わりの頃、雨とともに吹く暴風。台風)

(二)

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 人は、野や里で暮らす。
 鳥人とりひとは、森や山で暮らす。

 それが神が決めた約束事だった。
 土には土グモ。海には竜人。
 
 だけど、その太古からの約定やくじょうをこわしたのは、人だった。
 人は、与えられた平らな大地に里を作った。土グモの暮らす地まで掘り起こし、田を作って稲を植えた。追いやられた土グモは、山で暮らすようになった。収穫した米を食べるため、暮らす家を建てるため、人は森の木々を切り落とした。米だけではまかなえないほど増えた人は、海の魚をとった。
 そして、自分たちこそ、天から下りた神の一族なのだと言い出した。
 この世界はすべて人のもの。
 なぜならば、自分たちは神の一族なのだから、と。

 その傲慢ごうまんさに、竜人は海の底深く身をしずめ、人との関わり合いを断った。土グモは生きる場所を奪われ、数を減らし、森の土の中へと潜っていった。鳥人は、森の恵みをうばわれ、木を奪われながらも、なんとかここまで暮らしてきた。
 いつかは、土グモのように生きる場所を奪われ、竜人のように、恵みも奪われるかもしれないけど、さいわい、この世界に森はたくさんある。ここがダメならあそこで暮らす。鳥人はその翼をもって、あちらの森、こちらの森へと移動を続け、静かに暮らしていた。

 そんな鳥人族のところに、人間の子ども?
 それも、族長のむすめ、ボクの妹?
 
 父さんの頭がおかしくなったのかと思った。
 鳥人族の子どもなら、まあかわいそうだろうってことで、拾ってきても許すけど。

 人間。人間をだなんて。
 それも、その世話をボクにまかせるだなんて。

 チラリと、視線をそれにむける。

 ガリガリの体に、ボロボロの服。髪もボサボサ。どっちかというと、人間の子っていうより、土グモの子。顔も泥で汚れてる。
 父さん、よくこんな子を抱いて飛んできたなって思うぐらい汚い。

 「ハァァァァ……」

 体の中の息をすべて吐き出すぐらい、大きなため息を吐く。
 しかたない。

 「ついてこい」

*     *     *     *

 人の子を連れてきたのはお湯屋。
 もともと鳥人族は、川で体を洗うことしかしなかったんだけど、父さんがやしろを建てる時、「これもなかなかいいぞ」とお湯屋を建てた。冬の川は冷たくて辛かったので、温かいお湯屋は、鳥人族でも大人気の場所となったのだけど――。

 「こら! あばれるな! キレイにしてやるだけだ!」

 バッシャン、バッシャン。沸かした湯が湯船からあふれる。お湯屋で働く湯女ゆめに、子どもの体を洗わせたんだけど。
 
 「おとなしくしろ! 別に、ゆでて食べるとかじゃないんだから!」

 年老いた湯女ゆめだけじゃ押さえきれず、ボクもその体を押さえ、洗うのを手伝う。そうでもしないと、人の子は、ロクに洗えてないのに、湯船から逃げ出してしまう。
 子どもが暴れるたび、ボクまで頭から湯を浴びて衣がビッタビタに濡れる。
 お湯屋なんて、いつ入っても気持ちのいいものなのに。人の子はお湯屋を知らないのか? だから、こんなに暴れるのか?

 「若さま、ここに」

 若い湯女ゆめが、ボクと子どもの着替えを用意してくれた。子ども用には、髪をすくクシもそろえてある。

 「ありがとう、――ってこら、イテッ!」

 暴れた人の子の手が、ゴンッとボクの顔をなぐる。
 
 「おとなしくしろよ! 洗ってやってるんだから!」

 このままお湯にしずめてやろうか。本気で思った。
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