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二、明時。 (あかとき。夜が明けようとする時。夜明けの頃)

(三)

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 「おおぉ、帰ってきた、帰ってきた!」

  やしろきざはしで、なぜかノスリが待ち構えていた。

 「お前、どこに行ってたんだ。探したんだぞ!」

 それもなぜか怒ってる。
 あの、人の子をほっぽって飛んでいったからか?

 「カリガネは?」

 いつもつるんでいることの多いノスリとカリガネ。そのカリガネの姿が見えない。

 「おまっ……、カリガネなんてどうでもいいんだよ! それよか、早く、こっちへ来い!」

 グイッとボクの腕を引っ張るノスリ。急いでいるのか、走るだけで足らずに翼も震わせて、なかば、走りながら飛んでるようなかっこうになった。

 「うわっ、ちょっ、どこに行くんだよ!」

 グイグイ引っ張りながら、回廊を曲がるノスリ。

 「いいから来い!」

 「いたっ、イタタタタッ! わかった! わかったよ!」

 しかたかないので、ボクも翼を動かす。でないと、引っ張られた腕がとんでもなく痛い。

 「ほら、連れてきたぞ! ハヤブサだ!」

 バンッと戸を開け、ノスリがボクを室のなかに放りこむ。

 「あー、やっと……、帰って、き、た……」

 深い息とともに、ペタンと床に座りこんだカリガネ。
 見れば、床台の上に人の子と、その周りで人の子を押さえつけようとする、数人の下女。

 「この子さ、ハヤブサが飛んでっちゃってからも、きざはしにいたんだけど、なんか様子が変でさ。触ったら熱があったから、ここに運んだんだけど、ちっとも休もうとしなくて、大暴れしてさ。あー、つかれた」

 「大暴れ?」

 熱があるのに?

 「きざはしに行こうとしたんだよ」

 カリガネが額の汗を拭く。
 人の子は、あのお湯屋のときと同じように、さんざん暴れていたらしい。今だって床台に寝かせようとする下女と、起き上がろうとする人の子が、取っ組み合ってる最中だった。

 「なんで?」

 「なんでって。そりゃあ、お前の帰りを待つためだろうさ」

 それ以外に何がある。
 ノスリが、フンッと鼻息を荒らした。

 「お前からしたら、嫌いな〝人〟の子どもかもしれねえけどさ。コイツからしたら、大好きで大好きで、離れたくない大事なお兄ちゃんなんだよ」

 「そんなこと言われても……」

 なんでそんなにボクに懐くんだ? 別にボクじゃなくてもいいだろうに。

 「さっき、調合してもらった薬湯を飲ませたから。後の看病は、キミにまかせるよ」

 ヨッとかけ声とともに、カリガネが立ち上がる。同時に、周りにいた下女たちが室から出ていった。ボクがいれば、人の子が暴れることはない。そう判断されたのだろう。人の子も、ボクの顔を見たからか、力を抜いて床台に座っている。

 「がんばれよ、お兄ちゃん」

 ノスリがポンポンっとボクの肩を叩く。
 カリガネもノスリも。二人とも、下女と同じように、ここから出ていくつもりらしい。

 「あ、そうだ」

 入り口きわでカリガネがふり返る。

 「僕らは羽根があるから問題ないけど。人の子は、何かくるまるものがないとカゼを引いちゃうって、イヒトヨさまからの伝言」

 「くるまるもの?」

 「そ。そのまま床台にゴロンじゃダメなんだって。人の子は、翼がないから、自分で暖を取れないんだ」

 じゃね。
 それだけ言いおいて、戸をピシャリと閉めたカリガネ。
 カリガネはやさしいから、めったに怒ったりしないけど。あれ、結構頭にきてるって感じだな。今度、ちゃんと謝っておこう。もちろん、ノスリにも。

 シンと静まり返った室。
 軽くため息を吐いて、人の子に向き直る。

 「え? おいっ!」

 床台の上、さっきまで座っていたはずの人の子が、クタッと倒れこんでいた。

 「大丈夫かっ! って、熱っ!」

 触れた体はかなり熱い。目を閉じ、息だって、ハアハアと浅く苦しそう。

 (こんなので、ボクを待とうとしたのか?)

 あのきざはしで。
 高い木の上にあるやしろ。そこに設けられたきざはしは、飛び立ちやすくするため、いつでも冷たい山の風が吹きつける。
 そんなところで、こんな熱のある体で、ボクを待とうと?

 (まったく、バカなヤツだよ)

 ボクなんかじゃなく、やさしいカリガネか、明るいノスリに懐けばいいのに。
 汗で額にはりついた髪を、そっと払ってやる。

 (わっ)

 薄く開いたまぶた。その弱々しい目がボクを見ると、安心したように、ゆっくりと閉じられた。

 (なんなんだよ、まったく)

 本当の妹のように、ボクを慕って。
 本当の妹のように、ボクを頼りにして。
 本当の妹のように、ボクがいると安心して。
 そんなふうにされたら、ボクまでやさしくしなくちゃいけなくなるじゃないか。

 (今日だけ。今日だけだからな)

 前置きしてから、床台に一緒に横たわる。
 
 ――人の子は、何かくるまるものがないとカゼを引いちゃう。人の子は、翼がないから、自分で暖を取れないんだ。

 そう言われたから。だから、熱を出してる今だけ特別に、ボクの翼を貸してやる。
 抱きしめるには温かすぎる人の子の体を、クルンと翼で包んでやる。

 (今日だけ。今日だけだからな)

 何度も何度もくり返す。
 黒くつややかな髪。白く透き通るような肌。細すぎる体。翼のない背中。
 砕けた心の詰まった喉。

 さっきまで苦しそうだった息が、少しずつ安らかな寝息へと変わっていった。薬湯が効いてきたのかもしれない。

 (元気になったら、一緒に飛んでやろうかな)

 少しだけ。ほんのちょっとだけ。
 なんとなくだけど、そう思った。
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