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六、風早。 (かざはや。風が強く吹くこと。風の激しい土地)
(六)
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――遠く、人のやって来れないような山の奥へ引っ越す。
最後に忍海彦に言ったものだけど、これはウソじゃない。
――引っ越しを考えてるんだ。
父さんが言ったんだ。
社やねぐらを変える程度の引っ越しじゃない。遠くとおく、山をいくつも越えた先の地に、新しい鳥人族の里を作る。
――この場所は人と近しすぎる。もう少し離れたところで暮らしたほうがいい。
むかしのボクなら、「何言ってるんですか!」とか「人と戦ってでもこの地を守らなくては!」とか怒ったと思う。なんで人のせいで、ボクたちが故郷を離れなきゃいけないんだって。
長である父さんの意見に反対する者は、鳥人族のなかにもいる。むかしのボクみたいに、離れることは人に負けたみたいで、気にいらないんだろう。
でも。
――こんな狭いところで、鳥人の地だなんだって争うぐらいなら、いっそ人のいないような広い土地に引っ越して、好きなだけ空を飛んだほうが楽しくないか?
――ここから東に行けば、きらめく大きな海がある。天から落ちてきたような滝もある。北には海のように広いのに、ちっともしょっぱくない湖がある。わしらの翼でも乗り越えられないような山が連なる。うねる大蛇のような川がいくつもあるかと思えば、木もめったに生えない湿原も、地平がかすむ草原もある。こんな狭い土地で、人だ鳥人だと争い合うより、そっちを飛ぶ方が何倍も楽しい。そう思わないか?
父さんのこの話を聞いて、真っ先に「行く!」と言い出したのはカリガネだった。ついでノスリ。二人とも、「見たことないもの、見てみたい!」とか「面白そう」ってことでかなり乗り気だった。
他の鳥人族も似たようなもので、ほとんどの者が「知らない空を飛ぶのは楽しそうだ」と引っ越しに賛成した。
――鳥人族は新しいもの好きが多いからなあ。知らない空と言われれば、大抵の者がそこを飛びたがる。
そう言って笑った父さん。
さすが族長。高いところ、誰もいない空を自由に飛ぶのが好きな鳥人の性分をよくわかった引っ越し案だった。
一部には、それでもかたくなにここを離れたくないと主張する者もいたけど、父さんはそういう者たちに無理強いはしなかった。ただ、いつでもついてきたかったら来いとだけ言い残していた。困ったことがあったら、必ず助けに戻るからと。
* * * *
「よっと。着いたぞ」
言って、抱えてたメドリを地面に下ろす。
ボクが降り立ったのは、あのススキの原。素珥山の山頂。
剣を取りに来た時は、まだまだ青々としていたススキも、今は長く穂を出して、葉とともに砂色に染まり始めている。
「あった」
そんなススキをかき分けて見つけたもの。ススキにおおわれてない小さな空間。地面には頭くらいの大きさの石が二つ、寄り添うように突き立っている。
「父さま、母さま……」
メドリの声が震えた。
ここは、メドリの両親の墓。七年前、父さんがここに、メドリの両親の墓を作った。父さんは、時折ここを訪れて、墓がススキにおおわれないように手入れをしてたんだと言っていた。
ボクと二人で旅に出たのも、新しい里の場所選びにボクを携わらせるためだって言ってたし。意外とシッカリしてたんだなって、父さんを見直した。フラフラしてるだけの頼りない父さんだと思ってたことを反省する。
両親の墓の前で、メドリが膝をつき、持ってきた薄紫の花を置いた。それにあわせて、ボクもそっと目を閉じて頭を下げる。
ここに眠るのは、メドリの両親。前の剣の持ち主。本来なら人の長、大君になるはずだった人物とその妻。
墓を守るように生い茂ったススキが、そよと風に揺れた。
「帰りましょう、兄さま」
立ち上がったメドリが言った。さっきまで泣きそうだったのに、今はどこかスッキリ、晴れやかな顔をしている。
「引っ越しの支度で忙しいのに。ここに連れてきてくださって、ありがとうございます、兄さま」
「え、あ、うん。それはいいんだけど……」
なぜか、そのにこやかな顔が直視できなくて、目をそらす。
「なあ、お前はそれでいいのか?」
「え?」
「いや、さ。ボクがお前の〝兄さま〟のままで」
鳥人族の引っ越し。ノスリやカリガネはもちろんだけど、メドリも一緒にいくと言い出した。父さんとは親子、ボクとは兄妹なのだから、ついて行きたいと。
「それと、名前も。さ、沙那姫に戻らなくても」
ここに来た理由は二つ。
引っ越したら、そう簡単に墓を参ることできなくなるから。
それと、ここを訪れたのを契機に、本来の名前に戻ってもいいんじゃないかって思ったから。「メドリ」はあくまで、ボクが勝手につけた名前。本来の、両親がつけてくれた名前があるなら、それに呼び方を変えたほうがいいんじゃないかって。呼び方を戻すなら、両親の前が一番いい。
「いいの。わたしは〝メドリ〟のままで」
「メドリ……」
「〝沙那〟はこれと一緒に、ずっと持っていればいいの。わたしだけの宝物として」
衣の下からメドリが取り出したのは、薄桃色の勾玉。それをギュッと胸元で抱きしめる。きっとこの先も勾玉と名前は、メドリの大切な宝であり続けるんだろう。大切な、大切な両親との思い出。
「そっか」
「うん。それとね。わたしには、もう一つ宝物があるの」
「宝? って、あっ! それっ!」
「兄さまがくれたものよ。なにかあったらこれを吹けって」
天鳥笛。
呼び寄せたい相手のことを思いながら吹けば、その相手にだけ音が届く、鳥人の神宝。
声の出せないメドリに、助けを呼ぶ時にでも使えって渡したけど、ずっと吹かないから、失くしたのかと思っていた。
「もうしゃべれるんだし返せ――うわっ!」
脳天に突き刺さるような、頭の上から叩きつけるような音。
耳をふさぎ、頭を抱える。
「メ~ド~リィ~!」
力いっぱい吹いて、クスクス笑うメドリ。
「待て、コノヤロ! 返せよ!」
ススキの原を走り出したメドリを追いかける。
西に傾き始めた太陽。その日差しを浴びてススキが金色に輝く。背の高いススキに紛れ込んでしまいそうなメドリの姿。
「見つけた!」
少しだけ開けた場所で、メドリが立ち止まると、こちらをふり返り手を伸ばす。金色のススキとともに、メドリの黒髪かザアッと風にゆれて広がった。
「雲雀は 天に翔ける 高行く速総 吾が手取らさね」
歌?
ヒバリは高く空を舞うもの。それより高い空を速く飛ぶハヤブサよ、わたしの手をお取りなさい。
歌垣か?
ギュッと天鳥笛を握りしめた姿に、そんなことを思う。男の鳥の贈り物を受け取った女の鳥は、その求愛に応えて、手を伸ばす。男の鳥がその手を取ったら、番の成立。
「バーカ」
笑って近づく。手をつかむんじゃなく、そのままメドリの体を抱き寄せる。
「そういうのは、まだ早いんだよ」
なにが「吾が手取らさね」だ。緊張して震えてるくせに。
「もうしばらくは、兄妹でいろ」
メドリが大きくなったら、もっと大人になったら、少しはそういうことを考えてやってもいい。けど今は。
「父さんが泣いて泣いて泣きすぎて、ここに大きな湖を作ってしまうからダメだ」
引っ越しどころの騒ぎじゃなくなる。
最後に忍海彦に言ったものだけど、これはウソじゃない。
――引っ越しを考えてるんだ。
父さんが言ったんだ。
社やねぐらを変える程度の引っ越しじゃない。遠くとおく、山をいくつも越えた先の地に、新しい鳥人族の里を作る。
――この場所は人と近しすぎる。もう少し離れたところで暮らしたほうがいい。
むかしのボクなら、「何言ってるんですか!」とか「人と戦ってでもこの地を守らなくては!」とか怒ったと思う。なんで人のせいで、ボクたちが故郷を離れなきゃいけないんだって。
長である父さんの意見に反対する者は、鳥人族のなかにもいる。むかしのボクみたいに、離れることは人に負けたみたいで、気にいらないんだろう。
でも。
――こんな狭いところで、鳥人の地だなんだって争うぐらいなら、いっそ人のいないような広い土地に引っ越して、好きなだけ空を飛んだほうが楽しくないか?
――ここから東に行けば、きらめく大きな海がある。天から落ちてきたような滝もある。北には海のように広いのに、ちっともしょっぱくない湖がある。わしらの翼でも乗り越えられないような山が連なる。うねる大蛇のような川がいくつもあるかと思えば、木もめったに生えない湿原も、地平がかすむ草原もある。こんな狭い土地で、人だ鳥人だと争い合うより、そっちを飛ぶ方が何倍も楽しい。そう思わないか?
父さんのこの話を聞いて、真っ先に「行く!」と言い出したのはカリガネだった。ついでノスリ。二人とも、「見たことないもの、見てみたい!」とか「面白そう」ってことでかなり乗り気だった。
他の鳥人族も似たようなもので、ほとんどの者が「知らない空を飛ぶのは楽しそうだ」と引っ越しに賛成した。
――鳥人族は新しいもの好きが多いからなあ。知らない空と言われれば、大抵の者がそこを飛びたがる。
そう言って笑った父さん。
さすが族長。高いところ、誰もいない空を自由に飛ぶのが好きな鳥人の性分をよくわかった引っ越し案だった。
一部には、それでもかたくなにここを離れたくないと主張する者もいたけど、父さんはそういう者たちに無理強いはしなかった。ただ、いつでもついてきたかったら来いとだけ言い残していた。困ったことがあったら、必ず助けに戻るからと。
* * * *
「よっと。着いたぞ」
言って、抱えてたメドリを地面に下ろす。
ボクが降り立ったのは、あのススキの原。素珥山の山頂。
剣を取りに来た時は、まだまだ青々としていたススキも、今は長く穂を出して、葉とともに砂色に染まり始めている。
「あった」
そんなススキをかき分けて見つけたもの。ススキにおおわれてない小さな空間。地面には頭くらいの大きさの石が二つ、寄り添うように突き立っている。
「父さま、母さま……」
メドリの声が震えた。
ここは、メドリの両親の墓。七年前、父さんがここに、メドリの両親の墓を作った。父さんは、時折ここを訪れて、墓がススキにおおわれないように手入れをしてたんだと言っていた。
ボクと二人で旅に出たのも、新しい里の場所選びにボクを携わらせるためだって言ってたし。意外とシッカリしてたんだなって、父さんを見直した。フラフラしてるだけの頼りない父さんだと思ってたことを反省する。
両親の墓の前で、メドリが膝をつき、持ってきた薄紫の花を置いた。それにあわせて、ボクもそっと目を閉じて頭を下げる。
ここに眠るのは、メドリの両親。前の剣の持ち主。本来なら人の長、大君になるはずだった人物とその妻。
墓を守るように生い茂ったススキが、そよと風に揺れた。
「帰りましょう、兄さま」
立ち上がったメドリが言った。さっきまで泣きそうだったのに、今はどこかスッキリ、晴れやかな顔をしている。
「引っ越しの支度で忙しいのに。ここに連れてきてくださって、ありがとうございます、兄さま」
「え、あ、うん。それはいいんだけど……」
なぜか、そのにこやかな顔が直視できなくて、目をそらす。
「なあ、お前はそれでいいのか?」
「え?」
「いや、さ。ボクがお前の〝兄さま〟のままで」
鳥人族の引っ越し。ノスリやカリガネはもちろんだけど、メドリも一緒にいくと言い出した。父さんとは親子、ボクとは兄妹なのだから、ついて行きたいと。
「それと、名前も。さ、沙那姫に戻らなくても」
ここに来た理由は二つ。
引っ越したら、そう簡単に墓を参ることできなくなるから。
それと、ここを訪れたのを契機に、本来の名前に戻ってもいいんじゃないかって思ったから。「メドリ」はあくまで、ボクが勝手につけた名前。本来の、両親がつけてくれた名前があるなら、それに呼び方を変えたほうがいいんじゃないかって。呼び方を戻すなら、両親の前が一番いい。
「いいの。わたしは〝メドリ〟のままで」
「メドリ……」
「〝沙那〟はこれと一緒に、ずっと持っていればいいの。わたしだけの宝物として」
衣の下からメドリが取り出したのは、薄桃色の勾玉。それをギュッと胸元で抱きしめる。きっとこの先も勾玉と名前は、メドリの大切な宝であり続けるんだろう。大切な、大切な両親との思い出。
「そっか」
「うん。それとね。わたしには、もう一つ宝物があるの」
「宝? って、あっ! それっ!」
「兄さまがくれたものよ。なにかあったらこれを吹けって」
天鳥笛。
呼び寄せたい相手のことを思いながら吹けば、その相手にだけ音が届く、鳥人の神宝。
声の出せないメドリに、助けを呼ぶ時にでも使えって渡したけど、ずっと吹かないから、失くしたのかと思っていた。
「もうしゃべれるんだし返せ――うわっ!」
脳天に突き刺さるような、頭の上から叩きつけるような音。
耳をふさぎ、頭を抱える。
「メ~ド~リィ~!」
力いっぱい吹いて、クスクス笑うメドリ。
「待て、コノヤロ! 返せよ!」
ススキの原を走り出したメドリを追いかける。
西に傾き始めた太陽。その日差しを浴びてススキが金色に輝く。背の高いススキに紛れ込んでしまいそうなメドリの姿。
「見つけた!」
少しだけ開けた場所で、メドリが立ち止まると、こちらをふり返り手を伸ばす。金色のススキとともに、メドリの黒髪かザアッと風にゆれて広がった。
「雲雀は 天に翔ける 高行く速総 吾が手取らさね」
歌?
ヒバリは高く空を舞うもの。それより高い空を速く飛ぶハヤブサよ、わたしの手をお取りなさい。
歌垣か?
ギュッと天鳥笛を握りしめた姿に、そんなことを思う。男の鳥の贈り物を受け取った女の鳥は、その求愛に応えて、手を伸ばす。男の鳥がその手を取ったら、番の成立。
「バーカ」
笑って近づく。手をつかむんじゃなく、そのままメドリの体を抱き寄せる。
「そういうのは、まだ早いんだよ」
なにが「吾が手取らさね」だ。緊張して震えてるくせに。
「もうしばらくは、兄妹でいろ」
メドリが大きくなったら、もっと大人になったら、少しはそういうことを考えてやってもいい。けど今は。
「父さんが泣いて泣いて泣きすぎて、ここに大きな湖を作ってしまうからダメだ」
引っ越しどころの騒ぎじゃなくなる。
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