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第42話
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「笠野が知ったら、目を剥きそうだな」
向かいの席についた三田村は、長嶺の本宅の台所を切り盛りする男の名を出しながら、追加で運ばれてきた肉野菜炒めの皿を受け取り、テーブルの中央に置いた。しっかり野菜も食べたと言い訳できると、三田村の提案で頼んだのだ。
店に入る前に笠野に連絡をして、今日の夕飯は外で食べてくると告げておいた。何を食べるのかと聞かれ、露骨に誤魔化してしまったが、どうせ他の組員から耳に入るだろう。よりにもよって三田村が、美味いラーメン店を教えてくれと電話をかけた相手は、笠野の下で働いている組員だったのだ。
若頭補佐は妙なところで要領が悪いなと、小皿に肉野菜炒めを取り分けながら、和彦はこっそりと笑みをこぼす。
さっそくラーメンにのったチャーシューを噛み締めていると、三田村が自分の分のチャーシューを、和彦のどんぶりに入れてくる。
「先生は、労働のあとだからな」
「……そうやって甘やかすと、ぼくは太っていくからな。それでなくてもジムをさぼり気味なんだ」
「もう少し太ってもいいな、先生は」
なんでもない会話だが、急に照れ臭さを覚えた和彦は、聞こえなかったふりをして麺を啜る。慎重に煮玉子を箸で割っていて、ふと思い出したことがあって顔を上げる。三田村は、箸を持ってはいるものの、まだラーメンにも口をつけず、じっとこちらを見ていた。
「ラーメンが冷めるぞ、三田村」
ああ、と声を洩らした三田村が、勢いよく麺を啜る。なんだか様子がおかしいなと思いつつ、和彦は切り出した。
「なあ、さっきの患者のこと、聞いていいか?」
「俺が知っている範囲でなら。……珍しいな。先生が患者のことを聞きたがるなんて」
「いや、いかにもな相手なら、ぼくも事情を察するけど、今日の患者はなんというか――」
「堅気に見えた」
「そう。でも、城東会組長……、えっと、宮森さん、だったよな? その宮森さんの身内なんだろ」
和彦は、三田村が補佐として仕えている男、宮森とは顔を合わせたことがあるし、短くではあるが言葉を交わしたこともある。三田村を複雑な立場に追いやった元凶である和彦と相対しても、腹に抱えた感情を読ませない淡々とした物腰の持ち主だった。
外見だけなら、およそヤクザらしくないように見えたが、長嶺組を支える若頭の一人だ。愚鈍な人間であるはずがなく、そんな人物が、自らの身内と和彦を接触させたということに、何かしら理由を求めたくなる。
和彦がチャーハンを二度口に運ぶ間、三田村は少し眉をひそめて考える素振りを見せていたが、ふっと息を吐き出した。
「優也さんは、若頭の甥なんだ」
「甥……」
「若頭のお姉さんが、優也さんの母親だ。ただ、何年も前に亡くなって、以来、若頭が面倒を見ている。とはいっても、援助が主で、積極的に関わるようなことはしてこなかった。気にはなっても、若頭の仕事が仕事だ。まっとうな家庭で育って、まっとうな道を歩んでいる優也さんの迷惑になってはいけないと考えていたみたいだ」
「でも今は違うんだな?」
頷いた三田村が説明を続ける。
大学を卒業後、優也は大手の税理士事務所に勤め始めた。必要な資格のいくつかを大学在学中に取得していたということで、優秀でまじめな学生だったのだろう。順調な日々を送っていた優也だが、勤務していた税理士事務所で理不尽なパワハラとイジメに遭ったという。
「ギリギリまで耐えていたらしいが、とうとう倒れて病院に運び込まれたところで、若頭の知ることとなった。結局、優也さんは税理士事務所を辞めたんだが、踏ん張りすぎた反動なんだろうな。……部屋に引きこもったまま、誰とも会おうとしなくなった。放っておくと生活もままならないから、優也さんの体面を気にかけていられないと、組員たちが交代であれこれ差し入れを持って行ってたんだ。部屋には絶対に入れてもらえなかったが」
優也のこけた頬や、痩せた体を思い返し、和彦は申し訳ない気持ちになる。もっと優しく接すればよかったと後悔したが、一方で、あの憎まれ口は引きこもった故のものなのか、あるいはそれ以前からのものなのか、気にもなってしまう。
「……だから、でかい男たちがクマみたいに、部屋の外でうろうろしていたのか」
「俺たちみたいな無骨なヤクザは、繊細な人間との接し方なんてわからないからな」
煮玉子を半分頬張った和彦だが、食べ終えてからニヤニヤと三田村に笑いかける。
「つまり、ぼくは繊細じゃないんだな」
三田村のうろたえる姿を期待したのだが、意外にタラシの素養がある男は、きわめてまじめな顔でこう応じた。
向かいの席についた三田村は、長嶺の本宅の台所を切り盛りする男の名を出しながら、追加で運ばれてきた肉野菜炒めの皿を受け取り、テーブルの中央に置いた。しっかり野菜も食べたと言い訳できると、三田村の提案で頼んだのだ。
店に入る前に笠野に連絡をして、今日の夕飯は外で食べてくると告げておいた。何を食べるのかと聞かれ、露骨に誤魔化してしまったが、どうせ他の組員から耳に入るだろう。よりにもよって三田村が、美味いラーメン店を教えてくれと電話をかけた相手は、笠野の下で働いている組員だったのだ。
若頭補佐は妙なところで要領が悪いなと、小皿に肉野菜炒めを取り分けながら、和彦はこっそりと笑みをこぼす。
さっそくラーメンにのったチャーシューを噛み締めていると、三田村が自分の分のチャーシューを、和彦のどんぶりに入れてくる。
「先生は、労働のあとだからな」
「……そうやって甘やかすと、ぼくは太っていくからな。それでなくてもジムをさぼり気味なんだ」
「もう少し太ってもいいな、先生は」
なんでもない会話だが、急に照れ臭さを覚えた和彦は、聞こえなかったふりをして麺を啜る。慎重に煮玉子を箸で割っていて、ふと思い出したことがあって顔を上げる。三田村は、箸を持ってはいるものの、まだラーメンにも口をつけず、じっとこちらを見ていた。
「ラーメンが冷めるぞ、三田村」
ああ、と声を洩らした三田村が、勢いよく麺を啜る。なんだか様子がおかしいなと思いつつ、和彦は切り出した。
「なあ、さっきの患者のこと、聞いていいか?」
「俺が知っている範囲でなら。……珍しいな。先生が患者のことを聞きたがるなんて」
「いや、いかにもな相手なら、ぼくも事情を察するけど、今日の患者はなんというか――」
「堅気に見えた」
「そう。でも、城東会組長……、えっと、宮森さん、だったよな? その宮森さんの身内なんだろ」
和彦は、三田村が補佐として仕えている男、宮森とは顔を合わせたことがあるし、短くではあるが言葉を交わしたこともある。三田村を複雑な立場に追いやった元凶である和彦と相対しても、腹に抱えた感情を読ませない淡々とした物腰の持ち主だった。
外見だけなら、およそヤクザらしくないように見えたが、長嶺組を支える若頭の一人だ。愚鈍な人間であるはずがなく、そんな人物が、自らの身内と和彦を接触させたということに、何かしら理由を求めたくなる。
和彦がチャーハンを二度口に運ぶ間、三田村は少し眉をひそめて考える素振りを見せていたが、ふっと息を吐き出した。
「優也さんは、若頭の甥なんだ」
「甥……」
「若頭のお姉さんが、優也さんの母親だ。ただ、何年も前に亡くなって、以来、若頭が面倒を見ている。とはいっても、援助が主で、積極的に関わるようなことはしてこなかった。気にはなっても、若頭の仕事が仕事だ。まっとうな家庭で育って、まっとうな道を歩んでいる優也さんの迷惑になってはいけないと考えていたみたいだ」
「でも今は違うんだな?」
頷いた三田村が説明を続ける。
大学を卒業後、優也は大手の税理士事務所に勤め始めた。必要な資格のいくつかを大学在学中に取得していたということで、優秀でまじめな学生だったのだろう。順調な日々を送っていた優也だが、勤務していた税理士事務所で理不尽なパワハラとイジメに遭ったという。
「ギリギリまで耐えていたらしいが、とうとう倒れて病院に運び込まれたところで、若頭の知ることとなった。結局、優也さんは税理士事務所を辞めたんだが、踏ん張りすぎた反動なんだろうな。……部屋に引きこもったまま、誰とも会おうとしなくなった。放っておくと生活もままならないから、優也さんの体面を気にかけていられないと、組員たちが交代であれこれ差し入れを持って行ってたんだ。部屋には絶対に入れてもらえなかったが」
優也のこけた頬や、痩せた体を思い返し、和彦は申し訳ない気持ちになる。もっと優しく接すればよかったと後悔したが、一方で、あの憎まれ口は引きこもった故のものなのか、あるいはそれ以前からのものなのか、気にもなってしまう。
「……だから、でかい男たちがクマみたいに、部屋の外でうろうろしていたのか」
「俺たちみたいな無骨なヤクザは、繊細な人間との接し方なんてわからないからな」
煮玉子を半分頬張った和彦だが、食べ終えてからニヤニヤと三田村に笑いかける。
「つまり、ぼくは繊細じゃないんだな」
三田村のうろたえる姿を期待したのだが、意外にタラシの素養がある男は、きわめてまじめな顔でこう応じた。
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