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04 想いは届かない(ラウル視点)
しおりを挟む───とある休日の午前10時。
デザイナーズマンションの一室。
白を基調にしたシックな北欧スタイルのインテリアで統一された2LDKのリビングのど真ん中で綾乃は一人、腰に手を当てて仁王立ちしていた。
「ふっふっふ……葵は今朝から仕事に出かけてて留守…」
「前に葵から預かったこの合鍵で、アポ無しでコッソリ侵入しちゃったもんねーっ!」
その手に持つのは…
バケツに入った、新品の雑巾や洗剤を始めとしたありとあらゆる掃除用具たち。
「料理がダメでも、洗濯や掃除ぐらいなら私にだってできるんだからっ!」
「家じゅうピッカピカに磨き倒して、帰ってきたらビックリさせてやる…!」
「まずは手始めに……今日はいい天気だから、きっと溜まってそうな洗濯からねっ!」
鼻歌を歌いながら洗濯室へと侵入し、洗濯機の蓋をガチャリと開けたものの…
「……あれ、何にもない」
「脱衣カゴの中にも靴下一つ残ってない…!」
「ま、まさかっ…!」
猛ダッシュで出てみたバルコニーには、すでに洗濯済みの衣類や下着類が干されて日差しを浴びながら輝いていた。
「そ、そんな…っ!しかも真っ白でシワ1つないっ…!!」
その光景に早くも愕然とする綾乃だったが、すぐにその表情は不適な笑みへと変わる。
「ふっ、男のわりにはなかなかやるみたいね…」
「しかーし!ちょっと洗濯ぐらい出来ちゃうからって、調子に乗ってもらっちゃあ困るのよねぇ…」
「……よし、そうと決まれば次はトイレ掃除よっ!!」
ウキウキしながらトイレへと侵入し、閉じられた便座の蓋を開けてみた。
その瞬間、便器から放たれる眩しい光に目が眩み、綾乃は光を遮るように目を腕で覆った。
「ま、眩しいっ…!」
「光沢のあまり、便器が照明の光を反射して…!」
「そ、それにトイレだというのになんなのっ?!この爽やかなフルーツ系の香りは…!!」
凄まじい眩しさと良い香りにまったく手出しも出来ずに退室し、そのままバスルームへと侵入した。
「ふっ、何を隠そう、バスルームって体を綺麗にする場所のくせにすぐ汚れちゃうのよねーっ」
「きっとピンク色のカビとか、皮脂汚れなんかがそこらじゅうにあるはず──」
浴槽、洗い場、排水溝、シャンプー類のラックはもちろん、隅から隅まで死ぬほどピッカピカだった。
「い、陰毛1本すら落ちてないっ…!!」
「シャンプー類のボトルの底までツルツルにしてやがるっ…!!」
とうとう狼狽え始めてしまった綾乃だったが…
「ふ、ふふっ……トイレとバスルームがたまたま綺麗だったからって何だって言うの…」
「どうせ昨日の夜寝る前にでも、暇すぎて掃除しただけなんでしょ?ねぇ、葵くん…?」
「まだキッチンとリビング、そして寝室があるんだからぁ♡」
奮起して立ち上がり、その足はキッチンへと向かった。
「あれだけ料理が好きでキッチンをよく使う葵だから…知らず知らずのうちに油汚れなんかが飛び散ってたりしてそうっ!」
「どれどれ…」
換気扇も、コンロも調理台もシンクも調味料が並んだ棚も、まるで使われた形跡がないほど何から何まで光を放っている。
「な、な、なんだとぉぉぉ?!」
「観葉植物まで瑞々しくてイキイキしてやがるっ…!!」
絶望のあまり、その場にへたり込んだ。
そして、美しすぎるキッチンの下の引き出しや棚を一目見ると、綾乃はハッと我に返った。
「ま、まぁ葵だって、所詮は男だからねぇ…」
「いくら料理が好きなあまりにキッチンがピカピカでも案外、調理器具や調味料とかを収納してる引き出しや棚の中って、グチャグチャだったりするのよねぇっ!」
名誉挽回を夢見て、引き出しにその手を引っ掛ける。
「よし、全部開けちゃおう!」
───引き出しの中も棚の中も、物という物すべてが種類別・用途別に小分けされてスマートに整頓されていた。
「………。」
もはや言葉も出ない綾乃は、目に光を失ったまま静かに棚の扉を閉めるのだった…。
「…はっ!こうしちゃいられないわっ!」
「広いリビングはラスボスとして……まずは寝室から攻めるのよっ!」
六畳ほどの寝室に侵入した綾乃は、見るからに寝心地が良さそうなセミダブルベッドへとその身を放り投げた。
バフンっ!
「うっわ、干したてシーツのフカフカベッドってサイコーッ!!♡」
ゴロンゴロン転がりながらシーツの感触を楽しんでいると、フワッと嗅ぎ慣れた匂いが綾乃の鼻をくすぐった。
「ああ、ほのかに香るこの匂い…っ、葵が愛用してるシャンプーの匂いっ…♡」
まるで彼が隣で寝ているような錯覚に囚われ、それは匂いとともに妄想へと変わっていく。
「くぅぅ〰︎ったまらんっ!早くこのベッドで葵とっ…♡」
そこまで妄想が進んだところで、ハッ!…と正気に戻った。
「私って…もしかして、バカ……?」
ふと見上げた先にある、枕元のヘッドボードに目が止まった。
アロマスティックが入ったディフューザーやスマホの充電スタンドなどが乗ったボードの下に引き出しがあり、そこからメモ用紙の端っこのようなものが少しはみ出ているのに気がついた。
「……ん?なにこれ?」
ピッと引っ張り出そうとして引き出しに引っかかったため、綾乃は引き出しを開けた。
「これって……よ、預金通帳っ…!」
印鑑と一緒に入っていた通帳をそっと取り出し、誰もいないはずの部屋をキョロキョロ見渡してから綾乃は通帳を見つめた。
「ひ、人様の預金通帳…つまり保有資産を覗いてしまうなんてイケナイことだってわかってるけど…っ」
「だめ…!て、手が勝手にぃぃ…っ!」
パラッと開いた瞬間、最新の記帳ページの残高に目がいく。
「葵、100万円も貯金あるのか……す、すごい…!」
しかしそれは、よく見ると…
0が1つ多かった。
「ま、待って…い、い、いっせんまんっ?!」
思わず目玉が飛び出る綾乃。
「い、いくら管理職だからってこんなにお金って貯まるの…?!」
「葵ってオシャレも好きだから服やアクセサリーはもちろん、美容代とかにもけっこうお金使ってそうなイメージだし…」
「ここの家賃とか、車の維持費だってかかるのになんでこんなに貯金ができるの…?」
そんなことは、当の本人に聞いてみない限りはわからないこと。
しばらく考えた綾乃は…
「会社以外の名義から振り込まれてるお金がたくさんあるし…」
「もしかして、会社の他に何かバイトしてるとか…?」
「でも、そんなことする理由って一体……」
そして刻々と時間だけが過ぎていく中、本来の目的を忘れていたことに気づいた。
「…はっ!こんなことしてる場合じゃないっ!」
「まだラスボスのリビングが残ってるのよっ!」
「さすがの葵も、比較的過ごす時間が長いリビングの清潔を保つのは難しいんじゃないかしらねぇ…」
通帳を畳んでそっと引き出しの中に戻して、綾乃は立ち上がった。
そしてついにラスボス・リビングと対峙した!
しかし、その勝敗は30分の戦いの末、ようやく決着が着くこととなったのだ。
「も、モデルハウスかここはっ…!」
リビングの真ん中で綾乃は膝から崩れ落ち、キルト生地のモダンなカーペットに手をついた。
「フローリングはもちろん、テレビの裏も、ソファーの裏も、本棚の裏もっ、窓のサッシもっ、カーテンも、電気のカサもっ、挙げ句にカーペットの毛並み1つ1つですらっ…」
「塵1つ落ちてない…!!」
唯一の望みをかけて、ソファーの前のローテーブルに置かれたTVのリモコンを手に取って至近距離で見つめる。
「り、リモコンのボタンの隙間まで磨き倒してやがるっ…!」
リモコンは綾乃の震える手から滑り落ち、儚く床へと散っていった…。
「完全にっ…私の負けだわ…!!」
「できない…私にはここまで部屋じゅうを綺麗に保つことなんて、できないっ…!!」
そのまま、ボフッと舞うホコリすら存在しないソファーへと倒れ込んだ。
「……つまんない」
完全に自立した生活をしている若い男性の部屋とはいえ、あまりにも女が入り込む隙がないほどにすべてが清潔で、整頓された部屋。
そんなオシャレでスッキリしすぎた部屋は、綾乃にどうしようもない寂しさを感じさせる。
「葵って…奥さんなんていなくても全然平気って感じ…」
「仕事もしながらここまで家事の何もかもを完璧にこなせるんだったら、結婚するメリットなんてないんじゃないの…?」
そんな疑惑は、ますます自分という存在意義を薄めていく。
その時、ふとローテーブルの天板の下の段に、カタログのような分厚い冊子が2冊置かれているのに気づいた綾乃。
何気なく手を伸ばして取ってみると、それは指輪のカタログだった。
「これ……婚約指輪のカタログなんじゃ…?」
今までのいわれのない寂しさは一体なんだったのか…
途端に、淡い期待が胸を暖めていく。
「もしかして、葵……私に婚約指輪を買うためにバイトしてお金貯めてるとか…?!」
「うそ……どぉしよ…っ」
興奮と歓びで染まる頬を両手で覆った時、玄関からカチャン、と鍵を開ける音が聞こえて綾乃はビクッとした。
「(や、ヤバッ…帰ってきちゃった!)」
咄嗟に持っていたカタログを元の場所へと戻した瞬間…
ガチャン
「………。」
明々と電気がついたリビングに入ってすぐ、ソファーに座り直す綾乃を真顔で見つめる葵。
「あっ…お、おかえりなさい!葵っ!♡」
「……何してんの?」
真顔できかれ、しどろもどろになる綾乃。
「えっと……洗濯?掃除?じゃなくって…」
「することないから、ゴロゴロしてたのーっ!(笑)」
そう言って笑うしかない綾乃を見て、スーパーの袋に入った物をテキパキと冷蔵庫に仕舞いながら葵も笑う。
「……何?要するに家事をしに来てくれたってことー?」
「うん、一応…ね」
「どこもかしこも綺麗すぎて何もすることなくって…洗濯物取り込んで畳んでタンスに仕舞ったぐらいしかしてないけど(笑)」
黙って聞いていた葵は、綾乃が気づかないうちにローテーブルの下の段にあるカタログをチラリと見た。
「あ……そうだったんだ、ありがとな」
「でも今日来てくれてちょうどよかったよ」
「……ちょっとこれから出掛けない?」
唐突な誘いに、綾乃は目を丸くした。
「えっ、今から?もう6時過ぎてるけど…」
「うん、夕食ついでにさ」
「……二人で貸し切り風呂なんてどうっ?」
「お、お風呂っ?!」
突拍子もないデートコースに戸惑う綾乃だったが…
「今からでも予約が取れそうなイイトコ、知ってるんだ」
「俺もなんだか、たまにはゆっくり風呂にでも浸かりたい気分だし……お前と一緒なら尚更疲れも取れそうだからさ♡」
そんなことを端正な顔でニコニコしながら言われてしまうと、もう迷う選択肢など一瞬で消え去ってしまった───。
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