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番外編・小話集
閑話 とある従兄弟の憂鬱 2
しおりを挟む相変わらず気に食わないあいつに、ただの上司だと言いつつ、妙に懐いている愛美。
(あの時、あんなに言い聞かせただろうが!)
半ば八つ当たり気味にそう思う透だった。
だけど愛美はその時一歳の赤ん坊。
当時三歳だった真綾ですらさっぱり覚えていないのに、赤ん坊の愛美が覚えているわけもない。
それは分かっている。分かっているが―――。
透の手の中で突然携帯が鳴った。
着信音がメールであることを伝えている。
差出人は―――またしても愛美だった。
『 今度のメールは無視か!?
……大体、透兄さんは自分勝手すぎると思う。いつものことだけど!
あんまり自分勝手やってると部下が付いて来てくれなくなるからね!
ところで聞きたいことがあるのだけど。
仁科係長と透兄さんって知り合いなの?
今日の様子だと、ただの顔見知りには思えなかったけど? 』
「………」
透は無言で『ただの顔見知りだ』とだけ打って送信ボタンを押した。
そして―――携帯の画面に出ている「送信しました」の文字を見下ろしながらつぶやいた。
「俺も聞きたい。お前、何をやらかしてあいつの目を引いたんだ?」
と。
今日、SAEKI情報システムに行った目的はもちろん仕事のためなのだが―――透にはもう一つ確かめたいことがあった。
従姉妹の愛美と佐伯彰人の関係がどうなっているのか。
それをこの目で確認したかった。
というのも前回佐伯の会社に行ったとき、二人の間に妙に親しさを感じたからだ。
もっとも、途中まではそうは感じていなかった。
愛美をからかう為に強引に昼食に誘い―――あいつと二人きりで食事をしたくなかったこともあるが―――三人で食事をしている間は彼らの仲は普通の上司と部下に見えたのだ。
その認識が一変したのは、会計のことで揉めた直後のこと。
二人の間に挟まれた愛美がため息をついたのを見て、あの佐伯彰人が頭を撫でたのだ―――愛美の。
そして頭を撫でられている愛美の態度も、ビックリするでも嫌がるそぶりをするでもなしに、平然と受け入れている様子だった。
愛美は嘘も自分の感情を隠すのも下手なので、滅多にない行為をされたらすぐ顔にでるハズだ。だけどそれがなかった。
つまり―――日常的にあの男に頭を撫でられているということだ。
これにはビックリした。
佐伯彰人が本当の身元を隠して別姓で仕事をしている関係上、部下や同僚には一定の距離を置いて接しているのだろうという事は想像に難くない。
けれど透の目の前で繰り広げられていることは、一定の距離どころか普通の上司と部下でも行われることがない行為だった。
例えば、透が部下の女性の頭を撫でることなんて永遠にあり得ないと断言できる。
もし万が一頭を撫でることがあるなら、それはその女性が自分にとって何らかの特別な意味を持っている場合のみだ。
それはあの男も同じに思えた。
非常に腹立つことに、あの男と自分の仕事のスタンスは同じようだ。
そのせいかどうか分からないが、前回も今回もやたらと仕事の―――つまり会議の進みが早かった。今日なんて進みすぎてあれもこれもと欲張った結果、会議の時間が延びたようなものだ。
つまり―――佐伯彰人本人は全く気に食わないが、仕事の面では非常に気が合うと言わざるを得ない。
それ故に分かる。
あの男が部下を気安く撫でたり構ったりしないであろうことが。
(全く、頭の痛い問題だ)
あの行為は―――あの男にとって愛美は何らかの特別な意味があるという証に他ならない。
それで別れ際に愛美への嫌がらせを兼ねて気があるそぶりをしてみたのだが、その時の佐伯彰人の反応は眉を一瞬顰めただけで、特に顕著なものではなかった―――少なくとも、愛美に気があると断言できる態度ではなかった。
だが、一連のことは透に疑惑を持たせるのに十分だった。
それで後日、愛美にそれとなく佐伯彰人との関係を尋ねたのだか、返ってきた答えは『別に普通の部下と上司だよ?』だ。
隠しているのではなく、本気でそう思っている顔と口調だった。
透は聞いたことを後悔した。
そういえば、これが愛美だった。男女間のことにまったく疎い恋愛天然気質。
この馬鹿娘なら、ベッドに押し倒されるまで男が自分に気があることに気付かないだろう。
普通、女なら自分と話している相手が自分に好意をもっているかどうか、それとなく察するものではないのだろうか。
だけどその女の機微の部分をごっそりどこかに置き去りにした女。
それが愛美だった。
ある意味自分たちのせいかなと、思う。
馬鹿娘を男の魔の手から守ろうと排除しまくったおかげで、更に男女間のことに疎くなってしまったのだから。負の連鎖。悪循環というやつだ。
それを愛美の両親である隆俊叔父さんや沙耶子叔母さんは危惧したのだろう。
愛美がSAEKI情報システムに就職する時に、
『君たちがずっと愛美を守ってくれている事には感謝している。だけど、今のままだとあの子は成長しない。多少は傷ついてもいろいろ学ぶべきだと思うんだ』
『だからね、あの子の動向を監視したりしないで、ある程度自由に動かせてあげて?』
とやんわり釘を刺されてしまったのだ。
一理あると思った透と涼は、だから大学時代のように監視の人材を配置するようなことはせず、ちょうど右腕ともいえる部下の小向の幼馴染兼恋人がSAEKIで働いていることを知って、その彼女にそれとなく愛美の動向や噂などを拾うように頼むだけに留めたのだった。
愛美とは同フロア―――所属部署は違うようだが―――に勤める彼女が集めてくる話はほとんど他愛のないもので、実際愛美の会社生活も異性面では全く静かなものだったようだ。
愛美自身、親しくなって許婚の話を自分に振られると困ると思ったのか、佐伯彰人とは距離をおいて接しているようだったし。
だから問題はないと思っていたのだ。あの時までは。
あの三人での昼食は、透に疑惑の種を植え付けた。
そのうち部下の彼女から、事業推進統括本部の仁科係長が愛美を気に入っているようだという情報がもたらされて、ますます疑惑が深くなった。
隣の部署にまでそんな噂が流れるほど、あの男が愛美に構っているということになるからだ。
だがその真相を“仁科係長”が自分に気があるかもしれないなんて夢にも思っていない愛美に聞いても時間と労力の無駄だ。
だから透は次にSAEKIに行った時に、再度揺さぶりをかけて確認するつもりだった。
ところが―――会社に行った今日のことだ―――肝心の愛美が居なかった。
事業推進統括本部の来客のお茶係はほぼ愛美が請け負っていると聞いたのに。会議室にお盆に乗せたお茶を運んできたのは、愛美より年上の整った顔立ちの女性社員だった。
彼女が会議室に入ってきた瞬間、思わず眉を顰めた自分を佐伯彰人がそっと窺っているのを感じて―――透は悟った。
こいつの差し金だと―――。
恐らく自分を愛美に逢わせまいとして、何らかの手を打ったのだろう。
その行為自体が、愛美に何かしらの気持があるのだと語っているに等しいのだが、透としては自分の目で確かめたかった。
だから会議を終えた後、玄関先まで透を見送るという彼と一階に降りてきたあの時、別れ際でわざと愛美の名前を出して揺さぶりをかけるつもりだった。
ところが―――そこに実にタイムリーに愛美が会社に入ってきた。
恐らく会社外に出ていたのだろう、ビジネスカバンを持って会社のビルに入ってきた愛美は、彼らに気付いて顔を引きつらせていた。
今すぐここから逃げたいとその表情は言っていた。
だが透は「よくぞ今ここで帰って来た!」と拍手喝采をしたい気分だった。
本人にとっては―――そして愛美をうまく遠ざけたと思っていた佐伯彰人にとっては実に間の悪い遭遇だったに違いないが。
そう思うと溜飲が下がる思いだった。
それに、これで揺さぶりをかけてやれる―――。
(本人がいるかいないかでは大違いだからな)
透はその顔に仕事用の笑顔を貼り付けた。
―――さあ、まずは俺に会わないですむと思って嬉々として外出したであろう愛美からだ。
************************************************
そして揺さぶりをかけた結果、彰人の背中にすがっている愛美を見て五歳の頃を思い出して黄昏る、と。
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