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番外編・小話集
閑話 とある従兄弟の憂鬱 3
しおりを挟む記憶に沈んでいた透の手の中の携帯が、再びメールの着信を伝えた。
案の定、今度も愛美だ。
『 ただの知り合いには見えなかったから聞いたんでしょうが!
もう、そのうち洋子伯母さんに聞くからいいですよーだ。
お休みなさい! 』
「………」
透は無言で携帯のメール画面を閉じると、ベッドの上の手に届く範囲内に放った。
ついでに首にかけたタオルも取って、ベッド脇の椅子に放り投げる。
目にかかる前髪を鬱陶しそうに掻きあげると、透は小さく吐息を漏らした。
ただの知り合い。
それなら良かったのに。
透にとっても、そして愛美にとってもだ。
今日、確認した事態は危惧した通りだった。
半ば嫌がらせに絡んだ自分から、あの佐伯彰人は愛美を庇ったのだ―――自分の背中に隠して。
嫌がってる愛美を庇うため―――と聞こえはいいが、あれはそういったものではなかったと思う。なぜなら愛美が透に言い返そうと彼に近づいた―――その瞬間に飛び出してきたのだから。
そして愛美を背中に隠して透に視線を向けた時に一瞬だけ見せた、あの氷のような視線。
すぐにいつものすましたような表情に戻ったが、こっちが揺さぶりをかけている間、目はずっと剣呑な光をたたえていた。―――いつものように慇懃無礼な話し方をしながらもだ。
透は懸念が現実になったことを悟った―――。
心情を推し量れるほど親しいわけでないが、あの男がただの部下だと思っている人間を背中に庇うとは思えない。
そう、ただの部下だと思っている人間にあんなことはしない。
そして―――何とも思ってない人物に気があるそぶりをしただけで、あんな剣呑な雰囲気を出すわけがない。
ここから分かる事実は一つだけだった。
―――佐伯彰人は愛美に気がある。間違いなく。
これにはさすがの透も頭を抱えたくなった。
あの男の背中にすがりつく愛美を見て五歳の頃の忌々しい記憶が蘇ったことはさて置いても、この事実は頭の痛い問題に更に拍車をかけることになるだろう。
もちろん、透の頭の打算的な部分では『愛美が佐伯彰人と結婚すればすべて丸く収まる』と思わないでもない。
舞があの男の元へ行く必要もなくなるから、涼も喜ぶだろう。
親はもちろん、祖父だって、佐伯の美代子お祖母さんだって願いが叶って万々歳だ。
―――愛美以外は。
そして、透と涼の感情以外は。
家柄は文句なし。
容姿も、頭の良さも申し分ない。
よくいる能無しのボンボンではなく、親の力に頼らなくても一からのし上がっていく力も才覚もある。
普通に考えたら、従姉妹の相手としてこれ以上はない相手だろう。
だけど―――。
透には分かっていた。
あれは一筋縄ではいかない男だ。
あの柔和な態度の奥に、とんでもない本性を隠していると見ていい。
そんな男の元に大切な従姉妹を行かせる気はなかった。
あの男にくれてやる為に今まで守ってきたわけでないだから。
なのに―――。
「くそ忌々しい」
思わず吐き捨てていた。
あの男が愛美に気があると分かった以上、透は迂闊に動けなくなった。
下手に自分が動いたら、反対に愛美をあの男の腕の中に押しやる結果になるだろう。
透は舌打ちしたくなった。
完全にタイミングを見誤った、と思う。
あの婚約をヤツがどう思っているのか分からないこともさておき、接触するのも面倒だったツケが回ってきた感じだ。
もっと前に会って、婚約について向こうの意思を確認していたら。
そして向こうも拒絶しているのを知っていれば、今の事態は避けられたかもしれない。
―――愛美の背後をあの男に暴露することによって。
もしあの男が絶対婚約を回避したいと思っていたなら―――今となってはその可能性が高いだろう―――そして愛美が自分の許婚候補だと最初から知っていれば、あの男は婚約させられることを恐れて、恐らく彼女には極力近づこうとはしなかっただろう。
愛美が入社以来あいつに対してそうしていたように。
そんな気がする。
少なくとも自分ならそうしていた。
もちろん、これは諸刃の考え方だ。
反対にあの男の関心を買っていた可能性もある。
当初はこっちもそれを恐れて、そして愛美の希望もあって三条家との縁をオープンにしなかったわけだが……。
―――だが大勢女性社員がいる中で、よりにもよって愛美に目をつけるとは誰が予想できる?
今となっては言わなくてよかったのか、それとも暴露しておいた方がよかったのか、どっちが最良だったのかは分からない。
結局はあの男に目を付けられるハメになったのだから。
(全く頭の痛い問題だ)
おかげで透は身動きできない。
力づくで佐伯彰人の懐から愛美を引き剥がすこともできない。
そんなことをしたら、いたずらにあの男を刺激するだけだ。
(全く、何をやらかしてあの男の気を引く羽目になったんだか)
ここに愛美がいたら、頭を引っつかんでゆすり立てていることだろう。
婚約回避のために避けているハズがどうしてああも懐くハメになっているのか。
何をやってあの男に目を付けられる状況になったのかと。
だが鈍感な愛美に聞くだけ時間の無駄といえよう。
まだあの男に直接聞いた方が早い―――もちろん、口が裂けても尋ねる気はないが。
動きのとれない状況でただ一つ言えるのは、今となっては愛美と三条家の関係をあの男に知られるわけにはいかなくなったということだけだ。
もし愛美が自分の許婚候補だと知ったら―――。
あの男はそれを盾に愛美を手に入れようとするだろう。
そんな確信にも近い予感があった。
なぜなら、欲しいものがあって、それを手に入れる手段を差し出されたなら―――自分なら躊躇することなくその手段を取るからだ。
くそ忌々しいことに、それはあの男も同じだろう。
相手の気持を慮って、なんていう殊勝で生っちょろい考えはお互い持ち合わせてはいない。
好きな女を手に入れる為なら手段は選ばない。
そういう人種だ。あいつも―――自分も。
―――だからこそ。
それを避けるために、愛美と三条家の関係は知られるわけにはいかないのだ。
透は大きなため息を再びつくと、放り投げた携帯を拾い上げた。
全く、飲まないとやってられない。
「……涼? ああ、俺だ。遅くにすまないが、今から出てこれるか? ……ああ、いつもの場所で待ってる」
「それで佐伯彰人氏はクロですか」
六歳年下の従兄弟、瀬尾涼といつものバーで落ち合った透は、今日あった事を酒を口にしながら報告した。
二年前ようやくおおっぴらに酒を飲めるようになった涼は、透以上のザルのようで、すでに水割りを三杯も開けているのにケロッとした様子だ。
飲むことを考えてお互いタクシーで来た為に、遠慮なく飲んでいるらしい。
「クロもクロ。真っ黒だ」
透の方は明日のことを考えて焼酎の水割りを飲みながら、面白くなさそうな口調で言った。
「まさか、アイツが愛美に目を付けるとはね。付き合っていた女の傾向からすれば、美人のキャリアウーマンが好みなのかと思っていた」
「愛美は逆立ちしてもキャリアウーマン風にはなれませんからね」
「ああ、だから安心して油断していたらこのザマだ」
グラスを置いて、ため息を付く。
「まったく、言い寄る女も沢山いるだろうに、なんでよりにもよって愛美なんだ。あの鈍感娘のどこがいいやら」
思わず口からついて出る透の愚痴に、涼が小さく笑う。
「それは透兄さん、“彼”も僕らと一緒なんですよ、多分ね」
従兄弟のその口調に、透は思わず涼の顔を見た。
目が合った涼は苦笑していた。どこか遠い目をしている風でもある。
「汚い水ばかり見ていると、清らかな水が恋しくなるんです」
「そういうことか……」
汚い水。清らかな水。
うまい例えだと思う。
涼も自分も社交界という世界で、さんざん欲にまみれた人間を見てきた。
男も、そして女もだ。
彼女たちは表面は楚々として立ち居振る舞いも立派だったが、裏に回れば足の引っ張り合いや平気で他人を貶める言動をしていた。
よくも悪くも回りにいる同じ階級の人間はライバルでもあるのだ。
女性だと、よりステータスや家柄の良い相手を探すことの。
不幸なことに、透も涼も彼女たちからいい物件として鮫のように狙われていた。
媚を売ってくる者。あからさまに言い寄ってくる者。
そんな彼女たちに追い掛け回されて辟易した。
なまじ従姉妹と妹という裏表のない女性達を知っているだけに、よけいに彼女達の欲まみれな思惑やお世辞が癇に障った。
もちろん、そんな女性ばかりではないのはわかっている。
だけど、彼らに近づく女性はそういった類の連中ばかりだった。
おそらくまともな常識のある女性は、やっかいな連中相手を競走相手にするのが嫌で遠巻きにしているか、最初から排除されているかなのだろう。
いらぬ争いを避けるため、そういった集まりには透も涼も舞か真綾を連れて防波堤にするのだが、一歩自分から離れると、従姉妹たちに悪感情を露にする女も多く、それがまた余計に腹立たしかった。
汚い水。
自分達に群がる、欲にまみれた醜い連中。
清らかな水。
三条とか瀬尾とかいう家柄ではなく、自分たち本人を見てくれる大切な従姉妹たち。
だからこそ執着する。
穢れて欲しくなくて、清らかなままでいて欲しくて。
だからこそ、自分達に縛り付けようとする。
自分たちのそんなエゴの為に。
祖父さんの言うような嫁云々は関係ない。
そんなことを抜かしても、自分たちは彼女たちに執着しただろう。
自分たちの手中にある綺麗なものを守りたくて。
「すまない、涼」
不意に透は涼に言った。
「お前と舞のこと、まだ公にはできそうにない」
本来であれば、涼が舞を選んだ時点で親や祖父に告白して婚約、という運びになっただろう。
だけど、それは例の婚約話が浮かぶまでだ。
佐伯家に婚約者は舞だと候補を挙げてある以上、涼とのことが表ざたになったら、累は今度は真綾、愛美、そして真央に確実に及ぶだろう。
それを恐れているから、涼も自分も公表できないでいる。
ことに佐伯彰人の手の内に愛美がいる今現状では。
もちろん、最終的に婚約話を白紙に出来なかったら、舞とあの男との婚約を破棄するために公表する必要があるだろうが。
涼が微笑んだ。
「いいんですよ、最初から分かっていましたから。まだ舞が佐伯の許婚である必要があるって。……分かっていながら、選んだんです。だから待ちますよ。ギリギリまで」
「すまん」
透は再び言った。
そんな透に涼は苦笑しながら首を振る。
「いえ、謝るのは僕の方かも。一瞬、愛美が例の佐伯氏とくっついてくれたら、問題はなくなるのだと思ってしまったから」
「いや、それは俺も考えたから、同罪だ」
今度は透が苦笑した。
やがて二人は無言で酒を飲み始めた。
お互い思いに沈んでいるのだろう。
しばらくの後、透が顔を上げていきなり言った。
静かに、決意を込めて―――。
「涼。この婚約話、なんとしても白紙に戻すぞ」
涼も顔を上げて微笑む。
「はい」
「あいつに大切な従姉妹はやれない。愛美自身、ヤツの事を好きだというならともかく、許婚を盾に一方的に引っ攫われるのは我慢ならない」
「同感です。愛美のことを手に入れたいなら、堂々と心をつかんでからにしてもらいましょう。もっとも―――」
言葉を切って涼は微笑む。
従姉妹がこの場にいたら「黒い!恐い!」と感想を持つであろう類の笑みを浮かべて―――。
「そう簡単に愛美の心をつかめると思ったら大間違いですけどね。あの天然と鈍感さは特筆ものですよ」
くすくすと笑って言う。
「だから彼にはせいぜい振り回されてもらいましょうか」
「そうだな」
二人はどちらともなく微笑んで、グラスを合わせた。
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