4番目の許婚候補

富樫 聖夜

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番外編・小話集

閑話 秘する花を知ること 3

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 雅史と彰人が出会ったとき、すでに彰人は仁科姓を名乗っていた。
 だから雅史にしてみたら、佐伯彰人より仁科彰人の方が馴染みがあると言える。
 だけど、本当は佐伯彰人だと知った時にはなぜか納得して、しっくりくるものを感じた。やっぱりと思った。
 そして、これから先のこいつのことを考えるとワクワクしたものだ。

 ――今もその思いは変わっていない。


 雅史が彰人出会ったのは、大学の合コンの席だった。
 といっても彼らは同じ大学ではない。
 違う大学に所属していたのだが、彼らの大学は極めて位置が近く、交流も盛んでたびたびサークル同士が結びついてこのような合コンの席が設けられていた。

 そこそこ見目が良かったため、雅史は友人に頼まれて客寄せパンダの役を仰せつかってその場に参加していた。
 彰人も似たような理由だったようだ。しかも拝み倒されてしぶしぶ参加したらしく、両端を女で埋められないように壁側の席に陣取り、話しかけられてもあまりやる気のない返答をかえしている。
 その頃の彰人はまだ眼鏡を掛けていなかった。
 だから、誰の目にも端整な顔立ちをそのまま晒し、女性は電灯の明かりに集る蛾のごとく彰人の周囲に引き寄せられる。
 普通はここで男子の反感を買ってもいいハズだった。
 だが、彼はそのカリスマ性で男性にも慕われていた。

 雅史は自分よりイケメン度が高い相手がいてホッとしていた。彼だとて、好きで客寄せとして参加していたわけではないのだ。
 それに雅史はあまり美醜に重きをおくタイプではないので、嫉妬も感じない。
 彼の判断基準は『面白い相手かどうか』で『自分を飽きさせない人物かどうか』なのだ。

 その基準から言えば、件の人物は非常に興味深かった。
 容姿ではない。持っている雰囲気、受け答え方が、どういうわけか雅史の琴線に触れた。
 面白くなさそうにしているのに、誰かに質問されれば如才なく返答する。
 だが、自分の答えたくない部分は巧みに話をズラしてすりかえる。戸惑うことすらなくすらすらと男の口から出る言葉は魔法のようだった。
 よくよく考えてみれば核心の部分には一切答えてないのに、周囲にはちゃんと答えたと認識させている様は感心するほどだ。
 雅史は断然興味が湧いた。
 あの男には何かある。これは確信に近い予感だった。
 だから不自然にならないように近くの席に移動し、何気なく話しかけたのだ。

 ――それが始まりだった。
 
 同じ歳で同じように経営学部を専攻していることもあり、話が合った。
 いつしか合コンそっちのけで話し込み、別れ際には連絡先を交換し合い、気付いたらツルんで行動するようになっていた。

 転機が訪れたのは、知り合ってから数ヶ月後。
 二人で出かけた先でたまたま何かの折に身分証を求められたときだ。
 その時学生証を持っておらず、運転免許証を代わりに差し出した彰人。それをふっと覗いた雅史はその免許証の一番上の氏名欄に書かれている文字を見て目を見開いた。
 その一瞬の間に目に焼きついた文字。

 佐伯彰人。

 雅史が認識している名字とは違っていた。

 だが、その時はまさか彰人が姓名を偽っているなどとは思ってなかった。
 親の離婚や何かで本籍の名前と名乗っている姓名が違うこともあると知っていたからだ。
 だから、尋ねたときもそういう理由なのだと漠然と思いながらだった。
「お前、免許証の名字違うのな」

 それに対しての彰人の反応は今思い出しても、心臓に毛が生えているとしか思えないものだった。
 本当にやましさなど一片もないといった実に爽やかな表情で、
「ああ、仁科は母親の旧姓なんだ」
 と言ったのだ。
 それを聞いたら、当然親が離婚したから母親の姓を名乗っていると思うじゃないか。普通は。
 だが彰人はそれに続いてとんでもないことを言い出した。
「母親は俺が幼い頃に亡くなっている。だが離婚したわけじゃない。単に佐伯の名前は使いたくなかったから、母親の旧姓を名乗ってるんだ」
 雅史はそれを聞いて一瞬、父親との折り合いが悪いとか家庭の事情とかいうものを思い浮かべた。
 だが、ふっと含むように笑って付け加えた彰人を見てその考えを一蹴した。
「ちなみに、父親との折り合いは悪くない。普通の親子関係だ」

 こうまで言われたら、何か別の重要な理由があって本来の名前ではない姓名を名乗っているのだということは馬鹿でも分かる。
 
 ……試されているのを感じた。

 彰人は隠そうと思えばいくらでも隠せたはずだ。
 それこそ父親と折り合いが悪くて、亡き母親の姓を名乗っているのだと言えば済むことなのだから。
 だけど、彼はそうしなかった。
 明らかにわざと雅史の興味を引くようなヒントを与えている。
 これが挑戦でないなら、何だと言うのだろうか。

 彼はその挑戦を受けた。
 そしてさっそく壁にぶち当たった。

 “仁科彰人”の詳しい情報がなかなか得られない上に、“佐伯彰人”の情報もシャットアウトされていたのだ。
 それは見事なほどに。
 大学経由で調べようと思っても、何をどう細工したのかは不明だが、学生証ですら仁科姓なのだ、彼は。
 徹底した情報操作の痕跡がそこに現れていた。

 情報収集を特技としていた雅史はこの時ほど敗北感を感じたことはない。
 雅史の叔父が興信所を開いている関係で、幼い頃からそれを手伝ってきた雅史は、自分を情報収集のエキスパートだと自負していた。
 そこでの経験と持って生まれた勘で、調べられないものはないと自惚れていたのだ。
 そんな自信が叩きつぶされた。
 
 今現在の雅史なら多少は苦労するが情報を難なくゲットできただろう。
 だが当時は頭でっかちな図体だけは大きな子供だった。視点を変えて攻めるということが出来なかったのだ。今までのやり方に固執して。

 結局叔父の手を借りた。正確にいうと、アドバイスを貰った、だ。
 叔父のアドバイス通りに情報を手繰っていき、仁科彰人と佐伯彰人のほんの小さな接点を見つけた。そこから芋づる式に細い情報を吸い上げて、手繰り寄せて。
 佐伯彰人の高校時代の小さな写真をようやく入手して、それを証拠の一つとして書類と共に彰人に提出した。

 ――彰人の本名を知ってから一週間以上が経っていた。
 
 彰人はその書類に一通り目を通すと、にっこり笑って言った。
「お見事」
 それは掛け値なしの賞賛だったと今でも思う。自分の情報を引き出すのがどんなに大変か分かっていただろうから。
 だけどそれでもあえて、雅史に自分を探らせたのだ。彼を試すために。
 なぜそんなことをしたのか、雅史には分かる。
 出会ってまだ間もない頃、自分の叔父が興信所を持っていることと、それを手伝って情報収集みたいなことをしていると、言ったことがあるからだ。
 言ったのはその一回だけだと思うが、彰人はしっかり覚えていたのだろう。
 だから試したのだ。自分の信頼に足る人間か、親友を名乗るほど有能かどうかを。
 どんな上から目線だと思わないではないが、調べた彼の身分と、彰人がこれから自分に課そうとしていることを考えたらそれも頷ける。

 雅史は彰人が佐伯の御曹司であると知ってももう驚きはしなかった。反対に納得できたものだ。
 そして、同時にこの情報を自分に調べさせるという行為が、彰人の雅史に対する信頼と期待を表していることにも気付いた。
 巨大企業佐伯グループの御曹司。
 それが姓名を変えて一般に交じって生活しているのだ。
 彼の身の安全にも直結しているある意味重要な情報を、あえて告げて調べさせる。そこには彰人の雅史への信頼が見え隠れしていた。
 伝えても大丈夫だと、信頼できると思っているからこその試験。
 それが分かったからこそ、雅史は試されても怒りは感じなかった。
 むしろ誇りに思ったくらいだった。試されたことにも、その勝負に勝ったことにも。

 そして挑戦に勝った雅史に、彰人は自分の思いを過去と共に語った――――。

 彰人は佐伯家の一人息子で御曹司ではあるが、佐伯家に生まれたというだけで佐伯グループを継ぐのを善しとしなかった。
 佐伯グループは佐伯家だけのものではない。
 それを率いる人間は血縁だけで選ばれるべきじゃないと考えていたのだ。率いる実力も才覚もある人物が継ぐべきだと。
 だけど、彼の佐伯家としての矜持が易々と他人にグループを渡すことを許さなかった。
 だから、彼は自分を試すことにしたのだ。
 佐伯の名前は一切使わずに、自分の実力でのし上がっていく。
 そうして佐伯グループを率いるに相応しいと周りにも、そして自分にも認めさせることが出来たら、佐伯を継ごうと。
 だがもちろん、自分以上に才覚も能力もある人間がいるなら、グループの代表権を預けることも厭わないと言い切った。
 彰人ならその言葉通り、自分より上だと認められる人間がいたら潔く譲るだろう。

「まずは課長を狙う。あわよくばそれ以上も。期限は部長クラスに登りつめるか、三十歳になるまでだ」
 それまで課長クラスにもなれないようなら、才覚なしと見ていい――――。

 そう宣言した彰人は当時十九歳。まだ成人もしていない歳だった。
 なのに、先の目標を立てて前に進もうとしていた。

 感心すると共に、雅史は心の中にこの男の行き着く先を見てみたいという強い思いが湧くのを感じた。
 きっとどこまでも高みにいける。連れて行ってくれる。
 それに何より、この男は自分を退屈させない。常に楽しませてくれるだろう。

 ――――こいつの右腕として生きる人生も楽しそうだ。

 雅史は十九歳のこの時に自分の人生を決めた。

 
 そして出会いから七年経った今も、あの時に決めたことを後悔したことはない。

 実際、彰人といると面白いこと満載で退屈している暇がないくらいだ。
 まさに期待通りと言える。

 そして今、彼は今までにないくらい面白いカードを手に入れていた。
 まさにジョーカーのような存在カードだ。

 雅史は自分の仕事用のデスクの上に置いてある書類を思い出してクックッと笑った。
 
 まったく。つくづく俺を楽しませてくれるよな、上条は。

 ―――なぁ、佐伯彰人の三番目・・・の許婚候補さん?
************************************************
何だか友情話になった……。
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