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番外編・小話集
閑話 秘する花を知ること 4
しおりを挟む正直、半信半疑のまま調べたので、この事実を知った時は彰人の時以上に仰天した。
彰人の時は絶対何かあると考えて調べていたので、知ってもやっぱりという思いしかなかったのだ。
だが、上条愛美の場合は「まさかな」というほんの少しの疑惑でしかなかった。80%くらいはあり得ないだろうと思いつつ、一応で調べただけだったのだ。
だけど、その結果はまさかのビンゴだ。
「嘘だろ!?」
と雅史が思わず書類を前に絶叫したくらいに青天の霹靂だった。
上条愛美。
父親、上条隆俊。藤原産業のやり手の営業部長。
母親、上条沙耶子。専業主婦。――旧姓、三条沙耶子。
この母親が問題だった。なぜなら彼女は昔社交界で『隠れ姫』と言われた三条グループ会長三条宗利の次女なのだから。
つまり――上条愛美は三条会長の孫娘の一人なのだ。
三条会長の血を引く孫娘は全員彰人の許婚候補だと聞いている。
ということは、上条愛美も彰人の許婚候補の一人だということで――――
それに思い至った瞬間、雅史は大爆笑した。
腹がよじれるほど笑った。生理的な涙が出るくらい笑い転げた。
――――まったく、なんていう隠し玉を持っていやがる。
これが笑わずにいられるものか。
三条家との縁談が嫌で浮名を流し続けた挙句、ようやく惚れた相手が三条家の一員。自分の許婚候補の一人だ?
完全に笑い話だろう、そりゃ。
ヒーヒー笑いながら、雅史は当の本人である部下の上条愛美を思い浮かべた。
――あいつはきっと前から知っていたんだろうな。彰人の本当の名前も素性も。
あの彰人に対する警戒ぶりもそれで頷ける。
言われてみれば、入社直後はなるべく彰人に関わらないようにしていたようにも見えた。
縁談話を嫌がっているなら、その態度も納得だ。
なぜ三条家の一員なのに、三条系列ではなく佐伯に就職したのかは分からないが、避けたかった相手が同じ部署になってさぞ慌てたことだろう。
よくもまぁ、あのすぐ感情が顔に出るヤツが今までバレずにこれたものだ。
だが、今更だがおかしなところは多々あった、と思う。
あの三条透の上条に対する態度も然り。
彰人と同じくらいに慎重そうな彼が女性にあんな風にチョッカイ出すのは今から考えてみれば不自然だ。
あの時はやや緊張関係にある彰人がらみで上条に言い寄ったのかとばかり思っていたが……。
なんてことはない。自分の従姉妹にチョッカイ出しただけなのだ。
……恐らく彰人がどう出るか確認するために。
上条の態度も今から考えると妙だった。
普通の女性ならあの三条透に言い寄られたら、多少はいい気分になるものではないだろうか。
だが、彼女は最初から心底嫌がっていた。
……それもそのハズだ。生まれたときからあの顔に免疫があるのだから。
そしてこの間の早坂商事の元令嬢の一件だ。
あれで雅史はちょっとした疑惑を持つようになったのだ。――今にして、ようやくといった感じではあるが。
彰人はちょうど三条透と話をしていたので気付かなかったようだが、彼らから距離を置いて全員の動きを観察していた雅史は気付いた。
三条家の縁続きである瀬尾家の長男と上条が視線を交差させているのを。
それを見た雅史はふっと腑に落ちないものを感じた。
――――この場に三条家の血筋の者が三人も現れるのは不自然じゃないかと。
今まで彰人の絶対零度の怒りや令嬢とやり取りに気を取られてそこまで頭が回らなかったが、よくよく考えるとこの状況に違和感を感じずにはいられなかった。
三条透はともかく、初対面であるはずの他社の女性社員の為に瀬尾家が動く必要はあるだろうか。
そしてその彼らの様子はとても初対面とは思えなかった。
上条と彼らの間に何らかの関係があるから、彼らはここまでやってきた……?
帰り際、瀬尾家の長女が親しげに上条に手を振っている場面を見て、雅史は上条愛美について調べることを決心した――――。
それで出てきたのがあの事実だ。
正直、三条家の誰かと交友関係があったという程度だと思っていたのだ。
だが、出てきたのは調べた雅史もびっくりな事実だった。
疑問に思って調べなければ、三条家の誰かがそのことを口にするまで、恐らく彰人も自分も知らないままだっただろう。
今は調べて良かったと思う。……むしろ遅すぎた。
前に彰人にはああ言ったが、別に雅史は彰人に近づく女を片っ端から調べているわけではない。
雅史から見て、相手に何か不自然なことを感じた時だけだ。
彰人は自分で判断するから調べる必要はないと言うが、調べなければ分からないものをどう判断できるというのだろう。
少なくとも雅史はそういった考えだ。
何も知らないで巻き込まれてからでは遅いのだ。
そう雅史が考えるようになったのは大学時代に起こったことに起因している。
大学三年生の時に、何かの合コンで知り合った女性がいたのだ。
その女性は当然彰人に熱をあげて、たびたび彼の前に姿を現すようになった。
美人で自信家で、いわゆる彰人に群がる女性の典型的なタイプだ。
今ほど女をとっかえひっかえではなかった彰人はその彼女と別に付き合っていたわけではない。近づくのを黙認していただけだ。
いつものことと、付きまとう女性を歓迎するでもなく邪険にするでもなく、普通の知り合いとして扱っていた。
後から考えると、付き合っていなかったのは不幸の幸いだ。でなければあの事件に完全に巻き込まれていただろう。
――今思い出しても、彼女の態度や仕草や言葉に違和感はなかったと思う。
だから雅史も、あの彰人ですら気付かなかったのだ。
……彼女がある種の薬の依存症だったことに。
だが、ある日、一人で大学内を移動していた雅史は彼女が人目をはばかるように、普段あまり使われていない校舎の端の階段に向かって歩いていくのを見かけた。キョロキョロと辺りを見回している態度は不自然だった。
疑問に思った雅史はそっと後を追った。
そして階段の踊り場で一人の男から何かを受け取っている彼女の姿を目撃したのだ。
相手の男は同じ歳か雅史より少し年上にも見える、どこにでもいるような普通の学生だった。だが、雅史の何かがそのやり取りに警鐘を鳴らした。
怪しんだ雅史は彼女を調べた。
そしたら驚きの事実が分かったのだ。
――彼女は麻薬の常習犯だった。麻薬所持で一度警察にも捕まっていた過去もあった。
つまり、大学の階段の踊り場で受け渡しをしていたのは、麻薬だという可能性が高い。
雅史は肝を冷やした。
彼女が捕まり、大学内で麻薬取引をしていた事実が明るみに出れば、下手をすれば彰人や自分にも累が及ぶかもしれないのだ。警察は売人を特定するために彼女の交友関係を徹底的に調べるだろうから。
何も後ろ暗いところはないが、その過程で彰人の素性がバレるようなことになれば厄介だ。
彰人とも相談の上、彼らは麻薬の売人である男を調べることにした。
知った以上、看過することはできない。だが下手に彼女が捕まりでもしたら、痛くない腹を探られることになる。
だから彼らは考えたのだ。同じ麻薬所持と使用の罪で捕まるなら、彼女が捕まって売人にたどり着くのではなく、売人から彼女にたどりつけるようにすればいいのだと。
男は何回も大学に入り込んでいるようなので一度見つけて後をつければその後は容易かった。
売人の素性も背後も調べ、叔父の手を借りてその情報を警察に流してもらうことにした。
ほどなくして男は捕まり、彼の供述から顧客であった彼女と、別の学生数人が警察に捕まったと聞いたのは、少し経った後のことだ。
幸い痛くない腹を探られることもなく、彰人と雅史の身辺に変化はなかった。
売人の男が本当の学生でなかったのも幸いしたようだ。
もっとも大学側は自分のところの学生が数人逮捕された上に、学校内で取引が行われたことに衝撃を受けていたようだが。
だが、この事件は雅史に調べることの重要性を再確認させた。
麻薬のことは調べなければ分からなかった。
分からなければ対処のしようがない。避けようがない。
そして――知らなかったら取り返しのつかないこともあるのだと。
それ以来、雅史は何か不自然な点を感じるとプライバシーの侵害だろうが何だろうが、詳しく調べることにしている。
何かあってからでは遅いのだ。彰人が巻き込まれたら必然的に自分も巻き込まれる。
自己防衛のためでもあるし、趣味の一つと言っても過言ではない。
彰人は、
「あれは特殊な例だ。そうそうそんなことはないさ」
と苦笑して、調べる必要はないと言う。
だけど、雅史がそうまでして調べるのは自分のためということも知っているので、強く制止することはない。結局は黙認だ。
それでもせめてもと思うのか、その雅史が調べた特定の個人情報を彰人が見ることは滅多にない。よほど何かあった時だけだ。
だが、必ず調べたという事実は報告させていた。
雅史が自己満足で調べたことでも、だ。
「俺が勝手にやったことなんだけどな」
「それでもだ」
そんなやり取りを何回も繰り返している。
彰人は、つまり連帯責任だと言いたいのだ。
雅史は自分がプライバシーの侵害をしてる上に、個人情報保護法に違反しているのは百も承知だった。
そして何かあったときは責任をきちんと取るつもりでもいた。
もちろんその場合、自分が勝手にやったことなので、彰人を巻き込むつもりはなかった。
だが、彰人はそれを善しとしない。
何かあった場合は共に責任を取るつもりで、報告させるのだ。
――敵わないな。
そう雅史が思うのはこういう時だった。
上に立つ人間としての責任を誰よりもよく知っているのだ、彼は。
そしてそんな彰人だからこそ、雅史は自分の得意分野に関しては出来る範囲のことはしようと心に決めていた。
――――だが。
雅史は知った全ての情報を彰人に流すわけではない。
必要だと思うことだけだ。
雅史が調べ、その事実を報告ついでに、必要なことは彰人にも教える。
彼らはずっとそのパターンでやってきた。
……さてさて、このカードはどうするべきかな?
雅史はビールの缶に口をつけて、残りを全て飲み干すとニヤリと笑った。
そう思いつつ、もうとっくにどうするかは決めていた。
本来であれば、真っ先に報告しなければならない情報だった。
これがあれば、彰人は苦労しないであの天然娘を捕獲できるはずだ。
――――だが。
「それはフェアじゃないよな?」
にやにや笑いながら雅史は誰もいない空間に一人つぶやく。
雅史は佐伯彰人という人物をよく知っていた。
だから、この事実を知ったとき、彼がどう出るかなんて火を見るより明らかだ。
今でこそあの天然に自分を意識させようと慣れない努力をしているが、それはそんなに長続きしないだろう。すでに禁欲生活は数ヶ月にも及んでいる。
だが上条がさっさと彰人に落ちるならともかく、今の様子だと手こずるのは間違いない。
そんな中で彰人があの情報を知ったら――――。
賭けてもいい。あの婚約話を盾に強引に自分のものにするだろう。上条の意思を無視しても。
ああ見えて、彰人はかなりの自信家だ。
今は自分に向いてなくても、必ずいつかは自分に心を向けさせる自信があるから、強引な手も使う。
欲しいものがあれば躊躇しない。
それでいて同時に狡猾だ。
押すところがあれば押し、引く必要があれば引く。巧みにその二つを使い分ける。
そんな男に絡め取られれば、いくら天然でスルーしようとしても、逃げることは不可能だろう。
だけど、それは彼女にとってフェアではない。
それに、一応あれでも可愛い自分の部下だ。
意思に反して婚約させられるのは防いでやらねばならない。
―――だから。
「彰人にはせいぜい努力して、自分の力であいつをゲットしてもらおうじゃないか」
クスクス笑いながらつぶやく。
――――その方が自分も楽しいしな。
それに、目下彼の意中の人物は上条を自分の妹のように可愛がっているから、無理矢理彰人の許婚にさせられたなんて知ったら烈火のごとく怒るに違いない。
彰人のことも、その片棒を担いだ雅史のこともだ。
そんな事態は好ましくない。
ようやく彰人の素性を餌にして機会を掴んだというのに。
「お、いい事考えた」
雅史はにやりと笑ってテーブルに置いた携帯を手に取った。私用の携帯ではなく、会社の携帯の方をだ。
そして携帯の電話帳から目当ての人物に電話をかける。
やや警戒ぎみの相手が電話に出ると、雅史はさっさと用件を切り出した。
「あ、川西女史? 明日暇ならデートしないか? ……おっと、即断わらないでくれよ。面白い情報を掴んだんだ。お前達の大事な後輩のことでさ。……ああ、上条の方だもちろん。……え? 係長の話の方の条件は前に言っただろう? 『俺と付き合ってくれたら話すって』ね」
その雅史の言葉に相手は電話の向こうで鼻で笑った。
これもいつもの反応だ。だから雅史は全く気にしない。それどころか嬉しそうに喉の奥で笑った。
この気の強さも雅史の好みだった。
なかなか靡かないが、雅史は自分が嫌われてないことも、けっこうイイ線まで行っていることも知っている。
だからあと一押しも二押しもすれば手に入るだろう――――ここ数年ほど片思いしている相手が。
そしてこのカードはその一押しに役に立ってくれるだろう。
――彰人に黙っている代わりに大いに利用させてもらおうじゃないか。
「上条の話の方は条件なしだ。明日デートに付き合ってくれたら教えてやる。……うん? それじゃ条件なしじゃないって? まぁ、そりゃ一理あるがな。だが会社では話せないことだから、結局は外で会うことになるんだけど? ……ああ、くだらない情報じゃないって。この俺が仰天したくらいの情報だ。気になるだろう?」
相手は少しの間逡巡した後、しぶしぶ明日のデートを了承した。
雅史は思惑通りに事が運んだことに大いに満足しつつ、明日の待ち合わせ場所と時間を相手とすり合わせた後、携帯の通話を切った。
にやにや笑いが止まらない。
雅史は空き缶をゴミ箱に放り投げ、それが箱の中に無事に入ったのを確認するとソファから立ち上がった。
――うまくいったあかつきには、上条に好きなものを何でも奢ってやろう。
上機嫌でそう思いつつ、明日の支度をするため雅史はリビングを後にした。
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爽やかに腹黒で、爽やかに策士の田中主任。
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