4番目の許婚候補

富樫 聖夜

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番外編・小話集

閑話 秘すれば花、秘せねば花なるべからず 5

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 その台詞に対する男の反応は一生忘れないだろうと貴美子は思った。

 あんぐりと口をあけたまま固まる雅史。鳩が豆鉄砲を食らったような状態とはこんな感じのことを言うのだろう。
 呆気に取られて言葉もないのだ。あの田中主任が。

 内心クスクス笑いながら貴美子は言葉を続けた。
「例の条件飲むわ。だからすっかり全部吐き出してちょうだいね。……ベッドの中でよ?」

 貴美子は今ようやくこの男の横に並び立ったような気がしていた。

「それって……」
 何度か瞬きをして、ようやくフリーズ状態から脱出した雅史。だが、
「おい……その……」
 と何かを言おうとしてどうもその先がうまく口に出せないらしい。
 そのうちあきらめたのか、状況を完全に把握したのか、視線を外して片手で顔を覆って、何とこうつぶやいたのだ。
「まいったな……」
 貴美子はその男の耳が真っ赤になっているのを見逃さなかった。

「うれしくない訳?」
 判っていながらわざと聞く。
 雅史は顔を手で覆いながら呻く言うに言った。
「嬉しいに決まっている。……だが、こんな棚ぼた狙ってたわけじゃねぇぞ……」

 貴美子はその言葉に眉を上げた。
「あらら、どんなことを狙っていたのかしら?」
 雅史は覆っていた手の間から、一度だけ貴美子に視線を向けた後、そっぽを向いて言った。
「……秘密を共有すればおのずと距離も近くなるだろう? まずはそこから始めて徐々に懐柔していこうと思ったのさ」
 困ったような怒っているような口調に、貴美子は内心おや、と思った。
 どうやらこの男は照れているらしい。
 だが、続いて雅史の口から出た言葉は、照れた様子とはほど遠かった。
「……それに、その……こう言ったらまたお前は怒るだろうが、上条から三条家の情報を引き出すのにお前を使おうと思ってた」
「は? 上条ちゃんから三条家の情報を引き出す……?」
 不穏な台詞に、貴美子は自分の眉があがるのを感じた。

「ああ」
 雅史は頷くと、諦めたような吐息を漏らして覆っていた手を外した。
 困惑したような表情がその手の下から現れた。
 初めて見るその気弱な様子に、貴美子は怒りかけたのを忘れてポカンと見つめた。

 ナニコレ!?

「三条家との縁組なんてことが明るみに出ると大事だから、この件は極秘なんだ。だから、三条家の当の許婚たちがこの話をどう思っているのか調べてみても出てこなかった。彰人は話が勝手に進むのを恐れて先方と顔を合わせるのを拒否しているしな。というのも、典型的な上流階級のお嬢様なら親の決めた結婚話に否を唱えることはあまりないからだ。特に彰人のような家柄も容姿も能力も申し分ない優良物件相手なら尚のこと。列をなしていることも十分あり得る。だけど、一人でもこの話に乗り気だと困るんだ。いつまで経っても親達が諦めないだろうから。そんな中、上条が三条家の一員だと分かって……」
「彼女達がどう思っているのか知ることができるかもって思ったわけね」
 ため息まじりに貴美子が口を挟むと、
「……ああ」
 雅史は頷いてそっぽを向いた。そして、
「……ったく、こんなことまでバラすつもりはなかったのに、お前が驚かせるからだ。……調子狂うじゃないか」
 そんな事をブツブツつぶやく。
 よくよく見てみると、未だに耳が赤かった。
 どうやら貴美子のベッド発言で動揺し、言わないでおこうと思ったことをペラッと言ってしまったらしい。

 その珍しい姿に驚くべきか、それとも発言に呆れるべきか貴美子はちょっと迷った。
 ……うん。ここは呆れておこう。

 自分に上条ちゃんの素性をバラしたのは、先にあげた彼女の安全装置とやらの役目以外にもどうやら隠れた動機があったらしい。
 男で係長に近い自分より、貴美子の方が彼女も口が軽くなると踏んだのだろう。
 そして貴美子経由で三条家の欲しい情報を得ようとしていたのだ。
 ……惚れていると言っている傍から利用しようと考えていたとは。
 
 ―――全く仕方のない男だ。

 だがあきれ返りはしたものの、貴美子には怒りの感情はなかった。
 なぜならもう分かっているから。
 この男のそれらの行動の根底に流れるものを。

「一つ聞くけど、それは係長と上条ちゃんの為になることなのよね?」
 確認するように、貴美子は言った。
 ふて腐れたように頬杖をついて明後日の方を向いていた雅史はそれに頷く。
「ああ。当事者が全員拒否しているなら、婚約話を無効にできるかもしれない」
「そう。ならいいわ。協力してあげる」

 その婚約話とやらが白紙になれば、上条ちゃんだって係長の想いに応えることができるようになるだろう。
 元々貴美子だって二人の仲を応援していたのだ。
 権力や圧力を使って無理矢理じゃなければ、係長が搦め手を使おうが多少のことは容認してあげよう、と思う。

「……お前、本当にいいのか?」
 ちらりと視線だけよこして雅史が貴美子に尋ねた。
 その窺うような問いかける視線に、貴美子は内心にんまりする。
「何が? 情報収集に利用されること? それとも……ベッドのこと?」
「……両方だ」
 苦々しく答える雅史に、貴美子は断然楽しくなった。

 このいつも飄々とした男がペースを崩されて困惑しているのだ。
 これを楽しまないでどうする?

 ――だいぶ自分もこの男に毒されてきたような気がするが、それすらも何だか楽しかった。

「係長はともかく、上条ちゃんの為ですからね。それに……」
 意味ありげに言葉を切ると、貴美子はこっちを窺っている雅史ににっこり笑った。
「それに、今日はブラとお揃いのショーツなの。可愛いけどちょっとセクシー系で。見せないのは勿体無いと思わない?」

 実は貴美子はいつもお揃いのブラとショーツを穿いているのだが、それは言わぬが花というものだろう。
 この男はまだそれを知らないのだから。

「……勿体無いな、それは確かに」
 雅史は苦笑を浮かべた後、急ににやりと笑った。
「ベッドで俺に確認させてくれないか?」

 ……どうやらいつもの調子に戻ってしまったらしい。残念。
 だが、こっちの方がいい。
 面白いことが大好きで、策士で、腹黒な――――それでいて友達思いで思慮深いだなんて。本当に面倒な男。
 だけどそんな部分をひっくるめて“良い”って思うのだから、貴美子も重症かもしれない。

「いいわよ。確認させてあげる」
「おし。商談成立、だな。じゃ、店を出るか」
 雅史はそう言って立ち上がる。
「ええ、でもその前に――――」
 貴美子は雅史に手を差し出した。
「これからよろしくね、共犯者さん」
 にっこり笑ってみせる。

 予感がした。
 今日この時から自分の世界が変わるのを。
 この男が見ている世界が目の前に広がっていくのを。

 雅史はにやりと笑って貴美子の手を取った。

「ああ、よろしくな。相棒」



 **



「彰人と上条の席を隣り合わせにしろ。面白いものが見れるぞ」
 雅史がそう言ったのは、Eラーニング正式稼動を祝って開かれた合同飲み会の席だった。
 早めに到着した彼らは、まだ来ていない事業本部のメンバーの為に席を取ろうとしていたのだ。
 件の係長や上条ちゃんも退社直前に仕事が入り、遅れて到着する予定になっている。
「面白いもの?」
 首をかしげる貴美子に、雅史はにやりと笑った。
「そう。上条に包囲網敷いている彰人がな」
「それは面白そうね。乗ったわ」
 貴美子もにやりと笑って返した。
 付き合い始めてからますます自分がこの男と似てきているのを自覚しながら。


 貴美子がこの男と付き合いはじめてから半月が経っていた。
 だが上司と部下であるため、その付き合いは大っぴらにはしていない。
 親友である水沢明美には報告済みだが、緘口令を敷いたので、今のところ洩れている気配はない。おしゃべりな友人ではあるが、その反面、言わないで置こうと思ったことに関しては口が堅いのも知っているので広まることはないだろう。
 かといって隠しているわけでもないので、うすうす気付いている人はいるだろうと思う。
 
 係長には雅史が報告したようだ。
 初めてベッドを共にした翌週、廊下でばったり会った係長が笑みを浮かべて言ったからだ。
「いろいろ面倒なところがある奴だが、よろしく頼むね」
 と。
 これまでの自分だったらその柔和な表情に騙されていただろう。単純に友人思いな人だと思ったことだろう。
 だが、本当のことを教えられた貴美子には、係長の眼鏡の奥の瞳が面白そうな光を放って入るのを見逃さなかった。
 まさしくあの男と同類だ。
 いや、その当の本人に言わせると、輪をかけて食えない性格をしているらしい。
 それはそうだろうと思う。

 佐伯グループの御曹司。
 それが係長の正体なのだから。

 だけどそれを聞いてもさほど貴美子は驚きはしなかった。
 雅史の言うとおりに、上条ちゃんの素性の方がよっぽどインパクトがある。
 それに頭の片隅ではある程度分かっていたことだ。

 あの・・三条家が自分の所の孫娘を嫁がせようとしているのだ。
 その事実からも、そこいらのただのお坊ちゃまであるはずはないのだから。
 
 ……だけど、佐伯の名前を隠して一社員として働いていたとはねぇ。

 おそらく会社の上層部は知っているのだろう。中核会社ではないとはいえ、一端を担っている会社の上役となれば創業者一族とは面識もあるハズ。
 どうりで橋本部長のセクハラ訴訟問題の時に会社の対応が素早かったわけだ。
 最初から最後まで係長が主導したに違いない。訴訟から和解まで。その全てを。
 もっとも雅史に言わせると、係長が佐伯の御曹司としての影響力を使ったのは会社に注意を促したその時だけ。
 あとは一介の係長としてセクハラ対策室を調べたり、被害にあった女性に裁判を促したり和解させたりしたらしいが。

 だけどそもそも一介の一部署の係長がそんなことがそんなことをするはずがない。できるはずもない。
 不審に思った自分の勘はやっぱり正しかったのだ。

 そして正体を知って改めて係長の言動を見てみると、あちこちでその一筋縄ではいかない性格の片鱗をうかがわせていた。どうして今まで気付けなかったのだろうと思うほどだ。

 現に今だって、隣り合わせになった上条ちゃん相手にその手腕を振るっている。

「上条さんも途中で抜けるんだよね? 門限があるから」
「え? あ、はいそうです」
「じゃあ、抜けるときに一緒に駅まで行こう。ここ歓楽街だからその方が安全だろう?」
「え? い、いいんですか?」
「ああ、どうせ会社に戻るには駅に行かなくちゃならないんだしね」
「で、ではよろしくお願いします」

 相手が不審に思うことのない、実にさりげない誘い方。
 元々そのつもりで普段は出席しない飲み会に出たくせに、それをちらりとも窺わせない。
 あくまでついでで、上条ちゃんが断ることも警戒することもないシチュエーションにそれとなく持っていっている。
 その手腕にはもう脱帽するしかない。

 ……この調子ならもしかしなくても簡単にベッドまで誘導できてしまうのではないだろうか。

 物見遊山のように係長と上条ちゃんのやり取りを楽しんで聞いていた貴美子は、ふとそう思って急に不安に駆られた。

 ここしばらく禁欲生活を続けている係長がいきなり欲情してしまったりしたら……?

 この近辺は一歩裏道に入るとラブホテルが乱立している地域だ。
 おあつらえ向きにそういう施設がごまんとあるではないか!
 係長に最近無警戒な――しかも、自分に気があるとは夢にも思ってない上条ちゃんなら、『ちょっと休憩』とか『ラブホテルの中見てみたくないかい?』とか陳腐な誘い文句でホイホイついて行ってしまうかもしれない。
 そして密室で二人きりになったら、百戦錬磨の係長から逃れることはできないだろう。

 ――ヤバイ。
 送り狼になった係長に上条ちゃんが食われてしまう!

 貴美子はとっさに目の前に座っている雅史の足をパンプスを履いた足で蹴った。
 止めろ!と意味を込めて。

「痛っ」
 だがヒールのついた靴ですねを蹴られた雅史の痛みは相当なものだったらしい。
 情けない声を出して、係長と上条ちゃんの不審を招いてしまった。
 笑ってごまかしたものの『チッ、使えねぇ』と内心思ってしまう貴美子。
 だがその一連の行動がどうやら係長への牽制になったようだ。
 苦笑して雅史や貴美子を見る係長の目に理解の光が浮ぶのを見て、即ベッドはなさそうだと安心する。

 課長がやってきて係長の意識がそっちに向かい、上条ちゃんが別のこと――多分、強引に係長に留め置かれていること――に気を取られている間に、コソコソとその話をした折に雅史もそれを保障した。
「まだそこまでするほど切羽詰ってないよ、あいつは。今はまだ距離を測っている段階だな。どこまで近づけるか、どこまで押せるのか、どういう手を使えば捕獲できるか、そんなことを測ってるんだよ。この段階で手を出して警戒されるのは避けたいだろうから、ラブホに連れ込むなんてあり得ない。まぁ、上条が行きたいと言えば別だが、それも天地がひっくり返ってもあり得そうにないしな」

 その言葉で貴美子は安心した。
 余裕をもって件の二人の攻防を眺めるほどには。
 
 係長は――感心するほど巧みだった。
 係長に憧れる女性社員の目を気にして傍から離れようとする上条ちゃんを、言葉巧みに丸め込んでいくその手腕は、本当に見事としか言いようがない。
 もちろん相手が彼女じゃなければここまでうまくいってはないだろう。 
 だけどそれならそれで手を変え品を変えて丸め込んでいったに違いない。

 包囲網と雅史は言っていた。
 係長は彼女を捕獲するために包囲網を敷いているのだと。
 その言葉の意味が貴美子には分かる気がした。
 肉食獣が獲物を仕留めるために、気付かれないように自分の縄張りに――ゆっくりと獲物を料理できる場所に――誘導しているのだ。
 慎重に獲物との距離を測りつつ、じわじわと接近し、自分の腕の中へと追い込んでいく――――。

 ―――狡猾な、獣。
 それが係長の本性だ。
 
 居酒屋から出て行く二人を見送りながら貴美子は羊な後輩に心の中でそっと詫びた。

 ごめん、上条ちゃん。
 護りきれないかもしれないわ、と。




 ―――この時、貴美子は考えもしなかった。
 駅に向かった上条ちゃんが筆頭許婚である例の従姉妹がラブホテルに入っていくのを目撃してしまうとか。
 三条家の恋愛模様が明らかになって複雑な様相を呈していくとか。
 その予想の斜め上をいく事態に雅史と二人で頭を抱えることになるとか。

 全く予想だにしなかった。
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