小江戸・川越 神様のいるドッグカフェ 楓庵

友理潤

文字の大きさ
18 / 60
第二幕 星になって見守るから

18.星になって見守るから

しおりを挟む
◇◇

「お兄ちゃん! 聞いて! 私ね。赤ちゃんできたの!!」

 楓庵に入った瑞希さんは、智也さんと向き合うなりそう叫んだ。
 智也さんは、口をもごもご動かして、目を何度もぱちくりさせる。
 瑞希さんの言った通りに、泣いていいのか、笑っていいのか、分からない表情だ。
 でも瞳からあふれる涙がとても温かなものなのは、入り口のそばで見守っていた私にもよく分かった。
 そんな中、正装したソラが厳かな声をあげた。

「黄泉送りの時間だ」

 智也さんは涙を拭き、表情を引き締めた後、ソラに一礼した。
 ドアの方へ向かって歩いてくるソラの後ろに智也さんがついていく。
 ソラが私の横を通り過ぎる時にちらりと見てきたが、私は何も言わずに、黙ったまま智也さんの様子を見ていた。
 なぜならもう口を挟む必要なんてないから。

「わんっ!」

 太い声を響かせたエトワールが智也さんの方へ駆け寄っていった。
 エトワールが言葉を失っているのは、不思議な力が解けたからだろう。
 でも彼女が「いかないで!」と悲痛な声をあげたのは、私でも分かったから、当然智也さんにも伝わっているはずだ。
 でも智也さんの顔は穏やかなまま。
 エトワールに話しかける口調もすごく落ち着いていた。

「エトワール。これは俺からの最後の命令だよ。いいかい?」

 智也さんの目の前でお座りをしたエトワールは、舌を出しながら尻尾を振ってこたえる。言葉はしゃべれなくても、智也さんの言っていることをちゃんと理解しているようだ。
 智也さんは彼女の頭をそっとなでながら、穏やかに言った。

「瑞希の子どもを守るんだ。いいね?」

 その口調には後悔や寂しさはなく、希望と喜びに満ちた、とても温かいものだった。
 智也さんの気持ちが乗り移ったように、エトワールは何度かまばたたきをした後、混じり気のない声で吠えた。

「わんっ!!」

 エトワールもまた智也さんと同じように、喜びに満ちた明るい未来を感じたに違いない。だからお別れを受け入れられたのだろう。

「いい子だ。俺は星になってエトワールを見守ってるからね。瑞希たちと幸せに暮らすんだよ」

 智也さんはエトワールから目を離し、今度は瑞希さんと向き合った。

「瑞希。ありがとな」

 瑞希さんの顔がみるみるうちにしわくちゃになり、瞳から大粒の涙があふれだす。

「お礼を言わなくちゃいけないのは……。私の方だよ……。お兄ちゃん。ううっ……」

「そんなことないぞ、瑞希。俺たちは家族だからな。おまえの幸せは俺の幸せなんだ。だからおまえがちゃんと幸せになってくれて、本当に嬉しいんだよ。ありがとな」

「お兄ちゃん……」

「瑞希。大丈夫。おまえも近いうちに絶対に分かるようになるさ。家族の幸せが自分の幸せなんだってな。頑張るんだぞ。もっともっと幸せになって、俺を驚かせてくれよ」

「うん……」

 愛おしそうに目を細めた智也さんは小さくうなずいた。
 そしてソラの真横に立ち、「お願いします」と告げた。
 チリリンと鈴が鳴り、ドアが開く。
 はじめにソラが外へ出ていき、智也さんが続く。

「さよなら! ありがとう! お兄ちゃん!!」

 瑞希さんの大きな声とドアが閉まる音が同時に聞こえる。
 そうして最後にもう一度涼やかな鈴の音が、店内に余韻となって響き渡ったのだった。

◇◇

 過去がどんなに後悔ばかりでもいいんだ。
 だって人は後悔なしには生きられない生き物なんだから。
 どんなに後悔ばかりの人生であっても、未来に幸せを抱くことができる。
 だから胸を張って、堂々と未来の話をしよう。
 きっと後悔しないお別れってそういうことなんだ――。
 
「美乃里さん、それにみなさん、ありがとうございました」

 晴れやかな表情で一礼した瑞希さんを見て、私はそんな風に感じていた。

「エトワール。さあ、帰りましょう」と、瑞希さんがリードを引っ張る。
 大人しくその命令に従ったエトワールは、行儀よく彼女とともに帰り道の奥へと消えていった。

「さてと! じゃあ、後かたづけしましょっか!」

 うーんと伸びをした私に対し、黄泉送りから戻ってきたばかりのソラが口を尖らせた。

「なんで美乃里が仕切ってんだよ。おまえは単なるアルバイトだろ!」
「あれぇ? もしかして私がお手柄をあげたものだから、すねてるのかなぁ?」
「んなっ!? バカを言うな! なんで俺がすねなきゃいけねえんだよ! 調子に乗るな!」
「とかなんとか言っちゃってぇ。もっと素直になった方が可愛いぞ」
「てめぇぇぇ!!」

 ソラに追いかけ回されながら顔を上にあげる。
 木々の合間から覗く夜空に、秋のひとつ星が明るく輝いていたのだった。


◇◇

 楓庵の片隅に古いピアノが置かれている。普段から黒い布に覆われ、灯りの届かぬところにあるものだから、誰も気にとめようとしない。美乃里にいたっては気づいているかも怪しいくらいだ。

「おつかれさまでした! お先に失礼しまぁす!」と美乃里が去ると、店内は急に寂しくなる。
 洗い物を終えた八尋は、ふらりと吸い寄せられるようにピアノの前に立った。
 カウンターでマンガを読んでいたソラが、八尋の背中に目を向ける。
 八尋はその視線を感じていたが、気にせずにピアノを覆っている布を少しだけめくる。あらわになった艶やかに黒光りするピアノの鍵盤蓋。彼はそれをじっと見つめていたが、ふぅというため息とともに再び布をかぶせた。

「いいんだよ。無理しなくても」

 ソラが八尋の背中に声をかけたが、彼は何も言おうとせず、静かにカウンターの奥へと消えていった。
 そして手元の古びた鍵をじっと見つめながら、大きなため息をついたのだった。


第二幕 星になって見守るから 【完】
 
 
 
しおりを挟む
感想 0

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

イケメンエリートは愛妻の下僕になりたがる(イケメンエリートシリーズ第四弾)

便葉
恋愛
国内有数の豪華複合オフィスビルの27階にある IT関連会社“EARTHonCIRCLE”略して“EOC” 謎多き噂の飛び交う外資系一流企業 日本内外のイケメンエリートが 集まる男のみの会社 そのイケメンエリート軍団のキャップ的存在 唯一の既婚者、中山トオルの意外なお話 中山加恋(20歳) 二十歳でトオルの妻になる 何不自由ない新婚生活だが若さゆえ好奇心旺盛 中山トオル(32歳) 17歳の加恋に一目ぼれ 加恋の二十歳の誕生日に強引に結婚する 加恋を愛し過ぎるあまりたまに壊れる 会社では群を抜くほどの超エリートが、 愛してやまない加恋ちゃんに 振り回されたり落ち込まされたり… そんなイケメンエリートの ちょっと切なくて笑えるお話

追放聖女だってお茶したい!─セカンドライフはティーサロン経営を志望中─

石田空
ファンタジー
「ミーナ今までありがとう。聖女の座を降りてもらおう」 貴族の利権関係が原因でいきなり聖女をクビになった庶民出身のミーナ。その上あてがわれた婚約者のルカは甘味嫌いで食の趣味が合わない。 「嫌! 人の横暴に付き合うのはもうこりごり! 私は逃げます!」 かくしてミーナは神殿から脱走し、ティーサロン経営のために奔走しはじめた。 ときどき舞い込んでくるトラブル。 慌ててミーナを探しているルカ。 果たしてミーナは理想のセカンドライフを歩めるのか。 甘いお菓子とお茶。そしてちょっとの恋模様。 *サイトより転載になります。

火輪の花嫁 ~男装姫は孤高の王の夢をみる~

秦朱音|はたあかね
キャラ文芸
王を中心に五家が支配する、綺羅ノ国。 五家に覡(かんなぎ)として仕える十六夜家の娘、久遠(くおん)は、幼い頃から男として育てられてきた。 都では陽を司る日紫喜家の王が崩御し、素行の悪さで有名な新王・燦(さん)が即位する。燦の后選びに戦々恐々とする五家だったが、燦は十六夜家の才である「夢見」を聞いて后を選ぶと言い始めた。そして、その夢見を行う覡に、燦は男装した久遠を指名する。 見習いの僕がこの国の后を選ぶなんて、荷が重すぎる――! 久遠の苦悩を知ってか知らずか、燦は強引に久遠を寝室に呼んで夢見を命じる。しかし、初めて出会ったはずの久遠と燦の夢には、とある共通点があって――? 謎に包まれた過去を持ち身分を隠す男装姫と、孤独な王の恋と因縁を描く、和風王宮ファンタジー。 ※カクヨムにも先行で投稿しています

【完結】退職を伝えたら、無愛想な上司に囲われました〜逃げられると思ったのが間違いでした〜

来栖れいな
恋愛
逃げたかったのは、 疲れきった日々と、叶うはずのない憧れ――のはずだった。 無愛想で冷静な上司・東條崇雅。 その背中に、ただ静かに憧れを抱きながら、 仕事の重圧と、自分の想いの行き場に限界を感じて、私は退職を申し出た。 けれど―― そこから、彼の態度は変わり始めた。 苦手な仕事から外され、 負担を減らされ、 静かに、けれど確実に囲い込まれていく私。 「辞めるのは認めない」 そんな言葉すらないのに、 無言の圧力と、不器用な優しさが、私を縛りつけていく。 これは愛? それともただの執着? じれじれと、甘く、不器用に。 二人の距離は、静かに、でも確かに近づいていく――。 無愛想な上司に、心ごと囲い込まれる、じれじれ溺愛・執着オフィスラブ。 ※この物語はフィクションです。 登場する人物・団体・名称・出来事などはすべて架空であり、実在のものとは一切関係ありません。

異世界に転移してしまった私、古民家をもらったのでカフェを始めたら大盛況。国王陛下が頻繁に来るのですが、どうしたらいいですか?

来栖とむ
ファンタジー
ブラック企業で疲れ果てた30歳の元OL・美里(みさと)が転移した先は、見渡す限りの深い森。 そこで彼女が授かったのは、魔女の称号……ではなく、一軒の**「日本の古民家」**だった! 亡き祖母が遺したその屋敷には、異世界では失われたはずの「お醤油」「お味噌」「白いお砂糖」という禁断の調味料が眠っていて――。 「えっ、唐揚げにそんなに感動しちゃうの?」 「プリン一口で、国王陛下が泣いちゃった……!?」 おにぎり、オムライス、そして肉汁溢れるハンバーグ。 現代日本の「当たり前」が、この世界では常識を覆す究極の美食に。 お掃除のプロな親子や、お忍びの王様、さらにはツンデレな宮廷料理人まで巻き込んで、 美味しい香りに包まれた、心もお腹も満たされるスローライフが今、始まります!

中身は80歳のおばあちゃんですが、異世界でイケオジ伯爵に溺愛されています

浅水シマ
ファンタジー
【完結しました】 ーー人生まさかの二週目。しかもお相手は年下イケオジ伯爵!? 激動の時代を生き、八十歳でその生涯を終えた早川百合子。 目を覚ますと、そこは異世界。しかも、彼女は公爵家令嬢“エマ”として新たな人生を歩むことに。 もう恋愛なんて……と思っていた矢先、彼女の前に現れたのは、渋くて穏やかなイケオジ伯爵・セイルだった。 セイルはエマに心から優しく、どこまでも真摯。 戸惑いながらも、エマは少しずつ彼に惹かれていく。 けれど、中身は人生80年分の知識と経験を持つ元おばあちゃん。 「乙女のときめき」にはとっくに卒業したはずなのに――どうしてこの人といると、胸がこんなに苦しいの? これは、中身おばあちゃん×イケオジ伯爵の、 ちょっと不思議で切ない、恋と家族の物語。 ※小説家になろうにも掲載中です。

うちの幼馴染がデレすぎてて俺の理性はもう限界。でも毎日が最高に甘いからもうどうでもいいや

静内燕
恋愛
相沢悠太の日常は、規格外の美少女である幼馴染、白石葵によって完全に支配されている。 朝のモーニングコール(ベッドへのダイブ付き)から始まり、登校中の腕組み、そして「あーん」が義務付けられた手作り弁当。誰もが羨むラブラブっぷりだが、悠太はこれを「家族愛」だと頑なに誤解(無視)している。 「ゆーたは私の運命の相手なんだもん!」と、葵のデレデレは今日も過剰の一途。周囲の冷やかしや、葵を狙う男子生徒のプレッシャーが高まる中、悠太の**「幼馴染フィルター」**はついに限界を迎える。 この溺愛っぷり、いつまで「家族」で通せるのか? 甘すぎる日常が、悠太の鈍感な理性を溶かし尽くす――最初からクライマックスの、超高濃度イチャイチャ・ラブコメ、開幕!

処理中です...