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第二幕 星になって見守るから
18.星になって見守るから
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◇◇
「お兄ちゃん! 聞いて! 私ね。赤ちゃんできたの!!」
楓庵に入った瑞希さんは、智也さんと向き合うなりそう叫んだ。
智也さんは、口をもごもご動かして、目を何度もぱちくりさせる。
瑞希さんの言った通りに、泣いていいのか、笑っていいのか、分からない表情だ。
でも瞳からあふれる涙がとても温かなものなのは、入り口のそばで見守っていた私にもよく分かった。
そんな中、正装したソラが厳かな声をあげた。
「黄泉送りの時間だ」
智也さんは涙を拭き、表情を引き締めた後、ソラに一礼した。
ドアの方へ向かって歩いてくるソラの後ろに智也さんがついていく。
ソラが私の横を通り過ぎる時にちらりと見てきたが、私は何も言わずに、黙ったまま智也さんの様子を見ていた。
なぜならもう口を挟む必要なんてないから。
「わんっ!」
太い声を響かせたエトワールが智也さんの方へ駆け寄っていった。
エトワールが言葉を失っているのは、不思議な力が解けたからだろう。
でも彼女が「いかないで!」と悲痛な声をあげたのは、私でも分かったから、当然智也さんにも伝わっているはずだ。
でも智也さんの顔は穏やかなまま。
エトワールに話しかける口調もすごく落ち着いていた。
「エトワール。これは俺からの最後の命令だよ。いいかい?」
智也さんの目の前でお座りをしたエトワールは、舌を出しながら尻尾を振ってこたえる。言葉はしゃべれなくても、智也さんの言っていることをちゃんと理解しているようだ。
智也さんは彼女の頭をそっとなでながら、穏やかに言った。
「瑞希の子どもを守るんだ。いいね?」
その口調には後悔や寂しさはなく、希望と喜びに満ちた、とても温かいものだった。
智也さんの気持ちが乗り移ったように、エトワールは何度かまばたたきをした後、混じり気のない声で吠えた。
「わんっ!!」
エトワールもまた智也さんと同じように、喜びに満ちた明るい未来を感じたに違いない。だからお別れを受け入れられたのだろう。
「いい子だ。俺は星になってエトワールを見守ってるからね。瑞希たちと幸せに暮らすんだよ」
智也さんはエトワールから目を離し、今度は瑞希さんと向き合った。
「瑞希。ありがとな」
瑞希さんの顔がみるみるうちにしわくちゃになり、瞳から大粒の涙があふれだす。
「お礼を言わなくちゃいけないのは……。私の方だよ……。お兄ちゃん。ううっ……」
「そんなことないぞ、瑞希。俺たちは家族だからな。おまえの幸せは俺の幸せなんだ。だからおまえがちゃんと幸せになってくれて、本当に嬉しいんだよ。ありがとな」
「お兄ちゃん……」
「瑞希。大丈夫。おまえも近いうちに絶対に分かるようになるさ。家族の幸せが自分の幸せなんだってな。頑張るんだぞ。もっともっと幸せになって、俺を驚かせてくれよ」
「うん……」
愛おしそうに目を細めた智也さんは小さくうなずいた。
そしてソラの真横に立ち、「お願いします」と告げた。
チリリンと鈴が鳴り、ドアが開く。
はじめにソラが外へ出ていき、智也さんが続く。
「さよなら! ありがとう! お兄ちゃん!!」
瑞希さんの大きな声とドアが閉まる音が同時に聞こえる。
そうして最後にもう一度涼やかな鈴の音が、店内に余韻となって響き渡ったのだった。
◇◇
過去がどんなに後悔ばかりでもいいんだ。
だって人は後悔なしには生きられない生き物なんだから。
どんなに後悔ばかりの人生であっても、未来に幸せを抱くことができる。
だから胸を張って、堂々と未来の話をしよう。
きっと後悔しないお別れってそういうことなんだ――。
「美乃里さん、それにみなさん、ありがとうございました」
晴れやかな表情で一礼した瑞希さんを見て、私はそんな風に感じていた。
「エトワール。さあ、帰りましょう」と、瑞希さんがリードを引っ張る。
大人しくその命令に従ったエトワールは、行儀よく彼女とともに帰り道の奥へと消えていった。
「さてと! じゃあ、後かたづけしましょっか!」
うーんと伸びをした私に対し、黄泉送りから戻ってきたばかりのソラが口を尖らせた。
「なんで美乃里が仕切ってんだよ。おまえは単なるアルバイトだろ!」
「あれぇ? もしかして私がお手柄をあげたものだから、すねてるのかなぁ?」
「んなっ!? バカを言うな! なんで俺がすねなきゃいけねえんだよ! 調子に乗るな!」
「とかなんとか言っちゃってぇ。もっと素直になった方が可愛いぞ」
「てめぇぇぇ!!」
ソラに追いかけ回されながら顔を上にあげる。
木々の合間から覗く夜空に、秋のひとつ星が明るく輝いていたのだった。
◇◇
楓庵の片隅に古いピアノが置かれている。普段から黒い布に覆われ、灯りの届かぬところにあるものだから、誰も気にとめようとしない。美乃里にいたっては気づいているかも怪しいくらいだ。
「おつかれさまでした! お先に失礼しまぁす!」と美乃里が去ると、店内は急に寂しくなる。
洗い物を終えた八尋は、ふらりと吸い寄せられるようにピアノの前に立った。
カウンターでマンガを読んでいたソラが、八尋の背中に目を向ける。
八尋はその視線を感じていたが、気にせずにピアノを覆っている布を少しだけめくる。あらわになった艶やかに黒光りするピアノの鍵盤蓋。彼はそれをじっと見つめていたが、ふぅというため息とともに再び布をかぶせた。
「いいんだよ。無理しなくても」
ソラが八尋の背中に声をかけたが、彼は何も言おうとせず、静かにカウンターの奥へと消えていった。
そして手元の古びた鍵をじっと見つめながら、大きなため息をついたのだった。
第二幕 星になって見守るから 【完】
「お兄ちゃん! 聞いて! 私ね。赤ちゃんできたの!!」
楓庵に入った瑞希さんは、智也さんと向き合うなりそう叫んだ。
智也さんは、口をもごもご動かして、目を何度もぱちくりさせる。
瑞希さんの言った通りに、泣いていいのか、笑っていいのか、分からない表情だ。
でも瞳からあふれる涙がとても温かなものなのは、入り口のそばで見守っていた私にもよく分かった。
そんな中、正装したソラが厳かな声をあげた。
「黄泉送りの時間だ」
智也さんは涙を拭き、表情を引き締めた後、ソラに一礼した。
ドアの方へ向かって歩いてくるソラの後ろに智也さんがついていく。
ソラが私の横を通り過ぎる時にちらりと見てきたが、私は何も言わずに、黙ったまま智也さんの様子を見ていた。
なぜならもう口を挟む必要なんてないから。
「わんっ!」
太い声を響かせたエトワールが智也さんの方へ駆け寄っていった。
エトワールが言葉を失っているのは、不思議な力が解けたからだろう。
でも彼女が「いかないで!」と悲痛な声をあげたのは、私でも分かったから、当然智也さんにも伝わっているはずだ。
でも智也さんの顔は穏やかなまま。
エトワールに話しかける口調もすごく落ち着いていた。
「エトワール。これは俺からの最後の命令だよ。いいかい?」
智也さんの目の前でお座りをしたエトワールは、舌を出しながら尻尾を振ってこたえる。言葉はしゃべれなくても、智也さんの言っていることをちゃんと理解しているようだ。
智也さんは彼女の頭をそっとなでながら、穏やかに言った。
「瑞希の子どもを守るんだ。いいね?」
その口調には後悔や寂しさはなく、希望と喜びに満ちた、とても温かいものだった。
智也さんの気持ちが乗り移ったように、エトワールは何度かまばたたきをした後、混じり気のない声で吠えた。
「わんっ!!」
エトワールもまた智也さんと同じように、喜びに満ちた明るい未来を感じたに違いない。だからお別れを受け入れられたのだろう。
「いい子だ。俺は星になってエトワールを見守ってるからね。瑞希たちと幸せに暮らすんだよ」
智也さんはエトワールから目を離し、今度は瑞希さんと向き合った。
「瑞希。ありがとな」
瑞希さんの顔がみるみるうちにしわくちゃになり、瞳から大粒の涙があふれだす。
「お礼を言わなくちゃいけないのは……。私の方だよ……。お兄ちゃん。ううっ……」
「そんなことないぞ、瑞希。俺たちは家族だからな。おまえの幸せは俺の幸せなんだ。だからおまえがちゃんと幸せになってくれて、本当に嬉しいんだよ。ありがとな」
「お兄ちゃん……」
「瑞希。大丈夫。おまえも近いうちに絶対に分かるようになるさ。家族の幸せが自分の幸せなんだってな。頑張るんだぞ。もっともっと幸せになって、俺を驚かせてくれよ」
「うん……」
愛おしそうに目を細めた智也さんは小さくうなずいた。
そしてソラの真横に立ち、「お願いします」と告げた。
チリリンと鈴が鳴り、ドアが開く。
はじめにソラが外へ出ていき、智也さんが続く。
「さよなら! ありがとう! お兄ちゃん!!」
瑞希さんの大きな声とドアが閉まる音が同時に聞こえる。
そうして最後にもう一度涼やかな鈴の音が、店内に余韻となって響き渡ったのだった。
◇◇
過去がどんなに後悔ばかりでもいいんだ。
だって人は後悔なしには生きられない生き物なんだから。
どんなに後悔ばかりの人生であっても、未来に幸せを抱くことができる。
だから胸を張って、堂々と未来の話をしよう。
きっと後悔しないお別れってそういうことなんだ――。
「美乃里さん、それにみなさん、ありがとうございました」
晴れやかな表情で一礼した瑞希さんを見て、私はそんな風に感じていた。
「エトワール。さあ、帰りましょう」と、瑞希さんがリードを引っ張る。
大人しくその命令に従ったエトワールは、行儀よく彼女とともに帰り道の奥へと消えていった。
「さてと! じゃあ、後かたづけしましょっか!」
うーんと伸びをした私に対し、黄泉送りから戻ってきたばかりのソラが口を尖らせた。
「なんで美乃里が仕切ってんだよ。おまえは単なるアルバイトだろ!」
「あれぇ? もしかして私がお手柄をあげたものだから、すねてるのかなぁ?」
「んなっ!? バカを言うな! なんで俺がすねなきゃいけねえんだよ! 調子に乗るな!」
「とかなんとか言っちゃってぇ。もっと素直になった方が可愛いぞ」
「てめぇぇぇ!!」
ソラに追いかけ回されながら顔を上にあげる。
木々の合間から覗く夜空に、秋のひとつ星が明るく輝いていたのだった。
◇◇
楓庵の片隅に古いピアノが置かれている。普段から黒い布に覆われ、灯りの届かぬところにあるものだから、誰も気にとめようとしない。美乃里にいたっては気づいているかも怪しいくらいだ。
「おつかれさまでした! お先に失礼しまぁす!」と美乃里が去ると、店内は急に寂しくなる。
洗い物を終えた八尋は、ふらりと吸い寄せられるようにピアノの前に立った。
カウンターでマンガを読んでいたソラが、八尋の背中に目を向ける。
八尋はその視線を感じていたが、気にせずにピアノを覆っている布を少しだけめくる。あらわになった艶やかに黒光りするピアノの鍵盤蓋。彼はそれをじっと見つめていたが、ふぅというため息とともに再び布をかぶせた。
「いいんだよ。無理しなくても」
ソラが八尋の背中に声をかけたが、彼は何も言おうとせず、静かにカウンターの奥へと消えていった。
そして手元の古びた鍵をじっと見つめながら、大きなため息をついたのだった。
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