小江戸・川越 神様のいるドッグカフェ 楓庵

友理潤

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第三幕 伝言ふたつ

22.大きな声、出せるじゃねえか

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「美憂。余計なことはしゃべらなくていい」

 おじいさんがピシャリとたしなめると、美憂さんはビクリと肩を震わせて首をすくめる。小さく丸まっていたフクが顔を上げ、何か言いたげにしていたが、またすぐに顔を伏せた。
 誰も口をきこうとしない重い静寂が店内に漂う……。
 でも何を言えばいいの?
 藁にもすがる思いでソラを見たが、ちょっとだけ目を合わせただけで、ぷいっと顔をそむけるなんて!
 この薄情者!!
 ひとりでムッとしたところに、別の予約客がやってきて、ちりりんという軽やかな音が鳴り響いた。
 張りつめた空気をいくらか和らぐ。
 ここぞとばかりに私もまた「いらっしゃいませ!」と大きな声を上げて、湿っぽい雰囲気を振り払った。
 さらにナイスタイミングで八尋さんがお料理を運んできたのだった。

「お待たせしました。カレーのお客様は?」

 にわかに店内がにぎやかになり、サンドイッチを頬張る美憂さんの顔もほころんだ。
 しかしおじいさんとフクは相変わらず。一言も言葉を交わそうとしないまま、互いの食事を綺麗に平らげると、フクは美憂さんの膝の上に収まり、おじいさんもおじいさんでそんなフクの様子など気にする素振りすら見せず、コーヒーをのんびりとすすりながら持参してきた本を読みはじめたではないか。

 フクの『黄泉送り』まではあと15分。
 本当にこのままでいいの?
 いや、いいわけがない!
 どうにかしなくちゃ!

 他のお客様も落ち着いたところで、再び美憂さんと向き合う。
 ところが私の声よりも先に、フクの声が聞こえてきたのである。

「保護猫だった俺がばあちゃんの家に貰われたのは15年も前のことさ――」

「やめなさい」

 おじいさんがこちらを見ようともせずに、低い声をあげる。
 しかしフクはおじいさんの声などまるで聞こえていないかのように、ゆっくりと語り始めたのだった。

◇◇

「ねえ、あなた。この子の名前をどうしましょう? 私ね、『フク』なんてどうかと思うの。きっとうちに福をもたらしてくれる子になるから」

 その日はじいさんが長年勤めた会社を定年退職した日の翌日だったんだ。
 じいさんは仕事一筋の人間でさ。ばあちゃんのことなんてほったらかしだった。
 でもこれからは家で一緒にいる時間が長くなるからってことで、俺を貰い受けてきたってわけさ。
 でもな……。

「名前? そんなものおまえの好きにすればいい」
「あら? どこかに行かれるんですか?」
「定年だからといってすぐに会社から離れるわけにはいかん」

 それからもじいさんは朝から晩まで毎日出かけていったよ。
 ばあちゃんはポツンと家でひとり。
 そんなばあちゃんの膝の上が俺の定位置になるには時間なんて必要なかった。
 晴れてる日は軒下でウトウトするのが日課でな。
 ばあちゃんは「孫たちが喜ぶから」って言いながら、編み物していた。
 でもじいさんがいないからか、時折ちょっとだけ寂しい顔するんだよ。
 俺が顔を上げると、決まってこう言ったんだ。

「昔のあの人はもっと忙しかったのよ。日が出る前に家を出て、帰ってくるのは決まって日付をまたいでから。今はお昼前に出て、9時には家に帰ってくるのだもの。ありがたく思わなきゃ、罰が当たるわ」

 俺の好きな春の陽だまりのような笑顔でな。
 じいさんはたまの休みの日はずっと本や新聞とにらめっこ。たまに口をきくかと思えば、耳をすまさないと聞こえないくらいに小さな声で「おい。お茶くれ」の一言だけ。当然、俺のことなんて一瞥すらくれることはなかったよ。
 でも、まあ。ばあちゃんはいつも穏やかでな。文句一つ言わなかった。

◇◇

 フクがそこまで話したところで、おじいさんがこちらをちらりと見た。
 だがそれもほんの一瞬だけで、すぐに姿勢を元通りにして本に視線を移す。
 美憂を見上げたフクはゆったりとした口調で続けた。

◇◇

 年に数回、美憂たち一家がうちに来る時だけは賑やかだった。ばあちゃんは前の日から張り切って料理やお菓子を準備するんだ。

「美憂ちゃんはエビフライが好きだからねぇ。たんと用意しておかないと!」

 そんな時でもじいさんは他人事さ。ぶすっとしたまま新聞や本ばっかり読んで。
 ばあちゃんの手伝いなんて、これっぽっちもしないんだから。まったくどうかしてるぜ。

「おばあちゃん!!」

 美憂のことは好きだよ。
 いつも俺と遊んでくれたし、何よりばあちゃんに優しかったからな。
 彼女がやってくる時だけは、うちの中に花が咲いたように明るくなるんだ。
 でもそれもほんの数年だけだったな。美憂はどんどん大きくなっていってさ。
 年に1回顔見せてくれればいいくらいになっちゃったよな。

「便りがないのは元気でやってる証だって昔から言うからね」

 ばあちゃんはそう言って微笑んだけど、ちょっと寂しそうだった。
 でも俺がどうこうできることじゃない。
 だからせめて俺だけはずっと一緒にいてやろうって決意したんだ。

 来る日も。来る日も。
 ばあちゃんの膝の上で過ごした。
 寒い日も、暑い日も、嬉しい時も、悲しい時も。

 そしてあの日は突然やってきたんだ。
 ちょうど今から1ヶ月前だったな。
 その日は冬の訪れを感じさせる強い風が庭の木を揺らしてた。
 軒下でひなたぼっこをするには寒すぎる。
 だからリビングのソファでばあちゃんはいつも通りに座って、俺はその膝の上にいた。ありふれた日常になるはずだった。
 なぜかその日はいつにもましてばあちゃんがよくしゃべった。
 そして昼過ぎのことだよ。
 ばあちゃんがピクリとも動かなくなったのは……。

「みゃあ」

 いくら呼びかけても起きやしない。
 夜になって帰ってきたじいさんが血相変えて肩を揺らしてた。

「おい! みず江!! 目を覚ませ――!!」

 この時、俺は思ったね。
 おい、じいさん。大きな声出せるじゃねえか。
 ばあちゃんの名前、ちゃんと言えるじゃねえか。
 ばあちゃんのこと、しっかりと抱きしめることができるじゃねえか――。
 

 次の日から、俺の定位置はばあちゃんのいない軒下になったんだよ。
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