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【番外編】怪力令嬢と三人の騎士
1 ハミルトン家の三兄弟
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「この化け物め!!」
ハミルトン家の15歳の長男、アルフレドはまだ幼い7歳の末の妹、マチルダに鋭い視線を向けながら冷たく言い放った。
化け物と言われた目の前の栗色の髪の美しい少女は、自分に放たれた言葉がすぐには受け止められず、琥珀色の瞳をぱちぱちと数度瞬かせた。
その呑気な様子にアルフレドは一層イラ立ちを覚えた。
(――マチルダが生まれて来なければ、母上は死ななかった)
7年前、マチルダを出産後に他界した、美しく優しい母親を思い浮かべるとアルフレドは眉間に深い皺を寄せ、手の中の無惨に潰れた母親の形見のネックレスを、ぎゅっと強く握り締めた。
◆◇◆
7年前――――
ハミルトン家の公爵夫人、レジーナ・ハミルトンはベッドに寄り掛かりながら、大きくなった自身のお腹を慈しむように優しく撫でた。
「強い子に育ってね」
24歳のレジーナは4人目となるお腹の子に祈るように言葉をかけた。
(あなたは私のようにならないでね……)
◆
レジーナがハミルトン公爵家に嫁いできたのは16歳の成人したばかりの歳だった。
大陸最強騎士団と謳われるハミルトン騎士団を統率する、ハミルトン家のジョージ・ハミルトン公爵の妻となることは、世の令嬢達からすれば大変羨ましがられる名誉なことであったが、候爵家で大事に育てられた世間知らずのお嬢様で、争いを好まない気弱なレジーナにとっては、気の進まない政略結婚にしか他ならなかった。
結婚後は、夫になるジョージと騎士団を陰から支えていかなければならないことと、ハミルトン家の繁栄の為、跡継ぎとなる嫡男を必ず生まなければならないという無言の重責に、レジーナは不安に押し潰されそうになっていた。
なにより、由緒正しい名門ハミルトン家の当主、ジョージ・ハミルトンは、令嬢達からも騒がれる程の端正な顔立ちをしていたものの、どこか厳格で威圧的な雰囲気を漂わせており、大人しいレジーナとは全く異なる世界の人物のように思われた。
レジーナが初めて婚約者としてジョージと顔合わせをした時のこと。
気持ち的に萎縮していたレジーナは、緊張から身体が固まり、最初の挨拶は何とか交わしたものの、それ以降、ジョージに話し掛けられてもまるで喉が閉じてしまったかのように、上手く言葉が出せず、黙り込む状態が続いていた。
己の不甲斐なさに、レジーナの目に涙がじわりと滲んだ。
畳み掛けるように己の醜態を晒すレジーナは酷く落ち込んだ。
(ああ、ダメだ。私、きっとジョージ様に呆れられてる……)
しかし、緊張に涙目で青褪めるレジーナに対して、10歳歳上の、当時26歳だったジョージはレジーナの心情を察し、寛大な心で、レジーナを気遣った。
「レジーナ嬢、そんなに緊張しなくていい。貴女は大変なプレッシャーを抱えてこの婚約に挑んでいるようだが、貴女の気負うことなど何もないと約束しよう。貴女のことは私がこの先、一生大事にするから、そのままの貴女で私の元に来て欲しい」
そう言うと、照れ臭そうにジョージは切れ長の目を下にさげ、不器用な笑顔をレジーナに向けた。
目の前で緊張に震え、涙を浮かべる年下のレジーナを見て、何とかその緊張を解こうと必死になるジョージの姿にレジーナの中でのガチガチに固まっていた彼のイメージが氷が溶けるようにゆっくりとほどけていった。
そしてようやくレジーナは、心配そうに自分の顔を覗き込むジョージの顔を正面から見ることが出来た。
深い森のように優しく包み込むような緑色の瞳に、日の光をそのまま写したようなゴールドアッシュの髪――――
世の女性を虜にしているジョージの容姿を改めてまじまじと拝見したレジーナは、今更ながら恥ずかしさに顔を赤く染めた。
(青くなったり、赤くなったり、コロコロとよく表情を変える令嬢だな。見ていて飽きないし、何よりとても可愛らしい)
レジーナの様子を心配そうに見守っていたジョージだったが、緊張が解け、今度は自分の顔を見て狼狽えているレジーナの姿に愛しさが込み上げていた。
そんな二人は順調にお互いに愛を育み、結婚すると、その一年後、待望の嫡男アルフレドが誕生した。
父親似のアルフレドに、ハミルトン家一族は大いに喜んだ。レジーナも自分の役割を一つ無事に遂行できたことに安堵した。
レジーナは続けて二年後に次男のマックス、更に二年後に三男のイーサンを誕生させた。
マックス、イーサン共にアルフレド同様、父親譲りの容姿だったので、レジーナはハミルトン家の強い遺伝子に驚いた。
三人の息子達は幼い頃より、ハミルトン家を背負っていく立派な騎士となるため、ジョージのもとで、自己研鑽に励んだ。
レジーナはそんな子供達を幸せな気持ちで温かく見守っていた。
そんな平和な日々が続いたある日。
天気の良い昼下がり、庭の木の下でレジーナは三人の息子達に絵本を読み聞かせていた。
三人の息子達がレジーナの近くに寄り添うように
、レジーナの口から語られるお話を楽しそうに聞いていると、本を読んでいたレジーナが突然「うっ」と口元を抑え、踞った。
「母上? どうされたのですか?」
7歳の長男アルフレドが、具合の悪そうなレジーナを心配するように声をかけた。
突然の眩暈と吐き気に襲われたレジーナだったが、それは一瞬の出来事だったようで直ぐに苦しさは和らいだ。
心配そうに自分を見上げるアルフレドの姿に、レジーナが安心させるようにアルフレドの頭を優しく撫でる。
「大丈夫よ、アルフレド。少し眩暈がしただけだから」
「母上! 本の続き読んで!」
「ダメだ、マックス。今日の本読みはもう終わりだ。母上はお疲れなんだ。直ぐに休んで貰わなきゃ」
5歳のマックスが、中断された本の続きをせがむように、レジーナの服の裾をツンツンと引っぱった。そんな次男の行動に、長男のアルフレドが母親を気遣い、マックスに読書の終了を告げた。
「ちぇ~。兄上のけちんぼ」
マックスは不満気に口を尖らせ、アルフレドを睨んだ。
「母上、ねんねするの?」
レジーナの膝の上に乗っていた3歳の幼いイーサンが、離れたくない様子でレジーナの胸にギュッと縋り付いた。
「ふふ、アルフレドはとても心配症のようね。でも、しっかりしていて流石は次期ハミルトン家当主ね」
しがみつくイーサンを腕に抱きかかえながら、レジーナは芝生からゆっくりと立ち上がった。
「今日はこのまま少し休ませて貰うわね。マックス、本の続きはまた明日必ず読んであげるから待っててね」
申し訳なさそうな表情でレジーナがマックスに告げると、 マックスは面白くなさそうに頬を膨らませた。
レジーナはそんなマックスに苦笑を浮かべると、マックスの膨れた頬を軽く指でツンとつついた。
頬をつつかれくすぐったい感覚に、マックスの顔に笑顔が戻る。
「……絶対明日約束だよ?」
「ええ。約束するわ」
そう言ってレジーナはマックスの頭を撫でると、最後にしっかりものの長男に声をかけた。
「アルフレド、私はイーサンと寝室に戻って休んでいるので、後はよろしくね」
「はい、母上」
気丈に振る舞ってはいるものの、母親の体調が心配なアルフレドは、不安そうに瞳を揺らし、レジーナが屋敷に入るまで、その背中を見送っていた。
部屋に戻ったレジーナは、イーサンをベッドに寝かしつけると、そっとお腹に手を当てた。
(さっきの眩暈は妊娠の貧血かしら……)
レジーナの予感は当たっており、アルフレドから話を聞いたジョージが心配して直ぐに医師を手配してくれた。そこでレジーナが第四子を身籠っていることが分かり、再び屋敷は歓喜の声に沸いた。
しかし、今回の妊娠はいつもの妊娠とは違っていた。日に日に大きくなるお腹に反し、レジーナは床に伏せるようになってしまった。
眩暈が酷く、尚且つ妊娠初期の頃は、他の子供達にはなかった酷いつわりに悩まされた。
まともに食べることすら出来ず、レジーナはどんどん痩せていき、体力も奪われ寝込みがちとなった。
「このままでは、無事に出産出来る体力が残っているかどうか……」
医師が硬い表情で、レジーナの容態についてジョージに告げた。
「そんな……」
ジョージは医師の話に言葉を失い、その場に立ち尽くした。
「……レジーナだけでも助かる方法はないのか?」
お腹の子のことを思いながらも、断腸の思いで、ジョージは医師に尋ねた。
「残念ながら……。もう安定期に入られており、お腹の赤ちゃんも大きくなられています。後は産まれてくるのを待つしかありません」
「……そうか。それなら私は二人とも無事であるように、祈るしかないのだな」
「公爵様……」
部屋に重苦しい沈黙が降りた。
「母上が……」
部屋の外で父親と医師の話をこっそりと聞いていたアルフレドはショックで目の前が真っ暗になった。
(このままでは母上が……)
最悪の考えが頭に浮かんだが、アルフレドは頭を振り、必死でその考えを散らした。
「母上に栄養をっ……!!」
咄嗟に思い付いたアイデアに、アルフレドは急いで厨房へと駆け出した。
--コンコン
寝室の扉が遠慮がちにノックされる。
ベッドで休んでいたレジーナは、扉にゆっくりと顔を向けると「どうぞ」と入室の許可を出した。
カチャリと扉が開き、そこには今にも泣き出しそうな顔のアルフレドが立っていた。
「アルフレド? どうしたの? 」
いつもと様子の違う息子に、レジーナが心配そうに声をかける。
「母上の為に、栄養のあるお食事を用意しました……」
自信がなさそうな弱々しい声を出し、アルフレドはゆっくりとワゴンに乗せた料理を、レジーナの前まで運んだ。
「もしかして、アルフレドが作ってくれたの?」
レジーナは驚きながらも身体をベッドからゆっくりと起こした。
「……はい」
アルフレドが遠慮がちに、ぱかりと料理の蓋を開ける。
「み、見た目は……かなり……悪いですが、味と栄養は問題ないです!」
日頃優等生なアルフレドの、料理に苦戦している姿を思い浮かべ、レジーナは思わず吹き出した。
「ありがとうアルフレド。……頂くわね」
お腹は全く空いていなかったが、自分を心配してここまでしてくれたアルフレドの行為に、レジーナは胸が熱くなり、思わず涙が滲みそうになったので、慌ててフォークを手にして誤魔化した。
「材料は、妊婦には安心なものをシェフから聞いて調理しています」
「そうなのね。凄いわアルフレド」
得意気に話すアルフレドを微笑ましく思いながら、レジーナはパクリと料理を口にした。
シェフから聞いたであろう、妊婦には優しい薄味で、栄養価の高い野菜の味がそのまま口の中に広がった。決して美味しいと言うわけではないが食べられない味でもなく、『流石優等生のアルフレド』と心の中でレジーナはアルフレドの優秀さを褒めた。
アルフレドの料理はさっぱりとしていて、量も少なめに配慮されており、レジーナは料理を全て食べきることが出来た。
「ありがとう。とても美味しかったわ」
にっこりと笑顔を向けたレジーナと、きれいに空になった料理のお皿を見て、アルフレドは安堵と喜びで久しぶりに心から笑顔になった。
「また頑張って栄養のある料理を作りますね!!」
「ふふ、お願いね。でも、貴方は騎士の訓練の方も頑張ってね。私は貴方が立派なハミルトン家の当主になることが何よりも望みなのだから」
「分かりました」
息子の嬉しそうな顔を見て、ふと思い付いたように、レジーナは自分の首に下げていた首飾りを、アルフレドにそっとかけて渡した。
「母上、これは?」
いつもレジーナが首にかけていた首飾りを突然自分に渡され、アルフレドは戸惑いの声を上げた。
「これは私がハミルトン家に来る前に母親から譲り受けたもので、ハミルトン家の名に恥じないように一生懸命生き、役目を果たせるようにと私の母親が強い願いを込め、渡してくれたの。」
レジーナは、ジョージと結婚してからの日々を思い返し、ふわりと柔らかく微笑んだ。
「私はお父様と結婚し、貴方達のような立派な息子を三人も産み育てたわ。私の役目は充分果たしたから、次は私が貴方にこのネックレスを渡す番」
(――アルフレドが立派なハミルトン家の当主になれますように)
レジーナは、アルフレドの首にかかるネックレスを両手で握り締めると静かに目を閉じ、祈りを込めた。
そんなレジーナの気持ちを汲み取ったアルフレドは、表情を引き締めると、力強く目の前の母親を仰ぎ見た。
「必ず、母上の期待に応えてみせます!」
「貴方なら大丈夫よ」
アルフレドの心の中に、母親とのとても大切な約束が刻まれたのだった。
数日後、母親は第四子となるハミルトン家初の女の子を出産した。
その女の子はレジーナと同じ栗色の髪と琥珀色の瞳をしており、レジーナによく似ていた。
初めての女の子はマチルダと名付けられた。
しかし、レジーナは医師の心配通り、産後の肥立ちが悪く、マチルダを出産した数日後にこの世を去った。
『強い子に育ってね』
この世を去るまでレジーナは、生まれたての愛しい我が子に毎日のように呼び掛け続けたのだった。
ハミルトン家の15歳の長男、アルフレドはまだ幼い7歳の末の妹、マチルダに鋭い視線を向けながら冷たく言い放った。
化け物と言われた目の前の栗色の髪の美しい少女は、自分に放たれた言葉がすぐには受け止められず、琥珀色の瞳をぱちぱちと数度瞬かせた。
その呑気な様子にアルフレドは一層イラ立ちを覚えた。
(――マチルダが生まれて来なければ、母上は死ななかった)
7年前、マチルダを出産後に他界した、美しく優しい母親を思い浮かべるとアルフレドは眉間に深い皺を寄せ、手の中の無惨に潰れた母親の形見のネックレスを、ぎゅっと強く握り締めた。
◆◇◆
7年前――――
ハミルトン家の公爵夫人、レジーナ・ハミルトンはベッドに寄り掛かりながら、大きくなった自身のお腹を慈しむように優しく撫でた。
「強い子に育ってね」
24歳のレジーナは4人目となるお腹の子に祈るように言葉をかけた。
(あなたは私のようにならないでね……)
◆
レジーナがハミルトン公爵家に嫁いできたのは16歳の成人したばかりの歳だった。
大陸最強騎士団と謳われるハミルトン騎士団を統率する、ハミルトン家のジョージ・ハミルトン公爵の妻となることは、世の令嬢達からすれば大変羨ましがられる名誉なことであったが、候爵家で大事に育てられた世間知らずのお嬢様で、争いを好まない気弱なレジーナにとっては、気の進まない政略結婚にしか他ならなかった。
結婚後は、夫になるジョージと騎士団を陰から支えていかなければならないことと、ハミルトン家の繁栄の為、跡継ぎとなる嫡男を必ず生まなければならないという無言の重責に、レジーナは不安に押し潰されそうになっていた。
なにより、由緒正しい名門ハミルトン家の当主、ジョージ・ハミルトンは、令嬢達からも騒がれる程の端正な顔立ちをしていたものの、どこか厳格で威圧的な雰囲気を漂わせており、大人しいレジーナとは全く異なる世界の人物のように思われた。
レジーナが初めて婚約者としてジョージと顔合わせをした時のこと。
気持ち的に萎縮していたレジーナは、緊張から身体が固まり、最初の挨拶は何とか交わしたものの、それ以降、ジョージに話し掛けられてもまるで喉が閉じてしまったかのように、上手く言葉が出せず、黙り込む状態が続いていた。
己の不甲斐なさに、レジーナの目に涙がじわりと滲んだ。
畳み掛けるように己の醜態を晒すレジーナは酷く落ち込んだ。
(ああ、ダメだ。私、きっとジョージ様に呆れられてる……)
しかし、緊張に涙目で青褪めるレジーナに対して、10歳歳上の、当時26歳だったジョージはレジーナの心情を察し、寛大な心で、レジーナを気遣った。
「レジーナ嬢、そんなに緊張しなくていい。貴女は大変なプレッシャーを抱えてこの婚約に挑んでいるようだが、貴女の気負うことなど何もないと約束しよう。貴女のことは私がこの先、一生大事にするから、そのままの貴女で私の元に来て欲しい」
そう言うと、照れ臭そうにジョージは切れ長の目を下にさげ、不器用な笑顔をレジーナに向けた。
目の前で緊張に震え、涙を浮かべる年下のレジーナを見て、何とかその緊張を解こうと必死になるジョージの姿にレジーナの中でのガチガチに固まっていた彼のイメージが氷が溶けるようにゆっくりとほどけていった。
そしてようやくレジーナは、心配そうに自分の顔を覗き込むジョージの顔を正面から見ることが出来た。
深い森のように優しく包み込むような緑色の瞳に、日の光をそのまま写したようなゴールドアッシュの髪――――
世の女性を虜にしているジョージの容姿を改めてまじまじと拝見したレジーナは、今更ながら恥ずかしさに顔を赤く染めた。
(青くなったり、赤くなったり、コロコロとよく表情を変える令嬢だな。見ていて飽きないし、何よりとても可愛らしい)
レジーナの様子を心配そうに見守っていたジョージだったが、緊張が解け、今度は自分の顔を見て狼狽えているレジーナの姿に愛しさが込み上げていた。
そんな二人は順調にお互いに愛を育み、結婚すると、その一年後、待望の嫡男アルフレドが誕生した。
父親似のアルフレドに、ハミルトン家一族は大いに喜んだ。レジーナも自分の役割を一つ無事に遂行できたことに安堵した。
レジーナは続けて二年後に次男のマックス、更に二年後に三男のイーサンを誕生させた。
マックス、イーサン共にアルフレド同様、父親譲りの容姿だったので、レジーナはハミルトン家の強い遺伝子に驚いた。
三人の息子達は幼い頃より、ハミルトン家を背負っていく立派な騎士となるため、ジョージのもとで、自己研鑽に励んだ。
レジーナはそんな子供達を幸せな気持ちで温かく見守っていた。
そんな平和な日々が続いたある日。
天気の良い昼下がり、庭の木の下でレジーナは三人の息子達に絵本を読み聞かせていた。
三人の息子達がレジーナの近くに寄り添うように
、レジーナの口から語られるお話を楽しそうに聞いていると、本を読んでいたレジーナが突然「うっ」と口元を抑え、踞った。
「母上? どうされたのですか?」
7歳の長男アルフレドが、具合の悪そうなレジーナを心配するように声をかけた。
突然の眩暈と吐き気に襲われたレジーナだったが、それは一瞬の出来事だったようで直ぐに苦しさは和らいだ。
心配そうに自分を見上げるアルフレドの姿に、レジーナが安心させるようにアルフレドの頭を優しく撫でる。
「大丈夫よ、アルフレド。少し眩暈がしただけだから」
「母上! 本の続き読んで!」
「ダメだ、マックス。今日の本読みはもう終わりだ。母上はお疲れなんだ。直ぐに休んで貰わなきゃ」
5歳のマックスが、中断された本の続きをせがむように、レジーナの服の裾をツンツンと引っぱった。そんな次男の行動に、長男のアルフレドが母親を気遣い、マックスに読書の終了を告げた。
「ちぇ~。兄上のけちんぼ」
マックスは不満気に口を尖らせ、アルフレドを睨んだ。
「母上、ねんねするの?」
レジーナの膝の上に乗っていた3歳の幼いイーサンが、離れたくない様子でレジーナの胸にギュッと縋り付いた。
「ふふ、アルフレドはとても心配症のようね。でも、しっかりしていて流石は次期ハミルトン家当主ね」
しがみつくイーサンを腕に抱きかかえながら、レジーナは芝生からゆっくりと立ち上がった。
「今日はこのまま少し休ませて貰うわね。マックス、本の続きはまた明日必ず読んであげるから待っててね」
申し訳なさそうな表情でレジーナがマックスに告げると、 マックスは面白くなさそうに頬を膨らませた。
レジーナはそんなマックスに苦笑を浮かべると、マックスの膨れた頬を軽く指でツンとつついた。
頬をつつかれくすぐったい感覚に、マックスの顔に笑顔が戻る。
「……絶対明日約束だよ?」
「ええ。約束するわ」
そう言ってレジーナはマックスの頭を撫でると、最後にしっかりものの長男に声をかけた。
「アルフレド、私はイーサンと寝室に戻って休んでいるので、後はよろしくね」
「はい、母上」
気丈に振る舞ってはいるものの、母親の体調が心配なアルフレドは、不安そうに瞳を揺らし、レジーナが屋敷に入るまで、その背中を見送っていた。
部屋に戻ったレジーナは、イーサンをベッドに寝かしつけると、そっとお腹に手を当てた。
(さっきの眩暈は妊娠の貧血かしら……)
レジーナの予感は当たっており、アルフレドから話を聞いたジョージが心配して直ぐに医師を手配してくれた。そこでレジーナが第四子を身籠っていることが分かり、再び屋敷は歓喜の声に沸いた。
しかし、今回の妊娠はいつもの妊娠とは違っていた。日に日に大きくなるお腹に反し、レジーナは床に伏せるようになってしまった。
眩暈が酷く、尚且つ妊娠初期の頃は、他の子供達にはなかった酷いつわりに悩まされた。
まともに食べることすら出来ず、レジーナはどんどん痩せていき、体力も奪われ寝込みがちとなった。
「このままでは、無事に出産出来る体力が残っているかどうか……」
医師が硬い表情で、レジーナの容態についてジョージに告げた。
「そんな……」
ジョージは医師の話に言葉を失い、その場に立ち尽くした。
「……レジーナだけでも助かる方法はないのか?」
お腹の子のことを思いながらも、断腸の思いで、ジョージは医師に尋ねた。
「残念ながら……。もう安定期に入られており、お腹の赤ちゃんも大きくなられています。後は産まれてくるのを待つしかありません」
「……そうか。それなら私は二人とも無事であるように、祈るしかないのだな」
「公爵様……」
部屋に重苦しい沈黙が降りた。
「母上が……」
部屋の外で父親と医師の話をこっそりと聞いていたアルフレドはショックで目の前が真っ暗になった。
(このままでは母上が……)
最悪の考えが頭に浮かんだが、アルフレドは頭を振り、必死でその考えを散らした。
「母上に栄養をっ……!!」
咄嗟に思い付いたアイデアに、アルフレドは急いで厨房へと駆け出した。
--コンコン
寝室の扉が遠慮がちにノックされる。
ベッドで休んでいたレジーナは、扉にゆっくりと顔を向けると「どうぞ」と入室の許可を出した。
カチャリと扉が開き、そこには今にも泣き出しそうな顔のアルフレドが立っていた。
「アルフレド? どうしたの? 」
いつもと様子の違う息子に、レジーナが心配そうに声をかける。
「母上の為に、栄養のあるお食事を用意しました……」
自信がなさそうな弱々しい声を出し、アルフレドはゆっくりとワゴンに乗せた料理を、レジーナの前まで運んだ。
「もしかして、アルフレドが作ってくれたの?」
レジーナは驚きながらも身体をベッドからゆっくりと起こした。
「……はい」
アルフレドが遠慮がちに、ぱかりと料理の蓋を開ける。
「み、見た目は……かなり……悪いですが、味と栄養は問題ないです!」
日頃優等生なアルフレドの、料理に苦戦している姿を思い浮かべ、レジーナは思わず吹き出した。
「ありがとうアルフレド。……頂くわね」
お腹は全く空いていなかったが、自分を心配してここまでしてくれたアルフレドの行為に、レジーナは胸が熱くなり、思わず涙が滲みそうになったので、慌ててフォークを手にして誤魔化した。
「材料は、妊婦には安心なものをシェフから聞いて調理しています」
「そうなのね。凄いわアルフレド」
得意気に話すアルフレドを微笑ましく思いながら、レジーナはパクリと料理を口にした。
シェフから聞いたであろう、妊婦には優しい薄味で、栄養価の高い野菜の味がそのまま口の中に広がった。決して美味しいと言うわけではないが食べられない味でもなく、『流石優等生のアルフレド』と心の中でレジーナはアルフレドの優秀さを褒めた。
アルフレドの料理はさっぱりとしていて、量も少なめに配慮されており、レジーナは料理を全て食べきることが出来た。
「ありがとう。とても美味しかったわ」
にっこりと笑顔を向けたレジーナと、きれいに空になった料理のお皿を見て、アルフレドは安堵と喜びで久しぶりに心から笑顔になった。
「また頑張って栄養のある料理を作りますね!!」
「ふふ、お願いね。でも、貴方は騎士の訓練の方も頑張ってね。私は貴方が立派なハミルトン家の当主になることが何よりも望みなのだから」
「分かりました」
息子の嬉しそうな顔を見て、ふと思い付いたように、レジーナは自分の首に下げていた首飾りを、アルフレドにそっとかけて渡した。
「母上、これは?」
いつもレジーナが首にかけていた首飾りを突然自分に渡され、アルフレドは戸惑いの声を上げた。
「これは私がハミルトン家に来る前に母親から譲り受けたもので、ハミルトン家の名に恥じないように一生懸命生き、役目を果たせるようにと私の母親が強い願いを込め、渡してくれたの。」
レジーナは、ジョージと結婚してからの日々を思い返し、ふわりと柔らかく微笑んだ。
「私はお父様と結婚し、貴方達のような立派な息子を三人も産み育てたわ。私の役目は充分果たしたから、次は私が貴方にこのネックレスを渡す番」
(――アルフレドが立派なハミルトン家の当主になれますように)
レジーナは、アルフレドの首にかかるネックレスを両手で握り締めると静かに目を閉じ、祈りを込めた。
そんなレジーナの気持ちを汲み取ったアルフレドは、表情を引き締めると、力強く目の前の母親を仰ぎ見た。
「必ず、母上の期待に応えてみせます!」
「貴方なら大丈夫よ」
アルフレドの心の中に、母親とのとても大切な約束が刻まれたのだった。
数日後、母親は第四子となるハミルトン家初の女の子を出産した。
その女の子はレジーナと同じ栗色の髪と琥珀色の瞳をしており、レジーナによく似ていた。
初めての女の子はマチルダと名付けられた。
しかし、レジーナは医師の心配通り、産後の肥立ちが悪く、マチルダを出産した数日後にこの世を去った。
『強い子に育ってね』
この世を去るまでレジーナは、生まれたての愛しい我が子に毎日のように呼び掛け続けたのだった。
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