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思い出との再会
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それから数日後。
「はあ……結局来てしまった」
チケットを片手に持った俺は、都内の小さな劇場の前で漫然と立ち尽していた。
実は、ここまで来てしまった理由は自分でもよく理解していない。遊馬夏花が俺の知る人物だと確認したかったからか? いや、画像で分からないんだから実物を見ても確信できるわけがないだろう。
しかも俺が持っているこのチケットで出来ることは、この先に控えた公演を見ることだけ。本人と直接接触することは出来ない。
劇団の情報から拠点地や練習場所はある程度割り出せるので、本人と接触する気があるのであれば別のアプローチで済む話だ。
もやもやと答えが出ないまま劇場の中に入る。
名前の知らない小さな劇団のようだが、200近くある観客席はほとんど埋まっていた。出演者の中に名前の知っている俳優が居たから、その人目当てで来ている人が殆どだろう。
マイナー劇団は集客のために知名度のある役者を起用することが多いいらしい。そこから劇団や団員の知名度を上げるのが目的だとか。
だからすでに知名度がある俳優は、出番は多いが決して主役を演じることはない。一番の見せ場は劇団自身が持っていく。
パンフレットの配役から推測するに、遊馬夏花はサブヒロイン的な立ち位置のようだった。
そうしている間に、舞台の幕が開く。
開幕は有名俳優による語りから物語が始まった。これから起こる物語の語りから、昭和後期の下町でのヒューマンドラマが展開されるようだ。
主人公の男の元にふいに現れた都会美女。そこから……なんちゃらかんちゃら。
正直、舞台は役者の演技の勢いに押されて、肝心の内容があまり頭に入ってこない。
まあ個人的に舞台は純粋にストーリーを楽しむものじゃないと思っているので、目の前の役者だけに神経を向ける。
「兄さんっ!!」
その一声と共に遊馬夏花が舞台上に姿を現す。主人公の妹役としての初登場シーンだった。
全身に鳥肌が立った。
実物を見ても確信できるわけがない? その考えはおおよそ間違ってはいなかった。
しかし俺は失念していた。
実際に目の前にすることは、その姿をみるだけではなかったのだと。
「間違いない――――あれは……夏花だ」
小さく呟き、12年振りの再会に心を奮わす。
「まったく! 兄さんはいつもいっつもワタクシ置いてけぼりに!!」
大きい身振りと共に、舞台上の夏花が大きく発声する。
あの特徴的な甲高い声は忘れるわけがない。俺の知る頃の夏花そのままだった。
それからしばらく夏花の出るシーンに釘付けになっていた。
相変わらず話の内容は頭に入ってこないし、その演技も決して称賛できるようなものではなかったけど、精一杯役を演じる夏花の姿を見て元気でやっているようだと安心する。
それと同時に思い知らされた。
夏花は舞台上の役者で、俺はそれを観ている観衆でしかない。
俺が引っ越さなければどうなっていたか? なんてものはやっぱり妄想でしかなくて、確かで間違いない現実は目の前にあった。
ああ――――そうか。
すでに俺たちは、それぞれ自分たちの道を歩んでいるんだ。
その道はもう、交じり合うことはない。
あの頃の思い出は、思い出のままに――――
だから、こうやって過去にしがみ付かずに、前を向いて歩いていなくちゃいけないんだ。
何故か――胸の奥が嫌にざわついた。
気付くと舞台の幕は下りていた。
結局、話は最後まで良く分からなかったが、役者の必死さだけは伝わったようにも思う。
舞台挨拶が終わったところで、観客たちはぱらぱらと劇場を後にする。
舞台の余韻に浸っているわけではないが、俺はなかなかソコから立ち上がれずにいた。
現実を見せつけられて、現実に引き戻されて、現実を見つめなおして、俺はただただ自分に失望するだけだった。
俺は何を期待してここに来たんだろう。俺は何を得るためにここに来たんだろう。
確かに分かるのは、この劇場を出た瞬間――――
俺の思い出は終わってしまう、ということだけだった。
「…………はあ……帰るか」
周りの観客が居なくなり、最後の一人になったところで重い腰を上げた。
すると役者や裏方が観客席に降りてきて、座席の確認を始める。その中に夏花の姿もあったので、俺は逃げるように出口へと向かった。
「すいませーん! 忘れ物ですよー!」
劇場の出口に差し掛かったところで後ろから声を掛けられる。
公演中、ずっと追いかけていた声だった。そちらを向くと、俺が座っていた座席の横に夏花が立っていた。夏花が座席から何かを拾い上げると、こちらへぱたぱたと小走りで近づいてくる。
「コレ、あなたのですよね?」
屈託のない、眩しいくらいの笑顔を俺に向け、手に持っていたスマホを差し出した。俺は空っぽになっていたポケットを軽く叩く。
「あ――ああ……すみません」
そう言って、ゆっくり手を伸ばした。
「また観に来てくださいねっ!」
夏花は元気よくそう言うと、持っていたスマホを俺に手渡した。
しばらくボーっと夏花の顔を見つめる。
「……? どうかしました?」
夏花は不思議そうに首を傾けた。
「……久しぶりだな、夏花」
「んんっ? どこかでお会いしたことありましたっけ?」
思わず呟いてしまった一言に、夏花はグイっと身を乗り出す。
「……いや、いいんだ。ごめん、今のは忘れて」
慌てて踵を返し出口へ向かう。しかしすぐに肩を掴まれ阻止された。
「ちょっと! そんな気になる言いかたして逃げようとしないでよ!」
振り返ることは出来なかった。俺は肩に手を置かれたまま自分の名前を言った。
「……昴太。…………鷹司昴太だよ」
視線だけ向けると、夏花は目を丸くして大きな口を開けている。
「え……? ウッソ!!?? 本当に!!?? 本当にコータなの!!??」
忘れられていなかった、という安堵感で胸が満たされる。
そして俺は改めて夏花の方に向き直った。
そうして、思い出の続きが始まる。
それは本当に、俺が望むことなのだろうか?
今はまだ、自分がどこに向かっているのかが分からなかった。
「はあ……結局来てしまった」
チケットを片手に持った俺は、都内の小さな劇場の前で漫然と立ち尽していた。
実は、ここまで来てしまった理由は自分でもよく理解していない。遊馬夏花が俺の知る人物だと確認したかったからか? いや、画像で分からないんだから実物を見ても確信できるわけがないだろう。
しかも俺が持っているこのチケットで出来ることは、この先に控えた公演を見ることだけ。本人と直接接触することは出来ない。
劇団の情報から拠点地や練習場所はある程度割り出せるので、本人と接触する気があるのであれば別のアプローチで済む話だ。
もやもやと答えが出ないまま劇場の中に入る。
名前の知らない小さな劇団のようだが、200近くある観客席はほとんど埋まっていた。出演者の中に名前の知っている俳優が居たから、その人目当てで来ている人が殆どだろう。
マイナー劇団は集客のために知名度のある役者を起用することが多いいらしい。そこから劇団や団員の知名度を上げるのが目的だとか。
だからすでに知名度がある俳優は、出番は多いが決して主役を演じることはない。一番の見せ場は劇団自身が持っていく。
パンフレットの配役から推測するに、遊馬夏花はサブヒロイン的な立ち位置のようだった。
そうしている間に、舞台の幕が開く。
開幕は有名俳優による語りから物語が始まった。これから起こる物語の語りから、昭和後期の下町でのヒューマンドラマが展開されるようだ。
主人公の男の元にふいに現れた都会美女。そこから……なんちゃらかんちゃら。
正直、舞台は役者の演技の勢いに押されて、肝心の内容があまり頭に入ってこない。
まあ個人的に舞台は純粋にストーリーを楽しむものじゃないと思っているので、目の前の役者だけに神経を向ける。
「兄さんっ!!」
その一声と共に遊馬夏花が舞台上に姿を現す。主人公の妹役としての初登場シーンだった。
全身に鳥肌が立った。
実物を見ても確信できるわけがない? その考えはおおよそ間違ってはいなかった。
しかし俺は失念していた。
実際に目の前にすることは、その姿をみるだけではなかったのだと。
「間違いない――――あれは……夏花だ」
小さく呟き、12年振りの再会に心を奮わす。
「まったく! 兄さんはいつもいっつもワタクシ置いてけぼりに!!」
大きい身振りと共に、舞台上の夏花が大きく発声する。
あの特徴的な甲高い声は忘れるわけがない。俺の知る頃の夏花そのままだった。
それからしばらく夏花の出るシーンに釘付けになっていた。
相変わらず話の内容は頭に入ってこないし、その演技も決して称賛できるようなものではなかったけど、精一杯役を演じる夏花の姿を見て元気でやっているようだと安心する。
それと同時に思い知らされた。
夏花は舞台上の役者で、俺はそれを観ている観衆でしかない。
俺が引っ越さなければどうなっていたか? なんてものはやっぱり妄想でしかなくて、確かで間違いない現実は目の前にあった。
ああ――――そうか。
すでに俺たちは、それぞれ自分たちの道を歩んでいるんだ。
その道はもう、交じり合うことはない。
あの頃の思い出は、思い出のままに――――
だから、こうやって過去にしがみ付かずに、前を向いて歩いていなくちゃいけないんだ。
何故か――胸の奥が嫌にざわついた。
気付くと舞台の幕は下りていた。
結局、話は最後まで良く分からなかったが、役者の必死さだけは伝わったようにも思う。
舞台挨拶が終わったところで、観客たちはぱらぱらと劇場を後にする。
舞台の余韻に浸っているわけではないが、俺はなかなかソコから立ち上がれずにいた。
現実を見せつけられて、現実に引き戻されて、現実を見つめなおして、俺はただただ自分に失望するだけだった。
俺は何を期待してここに来たんだろう。俺は何を得るためにここに来たんだろう。
確かに分かるのは、この劇場を出た瞬間――――
俺の思い出は終わってしまう、ということだけだった。
「…………はあ……帰るか」
周りの観客が居なくなり、最後の一人になったところで重い腰を上げた。
すると役者や裏方が観客席に降りてきて、座席の確認を始める。その中に夏花の姿もあったので、俺は逃げるように出口へと向かった。
「すいませーん! 忘れ物ですよー!」
劇場の出口に差し掛かったところで後ろから声を掛けられる。
公演中、ずっと追いかけていた声だった。そちらを向くと、俺が座っていた座席の横に夏花が立っていた。夏花が座席から何かを拾い上げると、こちらへぱたぱたと小走りで近づいてくる。
「コレ、あなたのですよね?」
屈託のない、眩しいくらいの笑顔を俺に向け、手に持っていたスマホを差し出した。俺は空っぽになっていたポケットを軽く叩く。
「あ――ああ……すみません」
そう言って、ゆっくり手を伸ばした。
「また観に来てくださいねっ!」
夏花は元気よくそう言うと、持っていたスマホを俺に手渡した。
しばらくボーっと夏花の顔を見つめる。
「……? どうかしました?」
夏花は不思議そうに首を傾けた。
「……久しぶりだな、夏花」
「んんっ? どこかでお会いしたことありましたっけ?」
思わず呟いてしまった一言に、夏花はグイっと身を乗り出す。
「……いや、いいんだ。ごめん、今のは忘れて」
慌てて踵を返し出口へ向かう。しかしすぐに肩を掴まれ阻止された。
「ちょっと! そんな気になる言いかたして逃げようとしないでよ!」
振り返ることは出来なかった。俺は肩に手を置かれたまま自分の名前を言った。
「……昴太。…………鷹司昴太だよ」
視線だけ向けると、夏花は目を丸くして大きな口を開けている。
「え……? ウッソ!!?? 本当に!!?? 本当にコータなの!!??」
忘れられていなかった、という安堵感で胸が満たされる。
そして俺は改めて夏花の方に向き直った。
そうして、思い出の続きが始まる。
それは本当に、俺が望むことなのだろうか?
今はまだ、自分がどこに向かっているのかが分からなかった。
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