あの頃の思い出は、いつまでも呪いのように。

gresil

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思い出との再会

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「高倉さん、調子はどうですか? お薬、ちゃんと飲めていますか?」

 聞き取りやすいように大きな声で、ゆっくりハッキリと問いかける。

「うんうん。ちゃんと飲めてるよ。お兄さんの出すお薬なら、いくらでも飲めちゃうねえ」

 そう答えるのはうちの病院で入院している患者で、80代後半のおばあちゃんだった。高倉さんは嬉しそうにニコニコした様子で応じてくれた。

「お薬はね、決まった時間に、決まった量だけ、飲んでくださいね」
「うんうん。お兄さんの言うことなら、なんでも聞いちゃうよ」
「じゃあ、お薬のことで、困ったことがあったら、何でも言ってくださいね」

 そう言ってしゃがんでいた姿勢から起き上がると、右手を両手で掴まれた。

「まあまあ、ゆっくりしていきなさいよ」

「次の患者さんのところにいかなきゃいけないから、お大事にしてくださいね」

 それでもおばあちゃんはニコニコしたまま俺の手を離さない。さて、どうしたものか……。
 俺が少し困り顔でその場に立ち尽くしていると、一人の看護師がやってきた。

「あー! トミさんまぁた若い子捕まえてデレデレしてたんでしょー。お兄さん困ってるから離してあげなってー」

 やってきたのは、先ほど白石さんを探して薬剤部に電話を入れた看護主任の早坂さんだった。このタイミングで白石さんじゃなかったことに、少し安堵をする。
 高倉さんはやってきた早坂さんの方をキッと睨みつけた。

「なんだ、アンタかい。あたしゃ今、このお兄さんと仲良くやってるんだから邪魔するんじゃないよ」
「ほーん、そんなこと言ってると、トミさんお気に入りの男の看護師さんが身体拭きにきてくれなくなっちゃうかもよー」
「そ、それは困るね……」

 そう言っておばあちゃんは俺から手を離した。

「はい、じゃあトミさん点滴のお時間だから横になってくださいねー」
「イヤだよ! あたしゃ、女と注射が大の嫌いなんだからね!!!」
「はいはーい、ワガママ言ってないで早く横になりましょーね」

 早坂さんは暴れるおばあちゃんを適当に宥めつつ、あっという間に点滴の針を刺してしまった。なんていうか、ベテランの技って感じだな。おばあちゃんの相手の仕方も針を刺す技術も、若手の看護師じゃこうもいかないだろう。

「この針抜くと血がどぶぁっと出て大変なことになるから大人しくしててねー」
「……しょうがないね。わかったよ」

 いつの間にか高倉さんは早坂さんにされるがまま大人しくなっている。そんな一連の動作に、俺は見入ってしまっていた。

「お、どうした若者ー? もしかして私に見惚れちゃってたのかー?」

 茫然と立ち尽くしていた俺に、早坂さんはそんな風に声を掛けた。

「あ、いえ……そういうわけじゃ……」

 明るめのセミロングに、大きな瞳に笑顔を絶やさないその表情。かなり童顔で、綺麗というよりは可愛いという印象が強い。言動からしても元気ハツラツなお姉さんという感じだった。シワ一つ見えない肌にいつも騙されそうになるが、この人これでも今年42歳なんだとか。
 年齢を知らない人から見ればまだ20代にも見えるその容姿は、ここまでくるとある意味化け物じみているとすら思える。

「いやー、そこは、そうなんですよ! っていうトコでしょ!」

 早坂さんはけらけら笑いながら言う。
 外見もキャラクターも良く、人望も厚いベテラン看護師。俺は今、この人に対して強い疑問を抱いてしまっていた。

「早坂さんは……なんで結婚しないんですか?」

 思わず心の声が漏れ出てしまう。
 聞いた話だと、早坂さんはずっと独身らしい。この人のポテンシャルならいつでも結婚くらい出来そうなものだが、それをしない特別な理由でもあるのだろうか。
 早坂さんは眉間に皺を寄せながら気難しそうな顔をした。

「んんっ?? それは、こんなに若々しくて美しい早坂さんが結婚していないなんて勿体ない、ならば僕が貰ってあげましょう、というプロポーズとして受け取ってもいいということかな?」
「ええっ!? プ、プロポーズ!? 俺、そんなこと言いました!?」

 いや、ただ疑問を口にしただけでそんな意味はなかったはず。しかし実際どうなんだ? 歳の差はあるけど、早坂さんならイケる気がする。早坂さんさえ良ければ俺は受け入れてしまうかもしれない、なんて血迷い始めている。

「いやあ、そんな真剣な顔されても困るなあ。冗談だよ、冗談」
「はあ……冗談、ですか……」

 そう言われるとなんか残念な気がする。俺は少しだけ肩を落とした。

「ていうかね。そういうこと軽々しく年上の女性に聞くもんじゃないよ」

 不意に鋭い視線が刺さった。背筋が一瞬にして凍り付く。

「す、すみません! 気を付けます!」
「そうだよ。30過ぎてからOLを辞めて、必死に勉強して看護師の資格を取って、それから仕事一本で生きてきたらいつの間にか完全に取り残されていて、今更結婚してもなあ、って諦めるしかなくなってしまった人間の古傷を抉ることになるんだからね。気を付けた方がいいよ、ホントに……はあ……」

 早坂さんは遠い目で呟くように言う。なんだろう。何故か掛ける言葉が見当たらない。

「それで? キミは結婚したい人?」

 そう言われて少しだけ考える。

「俺は……どうしたいのか自分でもよく分かっていなくて……」
「キミいまいくつ?」
「27ですけど……」
「あー……もしかして、周りがどんどん結婚しだして急に焦り出したクチ?」
「まあ、そんなとこです……」
「そんなとこか! キミはまだ若いんだから、細かいこと考えてないでもっと人生楽しめ!」

 早坂さんは楽しそうにそう言いながら俺の背中をバシっと叩く。普通に痛い。

「キミは自分のことを見てくれる人を、もっと大切にした方がいいよ」

 そう言い残して、早坂さんは病室を後にしていった。
 自分を見てくれる人、ねえ。そんな人がいたらこんなことを考えるまでもないんだけどな……。そんなことを考えながら残りの病室を回り薬剤部へと足を進めた。


 薬剤部へ戻ると途中、結婚について改めて考えてみた。

 と言っても、相変わらず結婚対するビジョンが全く沸いてこない。
 じゃあ、俺は夏花に何を期待していた? 少なくとも結婚まで見据えていたわけではない。

 夏花ともし付き合うことが出来たなら、という妄想は何度も繰り返ししてきた。しかし、今回夏花と再会して本気で付き合いたいと思っていたわけでもなかった。
 でも、夏花に彼氏がいるという話を聞いて、本当にショックだったのは確かだ。

 俺は何に対してショックを受けている? その正体が自分でもイマイチ分からない。
 ただこの感情を、そのまま放置しておくと何かマズいことになる、という確信だけはあった。

 この消化不良をどうにかして解決しなければ……。
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