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思い出の乖離
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食事を食事を終えると二人で施設内を回った。
サウナの中心に積み上げられた石にアロマオイルを流し込み、熱気浴と芳香浴を楽しむ部屋や、瑪瑙の石と溶岩石が敷き詰められた岩盤浴を楽しめる二種類の部屋。火照った身体をクーリング出来る涼しい部屋などを回った。
こちらの設備は女性の利用客が多く、温泉に浸かっていたおじさまたちの姿は見えなかった。雰囲気やデザインも女性向けにも思えたので、おじさまたちは温泉目的なのかもしれない。
一通り回り終えると、俺たちは施設の中心部にある階段広場へ向かった。イタリアのスペイン広場をモチーフにしたようなその場所の上にはハンモックチェアが置かれており、ちょうど誰も利用していなかったので二人でそこに横になった。
バランスを崩すと落ちてしまいそうになったけど、ハマると意外にもフィットして揺れも激しくないし心地いい。
「初めてきたけど……スパ、めっちゃいいな」
一息ついて思わず今日の総評が漏れ出る。
岩盤浴とかも初体験だったけど意外に良かった。なにがどうと聞かれても困るんだが、なんかこう、とても良かったと思う。一人だったら温泉入って帰るだけになりそうだけど、それはそれで悪くないと思えるほど、十分来る価値はありそうだ。
「いいでしょ? スパ」
「ああ。普通に住める」
これが深夜三時まで二千円弱で利用できるっていうんだから安いもんだ。朝まで利用して深夜追加料金を払ってもプラス二千円。食事代合わせても五千円ほどで済むなんて下手なホテルに泊まるよりずっといい。
ハンモックに体重を預け、静かにそっと目を閉じる。本当にこのまま眠ってしまいそうだった。まあ明日は休みだしそれでも悪くない。そう思っていた矢先――――
「ねえ、こーちゃん……あれから……ナツカに会った?」
隣でハンモックにハマる碧生の言葉で眠気が吹っ飛ぶ。
「…………その話は……しないんじゃなかったのか?」
まさか碧生の方から話題を出してくるとは思わなかった。その質問の真意が分からない今、一歩引いて応えるしかない。
「いいから答えて」
「…………会ったよ」
「なにか聞いた?」
「…………」
なにか、というのは当然二人の間に何があったかを聞いたか、ということだろう。どこまで言っていいか返答に迷い、口を噤む。
「正直に言って。私も…………全部話すから」
全部話すと言われてしまえば、俺は何も隠す必要がない。
「……中学の時に、あることがきっかけで碧生のことを傷つけてしまった。それがきっかけで碧生とは絶縁してしまった。何があったのかまでは言えない。私から話すようなことではないから。というような話を聞いたよ」
「……そう」
そう言って碧生は押し黙る。この前の件もあるので、俺からはこれ以上言えることがない。
俺は再び目を閉じ、碧生の言葉を待った。
「中学の時、周りはみんな私たちがこーちゃんのこと好きなの知ってたから、こーちゃんが引っ越して三年生になってから、結構色んな男子に告白されることがあったんだよね。みんな大して興味なかったから全部断ったけど」
そこまで周知されているとは知らなかった。みんな俺に遠慮していたんだろうか。碧生はそのまま話を続ける。
「三年生に上がると同時に一人の転入生が来た。顔もよくてスポーツ万能の男子だった。サッカー部に入部して瞬く間にエースに抜擢されたもんだから女子からの人気は爆発的に高かった。まあ、私はその人にも興味はなかったんだけど、ナツカはそうでもなかったみたい」
「ある日、私はナツカに言われて体育館倉庫へ行くことになった。そこで待っていたのは数人の三年生のサッカー部員。私はその人たちに体育館倉庫に連れ込まれ――――乱暴された」
「――っ!」
一瞬にして昂る感情を抑え込むように拳を強く握る。
「幸い、先生がすぐに気付いて未遂に終わったけど、暗い部屋で私は数人の男子に囲まれて全身を触られた。今でも――――あの時の感触が残っている――」
「この話はそこでは終わらないの。次の日、あろうことかナツカはその転入生と付き合うことになっていた。つまり、ナツカは転校生と付き合うために私を売ったんだよ」
自分の中で、色んな感情が凄い勢いで渦巻いているのが分かる。しかし、まだそのどれも言葉にならなかった。
「それから私は不登校になって、中学は卒業できたけど現役の高校受験は失敗した。人付き合いが苦手になったのもそれが原因。今はだいぶ良くなってきたけど…………男の人に触られるのだけは……どうしても無理……」
そんなことがあったんだ。今も引きずるトラウマがあってもおかしくない。俺は、女性に対する暴力は許されないことだと思っている。俺は黙ってハンモックから身体を起こした。
「温泉に入るとね、あの時の感触が洗い流されるような気がするんだ。だから私はあっちこっちの温泉に行ったり、忙しい時はこうやってスパを利用したりしてるの。こーちゃんにこの話をしなきゃと思ったから、今日もここに誘ったんだけど……ってこーちゃん?」
碧生は立ち上がった俺を見て、驚いたように顔を強張らせる。
「――誰だ?」
「え……っと……誰って何が?」
「碧生に乱暴したやつらだよ。俺が全員ぶっ殺してやる」
「ぶっ殺すって……ちょっと落ち着いて? こーちゃん」
「これが落ち着いていられるか!! そんなやつら絶対に許すことなんて出来ないだろ!! せめて一発ぶん殴ってやらないと気が済まない!!」
「その気持ちは嬉しいんだけど……今どこで何してるかなんて分からないし、そもそも名前も覚えていないような人たちだから……ね、一旦落ち着いて、こーちゃん」
怯えるように碧生は言った。そんなに怖い思いをしたのか、と思うと同時に、今碧生が怯えているのは怒りに身を任せた俺の姿なんだと気付く。
俺は大きく息を吐いて腰を落とす。もう一度大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせた。
「……ごめん。……ちょっと取り乱した」
「本当にびっくりしたんだけど……大丈夫……?」
いつの間にかハンモックから降りてきていた碧生が俺の顔を覗き込んでいた。
「大丈夫だよ。驚かせて悪かった」
「それならいいんだけど……」
そう言って再び碧生は距離をとる。
「……ニュースとかでさ、婦女暴行とかよく目にするけど、そういうので捕まる奴、本当にクズだと思うんだ。性暴力は身体に対する暴力に止まらない。それ以上に、心に深い傷を負わせてしまう。そして――――その相手の人生までも大きく変えてしまう。だから、俺は絶対に許すことが出来ない」
「うん……分かるよ。私もあの恐怖だけで、ここまで立ち直るのにとっても時間がかかった。だからこーちゃんがそう言ってくれるの、私はとっても嬉しい」
「……碧生」
「でもね――もう、ナツカとは会わないで欲しい」
突き刺すような鋭い口調で言う。
「さっきも話した通り、その原因を作ったのはナツカなんだよ。私は、私の人生は、ナツカによって台無しにされた。許せるわけが……ない」
碧生は唇をキュッと噛みしめる。
その点について思うところはあった。碧生の話はあまりにも主観的すぎる。俺には夏花がそんな簡単に碧生を売るとは思えなかったし、もしかしたら二人の間になにか誤解やすれ違いが生じているのかもしれない。
「そこは今一度、夏花にも事情を――――」
「こーちゃんは、ナツカの肩を持ったりしないよね?」
碧生はグイっと身体を寄せてくる。
「いや……肩を持つとかそういうんじゃなくて――――」
「ナツカは私を売ったの。最低の女なの。だからこーちゃんはあんな女に近寄っちゃいけないんだよ」
碧生は目を見開き、有無を言わせぬ圧を放つ。さすがに気圧されてしまって、これ以上なにかを返すことが出来なくなった。
「ほら、みて、こーちゃん」
そう言って、そっと俺の手を取る。
「私、他の男の人は駄目だけど、こーちゃんになら触れるんだ」
さらに俺の手をギュっと強く握りしめた。
「私にはこーちゃんしかいない! だから信じさせて!! お願いだから…………こーちゃんは……私から……離れないでよ……」
そのまま碧生はその場で泣き崩れる。
とてもじゃないけど、俺には強く握りしめられた碧生の手を、振りほどくことは出来なさそうだった。
サウナの中心に積み上げられた石にアロマオイルを流し込み、熱気浴と芳香浴を楽しむ部屋や、瑪瑙の石と溶岩石が敷き詰められた岩盤浴を楽しめる二種類の部屋。火照った身体をクーリング出来る涼しい部屋などを回った。
こちらの設備は女性の利用客が多く、温泉に浸かっていたおじさまたちの姿は見えなかった。雰囲気やデザインも女性向けにも思えたので、おじさまたちは温泉目的なのかもしれない。
一通り回り終えると、俺たちは施設の中心部にある階段広場へ向かった。イタリアのスペイン広場をモチーフにしたようなその場所の上にはハンモックチェアが置かれており、ちょうど誰も利用していなかったので二人でそこに横になった。
バランスを崩すと落ちてしまいそうになったけど、ハマると意外にもフィットして揺れも激しくないし心地いい。
「初めてきたけど……スパ、めっちゃいいな」
一息ついて思わず今日の総評が漏れ出る。
岩盤浴とかも初体験だったけど意外に良かった。なにがどうと聞かれても困るんだが、なんかこう、とても良かったと思う。一人だったら温泉入って帰るだけになりそうだけど、それはそれで悪くないと思えるほど、十分来る価値はありそうだ。
「いいでしょ? スパ」
「ああ。普通に住める」
これが深夜三時まで二千円弱で利用できるっていうんだから安いもんだ。朝まで利用して深夜追加料金を払ってもプラス二千円。食事代合わせても五千円ほどで済むなんて下手なホテルに泊まるよりずっといい。
ハンモックに体重を預け、静かにそっと目を閉じる。本当にこのまま眠ってしまいそうだった。まあ明日は休みだしそれでも悪くない。そう思っていた矢先――――
「ねえ、こーちゃん……あれから……ナツカに会った?」
隣でハンモックにハマる碧生の言葉で眠気が吹っ飛ぶ。
「…………その話は……しないんじゃなかったのか?」
まさか碧生の方から話題を出してくるとは思わなかった。その質問の真意が分からない今、一歩引いて応えるしかない。
「いいから答えて」
「…………会ったよ」
「なにか聞いた?」
「…………」
なにか、というのは当然二人の間に何があったかを聞いたか、ということだろう。どこまで言っていいか返答に迷い、口を噤む。
「正直に言って。私も…………全部話すから」
全部話すと言われてしまえば、俺は何も隠す必要がない。
「……中学の時に、あることがきっかけで碧生のことを傷つけてしまった。それがきっかけで碧生とは絶縁してしまった。何があったのかまでは言えない。私から話すようなことではないから。というような話を聞いたよ」
「……そう」
そう言って碧生は押し黙る。この前の件もあるので、俺からはこれ以上言えることがない。
俺は再び目を閉じ、碧生の言葉を待った。
「中学の時、周りはみんな私たちがこーちゃんのこと好きなの知ってたから、こーちゃんが引っ越して三年生になってから、結構色んな男子に告白されることがあったんだよね。みんな大して興味なかったから全部断ったけど」
そこまで周知されているとは知らなかった。みんな俺に遠慮していたんだろうか。碧生はそのまま話を続ける。
「三年生に上がると同時に一人の転入生が来た。顔もよくてスポーツ万能の男子だった。サッカー部に入部して瞬く間にエースに抜擢されたもんだから女子からの人気は爆発的に高かった。まあ、私はその人にも興味はなかったんだけど、ナツカはそうでもなかったみたい」
「ある日、私はナツカに言われて体育館倉庫へ行くことになった。そこで待っていたのは数人の三年生のサッカー部員。私はその人たちに体育館倉庫に連れ込まれ――――乱暴された」
「――っ!」
一瞬にして昂る感情を抑え込むように拳を強く握る。
「幸い、先生がすぐに気付いて未遂に終わったけど、暗い部屋で私は数人の男子に囲まれて全身を触られた。今でも――――あの時の感触が残っている――」
「この話はそこでは終わらないの。次の日、あろうことかナツカはその転入生と付き合うことになっていた。つまり、ナツカは転校生と付き合うために私を売ったんだよ」
自分の中で、色んな感情が凄い勢いで渦巻いているのが分かる。しかし、まだそのどれも言葉にならなかった。
「それから私は不登校になって、中学は卒業できたけど現役の高校受験は失敗した。人付き合いが苦手になったのもそれが原因。今はだいぶ良くなってきたけど…………男の人に触られるのだけは……どうしても無理……」
そんなことがあったんだ。今も引きずるトラウマがあってもおかしくない。俺は、女性に対する暴力は許されないことだと思っている。俺は黙ってハンモックから身体を起こした。
「温泉に入るとね、あの時の感触が洗い流されるような気がするんだ。だから私はあっちこっちの温泉に行ったり、忙しい時はこうやってスパを利用したりしてるの。こーちゃんにこの話をしなきゃと思ったから、今日もここに誘ったんだけど……ってこーちゃん?」
碧生は立ち上がった俺を見て、驚いたように顔を強張らせる。
「――誰だ?」
「え……っと……誰って何が?」
「碧生に乱暴したやつらだよ。俺が全員ぶっ殺してやる」
「ぶっ殺すって……ちょっと落ち着いて? こーちゃん」
「これが落ち着いていられるか!! そんなやつら絶対に許すことなんて出来ないだろ!! せめて一発ぶん殴ってやらないと気が済まない!!」
「その気持ちは嬉しいんだけど……今どこで何してるかなんて分からないし、そもそも名前も覚えていないような人たちだから……ね、一旦落ち着いて、こーちゃん」
怯えるように碧生は言った。そんなに怖い思いをしたのか、と思うと同時に、今碧生が怯えているのは怒りに身を任せた俺の姿なんだと気付く。
俺は大きく息を吐いて腰を落とす。もう一度大きく息を吐いて気持ちを落ち着かせた。
「……ごめん。……ちょっと取り乱した」
「本当にびっくりしたんだけど……大丈夫……?」
いつの間にかハンモックから降りてきていた碧生が俺の顔を覗き込んでいた。
「大丈夫だよ。驚かせて悪かった」
「それならいいんだけど……」
そう言って再び碧生は距離をとる。
「……ニュースとかでさ、婦女暴行とかよく目にするけど、そういうので捕まる奴、本当にクズだと思うんだ。性暴力は身体に対する暴力に止まらない。それ以上に、心に深い傷を負わせてしまう。そして――――その相手の人生までも大きく変えてしまう。だから、俺は絶対に許すことが出来ない」
「うん……分かるよ。私もあの恐怖だけで、ここまで立ち直るのにとっても時間がかかった。だからこーちゃんがそう言ってくれるの、私はとっても嬉しい」
「……碧生」
「でもね――もう、ナツカとは会わないで欲しい」
突き刺すような鋭い口調で言う。
「さっきも話した通り、その原因を作ったのはナツカなんだよ。私は、私の人生は、ナツカによって台無しにされた。許せるわけが……ない」
碧生は唇をキュッと噛みしめる。
その点について思うところはあった。碧生の話はあまりにも主観的すぎる。俺には夏花がそんな簡単に碧生を売るとは思えなかったし、もしかしたら二人の間になにか誤解やすれ違いが生じているのかもしれない。
「そこは今一度、夏花にも事情を――――」
「こーちゃんは、ナツカの肩を持ったりしないよね?」
碧生はグイっと身体を寄せてくる。
「いや……肩を持つとかそういうんじゃなくて――――」
「ナツカは私を売ったの。最低の女なの。だからこーちゃんはあんな女に近寄っちゃいけないんだよ」
碧生は目を見開き、有無を言わせぬ圧を放つ。さすがに気圧されてしまって、これ以上なにかを返すことが出来なくなった。
「ほら、みて、こーちゃん」
そう言って、そっと俺の手を取る。
「私、他の男の人は駄目だけど、こーちゃんになら触れるんだ」
さらに俺の手をギュっと強く握りしめた。
「私にはこーちゃんしかいない! だから信じさせて!! お願いだから…………こーちゃんは……私から……離れないでよ……」
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