あの頃の思い出は、いつまでも呪いのように。

gresil

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思い出の崩壊

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 スパで碧生と別れて、家に着いたのが24時過ぎ。随分のんびりしていたものだ。

 明日が休みだというのもあるし、スパが思いのほか良かったというのもあるだろう。しかし、実際はそんな暢気な話ではない。

 碧生に手を握られて泣きつかれて、一時間ほどそのままだったのだ。
 碧生はすぐに泣き止んだが、それからずっと黙ったまま。俺の手を握る強さが弱くなったり強くなったりするだけ。その間、碧生は何かに葛藤している様だった。

 結局、俺は何も声を掛けることができなかった。何を言えばいいか分からなかった。
 碧生と会うのは今日が二回目で、一回目は「ナツカの話はするな」。そして二回目の今日は「ナツカとはもう会うな」。聞いた話と合わせても、この溝はなかなか埋まりそうにない。

 ことの真意を確認するために夏花に電話をしてみたが、聞きたいことは何一つ聞けず、仕舞には連絡を取り合うことも拒まれてしまった。

 身体の疲れは癒してきたはずなのに、精神的疲弊は溜まる一方で、俺はスマホを投げ出して仰向けに大の字に寝転んだ。

 夏花は親友のためなら、自ら泥をかぶることが出来るやつだ。
 そのくせ、誰にも相談しないで一人で抱え込むから余計に拗らせるなんてこともよくあったのを思い出す。
 今回の事だって、夏花にはやっぱり事情があってそれを隠しているように感じた。そうすることで夏花自身も悪者になろうとしている気がする。

 夏花は自分のせいで碧生を傷つけたと言っていた。碧生を庇うようなことをするのは、碧生に対する罪の意識からくるものなのかは分からない。それでも、夏花が碧生のことを考えて、碧生の気持ちに寄り添っていることは確かだった。
 だとしたら、やっぱり誤解やすれ違いはあるはずなんだ。そこをうまく解消できれば、二人の溝も埋まるかもしれない。
 二人を直接合わせて話し合いが出来ればベストだが、きっとうまくはいかないだろう。碧生のあの様子だと、夏花の話を聞く耳すらもたないはずだ。ならやっぱり俺が夏花から事情を聞きだすしかない。それをうまく碧生に伝えられれば――。

 しかしそうすることは、夏花と会うなと言っていた碧生に対する裏切り行為でもある。
 会わずともそこを探るために夏花と連絡を取っていることを知れば、碧生は怒り出すかもしれない。悲しむかもしれない。少なくとも傷つけることは確かだった。

 夏花はそこらへんを見越して、自ら俺との接触を避けようとしたのだろう。関係を断ち切られた後もそこまで碧生のことを考えられるんだ。だからきっと夏花は碧生が受け入れてくれれば喜んでくれるはず。問題は碧生の方をなんとかできれば……。

 だけどどうしたらいい? どうすればいい? いくら考えても答えが出ない。
 ベストは望まない。せめてベターであれば。
 しかしどんなに思考を巡らせても、バッドな展開しか思い浮かばなかった。
 まとまらない考えは焦りを生む。そうしてどんどん悪い方向へ転がり落ちていくような感覚が俺の精神を蝕んでいった。

 俺は一体どうすれば――――

 いったい――――

「痛った!!」

 不意に奔った鼻への衝撃に、思わず身を仰け反らせる。

 目の前ではパチンパチンとトングがリズミカルに音を立てていた。未だに痛みが残る鼻をさすりながら、ふっと我に返る。

「あのですねー、鷹司さん。せっかく可愛い女の子と二人っきりで食事に来ているというのに、ずーーーーーっと心ここにあらずの態度はあんまりじゃないんですかねえ」

 ジト目で睨みつける白石さんはさらにトングを俺の目の前に突きつける。

「ご、ごめん、悪かった。だからその油まみれのトングで鼻を掴もうとするのを辞めてもらえないかな……」

 もう一度パチンパチンと音を立てると、白石さんはトングを持つ手を引っ込めた。

 俺は自分が置かれている状況を改めて整理する。

 まず昨夜、夏花と電話した後、横になって考え事をしているうちに眠りについてしまった。それから何時か分からないけど目が覚めて、ぼーとしながら食事を摂って、ぼーっとしながら日中を過ごした。
 気付くと白石さんからLINEが入っていて、そのままぼーとしながら指定された待ち合わせ場所に行って、ぼーっとしながら白石さんに連れていかれて、そして今ぼーっとしたまま焼き肉屋にいた。

 ずっと二人のことを考えていたので、今日白石さんとここまで何を話したのかを全く覚えていない。気のない生返事くらいしか返していないだろう。さすがに白石さんも怒っているようだし、気を取り直して向きあった。

「ちょっとはお話が出来る状態になりましたかね」

 白石さんは変わらずジト目で睨みつけている。

「ホントにゴメン。ちょっと考え事してたんだよ……」

 自分の手前に視線を落とすと飲みかけのビール、焼かれた数枚の肉とキムチが置かれていた。どれも手が付いているようだが、食べた記憶もその味も全く覚えがなかった。言われた通り、本当に心ここにあらずだったんだなと反省をする。

「ちょっと、っていうような状態じゃなかったですけどねえ」
「も、もう大丈夫! 今はホラ、ちゃんとしてるでしょ?」
「じゃあ鷹司さん。私との約束を覚えていますか?」

 白石さんはニコッと笑って言った。少しだけその笑顔が怖いと感じる。

「覚えてるからこうやって飯食いに来てるんだろ?」
「ペナルティのことはもうお忘れで?」
「そうだったっけ? なんのペナルティ?」
「もう! 忘れちゃったんですか? 仕方ないのでもう一度言ってあげますね。ペナルティは私の言ったことは絶対・服従ですっ」
「そんな約束はしていない! そ、そうだ! お願いを聞いてあげるって言ってた!」
「同じようなもんですよ。ちょっと強制力上がりましたけど」
「ちょっとじゃなくない!? 俺の逃げ道全然ないよね!?」

 すると白石さんは悲しそうな表情で視線を落とした。

「廃人のようになった鷹司さんの手を引いて、店まで連れて行ってあげて、席に案内して座らせる。一人でメニューと睨めっこして注文して、運ばれてきたお肉を一人で黙々と焼き続ける。全く食べようとしない鷹司さんに冷ましたお肉を口に運んであげる。食事介助までしてあげて、まるで患者さんを相手にしている気分だった。あれ? 私今オフなんだよね? 本当は楽しく食事にきたつもりなのに……そんな私の気持ち、分かりますか?」

 白石さんはキッと鋭い視線を俺に向けた。これはかなり申し訳ないことをしたと反省する。

「…………ごめんなさい。その要望に対しては善処しよう……」
「当然ですよねっ」

 そうして白石さんはまた爽やかな笑みを浮かべた。もうなんとでもなれだ。

「別に難しいことはお願いするつもりはないのでそう身構えないで下さい。ただ、私がする質問を嘘偽りなく正直に答えてくれるだけでいいですから」
「嘘偽りなく、ねえ……」
「昨日私が声を掛ける前にお話ししていた営業さん。随分親し気な感じでしたけど、あの方は顔馴染みですか?」
「そうだけど……ってやっぱり前から見てたのか」
「ええ、トミさんに絡まれる辺りから。ていうか鷹司さん! 昨日氷川さんに誘われてるなんてウソついてましたよね!? 本当は昨日の営業さんとどこかに行ってたんじゃないですか!?」
「いや……そうだけど」
「正直に言ってくれれば私だって無理強いしませんよ。私ってそんなに信用ないですか?」

 白石さんは本当に悲しそうな表情で訴えかける。さすがに少しだけ罪悪感が沸いた。

「信用、ないね」

 しかし、そんな罪悪感は一瞬で霧散した。

「ええ!!?? そこは嘘でも「そんなことないよ」って言うトコじゃないです!!??」
「だって、なんかしつこく聞かれそうだったし、あんまりサボってる時間の余裕もなかったから、氷川さんの名前を出せばすぐに引いてくれるかなって。白石さん、氷川さんのこと苦手みたいだし」
「え?? 私、氷川さんのことが苦手だなんて話し、しましたっけ……??」
「見てれば分かるでしょ」
「ふーん……そういうトコには目がいくんですね」
「いや、普通だと思うけど。それで、質問は終わりでいいのかな?」

 白石さんはそんなわけないじゃないですか、と話を続ける。そして白石さんは姿勢を正した。

「私が聞きたいことは一つだけです。鷹司さんがそんなふうになるまで悩んでることってなんですか?」

 白石さんは真面目な顔で真っ直ぐ俺の目を見る。きっとここからが本題なのだろう。しかし、今俺が抱えている問題は俺だけの問題だ。誰かを巻き込むわけにはいかない。

「どうしてそんなことを聞きたいの?」
「前から言ってるじゃないですか。私は鷹司さんのお悩み相談がしたいんですよ」
「そんなことしても白石さんの得にはならない」
「知らないんですか、鷹司さん。女の子って生き物はですね、純粋に悩んでる人の相談に乗ってあげたい生き物なんですよ。そうやって弱者の上に立ってる気分になって悦に浸る。それだけで話を聞くメリットとしては十分です」

 確かに俺は女の子という生き物に対する理解が薄いから、そう言われればそうなのかもしれないと納得するしかない。しかしそれは純粋であっても純真とは程遠いと感じた。

「いや、駄目だ。これは話せない」
「鷹司さん? 絶対・服従♡」

 そう言いながら恐怖の笑顔を突きつける。誰だよ、この子を白衣の天使なんて言ったやつは。俺にはとんでもない小悪魔にしか見えないぞ。

「…………わかったよ。……さわりだけだからな」

 結局俺は観念して少しだけ話すことにした。
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