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思い出の終わり
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その翌日、俺はいつも通り仕事へ向かう。
とは言え自宅からではなく、すずなちゃんのマンションからの出勤だった。
あれからすっと、泣き崩れるすずなちゃんの傍にいた。
このまま一人にはしておけないと思ったのか、同じ気持ちを共有していたかったのか、その理由はハッキリとしない。
ただ、あの時の俺は自分でも驚くほど冷静だった。
あんなにも辛かったことを思い出したばかりなのに、どうして俺は平常心を保つことが出来たのだろうか。
なずな先輩への気持ちが薄れてしまったというわけではなさそうだった。自分よりも取り乱すすずなちゃんを見て、冷静さを取り戻した部分はあると思う。
そんな昨日の俺とすずなちゃんの違い。
それは――――。
病院のエントランスをくぐりロビーに出る。外来が始まっていないこの時間は、入院患者が数名いるだけでとても静かな空間だった。
そんなロビーに誰よりも具合の悪そうな人物が座っているのを目にした。栄養ドリンクを片手に、今にも倒れそうなほど項垂れている。俺は恐る恐るその人物に声を掛けた。
「お、おはようございます。大丈夫ですか? 早坂さん」
早坂さんはゆっくり顔を上げ、うつろな目でこちらを見る。
「おー……おはよー若者ー。まあ、見ての通りあんまり大丈夫じゃないかなー」
「えっと……何があったんですか?」
「別にー仕事してただけだよ。昨日の朝からね」
「え!? 昨日の朝からって、通しで夜勤もやってたってことですか!?」
「そういうこと。いやー昨日、白石が急に夜勤休ませて欲しいっていうからさ。いいよって言ったんだけど、変わってくれる人誰も居なかったから、仕方なく私がぶっ通しで働いてたってわけよ。さすがにこの歳になるとキッツいわー……」
「そ、それはお疲れ様です……」
そう。すずなちゃんは昨日、出勤時間になっても落ち着きを取り戻すことはなく、そのまま休みをもらう連絡を入れていた。その穴埋めをしたのが、目の前にいる早坂さんだったのだ。
「キミさ、白石となんかあった?」
早坂さんはうつろなジト目でこちらを見てくる。
「何かあった……と言いますと?」
「いやー、休みたいって電話してきた時にすっごい号泣してたからさ。何かよほど辛いことがあったんだろうって休ませたんだけど、まさかその原因はキミじゃないよね?」
忘れていた俺なんかよりも、すずなちゃんはもっと辛かったはずなんだ。その積もり積もった長年の想いが、昨日全て流れ出してしまった。
俺の記憶を取り戻すことで、すずなちゃん自身も過去と向き合うことになってしまったから。
「……すみません。その原因……多分俺です……」
「はあ……ないわー……。私の今の有様が、失恋のショックによる産物だったなんて……」
「失恋? 多分、そういうのじゃないと思うんですけど……」
「じゃあなに?」
「それはその……なんというか……色々複雑な事情がありまして……」
「……ほーん。失恋じゃないなら白石の心のリカバリーしっかりしといてあげてよね」
「はい、それは必ず」
俺が強くそういうと、早坂さんは少しだけ口元を緩めた。
すずなちゃんには感謝しかない。俺が今こうやって立っていられるのは、どう考えてもあの子のお陰であるところは大きかった。
「さーて、あと数時間頑張りますかねー」
早坂さんは手足を伸ばしながら言う。そして栄養ドリンクをもう一本開けた。
「あ、あともう一つ、キミには言っておかなきゃいけないことがあったんだ」
「何でしょう?」
「昨晩、トミさんが亡くなったよ」
「……そうですか」
「今ならまだ霊安室にいると思うけどお別れしとく?」
「そういうのは大丈夫です」
「そっか」
それだけ交わすと、俺は更衣室へと向かった。
更衣室へ入る前に休憩室に立ち寄った。冷蔵庫にある俺の名前の書かれたパックの飲み物を取り出す。これは以前、俺が高倉トミさんから貰ったものだった。別に大事にとっておいたというわけではなく、単純に先ほどまでもらっていたことを忘れていただけなのだが。
椅子に座ってストローを指し一口飲んだ。グレープフルーツ100%の苦みが口の中に広がる。
こうやって患者が亡くなることは日常的で、俺にとっては当たり前の出来事だった。
昨日普通に話していた人が、翌朝に来たら亡くなっていたなんてことはままあること。
だからいちいち悲しんでなんかいられない。悲しくなんてない。
そう思っていた。
でもどうやら、そうじゃないらしい。
もちろん関りが強い患者、弱い患者がいるから、死に対する感じ方は同じではない。
今回のように関りが強い患者の死に対しては、やはり残念だと思うし、悲しくもある。
でも俺たちにとって誰かの死は日常的で、あまりにもそのことに慣れ過ぎていた。
昨年、祖父が亡くなった時も感じていた。
小さい頃からおじいちゃん子だった俺は、祖父の死を知った時とても悲しい気持ちだった。もう会えなくなるんだと思うと、非常に残念な気持ちだった。比べるのは少し違うかもしれないが、あの時の感情は今回の高倉さんの時とは比べ物にならないくらいだ。
それでも――――涙は流れなかった。
あの時の俺は、薄情な人間になってしまったんだと思った。
大切な人の死でも涙の一つも流れない。死に慣れ過ぎたせいで、心の底から悲しむこともできなくなってしまったんだと。
でも今、その意味がハッキリとわかった気がする。
誰かの死に慣れ過ぎで、悲しむことができなくなっているんじゃない。
誰かの死そのものを――受け入れることに慣れているんだ。
昨日なずな先輩の記憶を思い出した。
募る程の後悔が俺を襲い、溢れんばかりの感情が吹き出しそうになった。
それでも――――なずな先輩はもうこの世にはいない。
この現実だけは、素直に受け入れることが出来ていた。
だからなずな先輩の死を受け入れていないすずなちゃんを前にして、冷静さを取り戻すことができたのだろう。
以前、碧生に聞かれた病院薬剤師に執着していた理由もきっとこれだ。
誰かの死そのものに耐性を得るために。
あの時は出来なかったなずな先輩の死を、いつか受け入れることができるように。
空になったパックを握りつぶしゴミ箱に投げ捨てた。
大丈夫だ。これで俺は先に進むことができる。
それでもまだ、ひとつだけ心残りはあった。
夏花と碧生――――
本来ならば中学の時、二人の告白を断った時点で終わっていた俺たちの関係。
二人と再会して、勝手な思い出を押し付けて、振り回して、結局仲直りをさせることは出来なかった。
このまま修復することは不可能でも、せめて自分なりのけじめはつけておこう。
次が――――本当の最後だ。
とは言え自宅からではなく、すずなちゃんのマンションからの出勤だった。
あれからすっと、泣き崩れるすずなちゃんの傍にいた。
このまま一人にはしておけないと思ったのか、同じ気持ちを共有していたかったのか、その理由はハッキリとしない。
ただ、あの時の俺は自分でも驚くほど冷静だった。
あんなにも辛かったことを思い出したばかりなのに、どうして俺は平常心を保つことが出来たのだろうか。
なずな先輩への気持ちが薄れてしまったというわけではなさそうだった。自分よりも取り乱すすずなちゃんを見て、冷静さを取り戻した部分はあると思う。
そんな昨日の俺とすずなちゃんの違い。
それは――――。
病院のエントランスをくぐりロビーに出る。外来が始まっていないこの時間は、入院患者が数名いるだけでとても静かな空間だった。
そんなロビーに誰よりも具合の悪そうな人物が座っているのを目にした。栄養ドリンクを片手に、今にも倒れそうなほど項垂れている。俺は恐る恐るその人物に声を掛けた。
「お、おはようございます。大丈夫ですか? 早坂さん」
早坂さんはゆっくり顔を上げ、うつろな目でこちらを見る。
「おー……おはよー若者ー。まあ、見ての通りあんまり大丈夫じゃないかなー」
「えっと……何があったんですか?」
「別にー仕事してただけだよ。昨日の朝からね」
「え!? 昨日の朝からって、通しで夜勤もやってたってことですか!?」
「そういうこと。いやー昨日、白石が急に夜勤休ませて欲しいっていうからさ。いいよって言ったんだけど、変わってくれる人誰も居なかったから、仕方なく私がぶっ通しで働いてたってわけよ。さすがにこの歳になるとキッツいわー……」
「そ、それはお疲れ様です……」
そう。すずなちゃんは昨日、出勤時間になっても落ち着きを取り戻すことはなく、そのまま休みをもらう連絡を入れていた。その穴埋めをしたのが、目の前にいる早坂さんだったのだ。
「キミさ、白石となんかあった?」
早坂さんはうつろなジト目でこちらを見てくる。
「何かあった……と言いますと?」
「いやー、休みたいって電話してきた時にすっごい号泣してたからさ。何かよほど辛いことがあったんだろうって休ませたんだけど、まさかその原因はキミじゃないよね?」
忘れていた俺なんかよりも、すずなちゃんはもっと辛かったはずなんだ。その積もり積もった長年の想いが、昨日全て流れ出してしまった。
俺の記憶を取り戻すことで、すずなちゃん自身も過去と向き合うことになってしまったから。
「……すみません。その原因……多分俺です……」
「はあ……ないわー……。私の今の有様が、失恋のショックによる産物だったなんて……」
「失恋? 多分、そういうのじゃないと思うんですけど……」
「じゃあなに?」
「それはその……なんというか……色々複雑な事情がありまして……」
「……ほーん。失恋じゃないなら白石の心のリカバリーしっかりしといてあげてよね」
「はい、それは必ず」
俺が強くそういうと、早坂さんは少しだけ口元を緩めた。
すずなちゃんには感謝しかない。俺が今こうやって立っていられるのは、どう考えてもあの子のお陰であるところは大きかった。
「さーて、あと数時間頑張りますかねー」
早坂さんは手足を伸ばしながら言う。そして栄養ドリンクをもう一本開けた。
「あ、あともう一つ、キミには言っておかなきゃいけないことがあったんだ」
「何でしょう?」
「昨晩、トミさんが亡くなったよ」
「……そうですか」
「今ならまだ霊安室にいると思うけどお別れしとく?」
「そういうのは大丈夫です」
「そっか」
それだけ交わすと、俺は更衣室へと向かった。
更衣室へ入る前に休憩室に立ち寄った。冷蔵庫にある俺の名前の書かれたパックの飲み物を取り出す。これは以前、俺が高倉トミさんから貰ったものだった。別に大事にとっておいたというわけではなく、単純に先ほどまでもらっていたことを忘れていただけなのだが。
椅子に座ってストローを指し一口飲んだ。グレープフルーツ100%の苦みが口の中に広がる。
こうやって患者が亡くなることは日常的で、俺にとっては当たり前の出来事だった。
昨日普通に話していた人が、翌朝に来たら亡くなっていたなんてことはままあること。
だからいちいち悲しんでなんかいられない。悲しくなんてない。
そう思っていた。
でもどうやら、そうじゃないらしい。
もちろん関りが強い患者、弱い患者がいるから、死に対する感じ方は同じではない。
今回のように関りが強い患者の死に対しては、やはり残念だと思うし、悲しくもある。
でも俺たちにとって誰かの死は日常的で、あまりにもそのことに慣れ過ぎていた。
昨年、祖父が亡くなった時も感じていた。
小さい頃からおじいちゃん子だった俺は、祖父の死を知った時とても悲しい気持ちだった。もう会えなくなるんだと思うと、非常に残念な気持ちだった。比べるのは少し違うかもしれないが、あの時の感情は今回の高倉さんの時とは比べ物にならないくらいだ。
それでも――――涙は流れなかった。
あの時の俺は、薄情な人間になってしまったんだと思った。
大切な人の死でも涙の一つも流れない。死に慣れ過ぎたせいで、心の底から悲しむこともできなくなってしまったんだと。
でも今、その意味がハッキリとわかった気がする。
誰かの死に慣れ過ぎで、悲しむことができなくなっているんじゃない。
誰かの死そのものを――受け入れることに慣れているんだ。
昨日なずな先輩の記憶を思い出した。
募る程の後悔が俺を襲い、溢れんばかりの感情が吹き出しそうになった。
それでも――――なずな先輩はもうこの世にはいない。
この現実だけは、素直に受け入れることが出来ていた。
だからなずな先輩の死を受け入れていないすずなちゃんを前にして、冷静さを取り戻すことができたのだろう。
以前、碧生に聞かれた病院薬剤師に執着していた理由もきっとこれだ。
誰かの死そのものに耐性を得るために。
あの時は出来なかったなずな先輩の死を、いつか受け入れることができるように。
空になったパックを握りつぶしゴミ箱に投げ捨てた。
大丈夫だ。これで俺は先に進むことができる。
それでもまだ、ひとつだけ心残りはあった。
夏花と碧生――――
本来ならば中学の時、二人の告白を断った時点で終わっていた俺たちの関係。
二人と再会して、勝手な思い出を押し付けて、振り回して、結局仲直りをさせることは出来なかった。
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