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車窓、甘味、不思議な出会い
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長野駅に着いた私は湯田中駅行きの特急にまっすぐ……は乗らず。
改札を出て、駅ビルの散策を開始した。ちょっと欲しいものがあったのだ。
駅ビルにはお土産物の広い売り場がある。そこをうろうろとしていると、目当てのものが目に入った。
それはーー
「あった……野沢菜漬け!」
そう、野沢菜漬けである。独特の風味で少し好みが別れる商品だけれど、これで作った炒飯やお茶漬けが私は好きなのだ。遊びに行くと祖母が作ってくれた思い出の味だから、というのも大きいかもしれない。
野沢菜漬けを数袋買い、ついでにおやきもいくつか買う。フロアをさらに流し見ていると、他にも欲しいものが増えていく。
結局数十分買い物をしてから……私はようやく特急に乗り込んだのだった。
たっぷり増えた荷物を抱え、座席に着いて一息つく。
電車がゆっくりと動き出して、その速度はあっという間に上がっていった。
祖母のところに遊びに行くためにこの特急には何度も乗ったことがあるけれど……今回は乗るその理由が違う。
ーー新しい生活が、はじまるんだ。
窓の外を見ているとそんな気持ちが湧いてくる。それは大きな不安と、わずかな期待を孕んでいた。
つらいことも、悲しいことも……全部東京に置いてきた。
そんな都合がいいことになればいいのに、私の心の傷はじくじくと膿んで傷んだままだ。
元彼のこともいまだに考えてしまうし、仕事の先行きも不安でたまらない。
だけど。段々緑の色が濃くなってくる風景とどこまでも続く青い空を眺めていると、少しだけ心が軽くなったような気がした。
「なるようにしか、ならないもんね」
小さくつぶやきお土産ものの紙袋から、色とりどりの四角いものが入った袋を取り出す。それはさまざまな果汁を寒天で固めたお菓子で、素敵だったからつい買ってしまったものだ。
セロファンの個包装を解き、宝石のように煌めくお菓子を口に入れる。それは爽やかで優しい味がした。
……ペットボトルでいいから、お茶も買っておけばよかったなぁ。
これは絶対緑茶に合う味だ。
「あ……」
ふと、鈴を転がすような声が隣から聞こえた。
驚きながらそちらを見ると、一人の少女が通路に立っていた。
少し柄が掠れたいかにもふだん使いという風合いの赤い着物。それに締められた、海老茶色の渋い色の帯。少女の髪はまっすぐな黒髪で、それは無造作に背中に垂らされている。綺麗な一重の瞳が印象的な彼女の顔立ちは、まるで日本人形のように涼やかに整っていた。年の頃は十四、五歳だろうか。
まるでそこだけ明治大正の写真から抜き出したようなその風情に、私は少し目を瞠った。親の趣味にしても本人の趣味にしても、とても渋い。そしてそれが違和感なく似合っている。
少女の視線は、私が持っているお菓子にじとりと注がれている。それに気づいた私は、お菓子を一つ差し出した。
「……食べる?」
「いいの?」
彼女はぱっと表情を華やがせると、私の手からお菓子をつまみ上げ口にする。そしてもくもくと頬張ると、嬉しそうに頬を緩めた。
「……美味しい!」
「よかった。一人じゃ食べきれないと思うから、よければいくつか持っていって?」
「いいの?」
「うん。そうしてくれると嬉しいかな」
ティッシュを何枚か取り出し、お菓子をいくつか乗せる。破けないように注意しながら巾着のようにきゅっと絞り、その簡易すぎる包装のお菓子を少女に手渡した。すると彼女はそれを大事そうに懐に入れた。
「ありがとう、お姉さん」
「いいえ、気にしないで」
少し話をしてみたところ、彼女は地元の子らしい。今まで住んでいた家を出ることになったので、新しく住める家を探しているんだとか。
……まだ若いのに、苦労をしすぎなんじゃないだろうか。
「お姉さんは、観光の人?」
「ううん、私はお引越し。お祖母ちゃんからもらった一軒家に住むの」
「そっか。……優しそうだし、お姉さんの家ならいいかもな」
少女は小声でなにかをブツブツと言った後に、にこりとこちらに笑顔を向けた。
「私、先に行ってるね」
「え……先にって?」
「内緒!」
彼女の姿が揺らいで、淡雪のように空気に溶けて消える。
驚きのあまりに私は声も出せなくなってしまい、少女が消えた場所をただ凝視してしまった。
ちょっと待って……これはなにかの冗談だろうか。
改札を出て、駅ビルの散策を開始した。ちょっと欲しいものがあったのだ。
駅ビルにはお土産物の広い売り場がある。そこをうろうろとしていると、目当てのものが目に入った。
それはーー
「あった……野沢菜漬け!」
そう、野沢菜漬けである。独特の風味で少し好みが別れる商品だけれど、これで作った炒飯やお茶漬けが私は好きなのだ。遊びに行くと祖母が作ってくれた思い出の味だから、というのも大きいかもしれない。
野沢菜漬けを数袋買い、ついでにおやきもいくつか買う。フロアをさらに流し見ていると、他にも欲しいものが増えていく。
結局数十分買い物をしてから……私はようやく特急に乗り込んだのだった。
たっぷり増えた荷物を抱え、座席に着いて一息つく。
電車がゆっくりと動き出して、その速度はあっという間に上がっていった。
祖母のところに遊びに行くためにこの特急には何度も乗ったことがあるけれど……今回は乗るその理由が違う。
ーー新しい生活が、はじまるんだ。
窓の外を見ているとそんな気持ちが湧いてくる。それは大きな不安と、わずかな期待を孕んでいた。
つらいことも、悲しいことも……全部東京に置いてきた。
そんな都合がいいことになればいいのに、私の心の傷はじくじくと膿んで傷んだままだ。
元彼のこともいまだに考えてしまうし、仕事の先行きも不安でたまらない。
だけど。段々緑の色が濃くなってくる風景とどこまでも続く青い空を眺めていると、少しだけ心が軽くなったような気がした。
「なるようにしか、ならないもんね」
小さくつぶやきお土産ものの紙袋から、色とりどりの四角いものが入った袋を取り出す。それはさまざまな果汁を寒天で固めたお菓子で、素敵だったからつい買ってしまったものだ。
セロファンの個包装を解き、宝石のように煌めくお菓子を口に入れる。それは爽やかで優しい味がした。
……ペットボトルでいいから、お茶も買っておけばよかったなぁ。
これは絶対緑茶に合う味だ。
「あ……」
ふと、鈴を転がすような声が隣から聞こえた。
驚きながらそちらを見ると、一人の少女が通路に立っていた。
少し柄が掠れたいかにもふだん使いという風合いの赤い着物。それに締められた、海老茶色の渋い色の帯。少女の髪はまっすぐな黒髪で、それは無造作に背中に垂らされている。綺麗な一重の瞳が印象的な彼女の顔立ちは、まるで日本人形のように涼やかに整っていた。年の頃は十四、五歳だろうか。
まるでそこだけ明治大正の写真から抜き出したようなその風情に、私は少し目を瞠った。親の趣味にしても本人の趣味にしても、とても渋い。そしてそれが違和感なく似合っている。
少女の視線は、私が持っているお菓子にじとりと注がれている。それに気づいた私は、お菓子を一つ差し出した。
「……食べる?」
「いいの?」
彼女はぱっと表情を華やがせると、私の手からお菓子をつまみ上げ口にする。そしてもくもくと頬張ると、嬉しそうに頬を緩めた。
「……美味しい!」
「よかった。一人じゃ食べきれないと思うから、よければいくつか持っていって?」
「いいの?」
「うん。そうしてくれると嬉しいかな」
ティッシュを何枚か取り出し、お菓子をいくつか乗せる。破けないように注意しながら巾着のようにきゅっと絞り、その簡易すぎる包装のお菓子を少女に手渡した。すると彼女はそれを大事そうに懐に入れた。
「ありがとう、お姉さん」
「いいえ、気にしないで」
少し話をしてみたところ、彼女は地元の子らしい。今まで住んでいた家を出ることになったので、新しく住める家を探しているんだとか。
……まだ若いのに、苦労をしすぎなんじゃないだろうか。
「お姉さんは、観光の人?」
「ううん、私はお引越し。お祖母ちゃんからもらった一軒家に住むの」
「そっか。……優しそうだし、お姉さんの家ならいいかもな」
少女は小声でなにかをブツブツと言った後に、にこりとこちらに笑顔を向けた。
「私、先に行ってるね」
「え……先にって?」
「内緒!」
彼女の姿が揺らいで、淡雪のように空気に溶けて消える。
驚きのあまりに私は声も出せなくなってしまい、少女が消えた場所をただ凝視してしまった。
ちょっと待って……これはなにかの冗談だろうか。
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