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番外編
月と獣の舞踏会4(マクシミリアン視点)
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私がビアンカの手を引いて会場へと入ると、衆目が集まった後にどよめきのような声が上がった。
ビアンカは私に軽く微笑んでからさすがは元侯爵家令嬢という優美な仕草で会場へ歩を進めた。
人々の視線は銀糸の髪を煌めかせ、なびかせながら、凛とした視線を前に向けて進むビアンカに釘付けなのだが本人はその視線をものともしていない。
……というよりもビアンカは自己評価が低く『自分が注目を浴びる』という状況をあまり想定していないので、視線をものともしていないというよりも『自分が注目を浴びていると気づいていない』の方が正しいのだが。
これは私に大いに責任がある。
ビアンカがわがままで苛烈な侯爵家令嬢だった頃からビアンカに男が近づくことを嫌がった私は、彼女に近づく男を徹底的に排除した。
闇魔法を使い彼女に近づく男の精神を操作し彼女への興味を失せさせたり……まぁ、色々な手を使って男達を近づけなかったのだ。
その頃の彼女の評判は本人も自覚している程度に地に落ちたものだったので、ビアンカは自分の性格が原因で近づく男が誰もいないのだと思っていた。
そして彼女の自己評価はその頃の『悪い性格がにじみ出ている男にモテない女』で固定されてしまっている。
だから『そんな笑顔を男に向けないでください』と言っても『やだわ、わたくしを見ている男性なんているわけないじゃない!』という返答が未だに返ってくるのだ。
……私が徹底的に男を排除したから近づく男がいなかっただけなのだと、何度も説明したのだが。
経験が伴わないと自己評価というのはなかなか変わらないらしい。
――そんな経験をさせる気は一生無いのだが。
「マクシミリアン、流石王家主催の舞踏会ね。ご飯がとても美味しそうよ!ああ、でもコルセットがきつくて食べられないわね。この感じもなんだか懐かしいわ」
彼女は自分に向けられる熱を持った視線になんて全く気づかず、無邪気にそんなことを言う。
そんな妻に笑いかけながら私はビアンカを嘗め回すように見ている男達を、片っ端から脳内のリストに入れていった。
物欲しそうな目でビアンカを見るな。彼女が汚れる。
「ビアンカ、一曲踊ったらすぐに帰りましょうね」
「マクシミリアン!それは無理でしょう!?」
妻に向けられる視線に耐えられず早く帰宅したくてそう口走ると、ビアンカに慌てて止められた。
……私は本気なのだが。
陛下の挨拶の口上の間もチラチラとビアンカへ向けられる視線を威嚇しながら、私は気が気でない時間を過ごした。
私は子爵だ。ビアンカを守れる程の対外的な身分がない。
立身出世には全く興味がなかったが……なにか手柄を立てて陞爵を狙うことも視野に入れなければ。
陛下の口上も終わり、楽団の奏でる音楽を合図に身分の高い人々からダンスを踊り始めた。
その中にはもちろんフィリップ王子の姿も見え、私は思わずビアンカを背後に隠してしまう。
他の男にパートナーを委ねなければならないカドリールがなくてよかった。
そんなものが舞踏会の構成に組まれていたら、私は体調不良で舞踏会を辞退していただろう。
「マクシミリアン、珍しく舞踏会に来たのだな」
ダンスを踊る頃合いを測りながらビアンカとダンスを眺めていると、声をかけてきたのは王宮魔法師のダスティン・ハムリー伯爵だった。つまりは、職場の同僚である。
彼は藍色の髪と緑色の目の20代半ばの美男子で、未だ独身なのもあり令嬢からの人気も高い。
「ダスティン。再三陛下に催促され仕方なくですよ。貴方のパートナーは?」
「妹と来たんだが、今は別の者と踊っているよ。そちらが君の奥方か――……」
ダスティンがビアンカに目を向けた瞬間、その秀麗な顔が一気に赤く茹で上がった。
「…………ダスティン」
私が思わず地獄の底から這いだした鬼のような声で彼の名前を呼ぶと、ダスティンは赤くなった顔を青く変え我に返ったようだった。
「いや、すまない。マクシミリアンが長年存在を隠すわけだ……。彼女は……その、並外れて美しすぎるな」
「ビアンカと申しますわ。お初お目にかかります、ハムリー伯爵。美しいだなんてお上手ですのね」
事前に貴族名鑑を頭に入れていたらしいビアンカはダスティンの家名を口にし、美しいカーテシーを取った。
公の場に出るのは久しぶりだというのに長年の令嬢教育で培ったものは失われておらず、その仕草は指先まで美しい。
王子に厭われていたとはいえ婚約者として王妃教育まで受けていたのだ。
学んだものが抜け落ちることはそうそうないのだろう。
平民上がりの女の粗を探そうとぎらついた目でビアンカのことを見ていたご婦人、令嬢方はその優美な仕草に呆気に取られているようだった。
「マクシミリアン。彼女は本当に……その。元平民なのか?」
ダスティンがビアンカの所作を見て不思議そうな顔をする。
それを見てビアンカは控えめに……私の言いつけに気を配っているのだろう……本当に控えめに微笑んだ。
「ええ、元平民ですわ。夫に恥ずかしい思いをさせないように、急いでマナーを覚えましたの。付け焼刃のマナーですしこういう晴れやかな場には慣れなくて緊張しておりますのよ」
ビアンカは何食わぬ顔で扇子で口元を隠しながらそんなことを口にした。
高位貴族として十五年の間生きてきた妻は、私よりもよほど場慣れしている。
「いや、うちの妹に見習わせたいくらいだな……」
「ダスティン。私達はそろそろダンスを踊りますので」
ダスティンがまたぽーっとした顔でビアンカに見惚れていたので、私は妻の腰を抱いて彼からそっと離れた。
ビアンカを目立たせないように、というのは至難の業……というよりも無理難題だな。
同僚の様子を見ながら私は内心頭を抱えた。
「では、踊りましょうか。ビアンカ」
「喜んで、旦那様!」
私はビアンカの手を取りダンスを申し込んだ。
彼女の執事だった私は、ビアンカと公の場でダンスをするのは初めてだ。
そう思うとなかなかに感慨深いものがあった。
ビアンカの手を引き、ダンスフロアに滑り出す。
音楽は緩やかな曲から軽快なワルツに変わっており、彼女が不安そうな顔をしたので私は安心させようと微笑んでみせた。
彼女の細い腰を支え、軽快なリズムに乗って踊る。
ビアンカの青いドレスが蝶のようにひらめいて、ゆるく巻いた銀の髪が宙に円を描いて舞った。
ビアンカがバランスを崩そうとしたので不自然に見えないようにそっと胸に抱きこむと彼女はほっとしたように少し息を吐き、胸の中で微笑んだ。
「ありがとう、マクシミリアン。久しぶりのダンスはやっぱり不格好になってしまうわね」
不格好だなんてとんでもない。
ビアンカに今、どれだけの人々が目を奪われているか。
無事にダンスが終わり私とビアンカは微笑み合ってダンスフロアを後にした。
残りの時間は適当に過ごし、タイミングを見て退散しよう。
陛下には妻と挨拶に来るようにと言われているが……きっと忘れているだろう。
たかが子爵家の者の拝謁のことなんて、忘れているに違いない。
「セルバンデス卿」
ダンスを踊り終わった私達が会場の隅へ移動しようとしていると、侍従がこちらへ歩み寄り声をかけてきた。
「陛下がお呼びです」
その侍従の言葉に、私は思わず苦虫を嚙み潰したような顔をしてしまった。
ビアンカは私に軽く微笑んでからさすがは元侯爵家令嬢という優美な仕草で会場へ歩を進めた。
人々の視線は銀糸の髪を煌めかせ、なびかせながら、凛とした視線を前に向けて進むビアンカに釘付けなのだが本人はその視線をものともしていない。
……というよりもビアンカは自己評価が低く『自分が注目を浴びる』という状況をあまり想定していないので、視線をものともしていないというよりも『自分が注目を浴びていると気づいていない』の方が正しいのだが。
これは私に大いに責任がある。
ビアンカがわがままで苛烈な侯爵家令嬢だった頃からビアンカに男が近づくことを嫌がった私は、彼女に近づく男を徹底的に排除した。
闇魔法を使い彼女に近づく男の精神を操作し彼女への興味を失せさせたり……まぁ、色々な手を使って男達を近づけなかったのだ。
その頃の彼女の評判は本人も自覚している程度に地に落ちたものだったので、ビアンカは自分の性格が原因で近づく男が誰もいないのだと思っていた。
そして彼女の自己評価はその頃の『悪い性格がにじみ出ている男にモテない女』で固定されてしまっている。
だから『そんな笑顔を男に向けないでください』と言っても『やだわ、わたくしを見ている男性なんているわけないじゃない!』という返答が未だに返ってくるのだ。
……私が徹底的に男を排除したから近づく男がいなかっただけなのだと、何度も説明したのだが。
経験が伴わないと自己評価というのはなかなか変わらないらしい。
――そんな経験をさせる気は一生無いのだが。
「マクシミリアン、流石王家主催の舞踏会ね。ご飯がとても美味しそうよ!ああ、でもコルセットがきつくて食べられないわね。この感じもなんだか懐かしいわ」
彼女は自分に向けられる熱を持った視線になんて全く気づかず、無邪気にそんなことを言う。
そんな妻に笑いかけながら私はビアンカを嘗め回すように見ている男達を、片っ端から脳内のリストに入れていった。
物欲しそうな目でビアンカを見るな。彼女が汚れる。
「ビアンカ、一曲踊ったらすぐに帰りましょうね」
「マクシミリアン!それは無理でしょう!?」
妻に向けられる視線に耐えられず早く帰宅したくてそう口走ると、ビアンカに慌てて止められた。
……私は本気なのだが。
陛下の挨拶の口上の間もチラチラとビアンカへ向けられる視線を威嚇しながら、私は気が気でない時間を過ごした。
私は子爵だ。ビアンカを守れる程の対外的な身分がない。
立身出世には全く興味がなかったが……なにか手柄を立てて陞爵を狙うことも視野に入れなければ。
陛下の口上も終わり、楽団の奏でる音楽を合図に身分の高い人々からダンスを踊り始めた。
その中にはもちろんフィリップ王子の姿も見え、私は思わずビアンカを背後に隠してしまう。
他の男にパートナーを委ねなければならないカドリールがなくてよかった。
そんなものが舞踏会の構成に組まれていたら、私は体調不良で舞踏会を辞退していただろう。
「マクシミリアン、珍しく舞踏会に来たのだな」
ダンスを踊る頃合いを測りながらビアンカとダンスを眺めていると、声をかけてきたのは王宮魔法師のダスティン・ハムリー伯爵だった。つまりは、職場の同僚である。
彼は藍色の髪と緑色の目の20代半ばの美男子で、未だ独身なのもあり令嬢からの人気も高い。
「ダスティン。再三陛下に催促され仕方なくですよ。貴方のパートナーは?」
「妹と来たんだが、今は別の者と踊っているよ。そちらが君の奥方か――……」
ダスティンがビアンカに目を向けた瞬間、その秀麗な顔が一気に赤く茹で上がった。
「…………ダスティン」
私が思わず地獄の底から這いだした鬼のような声で彼の名前を呼ぶと、ダスティンは赤くなった顔を青く変え我に返ったようだった。
「いや、すまない。マクシミリアンが長年存在を隠すわけだ……。彼女は……その、並外れて美しすぎるな」
「ビアンカと申しますわ。お初お目にかかります、ハムリー伯爵。美しいだなんてお上手ですのね」
事前に貴族名鑑を頭に入れていたらしいビアンカはダスティンの家名を口にし、美しいカーテシーを取った。
公の場に出るのは久しぶりだというのに長年の令嬢教育で培ったものは失われておらず、その仕草は指先まで美しい。
王子に厭われていたとはいえ婚約者として王妃教育まで受けていたのだ。
学んだものが抜け落ちることはそうそうないのだろう。
平民上がりの女の粗を探そうとぎらついた目でビアンカのことを見ていたご婦人、令嬢方はその優美な仕草に呆気に取られているようだった。
「マクシミリアン。彼女は本当に……その。元平民なのか?」
ダスティンがビアンカの所作を見て不思議そうな顔をする。
それを見てビアンカは控えめに……私の言いつけに気を配っているのだろう……本当に控えめに微笑んだ。
「ええ、元平民ですわ。夫に恥ずかしい思いをさせないように、急いでマナーを覚えましたの。付け焼刃のマナーですしこういう晴れやかな場には慣れなくて緊張しておりますのよ」
ビアンカは何食わぬ顔で扇子で口元を隠しながらそんなことを口にした。
高位貴族として十五年の間生きてきた妻は、私よりもよほど場慣れしている。
「いや、うちの妹に見習わせたいくらいだな……」
「ダスティン。私達はそろそろダンスを踊りますので」
ダスティンがまたぽーっとした顔でビアンカに見惚れていたので、私は妻の腰を抱いて彼からそっと離れた。
ビアンカを目立たせないように、というのは至難の業……というよりも無理難題だな。
同僚の様子を見ながら私は内心頭を抱えた。
「では、踊りましょうか。ビアンカ」
「喜んで、旦那様!」
私はビアンカの手を取りダンスを申し込んだ。
彼女の執事だった私は、ビアンカと公の場でダンスをするのは初めてだ。
そう思うとなかなかに感慨深いものがあった。
ビアンカの手を引き、ダンスフロアに滑り出す。
音楽は緩やかな曲から軽快なワルツに変わっており、彼女が不安そうな顔をしたので私は安心させようと微笑んでみせた。
彼女の細い腰を支え、軽快なリズムに乗って踊る。
ビアンカの青いドレスが蝶のようにひらめいて、ゆるく巻いた銀の髪が宙に円を描いて舞った。
ビアンカがバランスを崩そうとしたので不自然に見えないようにそっと胸に抱きこむと彼女はほっとしたように少し息を吐き、胸の中で微笑んだ。
「ありがとう、マクシミリアン。久しぶりのダンスはやっぱり不格好になってしまうわね」
不格好だなんてとんでもない。
ビアンカに今、どれだけの人々が目を奪われているか。
無事にダンスが終わり私とビアンカは微笑み合ってダンスフロアを後にした。
残りの時間は適当に過ごし、タイミングを見て退散しよう。
陛下には妻と挨拶に来るようにと言われているが……きっと忘れているだろう。
たかが子爵家の者の拝謁のことなんて、忘れているに違いない。
「セルバンデス卿」
ダンスを踊り終わった私達が会場の隅へ移動しようとしていると、侍従がこちらへ歩み寄り声をかけてきた。
「陛下がお呼びです」
その侍従の言葉に、私は思わず苦虫を嚙み潰したような顔をしてしまった。
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