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目覚め
死ぬ瞬間というのは、案外あっけないものだと思った。
図書館の閉館時間まで、あと15分。宮本澪は返却棚の整理をしていた職員に頼まれて、奥の書庫で本を探していた。普段は入れないそのエリアに一人で放り込まれたのは、常連として顔を覚えられていたからだ。
棚の上段、届かない位置に目当ての本が見えた。踏み台を引っ張り出して、つま先で立つ。指先がほんの少し背表紙に触れた、その瞬間だった。
ぐらり、と。
古い書棚が傾いた。止める間も、逃げる間もなかった。本の滝が澪の上に降り注いで、最後に棚そのものが——
痛みは、なかった。
気がついたら、何もかもが消えていた。
* * *
最初に感じたのは、草の匂いだった。
次に、鳥の声。
それから、背中に触れる土の感触。
澪はゆっくりと目を開けた。空が見えた。見慣れない青さだった。日本の空より、少し深い——そんな感想を抱いて、すぐに自分が地面に倒れていることに気がついた。
「……え」
声が出た。自分の声だった。生きている、と思った次の瞬間、書棚の映像がフラッシュバックして、全身が粟立った。
起き上がろうとして、手をついた土が柔らかく沈む。見下ろすと、見知らぬ森の地面だった。落ち葉と苔と、名前も知らない草花。
「……どこ、ここ」
呟いた瞬間、ざわり、と空気が揺れた気がした。
気のせいかもしれない。でも確かに、言葉を発したとき、周囲の空気が微かに反応した。まるで澪の声を、世界が聞いていたかのように。
そんなわけがない、と思いながら、澪はゆっくり立ち上がった。体は普通に動く。痛みもない。傷もない。なぜか靴は日本で履いていたものではなく、素朴な革靴に変わっていた。服も変わっていた。麻のような素材のシンプルなワンピース。
「……転生、とか」
口に出してみて、自分でも馬鹿げていると思った。でも他に説明のしようがない。本の下敷きになって死んで、気づいたら森にいる。それが現実なら、答えは一つしかない。
澪はしばらくその場に立ったまま、ぼんやりと木々を見上げた。
宮本澪、17歳。高校2年生。特技は読書と、人の邪魔にならないこと。
クラスで浮いているわけじゃなかった。ただ、いてもいなくても同じような存在だった。誰かに意地悪をされたわけでも、友達がいなかったわけでもない。ただ、誰かに必要とされた記憶が、あまりない。
図書館だけが違った。あそこにいるときだけ、澪は自分の居場所を疑わなかった。本の中の言葉たちは、澪が何者であるかを問わなかった。ページを開けば、いつでも迎えてくれた。
その図書館で死んだ。我ながら、らしいと思う。
澪はため息をついた。
足元に小石が転がっていた。何気なく、蹴り飛ばそうとして——ふと、手で拾い上げた。ただの石だ。丸くて、平たい。こういう石を川に投げると、水切りができる。
川なんてどこにもないのに、そんなことを考えた。
「浮け」
独り言だった。意味もなく、ただ無意識に口から出た。
石が、浮いた。
「……え」
澪は固まった。石は宙に浮いたまま、くるくると回っている。手のひらくらいの、丸みを帯びた石が、明らかに物理法則を無視してそこにある。
数秒後、石はゆっくりと地面に落ちた。
「……今、何が」
声が震えた。落ちた石を拾い上げて、じっと見つめる。普通の石だった。何の変哲もない、森によくありそうな石。
でも確かに、浮いた。
澪が「浮け」と言った、その瞬間に。
偶然だ、と思いたかった。でも身体の奥で、何かが引っかかった。うまく言葉にならない、小さな疑問として。
死ぬ瞬間というのは、案外あっけないものだと思った。
図書館の閉館時間まで、あと15分。宮本澪は返却棚の整理をしていた職員に頼まれて、奥の書庫で本を探していた。普段は入れないそのエリアに一人で放り込まれたのは、常連として顔を覚えられていたからだ。
棚の上段、届かない位置に目当ての本が見えた。踏み台を引っ張り出して、つま先で立つ。指先がほんの少し背表紙に触れた、その瞬間だった。
ぐらり、と。
古い書棚が傾いた。止める間も、逃げる間もなかった。本の滝が澪の上に降り注いで、最後に棚そのものが——
痛みは、なかった。
気がついたら、何もかもが消えていた。
* * *
最初に感じたのは、草の匂いだった。
次に、鳥の声。
それから、背中に触れる土の感触。
澪はゆっくりと目を開けた。空が見えた。見慣れない青さだった。日本の空より、少し深い——そんな感想を抱いて、すぐに自分が地面に倒れていることに気がついた。
「……え」
声が出た。自分の声だった。生きている、と思った次の瞬間、書棚の映像がフラッシュバックして、全身が粟立った。
起き上がろうとして、手をついた土が柔らかく沈む。見下ろすと、見知らぬ森の地面だった。落ち葉と苔と、名前も知らない草花。
「……どこ、ここ」
呟いた瞬間、ざわり、と空気が揺れた気がした。
気のせいかもしれない。でも確かに、言葉を発したとき、周囲の空気が微かに反応した。まるで澪の声を、世界が聞いていたかのように。
そんなわけがない、と思いながら、澪はゆっくり立ち上がった。体は普通に動く。痛みもない。傷もない。なぜか靴は日本で履いていたものではなく、素朴な革靴に変わっていた。服も変わっていた。麻のような素材のシンプルなワンピース。
「……転生、とか」
口に出してみて、自分でも馬鹿げていると思った。でも他に説明のしようがない。本の下敷きになって死んで、気づいたら森にいる。それが現実なら、答えは一つしかない。
澪はしばらくその場に立ったまま、ぼんやりと木々を見上げた。
宮本澪、17歳。高校2年生。特技は読書と、人の邪魔にならないこと。
クラスで浮いているわけじゃなかった。ただ、いてもいなくても同じような存在だった。誰かに意地悪をされたわけでも、友達がいなかったわけでもない。ただ、誰かに必要とされた記憶が、あまりない。
図書館だけが違った。あそこにいるときだけ、澪は自分の居場所を疑わなかった。本の中の言葉たちは、澪が何者であるかを問わなかった。ページを開けば、いつでも迎えてくれた。
その図書館で死んだ。我ながら、らしいと思う。
澪はため息をついた。
足元に小石が転がっていた。何気なく、蹴り飛ばそうとして——ふと、手で拾い上げた。ただの石だ。丸くて、平たい。こういう石を川に投げると、水切りができる。
川なんてどこにもないのに、そんなことを考えた。
「浮け」
独り言だった。意味もなく、ただ無意識に口から出た。
石が、浮いた。
「……え」
澪は固まった。石は宙に浮いたまま、くるくると回っている。手のひらくらいの、丸みを帯びた石が、明らかに物理法則を無視してそこにある。
数秒後、石はゆっくりと地面に落ちた。
「……今、何が」
声が震えた。落ちた石を拾い上げて、じっと見つめる。普通の石だった。何の変哲もない、森によくありそうな石。
でも確かに、浮いた。
澪が「浮け」と言った、その瞬間に。
偶然だ、と思いたかった。でも身体の奥で、何かが引っかかった。うまく言葉にならない、小さな疑問として。
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