本の下敷きで死んだ私が転生したら、言葉が魔法になる世界だった

Kinokonoyama

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 シアの家は、村の外れにあった。
 外れ、というより半分森に飲み込まれかけているような場所だった。石造りの壁にはところどころ苔が生えていて、扉は閉めるたびにきしんだ。でも中は思ったより片付いていて、小さなテーブルと椅子、棚に並んだ素朴な食器。シアが一人で手入れしてきた痕跡が、あちこちにあった。
 出てきたのは黒パンとスープだった。飾り気のない食事だったが、エリアには十分すぎた。
「おいしい」
「本当に? お世辞じゃなくて?」
「お世辞を言う理由がない」
 シアはしばらくエリアの顔を見てから、満足そうに笑った。
 食事を終えて、二人はしばらく黙っていた。悪い沈黙じゃなかった。ただ、それぞれが自分のことを考えていた。
 エリアはテーブルに頰杖をついて、天井を見上げた。
 これからどうする。
 転生した。異世界に来た。それはわかった。でも目的も、使命も、今のところ何もない。王道のファンタジーなら勇者として召喚されるとか、何か役割があるはずだが、エリアはただ書棚の下敷きになって死んで、気づいたら森にいただけだ。
 とりあえず、今夜の寝る場所は確保できた。シアが「狭いけど」と言いながら部屋の隅を貸してくれた。
 明日のことは、明日考えればいい。
 そう思って目を閉じかけた、その瞬間だった。
「——化け物だ!!」
 村の方から、叫び声が聞こえた。
* * *

 外に飛び出すと、村人たちが我先にと逃げ回っていた。
 悲鳴が重なる。子供の泣き声。誰かが転んだ。
 その中心に、それはいた。
 狼——いや、狼だったもの、と言うべきか。四つ足の獣だが、体は一回り以上大きく、毛並みは黒ずんで艶を失っている。目が、おかしかった。本来の色が滲んで消えかけているような、濁った灰色。焦点が定まっていない。でも確かに、何かを探すように村の中を徘徊している。
 呪文を叫ぶ者がいた。魔法の素質を持つ村人が、震える声で習得した呪文を唱えた。炎が走り、風が唸った——でも魔獣の体に触れた瞬間、霧散した。まるで言葉が、届いていないように。
「効かない……!」
「なんで、なんで効かないんだ——!」
 別の村人が叫んだ。
「——静寂魔獣だ……!」
 老人の声だった。震えていた。
「静寂の呪いに侵された魔獣だ。呪文が通じん。普通の魔法じゃ効かん、逃げろ!」
 エリアの隣でシアが息を飲んだ。
「あれが村に来るのは初めて。普通は森の奥にしかいないのに——」
 その言葉が終わる前に、魔獣がこちらを向いた。
 濁った目が、エリアを捉えた。
 違う、とエリアは思った。私を見ているんじゃない。私の——声を、聞いている?
「シア、下がって」
 気づいたら言っていた。シアの肩を押して、自分が前に出た。
 魔獣が低く唸った。地面が微かに震えた。
 エリアは足が竦むのを感じた。怖い。当たり前だ。こんな生き物と対峙した経験なんてない。
 でも、足は止まらなかった。
 なぜか、言葉が来た。
「——止まれ」
 空気が、割れるように震えた。
 魔獣の足が、ぴたりと止まった。
 村人たちの動きも止まった。悲鳴が消えた。全員が、息を飲んで、エリアを見ていた。
 魔獣は止まったまま、低く喉を鳴らした。苦しそうに、それでも足が動かないとでもいうように、体をよじった。
 唇が、かすかに震えていた。でも言葉は、震えていなかった。
「……戻れ。森へ」
 魔獣の体が、ゆっくりと向きを変えた。
 一歩、二歩。よろめくように、でも確かに、森の方へ歩き出した。そのまま木々の間に消えていく。
 しばらく誰も動かなかった。
 最初に動いたのはシアだった。エリアの袖を、ぎゅっと掴んだ。
「……エリア」
「うん」
「今、何をしたの」
 エリアは答えられなかった。
 わからない。本当に、わからない。ただ言葉を言っただけだ。「止まれ」と言ったら止まった。「戻れ」と言ったら戻った。
 石が浮いたときと、同じだ。
 森の場面が頭をよぎった。あのとき感じた、うまく言葉にならない引っかかり。
 今は、もう少しだけ、輪郭がはっきりしていた。
 でも確信には、まだ遠い。
「……わからない」
 正直に答えた。
 村人たちの視線が、じわじわとエリアに集まってきた。恐怖と、困惑と、それから——何か別のものが混じった目で。
 エリアはそっと視線を逸らした。注目されるのは、苦手だった。
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