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40 聖女でなくとも
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騒がしい足音が意識を鮮明にしていく。見覚えのある部屋の中で目を覚ますと、ネリーが飛びついてきた。
「ネリー?」
肩が震えている。その顔を見ようとした所で抱きつく力は増すばかりだった。
「ブリジット様! 良かった、本当に良かった」
ネリーの肩越しに見えたハイスの姿に思わず涙が込み上げてきてしまう。ハイスの目も涙で赤くなっているように見えた。
「あれからどうなったの? 私一体どのくらい……」
「全て終わりました。ブリジット様のおかげです」
「皆は無事ですか? リアム様は? ダニエル様はご無事ですか!?」
ハイスは柔らかい笑みを浮かべて頷いた。
「リアム殿下もダニエル王子もご無事です。リアム殿下は先日王位を継承され、国王となられました」
「お怪我は? 確かネリーが治してくれたのよね?」
背中を叩くとようやく身体が離される。ネリーは得意そうに頷いた。
「精霊の住処で治療したんだよ。あそこはブリジットも知っての通り、時が止まっているだろう? あれ以上悪化しようがなかったってわけ」
「そうだわ、私戻らないと! あれからどの位経ってしまったの? ウンディーネ様との約束があったのに」
「八ヶ月だよ」
するとネリーはブリジットの胸元を指差した。下を向くといつの間にか水の石が首から下がっている。ひんやりとする感覚に自然と心が落ち着いていくのが分かった。
「今回の褒美だ。少しの間貸してやる事にした。ありがたく思え」
気がつくと部屋の中でソファに座っていた姿が立ち上がった。
「ウンディーネ様!」
カランと氷の動く音と共にグラスが置かれる。冷たいハーブティーを飲み干したウンディーネは、澄ました顔で寝台の端に腰掛けた。長くさらりとした銀髪の隙間から見下ろしてきた目と目が合う。
「そろそろ頃合いだと思ってな。お前は妻クビだ。全く、これ以上身勝手な者を側に置いておく事は出来ん」
「でもウンディーネ様と結婚しないと私は死んでしまうのではありませんか?」
「お前の残りの人生分位の間はそれを貸してやってもいい。それがお前の命を繋ぐ。でも次は助けてやらんぞ。お前はもう聖女でもなんでもないんだから、ここまでしてもらえる事をありがたく思え」
「ネリー達のお母様はご無事ですか?」
「心配しなくとも元気にしている。まだまだ暫くは小言を聞く羽目になるだろうな」
ブリジットはウンディーネに抱き付いた。
「こら、離れろ!」
それでも大きなひんやりとした手が背中を撫でてくれる。
「短い人の生だ。つつがなく暮らせ」
そういうと腕の中から厚みが消え、ブリジットは虚空を抱き締めたまま前に倒れた。その身体をハイスがとっさに支えてくれる。そして間近で目が合った瞬間、瞬時に離れた。
「ねえ、僕がいる事忘れていない?」
寝台に肘を突きながら上目遣いで見てくるネリーはどこか楽しそうだ。そして立ち上がると部屋を出て行ってしまった。
「全く、勝手な奴だな。だが言われてみれば精霊らしいか」
独り言のように言われた言葉に反応すると、ハイスは迷いながら寝台の端に腰掛けた。
「ネリーが精霊だと聞かされた時は驚きました。それとあなたの夫がウンディーネ様だとも。すみません、了承も得ず勝手に知ってしまい……」
「そんな事ありません! といいますか、夫といっても外に出る為の形ばかりのものでした」
「それも伺いました」
「そうでしたか」
なんとなく言葉が繋がらず視線を彷徨わせていると、ハイスは置いていた手に手を重ねてきた。
「体調が戻ったら陛下のところに会いに行きませんか? その後でお話したい事がございます」
「お話、ですか」
「陛下にお会いした後に聞いて頂きたいのです」
「分かりました」
動けるようになったのはそれから二週間後の事だった。八ヶ月も眠ったままで生きる事が出来たのは、水の石のおかげなのだろう。感謝してもしきれない想いを何度も石に祈っていると、時折水の石がいつもより冷たく感じる事があり、そんな時はウンディーネが聞いているのだろうと思えた。
馬車は王城の門へと入っていく。ハイスに連れられて向かったのは王の間ではなく、城の中にある中庭だった。広い庭には今までにはなかった幾つもの遊び場が作られていた。木に括り付けられたブランコには、無表情のまま侍女に背中を押されているダニエルの姿があった。
「ッ、ダニエル王子」
生きているとは聞いていたが、動いている姿を見ると胸が苦しくなってしまう。そしてハイスはそこから少し離れた所に座る人影を指差した。
「リアム様もご無事で……」
向こうも気が付き、こちらに向かってきてくれる。そしてその姿にブリジットは固まってしまった。リアムは車椅子に座っていた。少し離れて止まると車椅子を押していた侍女を断り、自ら車輪を回して近づいてくる。そして照れくさそうに笑ってみせた。
「意識が戻ったとは聞いていたが、動いている姿を見るとまた一段と感無量だな」
「よくご無事で。でも……」
「足を駄目にしてしまったらしい」
「私のせいです。私を庇ったりしたから!」
「いや、きっとリリアンヌは私を狙ったのだろう。そして共に死のうとしたのだと思う」
「リリアンヌ様は今どこに?」
「元いた離れの屋敷に戻らせた。ダニエルの教育上、リリアンヌとは離れた方がいいと私が判断したんだ。元はと言えば父と私が招いた結果だ。お前には沢山迷惑を掛けたな。すまない」
「陛下、それはいけません」
ハイスは周りを見渡したが誰もそばにはいない。それでもハイスの顔は厳しいものだった。
「王族が謝ってはいけないと言うのだろう? 分かっているさ。それでもブリジットにはもう一度きちんと伝えたかったんだ」
「許します。リアム様を許します」
そうはっきり言うと、リアムは目を真っ赤にしてくるりと後ろを向いてしまった。
「ありがとう。もう行くよ。ダニエル!」
リアムが呼ぶとダニエルはブランコを降りて無言のままリアムの少し後ろを歩き出した。
「あのお二人はこれからです。陛下はダニエル王子をご自分のお子として、お育てになるというご覚悟をされました」
「とても勇気のいるご決断です。あれが本来のリアム様のお姿なのですね」
目頭が熱くなりその背中を見送っていると、隣りで咳払いが聞こえた。
「場所を移しましょうか」
ハイスに連れて行かれたのは、王都が一望出来る小高い丘の上だった。
「ここから王都の上空に邪気を見た時は、正直絶望しました。だから今ここに来て王都を見ると、本当に世界は救われたのだと実感します」
「本当に皆で乗り越えたんですね。マチアス殿下の事は残念でなりません」
「お可哀想な幼少期だったとは思いますが同情は出来ません。同情するには、あまりにも多くの犠牲を出してしまったのですから」
「分かっています。でもダニエル王子のように、手を差し伸べてくれる方がいたならと思ってしまいます」
「本当にブリジット様はお優しいですね。お話しておきたかった事なのですが、今ここで伝えさせて下さい」
緊張した面持ちで、ハイスは王都を見下ろしながら言った。
「私とルイーズ嬢との婚約はなくなりました」
「それは破談、という事でしょうか?」
「そうなりますね。ルイーズ嬢はアレク王子と共に帰られました」
「アレク王子?」
「ラウンデル王国の王子です。訳あって神殿にいたのですが、この度お国に帰らなければならないご事情があるそうで、ルイーズ嬢と共にアマンダも付いて行ったんですよ。ルイーズ嬢はともかく、アマンダは聖女見習いとして残ってほしかったんですがね」
「ハイス様は、その、宜しいのですか?」
ブリジットはなんとも言えない面持ちで俯くと、耐えきれなくなったハイスが吹き出した。
「ご心配には及びませんよ。円満破談です」
「そうですか。でも、そうするとハイス様はまた一から奥様をお探しになられるのですね」
言葉にしてみると、鋭い痛みが胸に走った気がした。
「そうですね、私もさすがにいい年になりますから、お相手探しも難航するでしょう」
「そんな事ありません! ハイス様はお優しくてお強くて誠実で、それにこれだけ格好いいのですから、いくらでもお相手は、いらっしゃいます……」
尻すぼみになると同時に真っ赤になってしまう顔を隠すようにブリジットは更に顔を下へ向けた。
「それならブリジット様がお相手になってくださいますか?」
「へ? 私ですか?」
「ずっとそうなればいいと思っておりました」
「私は無理です、駄目です! どう逆立ちしても釣り合いません!」
「そうですか、それなら仕方ありませんね」
「そうですよ。仕方ないんです」
なぜだか涙が出そうになってしまう。泣く資格はないのだと思いながらも止める事が出来なかった。ハイスの大きな手が頬を包み込んでくる。あまりにも優しい表情で見下ろしてきた。
「私はもう身分や立場を考えて動くのは止める事にしたんです。この命はここにある事が奇跡のようなものです。だから大事なものは大事だときちんと言葉にしなくてはと思いました」
「でも私は、もう聖女ではありません」
「関係ありませんよ。でも私の考えをあなたに強いる事はしたくありません。だから私が公爵家も神官長の座も捨てる事にします。それなら同じ平民同士、方や離婚歴がある者と、方や婚約者に逃げられた者で丁度良いでしょう?」
ついに大粒の涙が溢れていてしまう。ブリジットは子供のように泣きながら、ハイスの手に手を重ねた。
「そんなの絶対に駄目です! 分かっているでしょう!」
「でも私はあなたを諦めたくないんです。もう絶対に手放したくない。何を引き換えにしても。これは私の我儘なんです」
「ずるいです、私が断れないと思って……」
「お嫌なら断ってください。言ったでしょう? 強いたくないと。私の妻になってくれますか?」
ブリジットは涙を擦ると、声を震わせながら頷いた。
「もちろんです」
その瞬間、熱い唇が押し当てられる。抱き上げられて見下ろす形になったハイスは、下から何度も啄むような口付けをしてきた。
「夢のようだ。あなたが腕の中にいるなんて」
「現実ですよ。私はハイス様の腕の中にいます。いつまでも!」
「お父様とお母様はまだ起きて来ないの?」
ネリーと添い寝をしていた四才になるロクサーヌは、寝ぼけなまこのネリーの髪を引っ張りながら、ぱっちりと覚めてしまった目を動かしていた。しかしその身体もネリーに絡め取られてしまう。
「妹か弟が欲しいならもう少し寝ていようね」
「私、弟が欲しい! だってもう姉妹はいるし、次は兄弟が欲しいの!」
「姉妹? どこにいるの」
ネリーは寝ぼけたまま寝台から出ようとするロクサーヌの腕を引いて、まだ夜明け前の毛布の中に押し込んだ。
「だってネリーは姉様でしょう? 本当の事言ってよ」
「だから僕は侍女だってば」
「うそうそ、だってお母様はずっごくネリーの事を可愛がっているもの」
「いい子、良く気が付いたね」
ロクサーヌは嬉しそうに、ひんやりとするネリーの身体に抱き付いた。
「……ん、待って、声が」
ブリジットは自身の腕で口を押さえながら下に潜っているハイスの肩を掴んだ。モソモソと毛布の中で動くハイスは手を伸ばすと口を押さえている腕を離させた。
「我慢しないで下さい。ちゃんと聞かせて」
「嫌です! こんな時間から、んうぅ!」
話しながらもハイスはぬぷりと指を進め、器用に動かしながら水音を出し始める。剥がれた毛布の中からは、中で行われていた卑猥な匂いが一気に鼻に届いてきた。顔を真っ赤にしながらブリジットが半身を起こすとすかさず口付けの嵐が振ってくる。すぐに深くなる口付けを受け入れながら、ブリジットはもう何度目かの絶頂を迎えていた。ぐったりとしている身体にハイスの大きな身体が乗ってくる。そして身体が重ねられると、もう何度も味わって知ってしまった快感を期待して、身体は勝手に動くのだった。
「あなたの身体は何度味わっても味わい足りないです」
ハイスが緩く身体を揺すり始めると、ブリジットは涙を讃えた目でハイスを見上げた。
「もう駄目だって、言いましたッ」
「本当に? それじゃあ止めますか? 愛しい妻が嫌がる事はしたくないですから」
するとブリジットはハイスの身体にしがみついた。
「嫌な訳じゃなくて、ただ節操の問題、なのッ」
強めに貫かれた身体は無意識に反応し、甘い嬌声が上がってしまう。腰を打ち付けてくる度に甘い快感が腰から全身に広がってブリジットはただ喘ぐしか出来なくなっていた。
「愛している、ブリジットッ」
ハイスは横に倒れると、ビクビクと痙攣している身体を落ち着かせるように優しく撫で続けた。乱れた呼吸を整えながら蕩けた視線が向けられる。
「少しは自重して下さいませね、旦那様」
少し怒ったつもりなのだろうか、全く説得力のないその表情に堪らずそのまま深く口付けをした。
「私は自分がこんなに抑えのきかない人間だとは思いませんでした」
火照りが落ち着いた身体を清め、毛布を掛けたハイスは冷え始めた身体を包み込みながら呟いた。
「それはきっと今まで我慢していた分の反動ですね」
「それもこれもあなただからです、ブリジット」
「私もです、ハイス様」
ブリジットはすでに微睡み始めている。それでも懸命に返事をしようとしている姿は可愛さの塊だった。朝はもうすぐそこまで近付いてきている。それでもまだ、この幸せなこの時間を手放す気にはなれない。あと少し、小さな姫が待ちきれずにこの間に飛び込んで来るまではこのままでいよう。ハイスは抱きしめる腕に力を込めると目を瞑った。
「ネリー?」
肩が震えている。その顔を見ようとした所で抱きつく力は増すばかりだった。
「ブリジット様! 良かった、本当に良かった」
ネリーの肩越しに見えたハイスの姿に思わず涙が込み上げてきてしまう。ハイスの目も涙で赤くなっているように見えた。
「あれからどうなったの? 私一体どのくらい……」
「全て終わりました。ブリジット様のおかげです」
「皆は無事ですか? リアム様は? ダニエル様はご無事ですか!?」
ハイスは柔らかい笑みを浮かべて頷いた。
「リアム殿下もダニエル王子もご無事です。リアム殿下は先日王位を継承され、国王となられました」
「お怪我は? 確かネリーが治してくれたのよね?」
背中を叩くとようやく身体が離される。ネリーは得意そうに頷いた。
「精霊の住処で治療したんだよ。あそこはブリジットも知っての通り、時が止まっているだろう? あれ以上悪化しようがなかったってわけ」
「そうだわ、私戻らないと! あれからどの位経ってしまったの? ウンディーネ様との約束があったのに」
「八ヶ月だよ」
するとネリーはブリジットの胸元を指差した。下を向くといつの間にか水の石が首から下がっている。ひんやりとする感覚に自然と心が落ち着いていくのが分かった。
「今回の褒美だ。少しの間貸してやる事にした。ありがたく思え」
気がつくと部屋の中でソファに座っていた姿が立ち上がった。
「ウンディーネ様!」
カランと氷の動く音と共にグラスが置かれる。冷たいハーブティーを飲み干したウンディーネは、澄ました顔で寝台の端に腰掛けた。長くさらりとした銀髪の隙間から見下ろしてきた目と目が合う。
「そろそろ頃合いだと思ってな。お前は妻クビだ。全く、これ以上身勝手な者を側に置いておく事は出来ん」
「でもウンディーネ様と結婚しないと私は死んでしまうのではありませんか?」
「お前の残りの人生分位の間はそれを貸してやってもいい。それがお前の命を繋ぐ。でも次は助けてやらんぞ。お前はもう聖女でもなんでもないんだから、ここまでしてもらえる事をありがたく思え」
「ネリー達のお母様はご無事ですか?」
「心配しなくとも元気にしている。まだまだ暫くは小言を聞く羽目になるだろうな」
ブリジットはウンディーネに抱き付いた。
「こら、離れろ!」
それでも大きなひんやりとした手が背中を撫でてくれる。
「短い人の生だ。つつがなく暮らせ」
そういうと腕の中から厚みが消え、ブリジットは虚空を抱き締めたまま前に倒れた。その身体をハイスがとっさに支えてくれる。そして間近で目が合った瞬間、瞬時に離れた。
「ねえ、僕がいる事忘れていない?」
寝台に肘を突きながら上目遣いで見てくるネリーはどこか楽しそうだ。そして立ち上がると部屋を出て行ってしまった。
「全く、勝手な奴だな。だが言われてみれば精霊らしいか」
独り言のように言われた言葉に反応すると、ハイスは迷いながら寝台の端に腰掛けた。
「ネリーが精霊だと聞かされた時は驚きました。それとあなたの夫がウンディーネ様だとも。すみません、了承も得ず勝手に知ってしまい……」
「そんな事ありません! といいますか、夫といっても外に出る為の形ばかりのものでした」
「それも伺いました」
「そうでしたか」
なんとなく言葉が繋がらず視線を彷徨わせていると、ハイスは置いていた手に手を重ねてきた。
「体調が戻ったら陛下のところに会いに行きませんか? その後でお話したい事がございます」
「お話、ですか」
「陛下にお会いした後に聞いて頂きたいのです」
「分かりました」
動けるようになったのはそれから二週間後の事だった。八ヶ月も眠ったままで生きる事が出来たのは、水の石のおかげなのだろう。感謝してもしきれない想いを何度も石に祈っていると、時折水の石がいつもより冷たく感じる事があり、そんな時はウンディーネが聞いているのだろうと思えた。
馬車は王城の門へと入っていく。ハイスに連れられて向かったのは王の間ではなく、城の中にある中庭だった。広い庭には今までにはなかった幾つもの遊び場が作られていた。木に括り付けられたブランコには、無表情のまま侍女に背中を押されているダニエルの姿があった。
「ッ、ダニエル王子」
生きているとは聞いていたが、動いている姿を見ると胸が苦しくなってしまう。そしてハイスはそこから少し離れた所に座る人影を指差した。
「リアム様もご無事で……」
向こうも気が付き、こちらに向かってきてくれる。そしてその姿にブリジットは固まってしまった。リアムは車椅子に座っていた。少し離れて止まると車椅子を押していた侍女を断り、自ら車輪を回して近づいてくる。そして照れくさそうに笑ってみせた。
「意識が戻ったとは聞いていたが、動いている姿を見るとまた一段と感無量だな」
「よくご無事で。でも……」
「足を駄目にしてしまったらしい」
「私のせいです。私を庇ったりしたから!」
「いや、きっとリリアンヌは私を狙ったのだろう。そして共に死のうとしたのだと思う」
「リリアンヌ様は今どこに?」
「元いた離れの屋敷に戻らせた。ダニエルの教育上、リリアンヌとは離れた方がいいと私が判断したんだ。元はと言えば父と私が招いた結果だ。お前には沢山迷惑を掛けたな。すまない」
「陛下、それはいけません」
ハイスは周りを見渡したが誰もそばにはいない。それでもハイスの顔は厳しいものだった。
「王族が謝ってはいけないと言うのだろう? 分かっているさ。それでもブリジットにはもう一度きちんと伝えたかったんだ」
「許します。リアム様を許します」
そうはっきり言うと、リアムは目を真っ赤にしてくるりと後ろを向いてしまった。
「ありがとう。もう行くよ。ダニエル!」
リアムが呼ぶとダニエルはブランコを降りて無言のままリアムの少し後ろを歩き出した。
「あのお二人はこれからです。陛下はダニエル王子をご自分のお子として、お育てになるというご覚悟をされました」
「とても勇気のいるご決断です。あれが本来のリアム様のお姿なのですね」
目頭が熱くなりその背中を見送っていると、隣りで咳払いが聞こえた。
「場所を移しましょうか」
ハイスに連れて行かれたのは、王都が一望出来る小高い丘の上だった。
「ここから王都の上空に邪気を見た時は、正直絶望しました。だから今ここに来て王都を見ると、本当に世界は救われたのだと実感します」
「本当に皆で乗り越えたんですね。マチアス殿下の事は残念でなりません」
「お可哀想な幼少期だったとは思いますが同情は出来ません。同情するには、あまりにも多くの犠牲を出してしまったのですから」
「分かっています。でもダニエル王子のように、手を差し伸べてくれる方がいたならと思ってしまいます」
「本当にブリジット様はお優しいですね。お話しておきたかった事なのですが、今ここで伝えさせて下さい」
緊張した面持ちで、ハイスは王都を見下ろしながら言った。
「私とルイーズ嬢との婚約はなくなりました」
「それは破談、という事でしょうか?」
「そうなりますね。ルイーズ嬢はアレク王子と共に帰られました」
「アレク王子?」
「ラウンデル王国の王子です。訳あって神殿にいたのですが、この度お国に帰らなければならないご事情があるそうで、ルイーズ嬢と共にアマンダも付いて行ったんですよ。ルイーズ嬢はともかく、アマンダは聖女見習いとして残ってほしかったんですがね」
「ハイス様は、その、宜しいのですか?」
ブリジットはなんとも言えない面持ちで俯くと、耐えきれなくなったハイスが吹き出した。
「ご心配には及びませんよ。円満破談です」
「そうですか。でも、そうするとハイス様はまた一から奥様をお探しになられるのですね」
言葉にしてみると、鋭い痛みが胸に走った気がした。
「そうですね、私もさすがにいい年になりますから、お相手探しも難航するでしょう」
「そんな事ありません! ハイス様はお優しくてお強くて誠実で、それにこれだけ格好いいのですから、いくらでもお相手は、いらっしゃいます……」
尻すぼみになると同時に真っ赤になってしまう顔を隠すようにブリジットは更に顔を下へ向けた。
「それならブリジット様がお相手になってくださいますか?」
「へ? 私ですか?」
「ずっとそうなればいいと思っておりました」
「私は無理です、駄目です! どう逆立ちしても釣り合いません!」
「そうですか、それなら仕方ありませんね」
「そうですよ。仕方ないんです」
なぜだか涙が出そうになってしまう。泣く資格はないのだと思いながらも止める事が出来なかった。ハイスの大きな手が頬を包み込んでくる。あまりにも優しい表情で見下ろしてきた。
「私はもう身分や立場を考えて動くのは止める事にしたんです。この命はここにある事が奇跡のようなものです。だから大事なものは大事だときちんと言葉にしなくてはと思いました」
「でも私は、もう聖女ではありません」
「関係ありませんよ。でも私の考えをあなたに強いる事はしたくありません。だから私が公爵家も神官長の座も捨てる事にします。それなら同じ平民同士、方や離婚歴がある者と、方や婚約者に逃げられた者で丁度良いでしょう?」
ついに大粒の涙が溢れていてしまう。ブリジットは子供のように泣きながら、ハイスの手に手を重ねた。
「そんなの絶対に駄目です! 分かっているでしょう!」
「でも私はあなたを諦めたくないんです。もう絶対に手放したくない。何を引き換えにしても。これは私の我儘なんです」
「ずるいです、私が断れないと思って……」
「お嫌なら断ってください。言ったでしょう? 強いたくないと。私の妻になってくれますか?」
ブリジットは涙を擦ると、声を震わせながら頷いた。
「もちろんです」
その瞬間、熱い唇が押し当てられる。抱き上げられて見下ろす形になったハイスは、下から何度も啄むような口付けをしてきた。
「夢のようだ。あなたが腕の中にいるなんて」
「現実ですよ。私はハイス様の腕の中にいます。いつまでも!」
「お父様とお母様はまだ起きて来ないの?」
ネリーと添い寝をしていた四才になるロクサーヌは、寝ぼけなまこのネリーの髪を引っ張りながら、ぱっちりと覚めてしまった目を動かしていた。しかしその身体もネリーに絡め取られてしまう。
「妹か弟が欲しいならもう少し寝ていようね」
「私、弟が欲しい! だってもう姉妹はいるし、次は兄弟が欲しいの!」
「姉妹? どこにいるの」
ネリーは寝ぼけたまま寝台から出ようとするロクサーヌの腕を引いて、まだ夜明け前の毛布の中に押し込んだ。
「だってネリーは姉様でしょう? 本当の事言ってよ」
「だから僕は侍女だってば」
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「いい子、良く気が付いたね」
ロクサーヌは嬉しそうに、ひんやりとするネリーの身体に抱き付いた。
「……ん、待って、声が」
ブリジットは自身の腕で口を押さえながら下に潜っているハイスの肩を掴んだ。モソモソと毛布の中で動くハイスは手を伸ばすと口を押さえている腕を離させた。
「我慢しないで下さい。ちゃんと聞かせて」
「嫌です! こんな時間から、んうぅ!」
話しながらもハイスはぬぷりと指を進め、器用に動かしながら水音を出し始める。剥がれた毛布の中からは、中で行われていた卑猥な匂いが一気に鼻に届いてきた。顔を真っ赤にしながらブリジットが半身を起こすとすかさず口付けの嵐が振ってくる。すぐに深くなる口付けを受け入れながら、ブリジットはもう何度目かの絶頂を迎えていた。ぐったりとしている身体にハイスの大きな身体が乗ってくる。そして身体が重ねられると、もう何度も味わって知ってしまった快感を期待して、身体は勝手に動くのだった。
「あなたの身体は何度味わっても味わい足りないです」
ハイスが緩く身体を揺すり始めると、ブリジットは涙を讃えた目でハイスを見上げた。
「もう駄目だって、言いましたッ」
「本当に? それじゃあ止めますか? 愛しい妻が嫌がる事はしたくないですから」
するとブリジットはハイスの身体にしがみついた。
「嫌な訳じゃなくて、ただ節操の問題、なのッ」
強めに貫かれた身体は無意識に反応し、甘い嬌声が上がってしまう。腰を打ち付けてくる度に甘い快感が腰から全身に広がってブリジットはただ喘ぐしか出来なくなっていた。
「愛している、ブリジットッ」
ハイスは横に倒れると、ビクビクと痙攣している身体を落ち着かせるように優しく撫で続けた。乱れた呼吸を整えながら蕩けた視線が向けられる。
「少しは自重して下さいませね、旦那様」
少し怒ったつもりなのだろうか、全く説得力のないその表情に堪らずそのまま深く口付けをした。
「私は自分がこんなに抑えのきかない人間だとは思いませんでした」
火照りが落ち着いた身体を清め、毛布を掛けたハイスは冷え始めた身体を包み込みながら呟いた。
「それはきっと今まで我慢していた分の反動ですね」
「それもこれもあなただからです、ブリジット」
「私もです、ハイス様」
ブリジットはすでに微睡み始めている。それでも懸命に返事をしようとしている姿は可愛さの塊だった。朝はもうすぐそこまで近付いてきている。それでもまだ、この幸せなこの時間を手放す気にはなれない。あと少し、小さな姫が待ちきれずにこの間に飛び込んで来るまではこのままでいよう。ハイスは抱きしめる腕に力を込めると目を瞑った。
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