上 下
37 / 46

15ー2

しおりを挟む
「本当にどうもありがとう。全部全部ルイスのおかげよ」

 改装が終わり、新店舗の営業を迎えたエレナと叔父は、開店前に様子を見にきたルイスに深々と頭を下げた。
 以前の店舗より二倍の広さになった店内は、一階と二階に分けられ、二階に上がる階段は造花で飾り付けた装飾兼目隠しで男性でもお忍びでも気になりにくい作りになっている。二階は予約席にしたので、予約時間になったらそのまま入口付近にある階段から二階に上がれば、ひと目に付く事はほとんどない。かといって閉鎖的な作りではないので、二階に上がれば窓から大通りは見えるし、簡易的な個室にしたのでゆっくりと過ごす事が出来るようになっていた。そしてなにより画期的だったのは、店の入口横に持ち帰り専用の小窓を作った事だった。
 メニューを置き、ベルを鳴らせば店内に入らなくても購入することが出来る。これで店内に入りにくい男性だけでなく、ふらっと思い立った客も掴まえる事が出来る。これはもともと持ち帰り専用のパン屋の娘だったからこそ浮かんだエレナの考えだった。

「これでデートにも使って貰えるし、お土産にも気軽に購入してもらえるし、二階席をご案内すれば貴族の方々にもお越し頂けるわ」
「私も友人に店の宣伝をしておくよ。でも人も雇わないと大変な事になりそうだな」

 二人で営業するには大きな店内を見渡して一抹の不安を口にすると、エレナは小さく笑った。

「いつからそんなに心配性になったの? 大丈夫よ、ちゃんと考えているから」
「誰か雇ったのか?」
「雇ったというか、友人に手伝ってもらう事にしたの。もちろん求人もするけれど、友人の方がこの店のメニューにも詳しいし、私も安心だからしばらくは手伝ってもらうつもり」
「それなら安心だな。私も様子を見て手伝いに来るよ」

 その瞬間、エレナと叔父は顔を見合わせて首を振った。

「伯爵家のご子息に店の手伝いなんてさせられる訳ないですよ! どうかご勘弁ください!」
「そうか? 男手があった方がいいと思ったんだけどな」
「とにかくもう十分です。本当にどうもありがとうございました」

ルイスは腑に落ちない表情をしながらも、引き下がる事にしたようだった。

「何か困った事があるなら騎士団かモンフォールの屋敷を訪ねて来い。分かったか?」
「うん、ありがとう」

 ルイスは複雑そうにエレナを見てから、小さく溜息を吐いた。

「本当に長い年月が経ったんだな。あれだけ小さかったお前がこんなに大きくなったなんて」
「ねえ、私達そんなに年は変わらないのよ? それなのに随分年上ぶるのね」
「だってずっとルークと私の後を追って歩いていたエレナがこんなに立派になっているなんて……」

 話を聞いていた叔父は目元をすっと拭うと同調するように何度も頷いていた。

「小さい頃も今も、ルイスは私のもう一人のお兄ちゃんよ」
「当たり前だろ! お前は妹なんだから、これからも頼ってくれ。約束だぞ?」

 ルイスは無邪気に小指を立てて差し出してくる。エレナはためらいがちに小指を絡ませると、準備があるからと店の奥に入って行ってしまった。

「それじゃあこれからもエレナの事を宜しく頼みます」
「頭を上げて下さい! 貴族の方にそんな事されたら俺はもうどうしていいのか……」
「でも本当に感謝しているんです。あの災害から、心の中にぽっかりと穴が開いたように過ごしてきました。カールとエレナを失ったという事を認めたくなくて、何もする気はなかったし、何もしたくなかった。何をしていてもずっと何かが足りなかったんです。でも、エレナが生きていてくれて、やっと心が動き出したように感じるんです」
「あのルイス様、それはエレナを想って下さっているという事ではありませんか?」
「もちろん想っていますよ。エレナには誰よりも幸せになって欲しいです。そして幸せな結婚をして子供を沢山産んで愛する家族に囲まれていて欲しい。って、これじゃあ父親みたいな考えですよね」

 叔父乾いた笑いを浮かべると、小さく息を吐いた。

「なるほどそういう事ですか。ルイス様にとってエレナは家族も同然なのですね」
「そうかもしれません。エレナは本当に妹のようです。妹といえば、エレナと同じ年くらいの友人が……」

 言いかけたところで、ルイスは固まっていた。

「ルイス様? どうかなさいましたか?」

 視線の先には馬車から降りてくる男女がいた。

「お知り合いですか? あぁ、なんだクリストフじゃないか」

 その瞬間、ルイスは物凄い速さで振り返った。今エレナの幸せについて穏やかに話していた同一人物とは思えない程に、強張った顔をしていた。

「クリストフとは誰です? お知り合いですか? 素性の怪しい者ではないでしょうね?!」
「彼はフランドル商会の息子でクリストフ・フランドルですよ。ご存じありませんか?」
「ご存知も何もフランドル商会はうちの取引先です。モンフォール領で取れた農産物をフランドル商会はいつも大量に買い付けてくれていました」
「王都ではフランドル商会がモンフォール領の食材を王都に広めたと言っても過言ではありませんよ」

 ルイスは椅子の背もたれをぎゅっと握りながら通りを歩き出す二人を目で追っていた。

「お相手のお方もお目が高いですね。クリストフは優しいし仕事は出来るし、容姿は至って普通ですが結婚相手にはむしろその方がいいですよね。なによりまだ未婚ですし」
「その男性の隣りにいるのは、私のもう一人の妹のような存在です。急用が出来たのでこれで失礼します」

 ルイスは勢いよく扉を開けると、通りを渡って行ってしまった。

「あれが妹だと想っている女性を見る目か?」
「叔父さん、ルイス様はお帰りになったの?」
「急用があるとかで帰られたよ」
「ごめんなさい、実は二人の話は聞こえていたの。ルイス様はきっとジェニー様を追っていかれたのよ」
「お前知っていたのか? そのジェニーというのはルイス様のご婚約者か何かなのか?」
「ご友人だと思うけれど多分違うわ」
「勘違いだったらすまないが、エレナはルイス様が……」
「叔父さん! 早く開店の準備をしましょう。いくら今日は午後からの営業だからといったって時間がないわよ」
「あ、あぁそうだな。よし! 休んでいた分までしっかり働くか!」

 エレナは頷くと机を拭き始めた。



「ジェニー!」

 ルイスは通りを渡ってすぐ、どこかの店に入ろうとするジェニーの腕を掴んだ。
 ジェニーとクリストフは突然現れたルイスに固まってしまっていた。

「まさか、ルイス・モンフォール様でいらっしゃいますか?」

 クリストフの方はルイスの事を分かっていたらしく、慌てふためいた様子で頭を下げてきた。

「クリストフ・フランドルだったな」
「俺の事を覚えていてくださったんですか? 光栄です! お会いしたのは父に付いてモンフォール家のお屋敷にお邪魔した一度だけだというのに、ありがとうございます」

 ルイスはついさっきエレナの叔父に聞いたとは言えないまま曖昧な返事をした。

「それよりも二人は知り合いだったんだな。妙な組み合わせのような気もするが」

 するとクリストフは恥ずかしそうに笑った。

「実はいつまでたっても身を固めない俺に痺れをきらした両親が、伝手を使って友人の妹さんとの見合いをもぎ取ってきまして」
「友人の妹さん? まさかカールの事か?」
「はい! ジェニー様には申し訳ない事をしました。今お詫びに食事をご馳走しようと思っていたところです」

 するとルイスの頬が引き攣ったのが見えた。

「お詫びって? ジェニーに何をしたんだ」
「見合い結婚は俺の望む所ではありませんでした。だから先程馬車の中で、今日は互いの家の為にお見合いという形を取りましたが、これからは友人になりましょうとお話していた所です。といっても、俺なんかじゃジェニー様はもったいないんですが」
「当たり前だ」
「「え??」」

 二人の声が被り、ルイスは我に返った。しかしそのまま何も言わずにジェニーの手首を掴むと歩き出した。

「あの、ルイス様! クリストフさんをこのままにするのは……」

 ジェニーが振り返ると、なぜかクリストフは生暖かい目でこちらを見て手を振っている。ジェニーは堪らずに掴まれている手首を思い切り引いた。

「ルイス様! 一体どうしたんですか!」

 振り返ったルイスは痛そうな、切なそうな顔をしていた。

「お前は見合いがしたかったのか? 私は邪魔したか?」
「……別にお見合いがしたかった訳ではありません。でも父に言われればしますし、嫁げと言われれば嫁ぎます。それが貴族令嬢に生まれた定めだと思っていますから」
「お前の家は別にそこまで厳しくないだろ? カールも自由にしているくらいだ」
「自由だなんてとんでもありません。モンフォール伯爵家の当主に仕える筆頭従者なのですから、兄は立派に努めを果たしています。何も出来ていないのは私の方です」
「それならお前もモンフォール家で働くか? 私の侍女になれ。いや、嫁になれ」
「はい……、はい?」
「待て、今のは間違えた。でも侍女というのは嫌なんだ。どうしたらいいんだ?」

 ジェニーの頭の中では、たった今聞こえた言葉がぐるぐると回っていた。

「私はモンフォール家では働きません。いつか家の為にどこかの誰かに嫁ぎます。だからルイス様も今後お見合いを邪魔するような真似はおやめください。私の言いたい事はそれだけです」
「それじゃあやっぱり嫁になれ」
「……」
「ジェニー?」
「大丈夫ですよ。結婚したとしても、私はいつもカトリーヌ様やフェリックス様に会いに行きますから、ルイス様にもいつでも会えます」
「それじゃあまるで私には会いに来ないみたいだな」
「ルイス様だけに会いに行ったらエレナさんが気を悪くしてしまうでしょ」
「なんでエレナが出てくるんだ?」

 返事をしないままでいると、ルイスは困ったように話し始めた。

「もしかして私がエレナを慕っていると思っていたのか?」

 返事の代わりに俯くと、頭上から盛大な溜息が溢れた。

「私はエレナを大切に思っているが、恋愛感情を持っている訳じゃない。親友の妹なんだから大事に決まっているだろう?」

 ジェニーはそこから言葉が続かなかった。気がつくと頬に冷たいものが流れていた。

「あれ、私どうして……」

「ッ、馬鹿だなお前は」

 離れていた手を引き寄せられた瞬間、ジェニーはルイスの腕の中にいた。細いのにしっかりした身体に、いつもは少しだけ遠くに香っていた香水の香りが、今は隙間なく近づいた事で鼻一杯に広がった。

「適齢期で両親の決めた相手に嫁ぐ気なら、別に私でも構わないな?」
「私がルイス様と結婚ですか?」
「そうだ。嫌か?」
「……嫌な訳ありません。ずっとずっとルイス様だけを想っていたのですから!」

 抱き締められていた力が更に強くなる。苦しさで少し呻くと腕の力は緩められた。

「あの、ルイス様?」

 離れて顔をあげようとした瞬間、ぐいっと顔を掌で押されてしまった。

「何するんですか! 痛いですってば!」

「す、すまない! 大丈夫か?」

 そういって見えたルイスの顔は真っ赤になっていた。驚いて頬を押された事も忘れて見つめていると、ルイスは気がついたようにそっぽを向いてしまった。

「今は見るな」
「なんでです? 顔が赤いから?」

 照れ隠しなのか睨んでくるルイスももちろん怖くはない。ジェニーは更にその顔を覗き込んだ。

「もしかして私がずっとルイス様を想っていたとお伝えしたからですか?」
「やめろ! それ以上言うな!」
「なんです、自分は結婚を申し込んできたくせに」

 ジェニーは小さく笑うと、ルイスの指先にそっと触れて握った。

「わたしでいいのでしょうか」
「……ジェニーがいいんだ」

 掴んでいた指先が握り返される。そう言ったルイスの顔は真っ赤になっていた。



 カトリーヌは思ったよりも早くに帰宅したその姿を見て驚いていた。
 なぜなら目前にはフェリックスの顔でもなく、アルベルトの顔でもなく、なぜか大きなクマのぬいぐるみの顔があったからだ。

「今帰ったぞ」

 目の前のクマのぬいぐるみがアルベルトの声で喋る。その時、足の間からフェリックスが飛び込んできた。その手には改装中のはずだった菓子店の袋が握られていた。

「おかあさま! おみやげ!」
「ありがとうフェリックス。それで、このぬいぐるみは何なの?」

 ひょいっと横にずらしたクマの顔の横からアルベルトが顔を出す。

「これはクマのぬいぐるみへのお土産だ」
「……はい?」

 フェリックスは満足そうにクマのぬいぐるみの足にしがみつくと、モフモフとした感触を確かめていた。

「もう一体馬車の中にあるが、それはベルトラン家の屋敷にいるクマのぬいぐるみへのお土産だ」
「はぁ……そうでしたか」
「フェリックスが一体では寂しいだろうと言ってな、もう一体友達を作る事にしたんだ」

 納得したカトリーヌはフェリックスの頭をそっと撫でた。

「優しいのね。きっとくまちゃん達も喜ぶわ」
「……優しいのはきっと君の育て方が良かったのだろう」
「?! 私は何もしておりません。ただ普通に四苦八苦しながら過ごしてきただけです」
「それが良かったんだ。フェリックスの事はあの侍女が育てているものとばかり思っていた。だから世話係もそばに置かなかったんだ」
「エルザももちろん手伝ってくれております。それにアルベルト様には感謝しているんです。私にフェリックスを育てさせて下さってありがとうございました」
「私達のような階級では子育てを拒否する者も少なくないというのに、君は本当に変わっているな」

 褒められているのかいまいち分からなかったが、アルベルトの表情を見る限り嫌悪しているのではないと思い、ひとまず褒め言葉として受け取る事にした。
 何か言いたそうにアルベルトの視線が全身に向く。そして小さい声が聞こえてきた。

「今日はどこかに出掛けたのか?」
「特には出ておりませんが」
「それなら明日はどうだ? もしくは近々出かける用事はあるか?」
「それはまあ、どこかには出かけるとは思いますけど」

 訳が分からないまま答えるとアルベルトは一步近づいてきた。

「用事があるのか? だが急に冷え込み始めたからしばらくは出掛けない方がいい。……うっかり風邪を引いて、フェリックスに移ったりしたら大変だ」
「だからおかえりが早かったのですね! フェリックス大丈夫だった? 手を貸してみて」

 カトリーヌはフェリックスの両手を掴んで、頬に振れた。

「本当に冷えているわ。大変、すぐに暖かい飲み物を飲みましょうね。それではアルベルト様、教えてくださりありがとうございました!」

 カトリーヌはアルベルトを置いてフェリックスの背を押しながら奥の部屋へと足早に入っていった。

「ッぶ」

 吹き出したルドルフを睨みつけると、アルベルトはクマのぬいぐるみを押し付けた。
    
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

運命の番を見つけることがわかっている婚約者に尽くした結果

恋愛 / 完結 24h.ポイント:19,851pt お気に入り:270

婚約破棄署名したらどうでも良くなった僕の話

BL / 完結 24h.ポイント:2,548pt お気に入り:2,146

貧乏子爵令息のオメガは王弟殿下に溺愛されているようです

BL / 連載中 24h.ポイント:7,462pt お気に入り:3,308

残業シンデレラに、王子様の溺愛を

恋愛 / 完結 24h.ポイント:617pt お気に入り:331

【完結】どうも。練習台の女です

恋愛 / 完結 24h.ポイント:7pt お気に入り:168

処理中です...