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1ー3 動き出した未来

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 一体何がどうしてこんな状態になったのか、エーリカは目の前の好物ばかりを乗せた皿を前に固まっていた。
 オルフェンは目の前で我関せずとばかりに次々に口へじゃがいものサラダとソーセージを交互に口に放り込んでいる。他に並んでいる物と言えば、野菜のパイ包みくらいだろうか。エーリカはオルフェンを凝視しながら、ごくりと息を飲んだ。

「なんだ? こっちが食いたいのか?」

 オルフェンがほくりとしたじゃがいもをフォークに刺し、目の前に突き出してくる。ほらほらと突き付けれれたフォークすらも気にならないほど、エーリカは隣りに座っている男の気配だけを感じていた。右半身の皮膚が痛い。熱い。動けない。体半分が石化してしまったのではないかと思う程に硬直していた。

「嬉しいなぁ、魔術師の方々とご一緒できるなんて。ねぇクラウス副隊長?」

 クラウスは一瞬フーゴに視線を向けたものの、無言のまま上品に取り分けられた野菜サラダから食べ始めた。薄切り肉も何枚か取られており、チーズと共に硬めのパンに乗せて口に運ぶ姿は優美そのものだった。

「お前な、好きな物ばかり取るんじゃねぇよ」

 今すぐにその可愛らしい野菜のパイ包みと交換して欲しいと思うくらいに、隠してしまいたかった自分の皿の内容にオルフェンが触れ、エーリカは一瞬にして血の気が引いた。王城の食堂は好きな食べ物を好きなだけ皿に盛ることが出来る。だから王城に来たら決まってミンチ肉を丸くして煮込んだ肉団子料理を食べるのだ。一口大にされた肉団子は口に入れるとソースのトマトの酸味と甘さが際立ち、余ったソースをパンに浸ければ飛び切り美味しい別料理へと変化する。エーリカの皿には見事な肉の塊が六つは入っていた。

「フッ」

ーー笑った? 今笑われた?

 隣から聞こえた小さな声に顔は一気に赤くなる。横を見る事も出来ずにひたすら俯いていると、隣りで動く気配がした。

「こんなに混むとは今日は珍しいですね。今朝の儀式でお疲れでしょうから、ゆっくりしてください。我々はすぐに行きますので」 
「そんな……」

 とっさに横を向くと、流れるように視線が離れ、口元には笑み残っていた。

「食わないなら食うぞ」

 オルフェンは不躾に皿にフォークを伸ばすとエーリカの肉団子を奪っていく。フーゴが驚き、クラウスの冷たい視線にも臆せず、オルフェンはもぐもぐと口を大きく動かしながら飲み込んだ。

「こんなのばっかり食っているからだな。最近肉付きだけは良くなりやがって。ほら、少しは野菜も食えよ」

 クラウスの前で太ったと同義の事を言われるとは思いもせず、エーリカは泣きたくなる思いでオルフェンを睨み付けた。周りがぎょっとしたのは別の意味でとは知りもせずに。

 魔術師の格好は独特で、白い光沢のあるマントを羽織る事で統一している。マントは体を覆い隠しているので、もちろん体の形はほとんど分からない。そのマントを外すような時もそばにいるのかと、食堂にいた者達は聞き耳を立てていた。

「俺達はこれで失礼します」
 
 エーリカは立って挨拶をしようとしたが手で制された。

「冷めてしまいますよ。ゆっくり召し上がって下さい」

 離れていく背中を見つめながら、放心していつまでも出口の方を向いていると、唐突に口に何かが当たる。オルフェンが肉団子を口に押し付けてきていた。

「いい加減にさっさと食えよ。食ったら王の執務室に行くぞ」
「私もですか?」
「当たり前だ。お前は俺の弟子だろ。離れるんじゃねぇ」
「とか言って私に身の回りの世話をさせたいだけですよね? だから従者を付けたらといつも言っているじゃないですか。寝坊する事なく朝も起こしてもらえますよ」
「お前がいるんだからいらないだろ。それにたまには寝坊しても構わん」

 その後エーリカはオルフェンを苛立たせる為に、わざとゆっくり食事をした。その日は珍しく姿を現したエーリカの美しさと、男女問わず魅了する不思議な魅力を持つオルフェンを見続けようとする兵士や若い官僚達で、食堂の席はいつまでも空く事はなかった。



 王の執務室は来る事が分かっていたかのように、お茶の準備がされていた。しかし部屋の中には国王と宰相のみ。ワゴンから湯気の上がった茶器が目に入ったが、従者も侍女も人払いされているようで、誰一人としていない。

ーーこれは私にやれと言うことよね。

 だからオルフェンは来いと言ったのだと、また腹立たしさが増していく。しかし宰相で父のヨシアスは嬉しそうに娘の入れた紅茶を受け取っていた。八歳で魔術団に入ったせいで、共に暮らした記憶があまりないせいからか、父親といっても妙な距離を感じてしまう。しかしヨシアスはお構いなしに、それはもう極上の酒を飲む様に味わっていた。いたたまれずオルフェンの横に大人しく座った。

「して、お前の話と言うのは?」
「結界が弱まっている」

 短く、単刀直入で配慮のない言葉だったが、国王は分かっていたのか驚きはしなかった。国王も魔力はある。しかし魔術団に入るほどではないと聞いていた。だから微細な結界の変化を感じ取れるとは思いもしなかった。

「理由は分かるか?」

 オルフェンはただ首を振るだけ。しかしそれで十分だった。国一番の魔術師に分からないのならば他に分かる者はいない。

「結界を張る頻度を増やすか?」
「そうしたら弱まっていると公言するようなものだな。混乱を招くぞ」
「確かにそうか。しかし多かれ少なかれ魔力を持つ者は多い。結界の異変に気付く者も出てくるだろう。それで、どうするつもりだ?」
「原因を探しに行く」

 その言葉には国王も驚いたようだった。

「エーリカを連れて行く」
「なんだと?」

 ヨシアスは立ち上がりかけて国王に腕を抑えられた。

「申し訳ありません、陛下。しかしエーリカを連れて行くとはどういう了見だ、オルフェン殿」

 地を這うような声にも動じず、少し冷めた紅茶を一気飲みすると、オルフェンはエーリカの肩を抱いた。

「決まっているだろ、弟子だからだよ」
「そんなことで……」
「そんなこと?」

 黒い双眸に睨まれたヨシアスは拳をにぎりしめたまま黙った。

「俺が弟子に取るって事は俺が認めているって事だ。そばに置いておくならこれ以上の適任はいないし、任せられない」
「確かに正論だな」

 国王は納得した様に頷いた。

「陛下、それではあの話はどうなさるおつもりですか」

 こちらに向き直った国王がしわの深くなった目尻を細めた。

「久しいな、エーリカよ。元気にしていたか?」
「はい、陛下。陛下のご配慮のおかげで魔術団はとても快適です」
「それは何よりだ。ところでエーリカよ、魔力の方はどうだ?」

 そう聞かれてどきりと心臓が高鳴った。魔力団に入るきっかけともなった魔力暴走という消したい黒歴史がある。その時の影響で、エーリカにはそれ以前の記憶が曖昧だった。父親との距離が掴めないのも、正直共に暮らしていた記憶がないからという事が大きいように思う。確か、魔力の暴走が起こったのは王城でだったと聞いていた。

「特に乱れる事はございません。師匠にも安定していると言われております」
「そうなのか? オルフェン」
「一度全開まで放たれ回路を開いた魔力は、そう簡単に暴走はしない。あとは出力次第だな」
「そうなのか」

 国王は宰相と視線を合わせると、居住まいを正した。真っ直ぐに見つめてくる薄い青い瞳はクラウスに似ている。もちろん近い縁者なのだから容姿は似ていて当たり前なのだが、青い髪に白や灰色の毛が混じり始めた姿は渋く、クラウスも年を取ったらこうなるとかと思うと胸が熱くなった。

「エーリカよ、そろそろ結婚は考えているか?」

 唐突な質問に呆けているとヨシアスが言葉を繋いだ。

「他の令嬢達は皆、婚約もしくは結婚している年だろう? もちろん魔術師なのだから無理にとは言わない」

 ここまで言われれば鈍いエーリカでも分かる。陛下と父親は自分に縁談を持ってきたのだ。魔術団に入ったのだから貴族のしがらみから逃れられたつもりだった。いくら誓約魔法を交わし魔術団に入っだとはいえ、侯爵家の娘としての責務は果たさなくてはいけないのだろう。

ーー跡継ぎを産めと言う事よね。

 心が冷える感覚に表情を消す。オルフェンを見ると、ソファに深く座ったまま黙り込んでいた。

「本当はヨシアスの仕事なのだろうが、国の為に尽くしてくれているお前にはとびきりよい縁談を準備してやりたいのだ」
「……は?」
「エーリカ! 口の聞き方に気を付けなさい」

 慌てて口を閉じると、口を押えてしばらく黙り込んでしまった。

「エーリカ? 聞いているか?」
「は、はい。聞いています陛下。ありがたいお言葉に感動してしまいました」
「希望はあるか? 容姿や家柄など、出来るだけお前の希望通りにしてやりたい」

ーー希望通りに、なるの?

 頭に浮かんだのはただ一人。
 でもその名を口にしていいのかは憚られた。探るように国王を見る。今は温厚な眼差しを向けてくれていても、その名を聞いたら怒り出してしまうかもしれない。不敬罪にならないだろうか? 父親を見ると不安そうな、情けない顔でこちらを見ていた。

ーー私だって常識くらいあるわよ。オルフェンに育てられたも同然だから、もちろんオルフェンの持つ常識だけれど。

 暫く膝の上で指を動かした後、ぐっと握り締める。

ーー最初で最後の我儘を言ってみよう。どうせ断られるのだから、言うだけ言うのよ。

 顔を上げると目が合った国王は言葉を発するよう促してくる。カラカラの喉に息を吸うと、後は勢いだけだった。

「王子との婚約を望みます」

 国王は瞠目したあと、顎を擦ってちらりとヨシアスを見た。ヨシアスも驚いていたが、観念したように頷いた。

「して、どちらの王子なのだ?」
「どちら? どちらとは……」

 恐る恐る問い掛けた言葉に、肝心のクラウスの名が抜けていた事に血の気が引いていく。これでは王子ならどちらでも良いと言ったも同然ではないか。慌てて口を開くと国王は手を上げると大声で笑った。

「第二王子のジークフリートでもいいが、あやつはまだ十四だからな。クラウスで良いか?」

 驚きのあまりオルフェンを振り見たが、つまらなそうにふいっと顔を背けられた。

「クラウス様の妻に、私が?」
「ああそうだ」
「良いのですか?」
「私は良い。ヨシアスはどう思う?」

 黙って聞いていたヨシアスは感慨深い表情で頷いた。

「お前は立派な令嬢だ。魔術団で過ごしたから多少お転婆ではあるかもしれんが、クラウス様は一つ年下だがしっかりしたお方だから何も問題はないだろう。王妃教育は過酷なものだが、頑張るのだぞ」
「でもクラウス様にはなんと?」
「あいつは了承するだろう。王子としての務めを理解しているからな」
「そうですか。それならば」

 ソファに浅く腰掛けて前を見据えた。

「宜しくお願い致します」

 部屋を出たエーリカはオルフェンの制止も聞こえずに足早に歩き出していた。手の震えが止まらない。心臓がうるさく鳴って、泣きたくもないのに目が熱くなっていく。どこか、どこでもいいから誰も人のいない所に行きたかった。王城には詳しくない。とにかく人の目を逃れる様に歩き回り、塔の上に来ていた。風が体を通り過ぎ、髪が舞い上がる。どこまでも突き抜ける様な青空を見上げると、とうとう堪えていた涙が溢れてきた。
 ずっと想っていた。
 遠くから見かけるあの広い背中が私のものだったなら、追いかけて抱きしめられるのに。でも近付けばきっと、あなたの視線に私はいないと思い知らされてしまうだろうと。 

ーー私はあなたの何者でもない。

 何か行動を起こして傷付くくらいなら、何も起こさずに心の中で恋をしてあなたを愛していたい。ずっとそう思っていた。

「……私、明日を変えたの!」

 誰に言う訳でもない。自分自身に言った言葉が耳から戻ってきて胸を締め付けてくる。溢れる涙はそのままにした。

ーークラウス様の妻になる。

 何度も心の中で噛み締めてみる。しかし、嬉しさの後で急に不安が押し寄せてきた。クラウスはこの縁談をどう思うのだろう。国王から言われれば断る事は出来ないだろう。嬉しかった思いは一変して、お腹の奥に重たいものがどろりと溜まった気がした。

 その後、調査に出るのはオルフェンが場所を絞ってからと言う事になった。この時のエーリカは結界が弱まっているという事よりも、クラウスと結婚出来るという事実で頭が一杯になっていた。

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