上 下
15 / 58

1ー15 実家はいいものです

しおりを挟む
 寝台から起き上がれるようになって三日程経った頃。母親に紅茶を淹れる腕前を披露し、お気に入りのお菓子を広げていた時だった。珍しく登城していた父親が、愕然とした様に庭の入り口に立ち尽くしている。何事かと母親と顔を見合わせたエーリカは小走りで向かった。

「走るんじゃない!」

 逆に全速力で走ってきた父親に内心引きながら様子を伺っていると、恨めしそうにお茶のセットを見ていた。

「お早いお帰りですのね。陛下はお許し下さったのですか?」
「そんな事よりこれは一体どういう事だ?」

 陛下の事をそんな事と片付けてしまってよいものかと思いながらも、夫婦の会話はどんどん進んでいく。若干の言い合いを聞いている限り、エーリカは小さく吹き出しそうになるのを堪えるので精一杯だった。要は父親はお茶会に参加したかったという言い分のようで、むすりとしたまま使用人が慌てて用意した椅子に腰掛けると、まだ機嫌の直っていない父親に手ずから紅茶を淹れてあげる事にした。すると不機嫌だった顔は一気に輝きを取り戻し、したり顔で母親を見つめていた。

「わたしはエーリカにこうしてお茶を淹れてもらうのは二度目なんだ。どうだ、エーリカ淹れるお茶は美味しいだろう?」

 すると母親は小さく笑って飲んでみせた。

「本当に上手ですわ。この三日間、毎日違う茶葉で淹れてもらっているけれど、三回ともどれも完璧よ。お代わりも入れてもらっているから、六回かしら」

 エーリカは頭を抱えて辺りを見渡した。侍女や使用人達は目を逸らし、何も聞こえていないとあさっての方向を向いている。エーリカはカップを置くと俯いた。

「私がいて二人の中がぎくしゃくするのであれば、もう体も動く様になったし、そろそろ守護山に戻ろうと思うの」

 わざと言った言葉は効果覿面だった。

「待ってくれエーリカ! わたし達が悪かった。冗談だよ、いつもは本当に仲がいいんだ」
「そうよ、お父様の事を愛しているわ」
「おまえ……」

 父親が母親の手を取ろうとする。しかし母親はそれを避けるようにしてエーリカにしがみついてきた。

「だからあなたが出ていく必要はないのよ。ずっとこの家にいてちょうだい」
「でもずっとは無理よ、お母様」

 父親は咳払いをしたあと、我に帰ったように椅子に座り直した。

「そう言えば、夜会の日程が決まったぞ。二週間後となった。陛下からの打診をわたしとフランツでのらりくらり躱してきたが、とうとう日程を決められてしまった。もう逃げられん」
「何も逃げる必要ないのでは?」
「あるぞ、大いにある。この十日間、クラウス様は連絡一つ寄越さないではないか! エーリカの体調の事はもちろん言っていないが、なおのこと手紙の一つでも寄越せばいいものを」
「それなら師匠も同じよ。師匠こそ私の体調も知っているのに」

 そうは言ったものの、胸の奥がチクリと傷んだ。気にしないようにしていたのに、はっきりと言葉にされてしまうと惨めな気持ちになってしまう。人柱の調査に出る前までは上手くいっていると思っていたのに。好きではないにしても、好意は向けられていると思っていた。いくら忙しいのだと言い聞かせても、考えてしまえば苦しくなる一方だった。

「アインホルン侯爵、殿下は毎日公務でお忙しくしていらっしゃいますよ。ちゃんと夜会の事も考えておいでです」

 現れた金髪の青年に全員ぽかんとしていると、青年は慌てた様に父親の元に近付いてきた。

「玄関で皆様はこちらにお揃いだと伺いましたものですから、失礼致しました」

「フィリップか。領地へ戻ったのではないのか? あまりお父上に負担をかけるでないぞ。早く妻を娶り落ち着かないか」

 特徴のある金色の巻毛の髪には覚えがあった。以前辺境伯の領地で太古の魔術を見つけた事を報告する際に、同席していた青年だった。

「耳が痛いですね。でもさすがにもうそろそろ落ち着こうと思っています。しかし、世の中には美しい女性が多すぎるのです」
「全く、あまり遊んでばかりではいかんぞ。結婚前の火遊びで子供など出来たらどうするつもりだ」

 フィリップは人懐っこい笑みを消すと、わざとらしく背筋を伸ばした。

「肝に命じておきます。実は本日はご報告があってこちらに参った次第です。突然ではありますが、この度辺境伯の任を継ぐ事となり、陛下のお許しを頂く為数日前に登城しておりました」
「ホフマン卿が引退するのか? どこかお体の調子でも悪いのだろうか」
「父はいたって元気ですよ。ただ単に僕を領地に縛り付ける為でしょうね」
「日頃の行いのせいなのだな」

 呆れられてもフィリップはめげていないようで、満面の笑みを女性陣に向けた。

「アインホルン夫人お久しぶりです。そして……」

 エーリカの前で片膝を着くと、手を胸に当てて礼を取ってくれた。

「フィリップ、お前は勝手に行くんじゃない!」

 後を追いかけてきたフランツィスは苛立だしい様子で中庭に飛び込んできた。

「フランツの御学友よ。クラウス殿下とフランツとフィリップ様はとても仲が良かったの」
「今もですよ」

 屈託のない笑顔を満面に浮かべて振り返られたフランツィスは、珍しく狼狽した様子で眼鏡を押さえた。

「とにかく、お前は勝手に進み過ぎだ。クラウス様の事だってまだはっきりと分かった訳では……」
「クラウス様がどうかされたの?」
「いやなんでもない。お前には関係ない話だ」
「むしろ当事者じゃないか。クラウスは無表情だし言葉が少ないから、こういうのは友人である僕達が動いてあげないといけないんだよ。いくら二人が喧嘩中だからと言っても……」
「「喧嘩中?!」」

 家族の言葉が重なる。フランツィスは気まずそうにフィリップを睨みつけた。

「喧嘩だなんてそんな、大袈裟だよ。少し言い合いになっただけさ」
「……フランツお前。いくらクラウス殿下が気安くお付き合い下さっているといっても、お前はあくまで臣下なのだぞ。それを殿下と喧嘩など言語道断だ!」
「分かっております」

 不貞腐れたようなフランツィスに思わず笑いが込み上げてきてしまう。王城では冷静沈着の文官を装っていても、家では父親に叱られるのだと思うと笑いが堪え切れずに肩が揺れてしまう。とっさに顔を隠したが、冷えた視線を向けてくるフランツィスに見つかり、とっさに笑顔を引っ込めた。

「まあまあ。今日は良い話をエーリカ嬢に持ってきたんだよ」
「私に、ですか?」
「いずれ届く贈り物を楽しみにね」

 すると母親は察知したのか、手を前で組んで少女の様に喜んでいた。訳が分からずにいるとフィリップは苦笑しながら指先を握り締めてきた。突然の事で恥ずかしさと驚きが混ざり合い、無礼にも振り払ってしまった。

「あぁやはりエーリカ嬢は素敵だな。反応がなんとも可愛らしい」
「手が早い」

 さすがにフランツィスに引き離され、フィリップは手を上げてみせた。

「殿下の執務室に行ったらドレスが幾つか運び込まれていたんだ。あの中からエーリカ嬢への贈り物を選ぶんじゃないかな。さすがに今から仕立てるのは難しいからね。濃い青色のドレスと赤いドレス、それと確か白もあったな。僕の予想は濃い青色のドレスだよ。意味は分かるだろう?」
「……クラウス様の御髪の色だから?」

 フィリップは片目を瞑って微笑んできた。控えていた侍女達の中から小さな歓声が漏れる。フィリップも女性に人気なのだろう。むしろ一番モテるかもしれない。素敵だが冷たい印象のクラウス、中性的な顔立ちのフランツィスは人気はあるがどちらかというと近寄りがたい。それでいてフィリップは一番話しやすく、来るもの拒まずの雰囲気があった。

ーー違っていたらごめんなさい、フィリップ様。

 過ぎった妄想を心の中で謝りながら、さっきまでの憂鬱さはいつの間にか晴れていた。エーリカは、今度はフィリップの手を取り握り締めた。

「フィリップ様、教えに来てくださってありがとうございました。本当に嬉しいです」

 嬉しさで零れそうになる涙をどうにか堪えていると、返事がなく固まっているフィリップの瞳を覗き込みながら首を傾げる。手を握り締めてしまったのがいけなかったかとすぐに離すと、フィリップは口元を手で覆い隠した。

「やばいね、これ。無自覚なの、怖いね」

 呆れ顔の男性陣を前に、訳が分からず黙り込むしかなかった。
しおりを挟む
1 / 5

この作品を読んでいる人はこんな作品も読んでいます!

可哀想な私が好き

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:4,594pt お気に入り:541

貧乏子爵令息のオメガは王弟殿下に溺愛されているようです

BL / 連載中 24h.ポイント:7,511pt お気に入り:3,307

あなたを守りたい

恋愛 / 連載中 24h.ポイント:248pt お気に入り:1,489

旦那様!単身赴任だけは勘弁して下さい!

恋愛 / 完結 24h.ポイント:3,061pt お気に入り:182

恋心を利用されている夫をそろそろ返してもらいます

恋愛 / 完結 24h.ポイント:59,824pt お気に入り:1,266

おかしくなったのは、彼女が我が家にやってきてからでした。

恋愛 / 完結 24h.ポイント:5,055pt お気に入り:3,852

妻が遺した三つの手紙

恋愛 / 完結 24h.ポイント:3,116pt お気に入り:46

処理中です...