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ヒルデガルトの事情
しおりを挟む「義理は果たした。そなたは離宮で大人しくしておれ」
結婚式の夜。やることを済ませた王は冷淡な黒い瞳で迎えたばかりな花嫁を一瞥し、彼女を寝室に置き去りにして部屋を出ていった。
その行き先も分かっている。新たな王妃を迎えたことで側妃に下げられてしまった前王妃のところだろう。
短めな黒髪と黒眼の美丈夫。結婚式で初対面だった花嫁は、また年若い王の切ない後ろ姿を気の毒に思う。……が、その反面、自分のせいではないよなと天を仰いだ。
「……まあ、分かってたけど。離宮ねぇ。冷遇とか無きゃ良いわね」
裸に上掛けを巻いて、彼女はとすっと枕に頭を沈める。初夜まで無事に終わったのだ。彼女にとっても、これで御役御免だった。
花嫁の名前はヒルデガルト。少し遠い隣国の姫君である。
達観が混じる紫眼は疲れを隠せず、大きくうねる銀髪を指にからめながら、ヒルデガルトは降って湧いた縁談を脳裏に過ぎらせた。
事の起こりは半年前に終わった戦争。
彼女の嫁いだこの国は、その戦争に惨敗し賠償を求められた。……が、元々裕福でなかった国だ。
凶作で飢えた民を救うために起きた侵略戦争。豊穣な隣国国境周辺を奪い取ろうと、この国は無謀にも挙兵する。
しかし相手は、この国の三倍もあろうかという公国だ。当然、勝てるわけもなく、リカルドは戦で大敗を喫した。
そして公国に捕らえられた彼は、払えない戦後賠償の代わりに王妃の地位を差し出したのである。
つまり戦勝国と縁を繋ぎ、実質、半属国になることを受け入れたのだ。その対価として、王の次にあたる地位に戦勝国の王族をつける算段だった。
両国の血を引いて生まれた跡継ぎを次代とすることで、この国を生かそうと努力したのだ。戦勝国にしても、この国が自分の係累に継がれるなら損はない。
そういった思惑で選ばれた花嫁がヒルデガルトである。満十七歳。今年二十六になるリカルド陛下なら年回りも悪くはない。
公国と親戚にあたる小さな国。そこの四女だったヒルデガルトは血統的に丁度良い位置にいた。
公国側とすれば、負けた国に直系の王女を嫁がせたくない。何をされるか分からないし、何かされたなら当然報復をするものの、それまでに王女が害されては困るからだ。
そんなこんなで公国は、縁続きな国の王族から花嫁として送り出す王女を選んだ。何か起きても困らない人材を。
「……貧乏くじよねぇ。二度目の人生で、こんなんなるとは」
ヒルデガルトの溜め息に混じる諦め。
深窓の姫君なら今頃涙に暮れていたことだろう。だが幸か不幸か、彼女はこういった状況に慣れている。前世がそうだったからだ。
ヒルデガルトの前世は地球人。名前を香菜と言い、平和ボケした日本に住まう生粋の一般ピーポである。
しかし家族に恵まれず、ネグレクトの嵐で成長した彼女は、毒親から独り立ちするまで苦渋に満ちた人生を送っていた。
独り立ちしてからも、金銭を毟り取ろうとする親と必死に格闘し、散々な人生だった。
それと比べたら今はずっとマシである。愛し愛され、優しい両親や兄弟に囲まれて生きてきたから。まさか、こんなどんでん返しが待っているとは思いもしなかったが。
滂沱の涙で愛娘を送り出した両親。最後まで彼女の輿入れに反発し、部屋に監禁されてしまった兄。嫁ぎ済みだった姉達も、行かないでと必死に引き止めてくれた。
前世で親に恵まれなかったヒルデガルトは、心の底から今の家族を愛している。
公国の国王はヒルデガルトの叔父にあたり、くれぐれも頼むと書簡をしたためてきた。この国は凶作に続いた戦で、内情がボロボロなのだ。
だから、公国から送り込む摂政とヒルデガルトで、なんとか立て直してくれとのことだった。
彼女は過去に色々と功績をたててきた経緯もあるため、それを期待しての人選だと言われたら断りようもない。
何より、ヒルデガルトの国は小さな小さな国だ。公国から嫁いだ母親のおかげで公国に庇護され、周りの国の干渉を撥ね退けている。公国の頼みを断れる現状ではなかった。
ふう……っと溜息をつき、ヒルデガルトは愛しい家族を思い浮かべる。
……とても幸せな暮らしをしてきたのだもの。あの家族を守るために、どんだけ疎ましく思われようが居座ってやるわ。
この国の民や臣下は歓迎ムードで彼女を迎えてくれたが、とうの国王の本人がアレだ。良い暮らしは望めまい。
……離宮ね。わたくしを国政に関わらせる気もなさそうだし? 王宮から追い出すってことは、この先、積極的に夫婦の営みをする気もなさそうよね。どうしたもんかな。
この国を立て直してくれと頼まれたのに本末転倒。リカルドが自分を蚊帳の外に放り出したのだ。強いてまで政にかかずらう義理はない。
スパっと気持ちを切り替えて、彼女はこれからを考える。
モノを見ないことには分からないが、ボロ屋でも貰えたらマシだろう。前世に読んでいたあらゆるラノベを思い出しつつ、ヒルデガルトは来るなら来いっと覚悟を決めた。
「……まともに食事が貰えるか分からないし? 公費だってスズメの涙かもしれない。真っ当な人間らしい生活をするために頑張らないと」
そう独り言ち、彼女は輿入れで持ち込んだ花嫁道具の行李や箪笥にほくそ笑んだ。
そして翌日。朝食を終えたヒルデガルトを、女官が離宮へと案内する。
「あらぁ…… これはまた」
そこには小ぢんまりとした小さな館。王宮の端も端。城壁近くな森の裾に建っていた。とても離宮とは呼べない代物だ。
ボロ屋ではないが、歴史を感じさせる佇まいの平屋である。たぶん、誰かの個人的な別邸。こういう欧風な世界で、平屋というのも珍しい。
ざっと見したところ、玄関ホールと応接室。厨房や浴室もあり、奥には寝室と私室、書斎がある。一人暮らしなら十分な拵えだ。
庭もそれなりに手入れされていて、控えめな花が気持ちよさそうにそよいでいる。
……最悪、埃まるけなアバラ家みたいなのも覚悟していたから。裕福な平民程度の邸だけど、良いじゃない? わたくし一人なら丁度よい家だわ。
「悪くないわね」
ぽそっと呟くヒルデガルトの言葉が聞こえた女官は、思わず己の耳を疑った。
……悪くない? まさか?
戦勝国の姫君だ。こんな貧相な館に案内して、てっきり激昂されるものとばかり考えていた女官は、今か今かと戦々恐々だった。
なのに結果は肩透かし。
新たに迎えられた王妃様は、とんでもない場所へ連れてきた女官を詰ることも恫喝することもなく、静かに微笑んでいた。
「食事は…… 普通だわね」
毎食運ばれる温かい食事。
王宮から運ばれるため若干冷めているが、問題にするほどではない。ワインや水のピッチャーも添えられていて、ちゃんと朝まで喉を潤せる。
……冷遇する気はなさげかな?
並んだ料理を、もっもっと食べながら、ヒルデガルトは最悪を回避したことに胸を撫で下ろした。食事が貧しいのだけは耐えられない。飽食日本人の性だろう。
……が、彼女は理解していなかった。
一人暮らし用の小さな平屋には侍女もメイドもおらず、外の護衛は騎士一人。食事に給仕も行わず、ワゴンを持ってきたメイドはお風呂に湯を張っただけ。
そして再びワゴンを押して食器を運んで行ったっきり、誰もヒルデガルトのお世話に現れない。
……他国の王族に対して、これは十分な冷遇である。身分ある女性に与えられるべき待遇ではない。普通の王女殿下ならドレスのボタン一つ外せないのだ。メイドの五人や六人、必須だった。
そんな現実の冷遇を理解せず、元地球人のヒルデガルトは暢気に欠伸をする。お腹一杯で眠気がもたげてきた。
「ねむ…… 昨夜もよく寝れなかったし。……ん? あ、そっか。このドレスパーツ、後に留め具があるんだっけ。んもう、面倒臭……」
そう呟きながら、彼女は玄関を開けて外に立つ騎士を手招きする。そして、素直に駆け寄ってくる彼にヒルデガルトはあっけらかんと言い放った。
「ドレスが脱げなくて…… 手伝ってくださらない?」
「……はい?」
「後ろ。留め金や紐が全部後ろにあるんです。ほら」
くるっと背を向けて、長い髪を掻き上げる王妃様。
どきりと胸を高鳴らせ、若い騎士は抜けるように白いうなじから眼が離せない。真ん丸目玉でソレを凝視しつつ、オタオタしながら彼は絶叫を上げた。
「い……っ、今、侍女を呼んで参りますうぅぅーーーーっっ!」
脱兎のごとく走り去る騎士。
……え? ボタンやホックを外してくれるだけで良いんだけど?
一目散に駆け抜けていく騎士を不思議そうに見送り、ヒルデガルトは彼の帰還を待ちわびた。
「……次からは湯浴みにメイドをつけますので。申し訳ありません」
ドレスを脱ごうとするヒルデガルトを手伝う侍女は、どうしたものかと頭を悩ませる。
彼女を筆頭とした側仕え達は、国王から新しい王妃に人をつけてはならないと命じられていたのだ。
食事や湯浴みに制限は言われていないため普通にしていたが、思わぬ盲点である。
こういった貴夫人の装いには手伝いが必要だ。着るも脱ぐも一人では行えない。各ドレスパーツを着けるだけで複数の手が要る。
……どうせ朝もお湯や食事を運ぶのだし、メイドを寄越してお着替えの手伝いくらいはさせましょうか。
元々理不尽な命令である。新しい王妃を冷遇しようとする王の命令は姑息で内容がスカスカだ。
一番小さくて遠い館に閉じ込めろ。側に人を付けず、放置しろ。困っていても手を貸すな。苦情は全て無視しろ。
そんな呆れ返るような内容でも、王宮勤めの者は従う他ない。これが公国に知られようものなら、どうなることか。
ぶる…っと背筋を震わせ、侍女は自分の手の届く範囲でヒルデガルトを手伝おうと決めた。……が、その侍女を優しく一瞥し、ヒルデガルトは軽く首を横に振る。
「大丈夫よ? ドレスはもう着ないから」
「……はい?」
思わず間の抜けた声を出す侍女の前で、ヒルデガルトは運び込まれていた嫁入り道具の箪笥を開けた。
そこに仕舞われるのはシンプルなワンピースやドレス。どれも王女殿下が着るような代物ではない。
「こういうこともあろうかと、一人で着られる衣装を用意してあったのよ。豪奢なドレスと違って気楽に過ごせるものをね。ふふ、お一人様、様々だわ」
そう説明しながら、ヒルデガルトは一枚のワンピースを取り出した。それは胸元が前開きで頭から被って着る仕様の服。明らかに庶民が好むタイプだ。
それを持って浴室に向かう王妃を見送りつつ、侍女は顔を凍りつかせる。
……こういうこともあろうかと? なんてことでしょう。あちらは夫になる国王陛下を疑っておられたのだわ。きっと碌な待遇をすまいと。……宰相閣下にお知らせせねばっ!
ヒルデガルトを送り込んだ側がそういったことを考えていたのは確かだ。しかし、これを用意したのはヒルデガルト本人。
ラノベ展開よねぇ~、と、あらゆる事態を想定し、彼女は冷遇に備えていた。箪笥に詰められる各種衣装はまだ序の口。
沢山運び込まれた行李の中など、クワやスキ。他にもノコギリ、シャベル、七輪や石炭、日持ちする食糧などなど。実生活に必要と思われる備品で溢れている。
王宮側にしたら、一体、何を想定して用意したのか首を傾げるモノばかりだろう。
食事を貰えなかった時用の非常食や農作業道具。煖炉の火や明かりを貰えなかった時用の石炭や蝋燭の山。七輪も暖や調理のためのモノだ。
これで当座を凌ぎ、何とか畑や薪を手に入れるつもりだったヒルデガルト。
……冷遇もないみたいだし、取り越し苦労だったかしら? でも、やることもなさそうよね。なら、趣味で畑や料理をしても良いかしら? 良いわよね? ふふ。
温かな湯に浸かりながら、彼女は、あれこれと楽しいこれからを考える。
まさか、それを曲解した侍女が、宰相の元へ駆け込んでいるなど露ほども知らず。
こうして、彼女の勘違い冷遇ライフが幕を上げた。
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