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リカルド陛下の事情
しおりを挟む「待たせたな、フローレス」
「陛下っ! リカルド様っ!」
そこは現側妃の部屋。豊かな金髪を波打たせ、彼女は空色の瞳で愛する男性を見上げた。
元、王妃だったフローレスは、この国が戦争に負け、隣国と縁を繋がなくてはならなくなったため、その地位を逐われたのだ。
状況は理解している。それでも、政略ではなくお互いに恋い慕って結婚した二人は、やってきた隣国の花嫁を恨み、蔑んでいた。
「……私が戦争で負けたばかりに。苦労をかけるな」
「いいえ、いいえ。陛下のせいではございません。あの戦争を起こさなくば、きっと飢えた民が暴動を起こしていたでしょう」
リカルドと呼ばれた国王は、苦渋に満ちた当時を思い出す。
凶作に見舞われ、税どころが口を糊することもままならない現状。みるみる民は荒んでいき、元々大して裕福でもなかったこの国に、凶作は痛恨のダメージを与えた。
なんとかしようと外交に勤しむ臣下。リカルドも八方へ手を尽くし、少しでも他国から支援を得られないか奮闘する。
だが、どうにもならなかった。得られたのは、遠国からの僅かなばかりな食糧支援のみ。やや遠い小さな国だ。その支援も知れたもの。
それでもリカルドは、こんな僻地の国を救援してくれようとした小国に心から感謝した。
しかし、このままでは国が斃れる。飢えた民らは爆発寸前だ。暴動を起こしたところで、この国のどこにも食糧などはない。ただ怒り狂う民の鬱憤を晴らさんがためだけに、自分達は断頭台の露と成り果てるだろう。悪戦苦闘してくれた臣下らを道連れにして。
……そんなことになるくらいなら。
同じ玉砕でも臣民のために散ろうと、リカルドは暴挙でしかない戦争を起こした。これで隣国に占拠されたら少なくとも民は救われる。奴隷に落ちるかもしれないが、飢えからは解放されよう。
万一、上手いこと土地を掠め取れれば、豊穣な農地が手に入る。これからの算段も立てられる。
どうせ、このまま行けば弱ったところを襲撃され、この国が戦場にされるに違いない。ただでさえ荒れている我が国を戦火で焼かれてたまるものか。
この国は片側が海、もう片側が山脈という立地で、接している国は大国と呼ばれる公国だけだ。本来なら既に公国に呑み込まれていてもおかしくない立地である。
……あちらは、こちらが勝手に疲弊し斃れることを期待しているんだろう。漁夫の利って奴だ。……そんなことはさせない。一矢報いて、華々しく散ってやる。
自分の国の三倍はあろうかという隣国。
無謀な戦に挑んだリカルドは、もちろん簡単に返り討ちにあい、完膚なきまでボロボロにされた。
そして捕らえられ、公国国王の前に引っ立てられる。
『……面倒なことを。勝手に滅んでくれたら楽だったのだが』
まさに窮鼠猫を噛む。思わぬ火蓋が切られて、狼狽えたのは公国の王だった。一方的に蹂躙したらば、こちらが悪者になってしまう。それを避けるため、リカルドの国が疲弊し、にっちもさっちもいかなくなるのを待っていたのに。
まさかの展開だった。
元々、公国とリカルドの国は一つの王国だったのだ。リカルドの国が本流で、そこから派生した王弟の領地が拡大された結果、今の大国となった。要は興した公国を広げただけ。
それが思ったよりも巨大に変貌したのは、リカルドの祖先の不出来である。
数百年前、能力が高い王弟が目障りだった国王は、なんくせをつけて彼を国から追放した。領地とは名ばかりな辺境に放逐された王弟は、忠実な臣下を伴い小さな公国を興す。
リカルドの国は豊かな山脈や海に面していたため、他から何かを頼ることもなく順風満帆な国だった。ゆえに他国を排除する傾向が強かったのだ。
余所者を入れず、交流もせず、昔ながらのしきたりを守り、鎖国状態で自己完結する国。
そんな国を飛び出して新たな公国を興した王弟は、持ち前の能力を駆使して周囲の国々と交流をはかった。
小さな小さな公国だ。どこの国も脅威に思わず、むしろ温かく見守るように支援をしてくれた。王弟殿下の温厚な人柄も、その支援を得るのに一役買う。
リカルドの祖先が排他的であったため、王弟の公国は評価を鰻登りにしていった。
そうして年月が流れ……
薄く広く伸ばされた公国は、リカルドの国よりも大きな国に伸し上がっていたのである。他の国と交流がなかったため、まるで山岳地帯に押し込むかのよう広がった王弟の公国の広さにリカルドの祖先は気づかなかった。
だが、時すでに遅し。
大国となった公国に蓋をされ、リカルドの国は孤立した状況に追い込まれていた。それもこれも、余所者を排除し他国と交流を持って来なかった弊害。
あとは野となれ、山となれ。
王弟の興した公国は悠然と佇み、リカルドの国の終焉を待ちわびていた。それが、祖国から追放されて地べたを這いずり回った王弟殿下の願いだから。
親の因果が子に報い。リカルドの代で、その宿願が果たされようとしている。
しかし、時は何ものにも勝る特効薬。
怒りという感情を継続させるのは難しい。公国側にしても、はるか昔の物語だ。建国時の逸話のように語り継がれてはいるが、当時の人々ほどの熱量を持ってはいない。
正直、今の公国王家としては、どうでも良い感が強い。勝手に朽ちていけという傍観者の姿勢である。
なのに……
隣国の王は、目の前に引っ立てられたリカルドを忌々しそうに見下ろした。
この男が馬鹿な戦を始めたため事がややこしくなる。攻撃を受けたれば、こちらも応戦するしかなく、戦後処理までやらなくてはならない。
ぶっちゃけ、リカルドの国には人的資源以外、何もない。海に面しているが、それは公国も同じだ。山岳地帯など、採掘し過ぎで今は荒れ果てていて、欲しいとも思わない。
公国側にとったら、得るべきモノのない無機質な争い。正直、大迷惑以外の何物でもなかった。
……あるとすれば、今の王家を堂々と乗っ取り、周りに知らしめてやるくらいか。
公国を興した王弟殿下の悲願。
祖国に目にものをみせてやらんという願望。
「……貴殿、何が差し出せる? 戦後賠償だ。一方的に仕掛けられた戦の対価は、如何ほどか?」
淡々と尋ねてくる公国の王。
それに苦虫を噛み潰したかのような顔で、リカルドは吐き捨てた。
「……何もない。私には、この身しか。……お頼申す。我が国の民をお願いしたい。臣下や妻……係累にも罪はござらん。この戦は私の独断で起こした戦だ。国の総意ではない」
とつとつと袖を絞るような声で語られる内情。
あれだけの兵を率いた戦が、国王の独断なわけがない。徴兵、兵站、野営。どれ一つを取ってしても個人でやれるはずないのだから。
「……この首しか差し出せるモノは無いが。どうか、我が国の民だけは救ってくれ」
深々と頭を下げるリカルド。
こういった状況では、主犯の一族郎党連座が当たり前だ。ゆえに家族のことは諦めたのか、民のみに絞った恩赦を彼は求めていた。
……王だのう。……ふむ。
隣国の王にもリカルドの気持ちが分からなくはない。凶作による飢餓。退っ引きならない事態に、座して死を待つような者は王でない。
後の歴史家に愚か者と嘲られようが、如何に成功のパーセンテージが低かろうが、一縷の望みがあったなら挑戦する。それが王という生き物だ。
こうして公国の王と面談したリカルドは、九死に一生を得た。
公国側の摂政や花嫁を受け入れ、属国として膝を折ることを。お飾りの王となり、隣国の血統に王家を明け渡すことを。
……しかし、それでも消せぬは、恋の炎。
「……辛い想いをさせるが。私の妻はそなただけだ。私の子を産むのもな。新たな王妃になど国母は名乗らせん」
リカルドに出来る唯一の抵抗。
人は感情の生き物なのだ。なんとか初夜だけは済ませたものの、あの王女を相手にして、彼は勃つ気がしなかった。
勃たないものは、どうしようもない。これから、感情的にも物理的にも不可能だと周囲に知らしめ、公国には諦めてもらう他ない。
そう画策し、公国の摂政らと交流出来ぬよう、リカルドはヒルデガルトを王宮端に追いやった。
国政を司る摂政らは、基本的に政しかしない。国王の閨事情に頭を突っ込んではこないだろう。
人を配さず孤独に置けば、きっと王女は精神を病む。いずれ勝手に自滅するに違いない。蝶よ花よと育てられてきた深窓の御令嬢には、耐えられないはずだ。
……そうしたら、また。フローレスを元の地位に。
最愛を抱き締めて至福に浸るリカルド。
だが、彼は知らない。
王宮片隅に追いやられたヒルデガルトが、深窓の御令嬢などではないことを。それどころが、前世は長年のネグレクトに耐え抜き、毒親とバトルった猛者であることも。
「妹に文を…… あれの末娘は賢い。あの国を与えたら、面白いように立て直すだろうて」
「……その分、面倒事が起きそうな気もしますが」
国王の何気ない言葉に、リカルドの国に行く予定の摂政は、妹の末娘というヒルデガルトを思い浮かべ、げんなりした。
確かに彼女には色々な功績があった。しかし、届く報告は全て事後。やらかしてから周りが微調整し、結果だけが送られてくるので困りものだ。
『……というわけで、ヒルデガルト様の仰るとおり人体に著しい害を及ぼすことが確認されるため、採掘を縮小していく予定です』
……とか。
『……というわけで、ヒルデガルト様により救われた魔法国から彼女に国宝が贈られました』
……とか。
何かにつけ、大騒動を起こす王女でもある。
……まあ、あの方なら、余程でない限り潰されはしないだろうが。仮にも王族だし、政略結婚の意味も分かっておられよう。
だが、どうしても拭えない不安。政略とは別で、必ず何か騒動を起こしそうなヒルデガルトに、摂政は頭痛を禁じ得ない。
そうして後日行われた二人の挙式。
立ち会った公国の王は、久々に見た姪っ子の美しさに見惚れる。
『……なんとまあ。妹にそっくりではないか』
『……髪色は違いますけど、美姫であらせられますね』
良い結婚式だと微笑む公国の王。
まさかその後、可愛い姪っ子にとんでもな事が起きるとは、全く考えていなかった王である。むしろ、とんでもなことを彼女がやらかすのではないかという不安の方が強かった。
そんなこんなで、昏い愉悦にほくそ笑むリカルドは、離宮で伸び伸びと暮らすヒルデガルトのことを侮っている。
自分が身の内に地雷を飲み込んだことを彼が知るのは、すっと先の話だった。
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