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王弟殿下の事情 其の弐
しおりを挟む「どうしたとは…… 農作業をしておりますが?」
しれっと答えるヒルデガルト。その所作や態度は優美の一言で、着ているのが薄汚れた野良着にもかかわらず、ここに我在りと高貴な存在感を醸していた。
まさに王族の中の王族。ディス・イズ・ザ・クイーンと呼びたくなる荘厳さ。……着ているのは胸当て付きの作業ズボンなのだが。
無意識に切り替わる彼女の公私。姑息な狸やえげつない女狐らと小さい頃から渡り合ってきたヒルデガルトは、相手によって態度がガラリと変わる。
それを目の当たりにした騎士達は、ぴっと背筋を伸ばした。如何にのほほんとしておろうが、彼女は王族なのだ。高貴な夫人を警護している矜持を忘れてはいけない。
こうしてヒルデガルトが態度を変えたということは、彼女にとって王弟殿下が警戒対象ということでもある。なぜに警戒されているのかは分からないが、王妃がそのように考えておられるなら、それに倣うが護衛騎士というもの。
其々に通う明らかな敵愾心。
騎士から醸されるそれを見て、スチュアートは怪訝そうに首を傾げた。
「農作業……とは? どうして、そのようなことを?」
「趣味です」
「……趣味? 野良仕事が?」
「はい。食べられる作物を育てて収穫するのは、楽しゅうございましてよ?」
そっと頬に手をあて、淑やかに微笑むヒルデガルト。難しい顔を崩さぬまま、スチュアートは森裾に広がる畑を見つめる。
「それは……その…… 庭師にやらせるなどしては? 手ずから行わなくても良くないですか?」
チラリとスチュアートが視線を振った先にヒルデガルトの指がある。その指の爪が貴夫人にしては不自然なくらい短いことを彼は見逃さない。
むしろスチュアートの爪のほうが男性にしては長く、綺麗に整えられていた。
だが、彼は知らない。彼女の爪は、元から短いのである。故郷でも似たようなことをやっていたから。
野山を駆け回り、畑をつくり、自ら収穫して、家族に振る舞う。自由気ままに毎日楽しく暮らしていた。その片手間で、各研究者に進言したり。
スチュアートには想像も出来ない、賑やかな日常を送っていたのだ。
だから、ここでも彼女は引かない。
「なぜ人任せに? わたくしは育てるのが楽しいのですわ。毎日手入れを怠らず、少しずつ大きくなるのを直に感じてこそ、収穫の喜びもひとしお。それを誰かにやらせる? 悪い冗談でございます」
ぴしゃりと言い渡され、スチュアートはしばし逡巡する。……が、彼もまた引かない。
「王妃のなさるべきことではないかと。もっと他に…… そう、刺繍や絵画とか? 読書も宜しいですね。同じ育てるなら、花にした方が…… これも作業は庭師にさせるべきでしょう」
スチュアートにしたら至極当然な提案。しかしそれは彼女に通じない。
「………………………………………………………はあ」
ゆうに一分もしてから、大仰に吐かれた溜息を見て、スチュアートが狼狽える。
……めちゃくちゃ溜めたなっ?!
ヒルデガルトの呆れ返った三白眼。それがスチュアートの胸を深々と抉った。如何にも、『貴方は馬鹿ですか?』と言わんばかりの辛辣な雰囲気が。
「貴方は馬鹿でいらっしゃるの?」
……いや、直に言われたっ?! 少しオブラートかけてるけど、意味は一緒だよねっ?!
「刺繍や絵画には元手が必要でしてよ? どこにそんな金子がございますの。しかも花? そんなの王宮庭園に腐る程あるではないですか。わたくしは、自ら育てた野菜や果物を収穫して食したいのです。お分かりになりませんか?」
「貴方には公費がついておりますっ! 糸や絵の具くらい、幾らでも購入出来ますっ!」
「国庫は有限です。ならば倹約に努めるのが国を動かす者の務め。有るから使えというのは間違ってましてよ? 貯めておけるなら貯めておいて、ここぞという時に金子は使うべきでしょう? 必要もないのに浪費せよとは、国庫を預かる人間のするべき発言でございませんっ!!」
一を言えば十で返され、タジタジなスチュアート。しかも、その言は筋が通り過ぎていて反論の余地がない。
「……っ! けど、それでは王妃としての威厳が……っ」
絞り出すような王弟の呟きを耳にし、ヒルデガルトは、ふんっと鼻を鳴らした。
「元より無いも同然な威厳ではありませんか。こんな辺鄙なところに押し込め、身の回りの世話の一つもされず、ドレスを身にまとうことすら出来ない王妃のどこに威厳が? 馬鹿も休み休みにおっしゃいませ」
一発KO。見事一刀両断にされたスチュアートの顔から、みるみる色が抜けていく。
……おっしゃるとおりですよ? でも、もう少し手加減してあげてくださいませんか、王妃様。
撃沈された王弟殿下の魂が抜けたような姿に、笑ってはいけないと思いつつ、騎士達は必死に失笑を喉の奥で噛み殺した。
ぷしゅうと脱力し、よろめいたスチュアートは、それでも根性で何とか足を踏ん張る。非常に無意味な踏ん張りではあるが。
「……国王陛下のなされようを存じております。姉上が憤慨なさるのも致し方ないかと。ですが……」
……きっとヒルデガルト様は激怒しているのだ。こんな場所に打ち捨てられ、冷遇され、心の底から国王を憎悪しているのだ。
そう考え、スチュアートはリカルドの代わりに謝罪しようと顔を上げた。……が、彼は、そこに有り得ないモノを見る。
まるで他人事のように、きょん? と呆けたヒルデガルトという生き物を。
「憤慨? なされよう? ……何のことですの? こうして館もいただきましたし、庭や森もありますわ。わたくしの趣味は自然散策と畑仕事ですので、煩わしい公務や夫婦の営みもなく、お一人様暮らしを堪能しておりましてよ? ふふ、充実した毎日ですわぁ♪」
語尾の音符が目に見えるようで凶悪だ。本心で…… 本気で国王に打ち捨てられたことを喜ぶ王妃。
唖然と顎を落とし、固まってしまったスチュアートを、居並ぶ騎士らが憐憫の眼差しで見据えていた。
……そうなんだよなあ。王妃様は、ま~ったくっ、国王陛下に執着がないのだ。むしろ煩わしいとすら思っている節がある。
……そうそう。初日以外、陛下の話題が出たことはないし? 既に忘れ去っておられた気もするよな。
……忘れていたのだろう? 見ろよ、王弟殿下に言われ、『今、思いだしましたわ』って顔であられる。……ふはっ、笑ってはいけないのだが。
見交わす視線で頷き合い、騎士らは揃って肩を震わせる。もう、ヒルデガルトの存在そのものが茶番に見えた。
望まぬ花嫁に望まれない花婿。リカルドの方はヒルデガルトを嫌っているだけ、まだマシだ。ある意味、彼女のことを意識しているとも言える。
だがヒルデガルトの方にいたっては、全くの無関心。存在そのものを忘却しており、王弟が現れなかったら、その顔すら思いだせなかったやもしれない。
……あんまり過ぎやしないか? そりゃ、どちらも意に沿わぬ婚姻だったかもしれないが、仮にも夫婦になったのだろう?
眼は口ほどにモノをいう。
スチュアートの表情でそれを読み取ったのか、ヒルデガルトは忌々しそうに口を歪めた。
「何を夢見ておられるのか分かりませんが、初夜を済ませただけの間柄でしてよ? 睦まじくしたこともなくば、一緒に暮らしたこともございません。ほんの一時、身体を重ねただけで夫婦と言えまして? わたくしにしたら、犬に噛まれたようなものですわ。ほんと、躾のなっていない我儘な血統書付きにね」
途端、周囲に居た騎士のうち三人が駆け出した。
もはや我慢の限界だったのだろう。前屈みになって走り去る彼等の腹筋は崩壊寸前である。それを恨みがましく見送り、残りの二人は辛抱強く警護を続けた。
そんな騎士達の危機も知らず、打ちのめされた顔の王弟が力なく呟く。
「躾のなっていない我儘な犬……?」
……繰り返さないでくださいっ、王弟殿下っ!
思わず俯く護衛騎士。しかし我慢出来なかったのか、もう一人がこの茶番劇から離脱していった。
……置いていかないでくれぇぇーーっ!
さすがに護衛全てが持ち場を離れるわけにもゆかず、残された最後の一人は死に物狂いで笑いを堪える。
……が、そこにヒルデガルトがトドメを放った。
「そうですわよ。前王妃様と結婚して六年でしたか? 未だに御子もおられないなんて、石女か種無しのどちらかでしょう? ……わたくしとしては後者を推しますわね。妃を二人迎えても懐妊の兆しがなくば、陛下が種無しだと証明されてしまいますもの。一人だけなら、相手を石女だと思えますしね。だから、わたくしと夫婦の営みをしたくないのですわ。たぶん?」
にっこり笑って毒を吐くヒルデガルト。その言い分が妙に腑に落ち、思わず得心顔をするスチュアートと真逆で、とうとう走り出してしまった最後の騎士は、最初に逃げ出した三人が駆け戻ってきているのを視界に入れ、天使のラッパが脳内に鳴り響いた。
……助かったぁっ!
すれ違いざま、ぱんっと掌を打ち合い、騎士達は警護を交代する。
だが、まだま続く不毛な争い。
想定外の腹筋強化月間に見舞われ、それぞれ駆け出しては交代して警護を真っ当する、気の毒な護衛騎士達だった。
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