「夢」探し

篠原愛紀

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人魚の話。

人魚の話。一

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この青く、とても青く澄んでいる、この海があの海の様になりませんように。 

大きな大きな煙突から灰色の煙が吐き出される。 朝も夜も、吐き出される。
それがこの青く、とても青く澄んでいる、この海を汚しているんだ。 

一つ、悲しくて美しい夢物語を話すよ。 
 
「この海の話だ。綺麗なエメラルドグリーンの宝石のように輝く海だった」

ずっと昔、まだ俺が絵描きとしてさ迷っていたほど昔の話だ。
この海は、工場から毎日流れてくる水で汚れてしまっていた。
大きな、とても大きな工場の島の、大きくとても大きくビルよりも高く、長い蛇口から1日も休む事なく流れでる汚水。
余りにも大きな蛇口を、人々は止めることができなかった。
――あぁ、海が死んでいく。
そう嘆きながらも何も出来ずにいた。俺もその一人だった。
 俺はその時、売れない画家を自称して放浪していた。
俺はその時は売れないくせに、画家きどりでどうしようもなく貧乏で手元にあるのはキャンパスに青い絵具だけ。これだけでも海ぐらいは描けるだろうと、海へやってきた。
そこで驚いたんだ。海と言っても、もう灰色の泥と化してしまっていたし、匂いもきつく、青さなんて何処にも無かった。
魚は浮き上がり、泥に絡まり酷い姿で、珊瑚礁が見えていた透き通った水面は無くなっていた。
「これじゃ仕方ない。帰ろう」
 期待外れだったこともだが、その海を見ていると人間の愚かさとか醜さとか、いやでも目についたからさ。あの工場は、世界中から注文された兵器を作っている。
 その汚染廃棄物が海に流れていく。
 つまり人間は兵器で世界を破滅させたいんだろうなって。

俺はまた来た道を戻ろうと振り返った。すると、泥の中から声がするんだ。
汚れた海の中から綺麗な声が。
「そこの青年……」
振り返ると、輝かんばかりの金髪の美しい人魚が出てきたんだ。泥から出てきたとはいえ、彼女の美しさは少しも汚れていなかった。    
「どうしましたか?」
俺は海に近くのを少し躊躇しながら、人魚に返答した。その美しい人魚は、キャンパスを指さした。
「海を………‥海を描いて下さい」
「海を?」
彼女の瞳は、何も映さないような拒絶を宿した深い蒼色だった。耳につけた真珠が透き通った純白な輝きを放っていた。
「えぇ。この汚れた水の海じゃなくて青く澄んだ海を」
人魚は静かに両耳のイヤリングを外した。―本物の真珠なのは、確かめなくても明らかだ。
「どうか、私の住める海を」
灰色の汚れた海と遠くに見える工場の蛇口と煙を見つめて美しい人魚は、ため息をこぼした。その瞳を、深い蒼色を暗く哀しく揺らす。
その哀しげな顔を、俺は逸らす事なとできずに自分の出せる力全てで必ず、必ず 描きます。とそう言ったんだ。
とは言っても、青い絵具一つしか持ってない俺はただひたすらに青い絵具でキャンパスを塗っていった。どうしたら上手く見えるか、とかこう書いたら注目してくれるか、とか俺は、計算や周りからの評価にいつも囚われていたけれど、ただの青い絵具で他の色を混ぜる事なく白いキャンパスを染めることにただただ集中していた。
ぐっと最後の一捻りまで絵具を出してキャンパスの半分を青色に塗った。
空の色もなにも塗れず、でもそれが、今の自分の実力だと理解できた。
まるで自分の様な粗末な絵ができた。
それでも、綺麗な人魚はとても喜んでくれた。ありがとうと沢山の涙を溢した。俺はこんな絵に、こんな素敵な真珠のイヤリングは貰えないと言って返そうとした。
すると人魚は、では一つは貴方に。もう一つはこの絵を買って下さる方に差し上げて下さい、と言った。
俺はこの絵が売れるとは思えないので 生返事をした。それを見て人魚は静かに笑った。そして涙を拭くとたちまち俺の描いた絵の中に吸い込まれて消えたんだ。
工場の泥と化した海から、次々と魚が飛び出してはその絵の中に吸い込まれていった。そのただの青い絵具を塗っただけの絵は美しい人魚と魚たちが泳ぐ綺麗な海の絵になった。

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