「夢」探し

篠原愛紀

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絵画の話。

絵画の話。

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時間切れ、の前に。

まだ少しだけ、忘れさせて。

まだ束の間の「夢」を。

全部、話さなければならないなら、

最初は俺が美術館で働いていた時に、お世話になった家族の話から。 

「貴方の絵はつまらないわ」

とても綺麗で、上品な年配の女性が立っていた。

俺がまだ、つまらない売れない絵を描いていた頃だった。

路上で絵を展示していたんだ。
もちろん、誰も見向きもしなかったよ。

だけど、初めて話しかけられたんだ。

紫の上品なドレスに、上からショールを羽織り、薄汚れた、俺を見下ろしていた。

「つまらない。こんな絵を描き続けても誰も理解して下さらないわね」
ツンっと澄まし、顔を背けた。

失礼な人だと思いながらも、俺は薄々気づいていた事だ。

「そこまで言わなくていいだろうに。若い子どもの未来を奪ったら駄目だろう」

苦笑しながら、優しく婦人の肩を抱き、促す男性。

とても穏やかで優しい笑顔の、年配の男性。

俺のこれからの一生の師匠だった。

「悪くはないけど、我流だからかな? 知識はないよりはあった方が良いよ」

もし良かったら、美術館で働かないか?
と言ってきた。

婦人は、何も言わなかった。
おじいさんは、町外れの美術館で絵を描いていた。

多分、おじいさんの名前を知らない人はその国では居ないんじゃないかな?

貴族や王室の肖像画も手がけてる有名な画家だった。

なのに本人は、そんな要素を微塵も出さない。
彼からは傲りも、傲慢さも、特別な輝きも出ていなかったんだ。
だけれど、繊細で綺麗で温かい色で白いキャンパスを色鮮やかに染める。

夫人が、声が出せないほどうっとりするほどに。色鮮やかな。

おじいさんの奥さんは、貴族のお嬢様だったらしい。
金髪を美しく風になびかせ、日傘を上品に差して歩く姿に、皆惚れたという。

そんな高嶺の花に身の程知らずにも恋をしたんだとおじいさんは笑った。

昔、売れない絵描きをしていたおじいさんは、奥さんと結婚するのに苦労したらしい。

ロマンチックでドラマチックだなと言うと

夫人は睨んだ。

「貴方はやっぱりつまらないわ」

と。

―こんな俺だけど、一応絵を描くのは好きだから結構傷ついたけれど、夫人は、何も分かってない駄目な俺と、自分を好きになってくれたおじいさんの昔と重ねて、気にかけてくれていたんだ。

ツンと済まして、上品な振る舞いと言葉遣い。
そして日傘を差して、散歩をするのが好きだった夫人は、ある日を境に部屋から出なくなっていった。
部屋から出なくなったのは、夫人が散歩中に右足を怪我したからだった。

町を優雅に歩く姿は、年をとっても変わらず美しかったのに、右足を、引きずるように歩く自分が嫌だったんだろうね。

そんな夫人を見て、おじいさんもとても心を痛めていた。

一人息子とその妻と、双子の可愛い孫娘と全員総出で会議が始まった。

また夫人が、散歩したくなるように、と。

息子が何か皆でプレゼントをしよう、と言った。

散歩したくなるような、プレゼントを。

そうして、一人ひとりがプレゼントをあげることになったんだ。息子さんとその奥さんは、上品で高級な杖を贈る事にしたんだ。

夫人は、ツンと澄ました顔を少し緩め、微笑んでくれたけど、以前のようにまた散歩には行ってはくれなかった。

孫の双子の女の子は、幼いながらも、お弁当を作ったんだ。

だけれど、家の庭で喜んで食べてくれたけれど、散歩には行こうとしなかった。

息子さんも奥さんも孫たちも、ただただ夫人が以前のように優雅に散歩をして欲しかった、ただそれだけなんだよ。

毎日欠かさずに散歩に行く程好きだったはずなのに。

皆はとても心配したけれど、改善はされずにいた。

その時に、おじいさんはある物を贈った。

それは、紫のレースでてきた日傘だった。結果はさすが夫婦だなって思った。

夫人は、その傘を差してまた散歩に行きはじめたんだ。

ただ、以前と違ったのは、おじいさんが手を差しのべていたことだ。

夫人の気持ちを一番分かっていたのは、やはり、夫人に恋し、長年寄り添い生きていたおじいさんだった。

足を怪我した夫人は、おじいさんにそんな姿を見せたくなかったんだ。

だって、自分が日傘を差して優雅に歩く姿に惚れてくれたのに、不様な姿を晒すなんて夫人にはできなかったんだよ。

杖もつけるわけなかった。

それを一番先に分かってくれたおじいさんは、杖の代わりに自分の右手を差し出した。

そして、お洒落で上品な日傘を贈って、夫人にまた自信を持って欲しかったんだ。

お互いを思いやる姿に、今度は俺はロマンチックでドラマチックだな、とは言えなかった。

そんな安っぽい言葉で、二人の愛を表すなんて……愚かで馬鹿げた事だと思ったから。

紫の傘を差し、おじいさんに支えられながら優雅に歩く夫人は、俺に言った。

「貴方は何もくださらないの?」

と。

澄ましてはいなかったかもしれないな。

俺は日々慎ましく生活するほど貧乏だったから…何も用意できてなかったし、受け取ってもらえるほど高価な物も買える自信はなかった。

「何もないの? じゃあ絵でも描いていただこうかしらね」
不適に笑った。

「だって、今なら私が何故夫を好きなのか分かるでしょ?」

貴方の絵に欠けているものが――……。

おじいさんはやっぱり穏やかに笑って、俺に白いキャンパスと絵具を用意してくれた。

俺は、緊張しながら筆を持った。おじいさんの、夫人を見る目は、とても穏やかで、温かくて、深い愛情で溢れていた。

おじいさんの絵がそんなに色鮮やかに染められるのは、人を愛しているから。

夫人を慈しみ、大切で愛しくて特別な存在だから。

おじいさんの視界を色鮮やかに染められるのは夫人だけだけど、夫人と共に生きる世界も愛しているんだ。

俺に足りなかったもの、だ。

俺にとって人は俺の視界を赤く染める化物だから。

そして、世界は俺を権力や地位や能力で縛りつける暗闇だから。

だから、夫人は俺の絵はつまらないって言ったんだ

人を愛さない俺の絵なんて……。

夫人はおじいさんが買った紫のレースの傘を差して眩しい笑顔で俺を見つめていた。

そして、最初で最後の肖像画を描かせてくれた。震える手を必死に隠しながら、おじいさんの絵と自分の絵を交互に見た。

「師匠、と呼ばせてください。俺がいつか師匠みたいな温かい絵を描く日の為に」

俺も、人を愛したかった。

俺が生きていく世界を好きになりたかった。

どんなに飾っても、塗りたくっても、

俺の絵は、俺の欲望や願望で、本質は隠され、誰にも理解されず、ただ一人の世界の様に詰まらない。

でも、師匠は好きだった。
世界は汚いのに、出会う人々はこんなにも、愛に溢れた優しい人ばかり。

俺は、こんな世界だけ知りたかったんだ。

こんな世界しか存在しない世界に。

師匠が、親だったら良かったのにな。

なのに、音を立てて、この幸せを全て、全て、全て全て全て全て

壊したのは俺なんだ。
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