それはまるで甘いケーキのような恋で。

篠原愛紀

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プロローグ ‌‌

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 その長い指先に、触れたい。触れて欲しい。
‌‍ その、長い指が好き。綺麗だと思った。
‌‍ 午後十九時十分。
 スマホの時刻を確認すると、俺はレジ横の鏡で髪を整える。前髪をピンで分け直していると、自動ドアが開いた。
‌‍「い、い、いらっしゃいませ!」
‍ すぐに持ち場に戻って彼に笑いかけた。
‌‍ 俺の頭1個高い身長、紺の上着に緑色のネクタイは駅二つ先の名門双葉高校の制服だ。
 あのおじいちゃんが好きそうな渋い緑のネクタイはダサいって噂だったのに、彼が着たらお洒落に見える。
‌‍ 切れ長の瞳に無造作に伸ばされた黒髪。一見、あの名門高校に通っている風貌には見えない。どちらかといえばちょっと悪そう。
‌‍ ――名前、何て言うんだろう。
‌‍ 吸い込まれそうに彼を見つめていたら目が合ってしまった。
‌‍「これとこれ」
‍ 指差した長い指先を目で追ってしまう。
‌‍ 必ずケーキの名前は口にしないから、あの指を追わなければいけない。
‌‍「ミルフィーユと苺のショートケーキですね。七八〇円です」
‍ そう言うと、長財布から千円札を取り出した。
‌‍ 自分に近づいてくる指先にドキドキしてしまう。
‌‍ 俺、本当に最近、この時間が一番緊張する。
‌‍「二二〇円のお、おつりです」
‍ なるべく触れないように気をつけながら渡す。
‌‍ この瞬間、後頭部に視線を向けられている気がして、上手く顔を上げて笑顔が作れない。緊張してしまうよ。
「お持ち帰りの時間は?」
‍「三〇分で」
‍ 家、此処から近いのかな?
毎回このやりとりをするから本当は覚えてるんだけど、同じ事を考えてしまう。
「ありがとうございまし、た……」
‍ 軽く会釈した後、さっさと帰ってしまう。
‌‍ このわずか五分ぐらいの時間、ずっと無表情だし、なんか恥ずかしくて顔、見れない。
‌‍でも、指先は気になってる。あの長い指を、忘れられないんだ。
‌‍
**

「憂斗(ゆいと)ってホモなの?」
「は?」
‍ ポキッっと思わずシャーペンの芯を折ってしまった。
‌‍「酷いよ。さや」
‍ 同じ日直のはずなのに、正面でシュークリームを食べているふてぶてしい顔の女の子。
‌‍ 前髪は斜めにカットされ、俺よりも短いショートカット。
‌‍ 何でもズバスバ言ってくれるから話しやすいけど、毒舌なのは止めて欲しい。
‌‍「あんた、幼稚園から一緒にいるのに彼女作ったの見たことないし。この前、あんた目当てでケーキ屋通ってた他校の子、振ったじゃん。めちゃ可愛かったのに」
「あ、あれは、びっくりして」
‍ 駅が1個向こうの女子高の子だったけ。
‌‍ ワンピース型の上品な制服に、綺麗に巻かれた茶髪の髪、艶々の唇。可愛かったけど、俺には勿体ないほど遠くに感じられた。
「でも、そのよく来る男は気になってるんでしょ?」
「だ、だってケーキ屋に男の人って珍しいし」
「あんた目当ての女の子は、覚えられないのに?」
‍ さやがにやにやと笑って首を傾げた。
「恋愛まで発展したことないから分からないんだよ」
‌‍ 俺は中学まで身長がなかなか伸びずずっと一番前だった。そのせいか男友達や女友達からも甘やかされたというか可愛がられた自覚はある。
俺は普通科だけど俺の通う高校は、調理科や福祉科があるせいか七割が女子。さやは腐れ縁だし女子とつるんででも冷やかすクラスメイトなんていないし、男だと意識されていないことはわかっている。だから俺を好きになる存在が現れるはずがないとさえ思っている。
「理想が高いのかな、相手にされなさすぎで」
‍ 書き終えた日誌をさやに押し付けながら、項垂れてしまった。
「理想って言うか、恋に夢見てるよね」
‍ 日誌をパラパラ確認すると、さやは立ち上がり鞄に荷物を積めていく。
‌‍ 俺は突っ伏したまま動けないでいた。
「だって、あんたの家、特殊だし。シュークリーム美味しかったわよ。おばさん達によろしくね」
「特殊?」
‍ まだ会話の途中だと言うのに、さやはさっさと日誌を出しに行こうとしていた。
「早く先生に会いたいのよ。あ、今度は『双葉の君』に何か話しかけてみてよ。できれば受験のお守りに双葉高校のシャーペンも欲しいな。頼んどいて。じゃーね」
‍ そう言うと、全速力で廊下の彼方へ消えてしまった。
‌‍ 俺にすべて書かせた日誌を提出しても、どうせ字でバレるとは思うけどね。
‌‍ そう思いながら、俺も重い体を持ち上げ立ち上がった。
‌‍ トボトボ歩いて、自分の家の看板を見上げた。
‌‍ 『Doux』と書かれたピンクの可愛らしい看板。たしかフランス語で『甘い』って意味だった気がする。
‌‍ 道路を挟んで向こう側には、コンビニと十階立てのオフィスビルがある。
‌‍ 入ってるテナントは、名前を見ても良く分からない。でも二階に塾があるのは分かる。入会金が云十万だの紹介以外入れないとか入るのに条件があるけど、その代わり有名大学合格間違いなしらしい。俺みたいに毎回のテストでひいひい言っているレベルじゃない人らが沢山通っているんだろうな。
‌‍ けれど塾が終わる十九時前後は迎えに来た保護者や様々な有名進学校の制服の人らが買いに来てくれる。
‌‍ あの人は、その時に見つけたんだ。
‌‍ 道路の向こう側のコンビニで少しだけスマホをいじってから、こっちに向かって来るって。
‌‍ スマホを耳に当てながら店を見ている気がしてドキドキしたんだ。
‌‍ なんか偶にもしかして店の中確認してないかなって勘違いしてしまうぐらい、頻繁にコンビニに居るときは目が合う気がするんだよね。
「あら? 憂ちゃん? お店の前で何で百面相してるの?」
‍ 店のドアから現れたのは、俺の母親。
‌‍ ほんわりおっとりした口調で、年齢は言ったら怒るけど、20代に見える若々しい顔。
‌‍大きな瞳に、真っ赤な唇、ピンク色の頬。亜麻色の髪を1つの三つ編みに結んでいた。
「何でもないよー。着替えてくる」
‍ するりとドアを抜けると、ケーキを持った父親に出くわしてしまった。
「おかえり、憂。新作のカボチャパイなんだが」
「着替えてから食べるよー」
「あーん。博人(ひろと)さん、可愛らしいわぁー!!」
「だろ? 桜華(さくら)ちゃん。君が喜ぶと思って頑張ったんだよ!」
‍ これだ。これ。
‌‍ 未だに名前呼びで、新婚みたいにイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャイチャ。
‌‍ これのおかげで、俺は恋愛に夢見がちなんだ。自分でも嫌になる。
‌‍ブレザーの制服をハンガーにかけながら、クローゼットの鏡に映った自分を見た。
‌‍ 母親に似て大きな瞳。亜麻色のフワフワな髪は、柔らかすぎてくし要らず。
‌‍ピンで止めなきゃ纏まらないクセの強い前髪。
‌‍ やっと百七十センチ越えたから、女の子には間違われなくなったし、告白だって本当に一度だけされたけど。
‌ 父や母みたいな大恋愛の話を聞いてしまうと、初めての恋で結ばれたいなって思っちゃうんだよなぁ……。
‌‍『恋愛』に夢を見てしまうから、ホモと勘違いされちゃうんだ。
‌‍ もっと男らしく身を引き締めよう!
「憂ちゃん、勉強しながらケーキ食べたら駄目よー」
‍ 母がシュークリームを配列させながら、レジの椅子に座る俺にやんわり言った。
‌‍「さ来週の月曜からテストなんだよ。 俺、一応受験生だからね?」
‍ もぐもぐと新作のケーキを頬張りながら、英単語張を見る。
‌‍ 今回は範囲が広いから、全部覚えられる自信は無い。
‌‍ それに、今日は金曜日。あの人が来るのは月曜と木曜と把握済み。
‌‍ 来ない時ぐらい、リラックスさせて欲しいんだよね。
「そう言えば、さやがシュークリーム美味しかったってよ」
「えー?」
‍ 厨房に居る父に大声で言ったが、洗い物をしている父には聞こえて居ないのか聞き返された。
「だーかーらー、さやがー」
「あらー、いらっしゃいませー」
‍ それと同時に、自動ドアが開いた。
「うっ」
‍ 現れたのは、『双葉の君』だった。慌てて単語帳を閉じたり、ケーキを飲み込んだり、あわあわしてしまう。
「どれにしますー?」
‍ 代わりに母がおっとりと対応してくれたので、先回りしてドライアイスと箱を準備する。
‌ ほのかに柑橘系の香りを漂わせる双葉の君は、無表情でケーキを物色している。
‌‍ 箱を組み立てながら覗き見すると、無表情な横顔が真剣にケーキを見つめている。
‌‍ ちょっと眉を寄せて、じっくり考えているみたい。
‌‍ ……鼻、高いなぁ。
‌‍ 背ぇ高いから、屈んでケーキ見てるのちょっと可愛いなぁ。
「じゃあ、これとーー」
‌‍ ボーッと眺めていると、父がタオルで手を拭きながら現れた。
「で? お前、さやちゃんと何だって? 付き合ってるのか?」
「はぁ!!?」
「――?」
‍ バットタイミングで厨房から顔を出す父に、大声を出してしまった。
 ‌‍一瞬、彼も此方を見て動きを止めた気がする。
‌‍ 慌てて口を押えるけど、ガキっぽいって飽きられちゃったかな。お店で騒ぐなんてみっともないじゃん。
「ち、違うよ! 新作のモンブラン入りのシュークリームがね」

「はい、120円の御釣りですー。ありがとうございました」
‍ 父に説明しようとしている間に、母に箱を奪われ、テキパキと渡されてしまう……。
‌‍ 俺が渡したかったのに、彼は全く俺に興味も持たずさっさと出ていってしまった。
 なんか彼の世界には俺は登場人物にすらされていないんだろうなって現実を突きつけられてしまっただけだ。
「――お父さん、嫌い」
「!?」
‍ 結局、何も分からず仕舞いだし、もうちょっと盗み見したかったのに。
「あら? これ……」
‍ 母さんが拾ったのは、双葉学園の生徒手帳。双葉の複雑な装飾がされた印が革の手帳に押されていて、高級感が漂っている。
「さっきの人のかしらー?」
「ちょっと貸してっ!」
‍ 母さんから奪うって開くと、免許証みたいに右側に写真が貼られ名前。
‌‍ 無表情な写真なのに格好いいなー。
‌‍ 雨宮 清人 AMAMIYA KIYOTO
 清人さんっていうのか。名前まで格好いい。
 って同い年なんだ。
「憂ちゃん、それ、追いかけて渡して来てくれるー?」
「へ!?」
「それがないと困るでしょ。」
「あ、うん! うん!」
‍ 名残惜しいけれど返さなきゃだよね。雨宮さん。雨宮さん。
‌‍ 俺は急いで店を飛び出すと、やや遠くに見える彼を呼んだ。
‌‍
「あ、雨宮さん!」
‍ 数秒、間を置いてから振り返った雨宮さんに、一瞬見とれてしまった。
‌‍ 無表情な切れ長の瞳が、一瞬見開いた後、すぐにまた表情を隠した。
‌‍ いつも手ばかり見てるから、こんな正面からまじまじ見るのは初めてで、なんか更にドキドキしてしまう。
「ケーキ屋の、子だよね。てか俺の名前知ってるの?」
‍ うう。声も語尾が甘く伸びて低くて格好いい。
「ああの、これ、落として、ました! 名前、見ちゃって! あの!」
「――ああ。落としてたんだ。本当だ、チェーン、切れてる」
‍ 差し出した生徒手帳を渡すと、微かに笑った気がした。
「君、名前は?」
‍ 優しく目を細めて、俺を見つめる雨宮さん。
‌‍ そんなに見つめられると恥ずかしくて直視できないよ。
‌‍ つい、目線をそらして手をもじもじしてしまう。
「あの、憂斗(ゆいと)です!  憂(うれい)と書いてゆいって読みます。よくゆうとって間違えられるんです……が」
‍ うわうわ!
 俺何を関係ない事をべらべらと。
‌‍ ダメだ。これ以上は心臓に悪い。なんで俺、こんなにドキドキしてるんだよ。
 この人は格好良くても同い年の同性だぞ。
「あの! では、失礼します!」
‍ 足早に去ろうとすると、腕を捕まれた。
「サンキュっ、憂斗」
‍ あの長い指が俺の頭を撫でた。
‌‍ 柑橘系の香水の匂いをまとったあの指が触れたんだ。
‌‍ 見上げた雨宮さんは、爽やかに笑っていた。
 ‌‍は、反則だ。普段笑わない人は、微笑むだけで反則だ。ズルい。格好いい。
「あの、いえ……。お休みなさい」
「ああ。また行くから」
‍ まるで俺に会いに来てくれるかのような、口調。錯覚してしまいそうだ。
‌‍ 彼は、俺じゃなくてケーキを買いに来るのに。
‌‍ 笑った顔を見たら、更に頭から離れられなくなる。あの手に、触られたい。
‌‍
**

「俺はホモじゃ無かった!」
‍ 新作のスィートポテトを机に叩きつけながら、さやを見下ろした。
「……あんた、声、大きいわよ」
「え!?」
‍ 昼休みだったから騒いでいたのに、しぃんと静まり返り教室中が俺に注目している。
 慌てて隠れるように椅子に座ってカバンで視線をガードしつつ真正面のさやに小声で説明する。
‌‍ 今日はだて黒縁眼鏡の、文学少女風のさやが呆れた顔でスィートポテトを掴む。
「なんか進展あったの?」
「かっこよかったんだっ」
「か?」
「ほら、俺、ずっと身長低かったし女の子に間違えられたりしてたろ? あの人が俺のなりたかった、『理想』なんだよ。憧れなんだ。しかも同い年ってさ。そりゃあ憧れちゃうよ。しかも香水とか使ってそう。柑橘系の爽やかなやつ」
「あー、このスィートポテト蜂蜜入ってるんだ。美味しい」
「……聞けよ!」
‍ 俺もスィートポテトに手を伸ばした。さやは紙パックの珈琲を飲みながらため息を吐く。
「聞いてるよ。ただ、あんた鈍感だから当てになんないの」
「だかーらー」
‍ 当てにならないってなんだよ。ただ雨宮さんが男の俺から見ても格好いいって話をしたいだ。
「でも、あんたいつも甘い匂いするよね。甘い匂いと爽やかな柑橘系の香水って正反対で良いわよね」
‍ フッと小馬鹿に笑うさやに何だか腹が立つ。
‌‍ 同い年なのに色々分かった風で喋りやがって。彼とは大違いだ。
「さやには男心が分かんないんだよ。‌‍あーあ。雨宮さんみたいに格好よくなりたかったな」
‍ ため息を吐きながらスィートポテトを食べたが、この新作旨い。
‌‍ 雨宮さんにも食べてもらいたいな。
‌‍ たった一言喋っただけで、こんなにドキドキして名前を呼ばれただけで、フワフワするんだから。
「そんな甘い物幸せそうに食べてる憂斗見てると、全然男らしさを感じないんだけど」
「なっ! さやにはもう新作やらない!」

「あら。じゃあテストのヤマ教えないから」
‍ フフンとだて眼鏡を上げながら、不適に笑う。
‌‍ 俺がさやのヤマにどれだけ助けられてるか知ってるくせに意地悪な奴だ。
‌ 顔に出ていたのか、さやは満足げに頷く。‍
「憂斗は可愛いわよ」
‍ そう言うと、スィートポテトを全部平らげてしまう。
‌‍「英語のテスト範囲、出そうなトコ、纏めといてあげる」
‍ にっこにこ笑うから、情けないけど敵わない。
「うん。よろしく」
‍ そう言うと、さやは可愛らしく首を傾げて笑う。
‌‍ さやは幼馴染みだし、何でも言い合えるし、本当に気の置けない友達だ。
‌‍ さやみたいにいっぱい喋ったら、友人みたいに距離を縮められたら、ドキドキも収まるんだろうか?
 友人や、兄弟ならば、――あの指に触れてもいいんだろうか。
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