それはまるで甘いケーキのような恋で。

篠原愛紀

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1個目 接近 ‌‌

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1個目 接近 ‌‌


 そろそろ来る時間。
‌‍ わくわくする。けど近づくテストは、わくわくしない。
‌‍
「どこが発音のアクセントだとか分からない」
「憂ちゃん、勉強するならバイトお休みしてもいいのよー?」
‍ 母さんが呆れながら此方を見る。
‌‍ お客さんが居なくなると、ノートを開いては単語を書いて読んで、覚え中。
‌‍ もちろん今日は、雨宮さんが来るまでの予定だし。来たらバイトも上がって勉強予定だ。
‌‍ だから、店の前のコンビニをさっきから見てるんだけど今日はまだ。まだ十八時前だし、ほかの制服の人らは何人か歩いてるんだけど塾の終わる時間ではない。
‌‍ でもついついコンビニを凝視していたら、自動ドアが開いた。
「あっ!」
‍ スマホをスボンのポケットへ入れながら雨宮さんが入ってきた。
 不意打ちだ。コンビニに寄ってからいつも来るのに、今日は直接塾が終わってケーキ屋に来てくれたのかな。
「い、いらっしゃいませ」
「ふっ。何驚いてんだよ。あのさ、アップルパイ頼まれてんだけど?」
‍ 雨宮さんが笑うと、伏し目がちに髪を掻きあげた。
‌‍ サラサラな髪が揺れると、今日は目が覚めるようなミントの香りがした。
‌‍ あれだ、眠気覚ましに食べるガムの匂いに似ている。
「は、はい! 母さん!」
‍ 見惚れてしまいそうで、慌てて首を振り、厨房に駆け込む。
‌‍ するとオーブンの前であわあわする母がいた。
「ごめんなさい。あと五分で焼き上がりますー」
オーブンの調子がまたよくないのかな。十年以上騙し騙し使ってるから、こうなるんだ。
‍ でも五分は此処に雨宮さんが居てくれるんだから、古いオーブンナイス。
「あー、じゃあ時間潰して来ようかな」
「えぇ!」
‍ つい口に出してしまい、慌てて口を押さえた。
‌‍ けど、雨宮さんは俺を見て、ニヤッと笑う。
「――嘘、だよ」
‍ そう言うと、クッキーやマカロンが並ぶ台の横の椅子に座った。
‌‍今の嘘って、俺に対して意地悪? もしや俺が行ってほしくないってバレてた?
「もうすぐテストだよね」
「え、あ、はい」
「テスト期間は憂斗、店から居なくなるじゃん」
 ‍俺の手に握る、英単語帳を見て、言う。
‌‍ 俺はただただ首を縦に振るしかできない。
‌‍ 視界にさえ入ってないと思ってたのに俺の事、意外と気づいてくれてたんだ。
「来週は俺も来るの止めようかな」
‍ 切れ長の目を細め、雨宮さんが微笑む。
「な…なんで?」
‍ 英単語帳に顔を半分埋めながら、恐る恐る聞くと、雨宮さんは、あの大きな手で口元を隠しながら笑う。
‌‍ごつごつし骨張ってない、スラリとした長い指先がすきだ。
「――何でだと思う?」
‍ そう、甘い声でいった。
‌‍ 声も、手も、顔も、全て格好いい雨宮さんはズルい。
‌‍ 何て答えていいか分からず、単語帳に顔を埋めてしまった。
‌‍ 雨宮さんが声を殺して笑ってるのが聞こえてくる。
‌‍ 俺、からかわれてるじゃん! でも、恥ずかしくて顔、上げられない。
というか同い年! 俺たち、タメなのになんで俺敬語で話してるんだよ。
‌‍ でも突如として、どうして良いか分からない雰囲気に、救世主たちが現れた。
‌‍「ただいまー、おにいたん!」
「いいこにしてたー? おにいたん!」
‍ ピンクのスモックに、黄色い鞄を肩から大きく揺らしながら、双子の妹たちが帰ってきたんだ。
「いらっしゃいませ。こらー、りの、しの、お店から帰って来たら駄目じゃないかー」
‍ デレデレと笑いながら、父さんも入って来た。
‌‍ 俺にしがみつくりのとしのを引き剥がしながら、苦笑している。
「ダーリン! アップルパイをお待ちよ。オーブンが温まるのに時間かかっちゃって」

「ああ、すまない。ほら、りのとしのは着替えておいで。少しお待ち下さいね」
‍ バタバタと嵐が去ると、ゆっくりと雨宮さんの方を向いた。
‌‍ 目が点になっている。イケメンの鳩が豆鉄砲を食ったよう顔はなかなかにシュールだ。
「――双子の妹まで居たんだ」
「普段はお店に来ないようにしてるしバスで帰るんですが今日はピアノがあって」
 園内でレッスンしてくれるから助かってるけど、バスに間に合わないのがネック。
 両親が忙しいときは俺が迎えに行くけど、車で迎えに行った方が早いし楽だから本当に偶にだ。
「生意気な感じがたまらなく可愛いでしょ」
 へへっと俺が笑うと、足を組み直しながら雨宮さんは甘く此方を見ていた。
「もしかして、その前髪……」
‍「はい。……妹たちのリクエストだったのがいつの間にかズルズルと」
‍ 俺の前髪は、朝妹たちが花のついたゴムで結んでくれた。
‌‍ 今、帰って来たりのとしのも、同じピンクのリボンだったりする。
‌‍ 日によってはピンだったりするけど。
「髪を結ぶのを嫌がったから、俺も結んでたらこうなりまし、た。まあふわふわのくせっ毛だから意外とまとまらなくて、結んだりピンでとめると楽なんですよね」
「似合ってるよ」
「笑いながら言われても、嬉しくありません」
「俺も妹いるからわかる。可愛いから逆らえないよな」
 ずるいなあ。
 今まで無表情な顔しか見てなかったから笑うとギャップで、心臓がバクバクする。ギャップがありすぎるのは反則だ。
「そ、そうなんです! 雨宮さんの妹さんは何歳で」
「できましたー。何等分にしますー?」
‍ 俺が質問していると、母の声で遮られた。
‌‍ 奥から良い香りも漂って来る。
‌‍ しょうがなく、俯いて会話を断念したけど、うなだれてしまう。タイミング考えてって言う方が無理なんだけどさ。
 そんな俺に、気づいたのか気づいてないのか、雨宮さんは立ち上がって、レジでボーッとしている俺の横に近づいてポンポンと頭を叩いた。
「8等分で」
‍ 熱々のパイを切り分け、箱に摘めていく。
 頭、なでられた。同い年なのに子ども扱いされてる気がする。
 色々複雑になって単語帳に顔を埋めて逃げた。
「木曜は居る?」
「はい!」
‍ そう返事をすると、目を細めて笑う。
「じゃあ、木曜は憂斗のオススメ買う」
「はいっ」
‍ 単語帳から顔を出して、何度も何度も頷くと、雨宮さんは声を押し殺して笑っていた。
‌‍ そのまま、道路を挟んで向かいのビルに入っていく。
‌ 塾で皆で食べるのかな。
「今の人、笑うと格好いいわねー」
‍ 母さんも俺の横で感心するように頷く。
‌‍ 目を細めて笑う姿は格好いいし、本当に憧れる。
 あのごつごつ骨ばっているけど長くて大きな指は、正直うらやましい。
 俺がジムに通ったり体育系の部活を何年してても絶対にあんな筋肉の付き方にはならないだろうし。本当に格好いい。
そんな憧れの人にケーキかあ。
‌‍ 俺のオススメって何が良いだろう?
 いつも見てるから、すっごい甘いのも買ってたし、そこは配慮しなくて良いのかな?
「あら、単語帳とにらめっこは止めて、ケーキとにらめっこしてるの?」
‍ ショーケースを見つめる俺に、母さんはのんびり尋ねる。
‌‍ でも今は、答える暇などない。
‌‍ オススメを選ぶなんて、単語帳を全て覚えるより難しいんだから。
‌‍
**

「辞書引きなさいよ。AcquisitionとRecaptureの意味はねぇ」
‍ タルトタタンかナポレオン、ミルフィーユはこの前買ってたしなぁ。
‌‍ ちょっとスポンジがビターなティラミスか、俺はミルクレープにジャム乗っけて食べるのが好きだけど、雨宮さんならアルカザールとかガトーショコラも絵になるしなぁ。
‌‍ でもショートケーキにプリンにシュークリームも捨てがたい。
「聞いてるの? 小テストで間違った単語、覚えるまで書いてやり直ししなさいよ」
 現実に目を向けて見れば、ぎりぎり平均いかなかった単語テストの解答用紙が机に置かれている。裏に覚えるまで書いて再提出だ。
 あんなに昨日は単語帳と睨めっこしていたのに、なんでだよ。
「駄目だ。全然単語が覚えられないよ。帰ってから書く」
「覚える気が無いんでしょ。赤点取って、指定校推薦貰えなくなれば良いわ」
 思い身体に鞭を叩き立ち上がってとぼとぼ歩く俺の横で、さやがミニテストを持って対策を考えてくれている。
‍ 今日はオレンジ色のだて眼鏡に、同じ色のマニキュア。
‌‍ さやこそ、マニキュアがバレて指定校推薦取り消されたら大変じゃん。
‌‍ とは言うものの、帰り道まで俺の単語の暗記に付き合ってくれてるんだから良い奴なんだよなぁ……。
‌‍
「なぁ、最近食べたウチのケーキで、どれが一番美味しかった?」
「――あんた、まじで覚える気ないのね。見捨てるわよ」
‍ そう言いつつも、プリントを折りたたみながら少し考えてくれた。
「あの蜂蜜入りのモンブラン」
「あー! モンブランか!」
‍ 栗の季節は、いっぱい試食させられるから忘れてたよ。
‌‍ モンブランなら確かに買うの見たことないなぁ。
‌‍ モンブラン入りロールケーキとかも美味しいにどうかな。
「あ、さや、父さんが試作品要るなら店に寄ってって」
「そりゃあ、行くけど。私を太らせてどうする気かしらね」
‍ ぶつぶつ文句を言いながら、店の前に差し掛かった。
‌‍ 信号が赤に変わり、さやはスマホを取りだした。
‌‍ 俺は振り向いて、オフィスビルを見る。
‌‍ 1階のエレベーター前に警備員も立っているし、中にははいれないんだよな。
「……今日はまあ居ないか」
「いるよ」
「いるんだってーーえ?」
‍ 見上げていた顔をそのまま後ろに仰け反ると、視界に反対向きの雨宮さんが映った。
「雨宮さん」
「今、俺のこと探してたろ?」
‍ クッと笑うと、長い指先で頬を掻いている。
「ど、どうして分かったんですか?」
「顔に書いてあるじゃん」
‍ そう言うと、雨宮さんはネクタイを掴むと少しだけ緩めた。
‌‍ なんか野性的で色気が漂ってくる。あの渋い緑色のネクタイがダサいと笑っていたやつらに見せつけたいぐらい。いや、誰にも見せたくない。
「憂斗、先に行ってるからね」
「あ、うん! 」
‍ ニヤニヤしながらさやは、なめ回すように雨宮さんを上から下まで観察し横断歩道を歩いていった。
‌‍ でも今は学校終わりの5時半。いつも雨宮さんを見るのは塾終わりでの七時ごろなのに。
「こ、んな時間に珍しいですね」
「ああ。テスト前は成績上位組は個室貸してもらえるんだ。学校も駅の近くの図書館もファミレスも人が多くてさ」
‍ そう言うと、けだるげに前髪を掻き上げた。
‌‍‌‍ いつも残り香だったけど、近くで匂うと爽やかな柑橘系の香りにちょっと甘さが漂ってる。
‌‍ でもこの甘さは知らない雨宮さんをみるようで、嫌だな。‌‍ちょっと距離を感じてしまう。
‌‍「ずっと見ないでよ。穴が開くじゃん」
「へ?」
雨宮さんが首を傾げた。
「それか俺に見惚れてた?」
‍ 見透かされたように不敵に笑われ、頭が真っ白になる。
‌‍ なんだか玩具みたいにからかわれているようで恥ずかしくなった。
「し、失礼します」
‍ そう言うと、右腕を捕まれた。
「――ごめん。意地悪だった」
‍ 掴まれた右腕が少し痛い。
「憂斗、可愛いから。――意地悪したくなるんだよ」
「痛いっ」
‍ からかってるんだ、と雨宮さんの手を振り払おうと振り返ると、困ったように笑う姿に見惚れる。
‌‍ 普段感情が乗らない整った顔が、懇願するような困り顔で俺を見ている。‌‍何を喋って良いか分からず、手を振り払うと下を向く。
‌‍ 気まずくなって戸惑う俺に、雨宮さんから話しかけてくれた。
「単語、昨日も勉強してたよな?」
「……苦手で」
「何が苦手? 暗記? 文法?」
「発音と暗記と文法」
「クッ 全部じゃん!」
‍ 雨宮さんが楽しそうに笑うから、胸がドキドキする。
「どれ? どの発音?」
‍ そう言われたから単語帳を開いて渡す。
‌「これ?」
‍ 聞き返され、一緒に単語帳を覗き込んだ。
‌‍ 近すぎる距離に緊張してしまう。
‌‍ 近づけば近づく程、甘い香水の匂いがする。この匂いは嫌い。いつもの爽やかな香りが言い。
「憂人?」
質問されていたと我に返りブンブン頷くと、雨宮さんは安堵したように笑い返した。
‌‍
「舌、出して」
「し、舌!?」
「発音のコツ、教えてやるから、ほら」
‍ なんだか恥ずかしいけど、せっかく雨宮さんが親切に教えてくれるんだから断りたくない。
‌‍ そう思って、勇気を出しておずおずと舌を出してみた。
‌‍ どこを向いたら良いか分からず、目を閉じた。
「…………ふ」
‍ 本当に微かに、雨宮さんが笑ったかと思うと、温かい何かが舌を触り次の瞬間、舌に苦味が走りミントの味が広がった。
‌‍「憂斗、顔エロッ」
「え!? てか今、舌を触ったの……」
‍  楽しげに笑う雨宮さんを見ていたら、答えてもらわなくても分かった。
さっきまでの困惑していた殊勝な姿はポーズだったのか。
「信じたのに」
‍ 一瞬、唇が触れたのかと勘違いした。キスした事ないから分からないけど無駄にドキドキさせられて悔しいのでにらみつけた。
‌‍「雨宮さんの馬鹿! 意地悪野郎!! お……オススメなんて教えませんから!」
‍ チラッと横目で見ると信号の青が点滅している。
‌‍ だから俺はそのまま雨宮さんの返事も待たずに駆け出した。
‌‍ 追いかけて来ないだろうし、どうせまた笑っているだろうし。
‌‍ ――あんなお兄ちゃんは要らないや。
‌‍ 口喧嘩しても勝てなさそう。
‌‍すぐに店に入るとさやと、二人女性客が試食を父さんから渡されていた。
「いらっしゃいませ」
‍「遅かったね」
‍ ニヤニヤするさやを睨み付けながら、女性客に頭を下げる。
‌‍ 巻き毛が綺麗な女性客二人は、雨宮さんと同じ双葉高校の制服だ。女性はチェックのリボンで可愛い。
「わー。制服姿は可愛いね」
「かっ」
「この新作のホイップクリームのプリン、キミが提案したんだってね」
‍ きゃぴきゃぴしてる綺麗な女性に囲まれて、照れてしまう。
‌‍ バニラ系の甘い香水の香りがしてくる。
‌‍ 雨宮さんと大違いだ。

「あ、清人くん。下まで降りて休憩かな」
「学年一位の余裕でしょ」
‍『清人くん』
 その綺麗な二人は、雨宮さんを下の名前で親しげに呼んだ。
 ‌‍クスクス笑いながら、二人はケーキを注文する。
 ‌‍保冷剤を取りに消えた父の代わりに俺がお会計をした。
 ‌‍領収書を発行している間、二人がこそこそ話しているのが聞こえてしまった。
‌‍
「清人くんとキスしたらミントの味がしそう」
「あはは。分かる分かる!」
‍ ‌‍確かに、さっき口の中にミントの味が広がったし苦かった。
‌‍ でもいつもは柑橘系の爽やかな香りだし本当に苦いのだろうか?
 ざらりとした感触なんだろうか?
 あんなに綺麗な女の人に囲まれた学校だし県内トップの進学校だし、雨宮さん、意地悪だけど格好いいし、恋人とか居るのかもしれない。
「う、うわぁぁ!」
‍ 何を想像してるんだよ。あんな嫌な奴に。
「何よ、うるさいわね」
「あれ、さや。まだ居たの?」
「――首閉めるわよ」
‍ 危ない危ない。
‌‍ さやの前で、一人で悶絶する所だった。
‌‍ 雨宮さんが誰かとキスするのを想像したとか絶対にバレたくない。
「格好いい人ねぇ」
‍ ニヤニヤ笑うさやからは、悪意しか感じない。
「――でも性格は意地悪だったよ」
‍「可愛い弟みたいに意地悪しちゃうんじゃない?」
‍ 弟か。その言葉、好きじゃないかも。
「まぁいいよ。それより英語、頑張るよ。分からない所はラインするから教えてな」
‍ 雨宮さんに、自分の力だけで此処まで出来たって自慢してやる。
「はいはい。じゃあまた明日ね」
‍ さやは面倒臭そうにヒラヒラ手を振りながら、お土産を持って帰って行った。
「お前、さやチャンとまだ付き合わないのか?」
‍ 父さんに出来立てのマカロンを渡されながら聞かれる。
「さやは友達って、俺は中学から何千回と言ってるよね?」
‍ふんわり柔らかいマカロンは、美味しい。色はピンクが一番可愛いなぁ。
‌‍
「はぁ。お前も早く彼女連れてこないかなぁ」
「幼馴染みと付き合うって素敵だと思うわよ」
‍ 今は親の言葉なんて無視。
‌‍ マカロンの食べる音で掻き消してやる。今はこの単語帳と、にらめっこだ。

***

‌‍ マカロン、タルトタタン、ミルフィーユ、ティラミスエクレア。
‌‍ クイニーアマン、アルカザール、ナポレオン。
‌‍ シャルロットポワールにババロアにミルクレープ。
‌‍ 頭も口の中も、甘くふわふわ包まれたい。お菓子の事を考えるだけで、甘い香りがしてくる気がする。ウチの店は、砂糖ではなく蜂蜜をたっぷり使って濃厚な甘さが売りなんだ。蜂蜜も瓶で売ってるけど、あれをスプーンで一口食べたらもう止まらないよ。
‌‍ ああ、帰ったらオヤツにしよう。
 甘いものを食べながら単語帳を開くといつもより覚えていうような気もする。
「よ、おかえり」
 ‍と、テスト前に甘いお菓子の事ばかり考えて現実逃避してた。
‌‍ そのまま、店に帰りついた。今日の出来立てのスイーツはなんだろう。
 楽しみだったんだけどなあ。
「はいはい。逃げるな。逃げるな」
‍ くるりと踵を返して店から出ようとしたのに、肩の鞄を捕まえられてしまう。
‌‍ 店の時計を見ても、まだ6時半にもなってない。
テスト前は塾も自習なのかな。
‌‍「早く憂斗のオススメ選んで?」
‍ そう言うと、雨宮さんも店の時計を見上げる。
「憂斗?」
‍ 俺を覗き込む雨宮さんの髪が揺れた。
‌‍ ミント系の爽やかな香りがする。
‌‍ 何個か香水を使い分けているのかな。
「オススメってば」
「意地悪する人には教えないって言いましたよ!」
‍ 本当は考えてるんだけどね。
「憂斗ー、帰ってるならちょっとお使い頼む。ネギ買って来てくれ」
「母さんは?」

「愛娘達とご飯の準備」
‍ 甘いケーキの妄想が、ネギによって現実に引き戻されてしまった。
「ほら、憂斗、これ御駄賃。お客さんにはサービスだよ」
‍ そう言って、シュークリームを渡される。
‌‍雨宮さんを見上げると、ん?と首を傾げてこっちを向いた。
‌‍……早く帰って貰おう。
‌‍その渋くて低い声も香水の香りも、なんだか胸が苦しくなるから。
テスト前には、全部劇薬だ。
「これと、これ」
‍ 俺はオススメをちょっとぶっきらぼうに指差す。
‌‍でも拗ねた様なガキみたいな行動に、雨宮さんは笑った。
「いっぱい考えたんです。でも一番好きなのは、やっぱり甘さを控えた生クリームに、蜂蜜をいっぱい使った甘いスポンジのショートケーキ。この店らしくてオススメです。……あと、モンブランも割るととろりと蜂蜜が出て……」
‍ 隣で相槌もないので、横の彼を睨みつける。
「……って聞いてます?」
‍ 雨宮さんは、ショーケースの上で肘を立て此方を見ている。
‌‍ いや、見守ってる?
「ああ。一生懸命話す憂斗は可愛いなぁと」

「かっ」
‍ 男に可愛いってなんだよ。言われ慣れてるけどなんだか雨宮さんには言われたくない。 悔しくて、御駄賃のシュークリームをワイルドに噛みつく。
「では、用がありますので」
‍ そう言って、むっしゃむっしゃ噛み千切るようにシュークリームを食べながら外に出た。
‌‍ あ、胡桃が入ってて食感が新しいぞ。
‌‍ やっぱり甘い甘い、ケーキが好き。
‌‍兄ちゃんみたいに憧れてたのに、弟と言われると何故か嫌になる、意地悪で雨宮さんは嫌い。嫌いだ。
「置いてくなよ」
「……もぐ」
「はいはい」
‍ 食べてるから話せませんと目線で合図すると、苦笑された。
「ありがとな、家に帰ったら食べるよ」
‍ クシャクシャと髪を撫でられる。
‌‍ 機嫌でもとってるつもりだろうか?
「もぐ」
‍ 返事を曖昧にして歩き出した。
‌‍ 一本細い道に入るとすぐに信号で止まってしまった。
 ‌‍本当は通りも少ないし、商店街までは人はあまりすれ違わないから信号はよく渡ってしまうんだけど今日は立ち止った。
「憂斗」
‍ 雨宮さんが吹き出しながら名前を呼ぶ。
「店出てからずっと、生クリーム着いてるぞ」
「え!?」
‍ すぐに手の平で顔を擦るが、クリームの感触は無い。
‌‍ 左頬、右頬を触るが手応えがなく慌ててしまう。
「違う、ここ」
‍ そう言われて見上げると、雨宮さんは真顔で見下ろしていた。
「――ここ」
‍ そう言って、唇をなぞられる。
‌‍ 俺は、なぞられた唇を少し開けて、息を溢した。
 ‌‍ゆっくり近づいてくる雨宮さんの顔と時同じく、信号が変わった。
‌‍ でも金縛りにあったかのように、身動きがとれなくなる。
‌‍「あま……!!!」
‍ しっとりした唇が、重なった。
‌‍ 目を見開いて目の前の雨宮さんを見た。
‌‍ パニクってる俺に、雨宮さんは舌を侵入させようとする。
‌‍ すぐに歯でガードしたのち、雨宮さんを突き飛ばした。
‌‍ 今、キスされた? 
「……あっ」
「憂斗!」
‍ 点滅する信号を渡り、すぐに細道の壁に隠れる。
‌‍ 裏道に詳しくなければ雨宮さんは追って来れないはず。
‌‍ 胸が痛くて、服を掴む。心臓がぞくぞくする。
‌‍心臓じゃない、身体のもっと奥が痛い。体中が心臓になったみたいだ。
‌‍びっくりしたけど、けど、ミントの味、しなかったなぁ。
‌‍ 微かに奥が苦い感じがしたけど。
‌‍ なんか着色料のある水みたいな? うがいしたのかな?
「って何で俺、冷静に色々分析してるんだよ!」
‍そんな余裕、無いのに。
‌‍でも、でも、でも、この前の指の方が、苦かったのは本当だ。
‌‍なんで、なんで俺なんかにキス、したんだろう?‌‌
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