それはまるで甘いケーキのような恋で。

篠原愛紀

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2個目 不吉 ‌‌

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2個目 不吉 ‌‌



 雨が降る月曜日。学力テストが始まってしまった。
 英語は苦手だから暗記に賭けるしかなかったんだけど、今回は期待できない。
 勉強すればするほど雨宮さんを思い出して集中できなかった。
‌‍「憂斗、テストどうだった?」
‍「お前、朝から顔が死んでたよな」
‍ 弁当と椅子を引きずりながら、友達たちが集まって来る。
‌‍ 外は、窓を閉める必要が無いぐらいの細い雨。じとじとする教室で、弁当を広げながらため息を吐く。
‌‍「駄目。‌‍全然集中できなくて」
‍「おいおい、大丈夫か? このテストで評価決まるらしいぞ」
‍「あー、でも憂斗は専門学校の指定校狙いだよな。二年の時に目標評点超えてたんだろ」
‍ パンの袋を空けながら友達たちもため息を吐く。
‌‍ 俺のクラスは、私立文系クラスだから他の国立を狙うクラスよりは受験に緩い。
‌‍ ただ、このテスト結果で私立の推薦か指定校推薦かが決まるから試験がまだ先の国立クラスより気合いは入っていた。
‌‍ でも俺のため息はテストや志望校の事じゃない。
‌‍ いや、あんな事が無ければ、みんなとテストでひーひー言えてたのに。
‌‍「差し入れ食べる?」
甘いものでも食べなきゃやってられないと、昨日親にお願いしてスイーツを大量に詰めて貰っていた。
‍「食う食う!」
‍ 保冷剤を積めたケーキの箱から覗いたのは、一口サイズのシュークリーム。
‌‍よりによって、このタイミングでシュークリームかよ。
‌‍「……全部あげる」
‍ あーあ……。大好きな甘い物なのに。
‌‍ 食べたら考えないようにしているあの事を思い出してしまう。
‌‍ 胸が爆発しそうだ。
‌‍ てか、俺のファーストキス。
 ‌‍あ、いやファーストキスは母か幼稚園時代にさやのはずだけど意識したキスは初めてだ。
‌‍ 雨宮さんは、男の俺なんかにキスして気持ち悪くなかったろうか?
 口についたクリームを舐めるほど、甘い物が好きなんだろうか?
「なぁ、憂斗、お前この前、告られたらしいな。聖マリア女学院の女の子に」
‍ 美味しそうにシュークリームを口に投げ入れながら言われた。
‌‍ さやの仕業だな。黙っていたのに。
「うん。断ったけど」
「どんな子? 可愛い?」
‍ 雨宮さんを忘れる為に必死で思い出す。
‌‍ 真っ赤な顔、潤んだ瞳、艶やかな唇。声も指先も綺麗で、住む世界が違いそうな子だった。圧倒されて断るのがやっとだった。
「俺には不釣り合いなぐらい美人だった」
‍ そう言うと、『おぉー』だの、『よっしゃー』だの興奮した叫び声が上がる。
‌‍「紹介しろよ! 聖マリア女学院なら受験無しで付属の短大か大学に行くだろうし!」
「え、同い年かも分からないよ?」
「駄目だなぁ。キープしとけよ!!」
‍「きっ? なんて失礼な言い方なんだ。俺には不釣り合いだから断ったのに」
「あー文化祭、侵入してみてー」
「あそこ、身内以外参加できないはずだぜ」
‍ ガヤガヤと騒がれて、ちょっと鬱陶しくなってきた。
‌‍ 受験にテストに、恋愛に、本当に毎日忙しそうとか他人事のように感じてしまう。
 というか友達だけど、価値観の違いに距離を感じてしまう。
 それとも惚れた相手の文化祭には忍び込みたいのが男心なのか。それが普通なのか。
 皆の話を聞いてももやもやしか残らなかった。

***

 午後からのテストはまあ可もなく不可もなく。
 さっきまでえげつない恋愛観を話していた友人たちはもうテストの答え合わせでそのことも忘れ、さっさと勉強をしにファミレスへ向かっていった。
 俺はどうしても一緒に行く気分になれず、妹たちのお迎えがあるからと適当なことを言い、理系クラスのさやの帰りを待った。
‌‍「俺、さやと居た方が安心する」
「全然ときめかないのは何でかしら?」
‍ さやに睨まれながらも、単語帳を見ながら歩く。
「てかテスト期間なのに何で俺んちにさやも向かってんの?」
 確かに帰りを待っていたけれどいつもなら通りすぎるはずの俺の店に、さやは遠慮なく入っていく。
「いっつも試食ばかりだからね。テストの御褒美に予約してんのよ」
‍ テスト1日目のご褒美?
そう思いながら店に入り、電話の横に置かれたタブレットから予約の確認する。
‌‍「あ……」
『雨宮 様 誕生日ケーキ』と書かれていた。
‌‍ 取りに来るのは明日だ。
‌‍ 明日が雨宮さん、誕生日なのか。
‌‍ テスト期間で会えないからお祝い言えないけど。
‌‍ いやテスト期間じゃなくてもどんな顔して会えばいいのか分からないし、なんで俺はお祝いしようとしてるんだよ。
 相手は人の許可も取らずにキスしてくる人だぞ。
‌‍「あら、憂斗たち。おかえりなさい」
「なぁ、この『雨宮様』って、火と木に来るあの雨宮さん?」
‍ 母さんは、さやが予約していたケーキを箱に入れながら首を傾げる。
「多分、違うと思うわよ。電話は女性だったもの」
‍ 女性……?
「じゃあ知ってる人? 電話予約は知らない人、お断りだよね?」
「そうなんだけど、『いつも美味しく頂いてます』って言われたから、断らなかったのよー」
‍ ……駄目だ。
‌‍ ふわふわ、おっとりな母さんじゃ話にならない。
‌‍ まあでも別に、いつも来る火曜の予約だから気になっただけだし他に雨宮さんって客が居るのかもしれない。
‌‍ 気にしないでおこう。どっちにしろテストに集中できなくなる。
 単語帳を開きながらさやが帰るのを待つ。
‌‍「ケーキや甘いお菓子の名前ならすぐに覚えられるのになぁ……」
‌‍ ローマ字の羅列が俺を眠りに誘う。
‌‍ よし! 英語は最終日だし歴史と数学を覚えよう。
「憂斗~。金曜はテスト最終日なら二人のお迎えお願いして良い?」
「いいよ! テスト御褒美に俺もホールケーキ作っていい?」
「ええ。いいわよー」
‍ めっちゃくちゃ生クリームたっぷりにするか、飴細工でお洒落にするかビターチョコのケーキでもいいな。ストレス発散にとびっきり時間かけてケーキを作りたい。
「わーい! 私も食べるー!」
「私もー!!」
‍ 妹たちがピョンピョンと俺の回りを飛び回る月曜日。
‌‍ 今日はまだ平穏な方だったんだ。

***

‌‍ 火曜日の本日はくもり。
‌‍ 歴史の選択問題と、数学の証明に確かな手応えを感じ、幸せいっぱいに帰った。
 ‌‍――帰ったのに。 
「凄く、綺麗な女の方だったわ。雨宮さん」
‍ 母がオーブンとにらめっこしながら、テストの手ごたえを聞くより先にそんなことを言ってきた。
「え……?」
「花柄のワンピースの綺麗な女性だったわ。
‌‍でもロウソクが大きいの一本と小さいの八本だから、彼女の誕生日ケーキじゃないかもね」
「え……?」
‍ 十八本ならば俺と同い年。雨宮さん用ってこともあるのかな。
「あら、やだ! 個人情報を私ったら」
 母にそれ以上追求できるわけもなく、お陰で次の日の水曜の国語と古文は散々だった。
 動揺してる自分が理解できない。

***‌‍

 散々だったテストを思い出しフラフラになりながら帰宅した。流石にさやとも話す気力はなく、そそくさと出てきてしまった。
 甘いものを食べて元気出さないと。
「雨宮くん!」
‍ コンビニの前でスマホをいじっている雨宮さんを見つけてしまった。
‌‍ 俺はすぐに壁の後ろに回り込み、雨宮さんが去るのを待つ。
‌‍ 同じ高校の人だろうか。ピンク色の綺麗な唇が色っぽい女性と話している。
「テスト前に余裕ね。でも今回だけだからね。はい」
‍ 女の人は、雨宮さんにショップ袋に入った何かを渡していた。
「サンキュ。女の子の香水とか買うの面倒でさ」
「でも買うなんて優しいわね。でも雨宮くんの方が香水は詳しいでしょ」
‍ クスクスと笑う女の人は綺麗で、見てる俺さえドキドキしてしまう。
「欲しい欲しいうるさいから。本当に甘い絵上手でさ」
「でも可愛いんでしょ」
「……まあ」
‍ 雨宮さんヘ微笑んでその女性は帰っていった。。
‌‍ それ以上は雨宮さんも何も言わなかった。
‌‍ ケーキ屋に来てくれたこの前の二人も綺麗だったし、あんな綺麗な人ばっか居るのに、雨宮さんはクールで表情1つ変えない。
‌‍ それは、その香水をあげる女性が大切だから、他の人には目もくれないのだろうか?
 ‌‍じゃあなんで俺にキスなんかしたんだろう。
 有名進学校のおぼっちゃまが手あたり次第摘まみ食いしてるっていうことか?
 俺の今日のテストの結果を返してほしい。そのまま道路を渡って彼と接触せずケーキ屋へ戻ろうと駆ける。
「憂斗っ」
‍ ‍雨宮さんがあんなに大きな声を出すとは思わずに、でも振り返る事もできずに店の裏口から二階の自分の部屋へと入った。
‌‍ カーテンから覗くと、まだ雨宮さんはこっちを見ていた。
‌‍
 あの日のキス、あの女の子用の香水。そしてケーキ。
 それから導き出す答えも証明式も分からない。数学よりもこっちの方が難しい。
‌‍ 頭を叩いても、揺さぶっても、かきむしっても、答えなんて分からない。
‌‍
***

「面白いほど百面相してたね、加賀くん」
‍ テスト終了後、さやを下駄箱で待っていた時だった。
「檜山(ひやま)先生」
‍ 苦笑しながら話しかけてきた眼鏡の先生は、さやの大好きな英語先生で、俺のクラスの副担だ。
「そんなに数学難しかった? 明日の英語、大丈夫ですか?」
‍ どんな生徒にも敬語を崩さないし、口許の黒子が色っぽいらしくて、さやみたいに女の子から人気が高い。今もこうして俺を心配してくれてる。
 俺は男のくせに可愛いってよく言われるのが苦手だったんだけど、先生も中性的で綺麗だと言われるのが嫌だと不満を言っていて、勝手に親近感を持っている。
「ありがとうございます。リスニングだけは頑張ります……」
「リスニングだけですか?」
‍ どっと檜山先生が笑うと同時に、さやがトイレから出てきた。
「檜山先生!!」
‍ さやの目がハートになってる。
‌‍ 普段サッバサバして俺より男らしいのに、顔が女の子になってる……?
「前嶋さん。明日のテスト頑張って下さいね」
「先生のテストなら頑張ります! ヒント下さいよー」
「ヒントは教科書から出すってぐらいですかね」
「やだー」
‍ バシバシ可愛らしく叩いてるつもりかもしれないけど、先生、前につんのめってるよ?
「そういえば、前嶋さんがこの前くれたシュークリーム、加賀くんの家のらしいですね」
‍「食べたんですか?」
‍ 俺が聞くと、先生は優しく笑った。
「はい。美味しかったです。甘いもの、好きですから今度自分で買いに行きますね」
「やーん。私が買ってきますよー!」
‍ 美味しかったです、か。
‌‍ 雨宮さんからは言われた事、ないや。先生からでさえこんなに嬉しくなるんだ。
‌‍ きっと、もっと嬉しいんだろうな。
‌‍ 俺が選んだオススメは、美味しかったって言ってくれるかな?
 そもそももう話すタイミングもどんな顔で話していいのかわからないけど。

***

「あ」
「げっ」
‍ 店から出てきた女の子を見て、声をあげたら相手も嫌そうに声をあげた。
‌‍ そしてすぐに右手で口を押さえた。
‌‍ 綺麗に隙なく巻かれた髪、やや茶色の髪は地毛なのか柔らかそう。
‌‍ リップを塗った艶やかな唇、気の強そうな大きな瞳。
‌‍ この子、覚えている。俺に告白してきてくれた子だ。
‌‍ 私服でもやっぱり綺麗な子だな。
「あ、ひ、久しぶりだね。もう来てくれないかと思ったよ」
‍ 気まずげに視線を反らされたけどめげずに話しかけてみた。
「だって、ケーキは好きなんだもん」
‍ ……『もん』。
‌‍ しゃべり方が大人びた彼女に似合わなくて可愛くて笑える。
「良かった。俺も自分の店のケーキが一番好きなんだ」
‍ 俺も素直に安心して笑うと、女の子もやや気まずさは残るものの笑ってくれた。
「あの、君って名前は?」
「雨宮さん! おつり、忘れてますよ」
‍ 俺の質問と同時に、母が店から出てきた。
‌‍ 雨宮、さん……?
「君って『雨宮』って言うの?」
‍ そう聞くと、凄くムッとされた。
「毎日通ってたのに! 私の名前も知らなかったの!?」
「あ、ご、ごめんっ。お客様の個人情報を聞いたら失礼なのかなって」
‍ キッと睨んだ女の子は、少し考えてから腕を組んだ。
「『雨宮』は、私の彼氏の名前よ。いつも週2は来てるから分かるでしょ?」
‍ 私の彼氏――?
「貴方みたいな子供っぽい人は止めて、大人と付き合う事にしたの。彼ったら、私の代わりにケーキも買ってきてくれるし、欲しい物は何でも買ってくれるし、私にはとびっきり優しいんだから」
‍ フフンと勝ち誇ったように顎を上げた後、母さんの方を振り返り、受け取り忘れたらしいお釣りを受けとる。
「彼がこの店に来るのはね、私が貴方と会わなくて済むためよ」
‍ フワリと振り返った時に香った香りは、雨宮さんがあげた香水なんだろうか?
 バニラエッセンスみたいな甘い、甘い香りだ。
 バニラエッセンスは甘い香りはするけれど、たくさん入れたら苦くなる劇薬だ。
‌‍ 雨宮さんの彼女、か。
‌‍ 目の前に居るのに、ふわふわと非現実の様で、実感が湧かない。
‌‍ こんなに綺麗な彼女に、雨宮さんは全然負けてないぐらい格好いいし。
‌‍ 俺にき、キスしたのはきっと、口についたクリームを舐めたかっただけだ。
‌‍ 甘いものが欲しかっただけだ。
‌‍
「そうだ。良いこと教えてアゲル」
‍ 女の子はそう言うと、雨宮さんの秘密を教えてくれた。
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