神様のうそ、食べた。

篠原愛紀

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一  スタート

一  スタート 3

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『笑顔が素敵ですね』




初めて話し掛けられたのは、その一言だった。

笑うと目が糸みたいになる、穏やかで優しそうな人。

印刷会社の営業さんで、私の課も営業だからほとんど会社ではすれ違いだったのだけど、会えばちょくちょく挨拶してくれた。

それからご飯に誘われて、同じ職種だから話も合うし、私も彼も、聞く側が多い感じだったから、ゆっくりお互いの話を聞いたり話したり、それがとても新鮮だった。


ぐいぐいひっぱってくれる人や、真夜中でも会いたくなったら突然家に来る人とは違う。

私の意見を尊重してくれる人。




――そう思っていたのに。


私は、キスも経験が少ないし、未だ誰とも深い関係になったことが無かったのだが、それを彼に打ち明けると、すごく嬉しそうに笑ってくれた。

『結婚しよう。君の初めてを大切にしたい』


そう手と手を取り合い、彼のご両親に挨拶へ向かうはずが、

到着したのは『産婦人科』。


『結婚する前にブライダルチェックをするのがマナーだよ』

最初は病気を疑われたのかと思っていた。

でも誰ともそんなことした事ないって言ったのに、不思議だった。



でも、彼が調べたかったのはそんなことでは無かったんだ。


あの時の記憶は曖昧で、気づいたら侑哉に電話をかけていた。

診断結果に頭を押さえる彼。

『ママになんて言えば良いんだよ……』

その一言で、急激に冷めていく心。

彼のお母さんが到着して、酷い言葉で罵られていたら、彼が宙を舞った。


床に寝ころぶ彼の胸倉を掴むと、侑哉はもう一度彼の頬を殴った。


そこで、プツリと映像は切れて次のシーンでは侑哉に抱きしめられていた。

「お風呂上がったよ……」

「お、じゃぁ飯食べよーぜ。お腹ぺっこぺこ」

お弁当を電子レンジに入れてボタンを押すと、侑哉はテレビを付けた。

何も聞かないのは、気を使ってくれているからか、私が話し出すのを待っているからなのか。

取り合えず、落ち着いた今は、もう口に出したくは無い。

忘れたい。

「飛鳥さんが、今度遠乗りに行こうって言ってくれたんだけど、そこドッグランがあってさぁ~」

「あのさ、侑哉。色々ありがとね。ごめんね。大丈夫だからね」

そう下を向いて言うと、自分のお腹が視界に入る。


『無排卵不妊』

私の診断結果は思ったよりも、ショックを隠しきれなかった。



もともと言いたいことを言わず、ストレスを溜めるせいか生理は不順だったけれど、ちゃんと来ていたのに。

『旦那さんのサポートがあれば大丈夫だから。無排卵月経と無月経か精密な検査とピルの服用が――』

先生の声が頭の中を駆け巡るのに、なかなか理解できない。

『それってお金かかりますよね』
そう言った彼の言葉が、今もずっと胸の中で燻っている。

散々、彼の母親から女の価値がないと罵られた私を、抱きしめて、優しく触れてくれたのは侑哉だったから。




ゆっくり私の額にキスを落とす。

まるで神聖な儀式の様に、大事に大事に触れてくる。


震えてたのは、侑哉もその行為が初めてだったから。


怖いくせに、何も分からないくせに、リードしてくれようと頑張ってくれた。

この先を越えてしまったら私たちは姉弟の関係が壊れてしまうギリギリラインまで立たされたけれど、侑哉は『女』としての私が消えないように、何度も何度も触れてくれた。




泣きすぎた私の頭は、酔ってふわふわなような、麻酔でぼんやりしたような、息も上手く吸えない状況で、侑哉の体温にしがみ付くことでしか、自分を守れなかった。
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