神様のうそ、食べた。

篠原愛紀

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四  あの夜のこと

四  あの夜のこと 五

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恋愛に逃げているんじゃ、ない。

侑哉の温もりは離れることはないから安心しているだけ。


傷ついた侑哉が私に甘えて来るのが嬉しいなんて、私は歪んだ姉なんだと思う。


なのに、ふっと過るのは、部長の偉そうな顔。
綺麗な指先で煙草を持つ手。

むしゃむしゃと食べてしまったあの喉仏。

仕事だけに生きて行くって決めていたのに、私の意志の弱さを笑ってしまう。

逃げてきたこの地元の大分で、途方にもなく泥沼に浸かっていく。


***
次の日、起きると侑哉は居なかった。
綺麗に洗われた食器と、残り物でお弁当を作った痕跡が残っていた。

しなしなの海老フライを食べながら、真っ黒に落書きしてしまったレポート用紙の一枚目を破って捨てた。


「おはよーございます。みなみせんせい」

ちょっとだけ元気のない真君が、お祖母さんと一緒にバス停に現れて、ホッとしたような残念なような不思議な気持ちに襲われた。

バスに乗り込む真君に、お祖母さんは優しく頭を撫でて、ギュッと抱きしめた。

「パパはお熱だから、ちゃんと病院に行かせるからね。真も頑張って保育園行くのよ?」

「うん。――うん」

そう頑張って笑おうとくしゃっと顔を歪める真君に胸が痛んだ。
バスに乗り込んでも、顔をパチパチと何度も叩いている。

「すいません。先生、今日は真、帰りはバスでお願いします。お残りできないぐらい元気が無いので」

「分かりました」

申し訳なさそうに笑うお祖母さんにお辞儀をしながら、真君を見る。

「パパ、お風邪引いたの?」

そう尋ねると、顔もあげないで頷いた。
「そっか。親子遠足までには治るように、一緒に神さまにお祈りしようね」

「うん。かみさまにおいのりする」

ぐずっと鼻を啜って、真君は前を向き、強く頷いた。

昨日は部長の顔をまともに見れなかったから気付かなかったけど、


もしかして日曜日のあの雨が原因なのかな?

昨日、電話が鳴らなかったのもそのせいなんだと思うと、少し安堵した。


いや、具合が悪いなら、心配しないといけないんだけど。

うん。

いや今は真くんの気持ちを優先しよう。

「あ、みなみ先生、帰りのバスも頼めるかしら」

園に着いてすぐに、申し訳なさそうに園長先生に言われた。


別に嫌でもないし、掃除当番をさぼれるので全然問題はない。

「大丈夫ですよ。今日は真君も帰りバスみたいです」

「良かったわ。明美先生が、風邪みたいでお休みなのよ。お願いね」

「ええ! 風邪ですか!」

詳しく聞きたかったけれど、次のコースのバスに戻らなければいけない。



朝は、どんどん子どもを受け入れて、着替えさせて、シールを貼ったり、遊ばせたり大忙しなので聞く時間が無い。


有沢さんと何かあったから休みってわけじゃないよね?
ただでさえ先生は足りないから、一人休むと複数担任の先生が休日出勤してくれたり、


はたまた違う学年と合同で保育したりしないといけなくなる。



それをわかっている仕事には真面目な明美先生は、熱が39度ある時だって、ふらふらになりながら出勤してきたのに。



案の定、明美先生が抜けた0~2歳さんクラスは人手が足りなくて、

うちのクラスと合同で、園長先生も入って下さった。



まだトイレトレーニング前の子ども中心だから、おむつ替えとトイレに置いたアヒルに座らせるのに大忙し。
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