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静寂の町に潜む闇
ウォルトの料理修行
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宿の主はウォルトと名乗り、両手を膝の上に置き、身を乗り出してきた。
「どうか……教えていただけませんか。わたし、一人では限界でして。お客さんを迎えても、このままでは申し訳なくて」
その言葉はまるで藁にすがるかのような響きだった。
年長者に頼まれるのは妙な気分だが、真剣さがひしひしと伝わってくる。
「俺は料理屋の店主ですけど、通りすがりの旅人にすぎませんよ」
「それでも……冒険者をやりながら商売をされているとのことで。そんな方から見れば、わたしのやり方がどれほど危ういか、すぐに分かるはずです」
ウォルトは額に手を当て、深く息を吐いた。
三十前後の落ち着いた外見なのに、その瞳は小さな子どものように頼りない光を湛えている。
俺は困惑しながらも厨房を覗いてみることにした。
ウォルト自身が勉強の身なのか調理用品が少ない気はするが、全体的に整理は行き届いている。
棚には磨かれた鍋や皿が並び、床も清潔に保たれていた。
一通り眺めた後、問題は食材であると確認できた。
塩漬け肉と乾いた豆、保存の利く根菜が少し。
香辛料は胡椒と塩だけ。これでは味に深みが出るはずがない。
「なるほどな。材料が足りないんだ」
「市場が小さくて、夕方にはほとんど残っていないのです。わたしも昼間は宿を空けられませんし……」
それを聞いて、俺はうなずいた。
食材の不足は工夫で補うしかない。
幸いなことに近所は農村に近い土地だ。
野草や香草なら、近隣に自生しているだろう。
「ちょっと出てきます」
「えっ、外にですか?」
ウォルトは戸惑いがちな反応を示した。
このまま料理を教わるつもりだったのだろうか。
「日没までもう少しあります。あの丘なら野草が取れそう。――すぐ戻ります」
俺はランタンと木の籠を片手に、街道脇の丘に向かった。
備えとして持ってきたものの、見本を見せるだけの量なら辺りが暗くなるまでには片づくはずだ。
自然が豊かな草むらに膝をつくと、鼻を刺すような香りが漂う。
指先で葉をこすれば、生姜に似た清涼な匂い。野生のショウガだ。
さらに歩けば細長い葉を持つネギの類や、苦みのあるハーブも見つかった。
平地でそこそこ栄えているバラムではこうはいかない。
ウォルトはある意味で恵まれていると思った。
俺は籠に収穫したものを入れて、来た道を上機嫌に引き返した。
戻ってきた俺を見て、ウォルトは目を丸くした。
「そんなにすぐ……! 本当に食べられるのですか?」
「もちろん。火を通せば香りが立って、肉の臭みを消してくれる。こういうのを使えば料理に深みが出ます」
厨房に戻り、俺は袖をまくった。
ウォルトの父は料理ができる人だったようで、釜などの配置に癖はない。
調理器具などが使いづらければ教えづらいところだが、そういった不安がないことは幸いだった。
「じゃあ、まずは簡単なのを作ってみましょう。俺がやるから、横で見ててください」
「はいっ!」
手始めに野生ショウガを薄く刻み、油を引いた鍋に放りこむ。
香りが立ったところに塩漬け肉を入れ、火を強めて一気に焼く。
「煮込むんじゃなくて、こうやって焼いてから煮るんです。肉の旨味が閉じ込められる」
ジュッと音がして、芳ばしい匂いが厨房を満たす。
ウォルトが思わず鼻をひくつかせた。
次にネギと玉ねぎを炒め、甘みを引き出す。
これをスープのベースにする。根菜を加えて香草をひとつまみ。
弱火でじっくり煮こめば、優しい香りが広がっていく。
「香辛料が少ないなら、こういう野菜の甘みを使うんです」
「こんな調理法があるとは……世界は広いんですね」
さらに、採ってきた未熟な果実を刻み、野菜と和えてサラダに仕立てる。
鮮度抜群でこれだけで最高の食材になる。
爽やかな酸味は口直しにベストな組み合わせだ。
今度は焼きパンを薄く切り、表面にハーブを混ぜたバターを塗る。
それを香ばしく焼き上げれば、一皿の料理に見違えるほど彩りが増した。
完成した料理が並んだ瞬間、ウォルトは目を輝かせた。
「これはまた、まるで別物ですね……!」
「まあ、工夫次第です。材料が少なくても、やりようはある」
ウォルトはその目に焼きつけようとするかのように眺めていた。
俺は味見を勧めて、ウォルトは恐る恐る口に運んだ。
彼は味わうように口を動かすと、一瞬で表情がほころんだ。
「……おいしい! 肉が柔らかくて、香りがすごい。こんなに違うなんて」
感動に震える声に、俺は少し照れくさくなった。
「おそらく、味音痴とかじゃないですよ。レシピがなかっただけです。お父さんのやり方を真似できなくても、自分なりの工夫を覚えればいい」
ウォルトは深く頷き、拳を胸に当てた。
「ありがとうございます……! こんな料理を出せるなら、宿に来てくださる方々も喜んでくださるでしょう」
その夜、彼は何度も「もう一度教えてください」と言い、俺は簡単に繰り返せる手順を教えた。
焼き方の加減、火の通し方、塩の使い方。
全部を一度で覚えるのは難しいが、熱心に耳を傾ける姿勢に嘘はなかった。
最初に出された料理はほとんど手をつけず、改めて作り直した料理を食べることにした。
こちらが食事を終えたところでウォルトは深々と頭を下げた。
「宿代はいただけません。今日のご指導のお礼に」
「いや、それは困ります。泊まる以上、払わせてもらいますよ」
遠慮しあった末、半額だけ受け取ってもらうことになった。
それから翌朝。
馬に荷を載せ、街道へ向かう俺を宿の前でウォルトが見送ってくれた。
「マルクさん……どうかご無事で。またこの道を通ることがあれば、ぜひ立ち寄ってください」
「ええ。次は美味しい料理を期待してますよ」
軽く手を振ると、ウォルトは照れたように笑った。
昨日の憂いを帯びた顔つきが今日はすっきりしたものに変わっている。
トランの町を抜けて、再び街道に戻る。
この先にある丘陵を越えれば、バラムまでの距離はそこまで遠くない。
自分の店のことを思い浮かべると、胸の奥に焼肉屋の煙の匂いがこみ上げた。
「どうか……教えていただけませんか。わたし、一人では限界でして。お客さんを迎えても、このままでは申し訳なくて」
その言葉はまるで藁にすがるかのような響きだった。
年長者に頼まれるのは妙な気分だが、真剣さがひしひしと伝わってくる。
「俺は料理屋の店主ですけど、通りすがりの旅人にすぎませんよ」
「それでも……冒険者をやりながら商売をされているとのことで。そんな方から見れば、わたしのやり方がどれほど危ういか、すぐに分かるはずです」
ウォルトは額に手を当て、深く息を吐いた。
三十前後の落ち着いた外見なのに、その瞳は小さな子どものように頼りない光を湛えている。
俺は困惑しながらも厨房を覗いてみることにした。
ウォルト自身が勉強の身なのか調理用品が少ない気はするが、全体的に整理は行き届いている。
棚には磨かれた鍋や皿が並び、床も清潔に保たれていた。
一通り眺めた後、問題は食材であると確認できた。
塩漬け肉と乾いた豆、保存の利く根菜が少し。
香辛料は胡椒と塩だけ。これでは味に深みが出るはずがない。
「なるほどな。材料が足りないんだ」
「市場が小さくて、夕方にはほとんど残っていないのです。わたしも昼間は宿を空けられませんし……」
それを聞いて、俺はうなずいた。
食材の不足は工夫で補うしかない。
幸いなことに近所は農村に近い土地だ。
野草や香草なら、近隣に自生しているだろう。
「ちょっと出てきます」
「えっ、外にですか?」
ウォルトは戸惑いがちな反応を示した。
このまま料理を教わるつもりだったのだろうか。
「日没までもう少しあります。あの丘なら野草が取れそう。――すぐ戻ります」
俺はランタンと木の籠を片手に、街道脇の丘に向かった。
備えとして持ってきたものの、見本を見せるだけの量なら辺りが暗くなるまでには片づくはずだ。
自然が豊かな草むらに膝をつくと、鼻を刺すような香りが漂う。
指先で葉をこすれば、生姜に似た清涼な匂い。野生のショウガだ。
さらに歩けば細長い葉を持つネギの類や、苦みのあるハーブも見つかった。
平地でそこそこ栄えているバラムではこうはいかない。
ウォルトはある意味で恵まれていると思った。
俺は籠に収穫したものを入れて、来た道を上機嫌に引き返した。
戻ってきた俺を見て、ウォルトは目を丸くした。
「そんなにすぐ……! 本当に食べられるのですか?」
「もちろん。火を通せば香りが立って、肉の臭みを消してくれる。こういうのを使えば料理に深みが出ます」
厨房に戻り、俺は袖をまくった。
ウォルトの父は料理ができる人だったようで、釜などの配置に癖はない。
調理器具などが使いづらければ教えづらいところだが、そういった不安がないことは幸いだった。
「じゃあ、まずは簡単なのを作ってみましょう。俺がやるから、横で見ててください」
「はいっ!」
手始めに野生ショウガを薄く刻み、油を引いた鍋に放りこむ。
香りが立ったところに塩漬け肉を入れ、火を強めて一気に焼く。
「煮込むんじゃなくて、こうやって焼いてから煮るんです。肉の旨味が閉じ込められる」
ジュッと音がして、芳ばしい匂いが厨房を満たす。
ウォルトが思わず鼻をひくつかせた。
次にネギと玉ねぎを炒め、甘みを引き出す。
これをスープのベースにする。根菜を加えて香草をひとつまみ。
弱火でじっくり煮こめば、優しい香りが広がっていく。
「香辛料が少ないなら、こういう野菜の甘みを使うんです」
「こんな調理法があるとは……世界は広いんですね」
さらに、採ってきた未熟な果実を刻み、野菜と和えてサラダに仕立てる。
鮮度抜群でこれだけで最高の食材になる。
爽やかな酸味は口直しにベストな組み合わせだ。
今度は焼きパンを薄く切り、表面にハーブを混ぜたバターを塗る。
それを香ばしく焼き上げれば、一皿の料理に見違えるほど彩りが増した。
完成した料理が並んだ瞬間、ウォルトは目を輝かせた。
「これはまた、まるで別物ですね……!」
「まあ、工夫次第です。材料が少なくても、やりようはある」
ウォルトはその目に焼きつけようとするかのように眺めていた。
俺は味見を勧めて、ウォルトは恐る恐る口に運んだ。
彼は味わうように口を動かすと、一瞬で表情がほころんだ。
「……おいしい! 肉が柔らかくて、香りがすごい。こんなに違うなんて」
感動に震える声に、俺は少し照れくさくなった。
「おそらく、味音痴とかじゃないですよ。レシピがなかっただけです。お父さんのやり方を真似できなくても、自分なりの工夫を覚えればいい」
ウォルトは深く頷き、拳を胸に当てた。
「ありがとうございます……! こんな料理を出せるなら、宿に来てくださる方々も喜んでくださるでしょう」
その夜、彼は何度も「もう一度教えてください」と言い、俺は簡単に繰り返せる手順を教えた。
焼き方の加減、火の通し方、塩の使い方。
全部を一度で覚えるのは難しいが、熱心に耳を傾ける姿勢に嘘はなかった。
最初に出された料理はほとんど手をつけず、改めて作り直した料理を食べることにした。
こちらが食事を終えたところでウォルトは深々と頭を下げた。
「宿代はいただけません。今日のご指導のお礼に」
「いや、それは困ります。泊まる以上、払わせてもらいますよ」
遠慮しあった末、半額だけ受け取ってもらうことになった。
それから翌朝。
馬に荷を載せ、街道へ向かう俺を宿の前でウォルトが見送ってくれた。
「マルクさん……どうかご無事で。またこの道を通ることがあれば、ぜひ立ち寄ってください」
「ええ。次は美味しい料理を期待してますよ」
軽く手を振ると、ウォルトは照れたように笑った。
昨日の憂いを帯びた顔つきが今日はすっきりしたものに変わっている。
トランの町を抜けて、再び街道に戻る。
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