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リブラとフレヤ
モルネアの大地と避難商人
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街道は緩やかに傾斜し、馬車の軋む音が乾いた空気の中に響いていた。
国境を越えると景色は目に見えて変わっていく。
土の色は赤褐色に移り、草木の背丈も低く、どこまでも続く荒涼とした大地が広がっていた。
湿り気を帯びた風は失われ、代わりに砂を含んだ風が頬を刺すように吹きつけてくる。
フレヤは窓を少し開け、顔を外へ向けた。
髪がばさりと揺れ、乾いた砂粒がその頬を掠めた。
「……やっぱりね。モルネアは昔から乾いた土地よ。雨も少なくて、作物はほとんど育たない。だから交易で成り立ってきたの」
彼女の声には、懐かしさと不安が入り混じっていた。
俺は手綱を握りながらうなずいた。
「そういえば、前に通った時も旅人や商人の往来が多かったな……」
視線を遠くに向ける。
かつては賑わっていた街道に人影はほとんどない。
残されているのは、風に消えかけた幾筋もの足跡と深く抉れた車輪の跡ばかりだった。
「今は情勢が悪いもの。リブラが混乱している以上、交易は滞るわ」
フレヤは淡々と続けた。
彼女にとっては故郷の隣国、幼い頃から馴染みのある現実なのだろう。
「そして、道が荒れると必ず野盗が増える。旅人が減っているのは……そういうことよ」
胸の奥がわずかにざらつく。
バラムに戻る前に耳にした噂は根拠のあるものだった。
「気を抜かない方がいいな」
「もちろん」
フレヤは窓の外を見据えたままうなずいた。
その瞳には警戒の色が宿っていた。
やがて、乾いた風に混じって鈍い音が耳に届いた。
木が軋むような、荷車が荒地を進むような音。
握りしめた手綱を緩め、前方に目を凝らす。
視界に入ってきたのは、疲弊した一団だった。
三台の荷馬車が街道の脇に寄せられ、その周りには十人ほどの男女が腰を下ろしている。
誰もが疲弊したような顔を見せている。
馬も痩せ細り、首を垂れて苦しそうな吐息を繰り返していた。
「……商人の一行ね」
フレヤが小さくつぶやいた。
その口調は確信に満ちていた。
近づくにつれ、彼らの疲れ具合が鮮明になる。
積まれた荷はわずかで、布に包まれた木箱も数は少ない。
護衛らしき男たちの槍は刃こぼれし、革鎧も修繕の跡で繋ぎ止められていた。
俺が馬車を止めると一団の中の年配の男が立ち上がり、こちらへ歩み寄ってきた。
深い皺が刻まれた顔は汗と砂に覆われ、目には疲労と警戒の色が同居している。
「……旅の方々ですかな」
しわがれた声だった。
「俺たちはモルネアを抜け、リブラへ向かっている」
男は目を見開き、しばらく言葉を失ったようだった。
やがて、吐き出すように答えた。
「リブラへ……。まさか、今この時期に向かう旅人がいるとは……」
彼の背後で他の商人たちがざわめく。
耳に入ってきた断片的な言葉には「無謀だ」「戻れ」「だが」といった焦燥が混じっていた。
「あなた方は?」
俺が問いかけると男は深く肩を落として、うなだれるように答えた。
「我々は……リブラから逃げてきたのです。混乱に巻きこまれぬようにと。物資は乏しくなり、取引も立ち行かなくなり……。結局は荷を捨て、命からがらここまで辿りついたわけです」
その言葉にフレヤの表情が強張った。
「リブラは、そんなに……」
男はフレヤを一瞥した瞬間、眉を動かした。
「……失礼、どこかで……いや」
視線が彼女の方に釘付けになる。
やがて震える声で言葉を継いだ。
「まさか……ブラスコ様の……?」
フレヤはわずかにためらったが、やがて背筋を伸ばし、はっきりと答えた。
「私はフレヤ。ブラスコの娘です」
その場の空気が一変した。
ざわめきが広がり、商人たちは一斉に立ち上がった。
ある者は驚愕に目を見開き、ある者は信じられぬように口元を押さえ、またある者は深々と頭を垂れた。
「ブラスコ様の娘さんが……!」
「生きておられたのか……」
「なんということだ……」
敬意と畏れとが入り混じった眼差しがフレヤに注がれる。
彼女は一歩前に進み、まっすぐに彼らを見据えた。
「父は、リブラで踏みとどまっています。私は戻り、父を支えるつもりです」
その言葉に、商人の一人が嗚咽を堪えるように肩を震わせた。
年配の男が震える声で口を開く。
「……ブラスコ様は、国外へ出ることを許してくださったのに……我々は結局、逃げることしかできなかった……」
その悔恨は、疲れ切った顔に深く刻まれていた。
フレヤは短く息を呑み、視線を落とした。
ほんの一瞬、その肩が揺れたように見えた。
だがすぐに顔を上げ、はっきりと静かに答える。
「生き延びてくださっただけで、父は感謝するはずです。私には……そう信じるしかない」
沈黙が落ちる。
やがて男は大きく息を吐き、深く頭を下げた。
「……フレヤ様。どうかご無事で。危険を避けるための迂回路があります。少々遠回りですが、安全にリブラへ近づけるでしょう」
男は地図代わりの木板に街道の枝分かれを書き記し、俺に手渡した。
指で示されたのは、岩山を大きく迂回する北側の道だった。
「本来なら交易隊が使う道ですが、今はほとんど通る者もおりません。野盗どもも街道に張りついていますから……。どうか、どうかご無事で」
フレヤは静かにうなずき、深く頭を下げた。
俺も礼を言い、手綱を握り直す。
やがて俺たちは馬車を動かし、疲れ切った商人たちと別れた。
彼らの背に砂混じりの風が吹きすさび、その姿はやがて荒野に溶けていった。
街道を進みながら、俺はちらりとフレヤを見た。
彼女の横顔には迷いが残っているようにも見えたが、その瞳には揺るがぬ光が宿っていた。
「……さっきの言葉、本気なんだな」
俺がそう言うとフレヤは前を向いたまま口を開いた。
「戻らなければならないの。父を支えるために。どんなに恐ろしくても」
その声に強がりではない決意を感じた。
困難に苛まれて、フレヤの芯の部分は揺るがないのだと確信した。
俺は心の奥で静かにうなずいた。
彼女を支える理由が、またひとつ強く胸に刻まれていく。
乾いた風が馬車を揺らし、荒涼とした大地が広がり続ける。
だがその中で、決意の炎だけは消えることなく灯っていた。
国境を越えると景色は目に見えて変わっていく。
土の色は赤褐色に移り、草木の背丈も低く、どこまでも続く荒涼とした大地が広がっていた。
湿り気を帯びた風は失われ、代わりに砂を含んだ風が頬を刺すように吹きつけてくる。
フレヤは窓を少し開け、顔を外へ向けた。
髪がばさりと揺れ、乾いた砂粒がその頬を掠めた。
「……やっぱりね。モルネアは昔から乾いた土地よ。雨も少なくて、作物はほとんど育たない。だから交易で成り立ってきたの」
彼女の声には、懐かしさと不安が入り混じっていた。
俺は手綱を握りながらうなずいた。
「そういえば、前に通った時も旅人や商人の往来が多かったな……」
視線を遠くに向ける。
かつては賑わっていた街道に人影はほとんどない。
残されているのは、風に消えかけた幾筋もの足跡と深く抉れた車輪の跡ばかりだった。
「今は情勢が悪いもの。リブラが混乱している以上、交易は滞るわ」
フレヤは淡々と続けた。
彼女にとっては故郷の隣国、幼い頃から馴染みのある現実なのだろう。
「そして、道が荒れると必ず野盗が増える。旅人が減っているのは……そういうことよ」
胸の奥がわずかにざらつく。
バラムに戻る前に耳にした噂は根拠のあるものだった。
「気を抜かない方がいいな」
「もちろん」
フレヤは窓の外を見据えたままうなずいた。
その瞳には警戒の色が宿っていた。
やがて、乾いた風に混じって鈍い音が耳に届いた。
木が軋むような、荷車が荒地を進むような音。
握りしめた手綱を緩め、前方に目を凝らす。
視界に入ってきたのは、疲弊した一団だった。
三台の荷馬車が街道の脇に寄せられ、その周りには十人ほどの男女が腰を下ろしている。
誰もが疲弊したような顔を見せている。
馬も痩せ細り、首を垂れて苦しそうな吐息を繰り返していた。
「……商人の一行ね」
フレヤが小さくつぶやいた。
その口調は確信に満ちていた。
近づくにつれ、彼らの疲れ具合が鮮明になる。
積まれた荷はわずかで、布に包まれた木箱も数は少ない。
護衛らしき男たちの槍は刃こぼれし、革鎧も修繕の跡で繋ぎ止められていた。
俺が馬車を止めると一団の中の年配の男が立ち上がり、こちらへ歩み寄ってきた。
深い皺が刻まれた顔は汗と砂に覆われ、目には疲労と警戒の色が同居している。
「……旅の方々ですかな」
しわがれた声だった。
「俺たちはモルネアを抜け、リブラへ向かっている」
男は目を見開き、しばらく言葉を失ったようだった。
やがて、吐き出すように答えた。
「リブラへ……。まさか、今この時期に向かう旅人がいるとは……」
彼の背後で他の商人たちがざわめく。
耳に入ってきた断片的な言葉には「無謀だ」「戻れ」「だが」といった焦燥が混じっていた。
「あなた方は?」
俺が問いかけると男は深く肩を落として、うなだれるように答えた。
「我々は……リブラから逃げてきたのです。混乱に巻きこまれぬようにと。物資は乏しくなり、取引も立ち行かなくなり……。結局は荷を捨て、命からがらここまで辿りついたわけです」
その言葉にフレヤの表情が強張った。
「リブラは、そんなに……」
男はフレヤを一瞥した瞬間、眉を動かした。
「……失礼、どこかで……いや」
視線が彼女の方に釘付けになる。
やがて震える声で言葉を継いだ。
「まさか……ブラスコ様の……?」
フレヤはわずかにためらったが、やがて背筋を伸ばし、はっきりと答えた。
「私はフレヤ。ブラスコの娘です」
その場の空気が一変した。
ざわめきが広がり、商人たちは一斉に立ち上がった。
ある者は驚愕に目を見開き、ある者は信じられぬように口元を押さえ、またある者は深々と頭を垂れた。
「ブラスコ様の娘さんが……!」
「生きておられたのか……」
「なんということだ……」
敬意と畏れとが入り混じった眼差しがフレヤに注がれる。
彼女は一歩前に進み、まっすぐに彼らを見据えた。
「父は、リブラで踏みとどまっています。私は戻り、父を支えるつもりです」
その言葉に、商人の一人が嗚咽を堪えるように肩を震わせた。
年配の男が震える声で口を開く。
「……ブラスコ様は、国外へ出ることを許してくださったのに……我々は結局、逃げることしかできなかった……」
その悔恨は、疲れ切った顔に深く刻まれていた。
フレヤは短く息を呑み、視線を落とした。
ほんの一瞬、その肩が揺れたように見えた。
だがすぐに顔を上げ、はっきりと静かに答える。
「生き延びてくださっただけで、父は感謝するはずです。私には……そう信じるしかない」
沈黙が落ちる。
やがて男は大きく息を吐き、深く頭を下げた。
「……フレヤ様。どうかご無事で。危険を避けるための迂回路があります。少々遠回りですが、安全にリブラへ近づけるでしょう」
男は地図代わりの木板に街道の枝分かれを書き記し、俺に手渡した。
指で示されたのは、岩山を大きく迂回する北側の道だった。
「本来なら交易隊が使う道ですが、今はほとんど通る者もおりません。野盗どもも街道に張りついていますから……。どうか、どうかご無事で」
フレヤは静かにうなずき、深く頭を下げた。
俺も礼を言い、手綱を握り直す。
やがて俺たちは馬車を動かし、疲れ切った商人たちと別れた。
彼らの背に砂混じりの風が吹きすさび、その姿はやがて荒野に溶けていった。
街道を進みながら、俺はちらりとフレヤを見た。
彼女の横顔には迷いが残っているようにも見えたが、その瞳には揺るがぬ光が宿っていた。
「……さっきの言葉、本気なんだな」
俺がそう言うとフレヤは前を向いたまま口を開いた。
「戻らなければならないの。父を支えるために。どんなに恐ろしくても」
その声に強がりではない決意を感じた。
困難に苛まれて、フレヤの芯の部分は揺るがないのだと確信した。
俺は心の奥で静かにうなずいた。
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乾いた風が馬車を揺らし、荒涼とした大地が広がり続ける。
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