日日晴朗 ―異性装娘お助け日記―

優木悠

文字の大きさ
83 / 93
第十章 蝙蝠小町、ひた走る

十の四

しおりを挟む
 長屋の、唯一日当たりの良い入り口の敷居に腰をおろして、小源太は爪を切っていた。
 鋏で切った爪がぽろりと地面に落ちる。
 それが面白いのであろうか、近所のお種という六つの娘が路地に立って興味深げにじっとこちらを見つめてい、小源太が顔を向けて目が合うと、にっと笑うのだった。
 手の爪も切り終えて、足の爪に取りかかる。
 ――私もお種と同じ歳の頃は、爪を切るのが苦手だったな。
 と思う。小源太に切らせるとあまりにあぶなっかしいものだから、兄が切ってくれていた。冬至郎は爪を切るのがうまく、切ってもらうと痛くもなく、そのくすぐったさにけたけたと笑って体を動かすものだから、よく叱られた。

「大の女が爪を切りながら、にやにやしてるとは、あきれますな」
 やってきた大家の久右衛門きゅうえもんが開口一番嫌味をくれた。
 小源太は、昔の思い出にひたって顔がほころんでいたことに、言われて気づいた。
「お種、ぼやっと突っ立っていないで、おっかさんの手伝いをしないと、また叱られるぞ」
 大家に言われてお種は照れ臭そうに笑って走って行った。
「そんなとこに座ると、敷居が痛むじゃありませんか」
 嫌味の矛先がまた小源太に戻ってきた。まったく口のうるさい男である。小源太はかまわずに足の爪を切った。
「ああ、肉まで切ってしまいそうですよ。まったく不器用な」
「もう終わったよ」
「昼ひなかに働きもせずに爪切りとは、いいご身分ですな」
「そう言われたとて、しょうがないではないか。今は動くに動けんのだ」

「またいなくなってしまったお兄様を捜しに行かれたらいかがです」
「その兄の行方を知る者が、向こうからくるはずなんだ」小源太は爪の切り残しがないか指を伸ばして確認しながら答えた。
「誰がそんなことを言ったのです」
「由井先生さ」
「またあの山師ですか。信用しないほうがよろしいと、申しあげたはずです」
「由井先生は信用できるよ」
 そうして、小源太は袴についた爪のかすを払いながら、立ちあがった。
「で、大家どの、今日はいかがした。今月分の店賃ならもう支払ったはずだが」

「べつに用などございませんよ。ただ、皆が元気にしているか見回っているだけです。これも大家の勤めですな」
「ご苦労なことだな」
 いいご身分なのはあなたのほうではないか、と言いかけて小源太は言葉を飲みくだした。
「これ、おひろ・・・、お種、どぶ板の上で飛び跳ねるんじゃない」
 久右衛門は怒鳴りながら、路地の奥に小走りに去って行った。

 小源太はあくびを噛み殺しながら、家に戻って、大の字に寝転んだ。怠惰なものである。久右衛門に見つかったらまた嫌味を言われそうだ。
 由井正雪は、いずれ誰かが知らせを持ってくるようなことを言っていたが、あれからもう四日経つ。いつ誰がきてもいいように、家を空けることができず、ただ家でごろごろしながら待つだけというのは、じつに退屈なものであった。

 すると、誰かが入り口の前に立った気配がした。
 また大家であろう、と首を向けると、戸が開けられ、御用聞き見習いの卯之助が立っていた。
「栗栖の旦那、香流の旦那に呼んで来るように言われ、お迎えに参りましたぜ」
 小源太は体を起こして、
「香流さんが?はて、何の用かな」
「それは直接訊いてくだせえ。あっしは何も聞かされておりませんので」
 さようかと小源太は立ちあがり、蝙蝠羽織をひっかけて家を出た。

 卯之助について、神田川を渡り神田の町並みを抜けて、城の堀を渡って常盤橋御門をくぐり、たどり着いた先は、
「ここは、北町の御番所(町奉行所)ではないか」
 小源太は何か悪いことをしたわけでもないのに、どぎまぎしながら門内に入った。番所の玄関には香流隼人かなれ はやとが立っていて、小源太を招き入れた。
「あのう、香流さん、どうしてここに呼ばれたのでしょう。わけを聞かせてください」
 廊下を歩きながら小源太が訊いても香流は答えず、番所の奥の部屋の前で足をとめた。
 そうして、膝をつき、小源太にもそうするように目顔で命じた。
「栗栖小源太を連れて参りました」香流が中に声をかけると、
「うむ、入れ」渋い声が返って来たのだった。
しおりを挟む
感想 3

あなたにおすすめの小説

どうしよう私、弟にお腹を大きくさせられちゃった!~弟大好きお姉ちゃんの秘密の悩み~

さいとう みさき
恋愛
「ま、まさか!?」 あたし三鷹優美(みたかゆうみ)高校一年生。 弟の晴仁(はると)が大好きな普通のお姉ちゃん。 弟とは凄く仲が良いの! それはそれはものすごく‥‥‥ 「あん、晴仁いきなりそんなのお口に入らないよぉ~♡」 そんな関係のあたしたち。 でもある日トイレであたしはアレが来そうなのになかなか来ないのも気にもせずスカートのファスナーを上げると‥‥‥ 「うそっ! お腹が出て来てる!?」 お姉ちゃんの秘密の悩みです。

本能寺からの決死の脱出 ~尾張の大うつけ 織田信長 天下を統一す~

bekichi
歴史・時代
戦国時代の日本を背景に、織田信長の若き日の物語を語る。荒れ狂う風が尾張の大地を駆け巡る中、夜空の星々はこれから繰り広げられる壮絶な戦いの予兆のように輝いている。この混沌とした時代において、信長はまだ無名であったが、彼の野望はやがて天下を揺るがすことになる。信長は、父・信秀の治世に疑問を持ちながらも、独自の力を蓄え、異なる理想を追求し、反逆者とみなされることもあれば期待の星と讃えられることもあった。彼の目標は、乱世を統一し平和な時代を創ることにあった。物語は信長の足跡を追い、若き日の友情、父との確執、大名との駆け引きを描く。信長の人生は、斎藤道三、明智光秀、羽柴秀吉、徳川家康、伊達政宗といった時代の英傑たちとの交流とともに、一つの大きな物語を形成する。この物語は、信長の未知なる野望の軌跡を描くものである。

甲斐ノ副将、八幡原ニテ散……ラズ

朽縄咲良
歴史・時代
【第8回歴史時代小説大賞奨励賞受賞作品】  戦国の雄武田信玄の次弟にして、“稀代の副将”として、同時代の戦国武将たちはもちろん、後代の歴史家の間でも評価の高い武将、武田典厩信繁。  永禄四年、武田信玄と強敵上杉輝虎とが雌雄を決する“第四次川中島合戦”に於いて討ち死にするはずだった彼は、家臣の必死の奮闘により、その命を拾う。  信繁の生存によって、甲斐武田家と日本が辿るべき歴史の流れは徐々にずれてゆく――。  この作品は、武田信繁というひとりの武将の生存によって、史実とは異なっていく戦国時代を書いた、大河if戦記である。 *ノベルアッププラス・小説家になろうにも、同内容の作品を掲載しております(一部差異あり)。

世界はあるべき姿へ戻される 第二次世界大戦if戦記

颯野秋乃
歴史・時代
1929年に起きた、世界を巻き込んだ大恐慌。世界の大国たちはそれからの脱却を目指し、躍起になっていた。第一次世界大戦の敗戦国となったドイツ第三帝国は多額の賠償金に加えて襲いかかる恐慌に国の存続の危機に陥っていた。援助の約束をしたアメリカは恐慌を理由に賠償金の支援を破棄。フランスは、自らを救うために支払いの延期は認めない姿勢を貫く。 ドイツ第三帝国は自らの存続のために、世界に隠しながら軍備の拡張に奔走することになる。 また、極東の国大日本帝国。関係の悪化の一途を辿る日米関係によって受ける経済的打撃に苦しんでいた。 その解決法として提案された大東亜共栄圏。東南アジア諸国及び中国を含めた大経済圏、生存圏の構築に力を注ごうとしていた。 この小説は、ドイツ第三帝国と大日本帝国の2視点で進んでいく。現代では有り得なかった様々なイフが含まれる。それを楽しんで貰えたらと思う。 またこの小説はいかなる思想を賛美、賞賛するものでは無い。 この小説は現代とは似て非なるもの。登場人物は史実には沿わないので悪しからず… 大日本帝国視点は都合上休止中です。気分により再開するらもしれません。 【重要】 不定期更新。超絶不定期更新です。

与兵衛長屋つれあい帖 お江戸ふたり暮らし

かずえ
歴史・時代
旧題:ふたり暮らし 長屋シリーズ一作目。 第八回歴史・時代小説大賞で優秀短編賞を頂きました。応援してくださった皆様、ありがとうございます。 十歳のみつは、十日前に一人親の母を亡くしたばかり。幸い、母の蓄えがあり、自分の裁縫の腕の良さもあって、何とか今まで通り長屋で暮らしていけそうだ。 頼まれた繕い物を届けた帰り、くすんだ着物で座り込んでいる男の子を拾う。 一人で寂しかったみつは、拾った男の子と二人で暮らし始めた。

滝川家の人びと

卯花月影
歴史・時代
勝利のために走るのではない。 生きるために走る者は、 傷を負いながらも、歩みを止めない。 戦国という時代の只中で、 彼らは何を失い、 走り続けたのか。 滝川一益と、その郎党。 これは、勝者の物語ではない。 生き延びた者たちの記録である。

猿の内政官 ~天下統一のお助けのお助け~

橋本洋一
歴史・時代
この世が乱れ、国同士が戦う、戦国乱世。 記憶を失くした優しいだけの少年、雲之介(くものすけ)と元今川家の陪々臣(ばいばいしん)で浪人の木下藤吉郎が出会い、二人は尾張の大うつけ、織田信長の元へと足を運ぶ。織田家に仕官した雲之介はやがて内政の才を発揮し、二人の主君にとって無くてはならぬ存在へとなる。 これは、優しさを武器に二人の主君を天下人へと導いた少年の物語 ※架空戦記です。史実で死ぬはずの人物が生存したり、歴史が早く進む可能性があります

百合ランジェリーカフェにようこそ!

楠富 つかさ
青春
 主人公、下条藍はバイトを探すちょっと胸が大きい普通の女子大生。ある日、同じサークルの先輩からバイト先を紹介してもらうのだが、そこは男子禁制のカフェ併設ランジェリーショップで!?  ちょっとハレンチなお仕事カフェライフ、始まります!! ※この物語はフィクションであり実在の人物・団体・法律とは一切関係ありません。 表紙画像はAIイラストです。下着が生成できないのでビキニで代用しています。

処理中です...